心の窓にともし灯を
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:横井 弘、作曲:中田喜直、唄:ザ・ピーナッツ
1 いじわる木枯し 吹きつける 2 真珠にかがやく飾り窓 3 暖炉をかこんだ歌声を |
《蛇足》 昭和34年(1959)発表。
大学に入ったばかりのころ(昭和36年)、大学の西側の戸塚通り(訂正→早稲田通り)に面したところにあった映画館に毎週のように行っていました。映写技師がよほど好きだったらしく、休憩時間中はいつもこの歌を流していました。
この映画館の近くにあった眼科の女医さんがきれいでした。
(二木紘三)
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コメント
引退されてから寂しくなりました。
でも、いい歌を残されて心の支えになっています。
投稿: 圓山文夫 | 2007年9月29日 (土) 16時21分
二木さんのサイトで始めてであったような気がする唄です。何度も聞かせてもらい、カラオケで歌うと、友人の奥さんが「ピーナツの歌ですね」と言ってくれました。さらに、二木さんのコメントが楽しいですね。「この映画館の近くにあった眼科の女医さんがきれいでした。」とのコメントはこの曲とは何の関係もないのですが、大学生のほのかな憧れが感じられます。私も、大学の寮に住んでいましたが、最寄り駅の西武新宿線「新井薬師」駅そばの「ひばり食堂」(という名前だったと記憶していますが)の女の子が可愛くて、忘れられません。ただ、注文をとってくれて、注文をするだけのふれあいだったのですが。
投稿: 江尻 陽一 | 2007年9月30日 (日) 22時49分
つらいとき この歌がふっと浮かんできて 二木さんのページを覗いてみたらば ありました!青春の歌ですね。ありがとうございます。
投稿: 破茶 | 2007年12月14日 (金) 21時28分
中学2年の時の教科書で習いました。ポピュラ-とは知りませんでした。
中2の男子生徒が音楽の先生に良い曲ですねぇと言ったという話を先生がしていましたがピ-ナツさんが歌っていた事まで話は行かなかったようでした。
投稿: sunday | 2008年2月24日 (日) 07時37分
亡くなった姉が山好きで、短大のワンダーフォーゲル部に属していました。両親に連れられて出向いた姉の短大の学園祭で、歌声喫茶の模擬店で配られた山の歌集に何故かこの歌が収録されていました。
その直後に父が他界して耐乏生活を余儀なくされ、この歌の歌詞が理解できるようになりました。実際はこの歌に歌われている程の貧乏ではなかったと思いますが、十代で経験した"貧乏"はその後の人生の肥しになったと思っています。
投稿: Yoshi | 2016年1月31日 (日) 12時25分
昭和35年、高校1年のクラスで池田湖キャンプに行くバスの中で、H君がこの歌を歌いました。大人っぽい骨格の彼から出るやや高めのきれいな声が意外でしたが、好きなザ・ピーナッツの歌を男子がこんなに上手に歌ったのに感動しました。彼は、防衛大を出てその方面で就職したようです。あの歌を歌った時の彼の柔らかい心のまま、防衛の仕事についていたのか、卒業後会うこともなく過ぎた彼に、聞いてみたいような気が時折します。
投稿: Bianca | 2016年1月31日 (日) 19時39分
Biance様
私が都立校生2年の時、憧れの君で1年先輩でバスケット部員のH君がいました。背が高く大人っぽい人でした。彼も防衛大を卒業して、自衛官になったようでした。防衛大1年の時期にしばらくお付き合いしましたが、その頃の事が懐かしく忍ばれます。もしH君が同一人物でしたら何と言う偶然なんでしょうか。投稿文を拝読しまして胸がときめきました。
投稿: konoha | 2017年1月28日 (土) 18時19分
konha様
ネットの世界はつながっていますね。
都立高バスケ部の背が高い方?南九州で市立高、中背。同じH君で防衛大とは。何だか楽しいですね。クラスから8人防衛大に行きました。最初の夏休みには見違えるようになって担任の先生にあいさつに行ったそうです。でも、あっていません。コメントを読んで、かれの温かな歌声がまた蘇ってきました。
投稿: Bianca | 2017年1月29日 (日) 19時47分
Bianca様
ほんとうですね。むかーし昔のまた昔、雑誌「漫画王」か「小学館」で「文通をしませんか」というページがありました。その頃の事を思い出します。
お返事ありがとうございました。
投稿: konoha | 2017年1月29日 (日) 20時02分
konha様、Biance様 私はOさんの・・話です。
昨夜1月28日 練馬の20Fでパーティがありました。
偶然その20Fのレストラン前で都立高校から防衛大学に進学したOさんと久しぶりに会いました。
彼は背も高く男らしく都立O高校時代から女性の憧れの的でした。そして防衛大学に進学しラグビー部に入りスポーツで活躍、卒業後はパイロットになったそうです。
私が草笛を吹けることを知っているOさんは、レストランの前にいたOさんの後輩のために「草笛を吹いてくれ」と言いました。私はお正月なので「1月1日」と「幸せなら手を叩こう」を草笛演奏しました。
Oさん、彼の後輩共に喜んでくれました。高校生時代も後輩思いで恰好良かった人は 今でも恰好いいシニアでした。
投稿: けん | 2017年1月29日 (日) 21時44分
けん様
なんだか楽しいですね。H君ももてていました。そして高校時代の彼の部屋には格好いい飛行機の写真が数枚貼ってありました。防衛大では航空科へ進みました。卒業後パイロットになったそうです。この君(きみ)は一体誰なのでしょう?考えるだけでもワクワクしてきます。Bianca様、けん様とても楽しいひと時をありがとうございました。
投稿: konaha | 2017年1月30日 (月) 14時51分
こんにちは いつもお世話になっています。
このピーナッツの歌は、私の友人が好きでいつも歌っていました。
ラジオ深夜便で聞いたのですが
1959年(昭和34年)9月26日の「伊勢湾台風」で被害を受けた人たちを元気づけるために作られた歌と聞きました。
投稿: みやもと | 2018年8月28日 (火) 20時13分
みやもと様
この深夜便は聴き洩らしました。
歴史に残る伊勢湾台風ははるか東北の盆地にまで影響がありました。窓に畳を立てかけて防いだと山形市の知人より聞き、伊勢湾に近いハコベの花様の経験と同じに驚いてます。
哀愁を帯びたこの歌に心癒された被災者は多かったでしょうね。当時13歳、貧しい暮らしの思春期の少女であった私もこの歌を心の拠り所にしていました。
横井弘作詞、中田喜直作曲には品格があります。
二木先生の演奏がしみじみと胸に沁みてきます。
投稿: りんご | 2018年8月29日 (水) 07時51分
カミさんの従兄弟で防衛大ではありませんでしたが、防衛の仕事をしていた男は今ある大学関係の募集に携わっています。
大変忙しい仕事のようで、歌の話はしたことがありません。しかし、この歌は久し振りで聞きました。昭和34年に中学を卒業したのはこの前のような気がします。
投稿: 今でも青春 | 2019年2月 8日 (金) 09時51分
「恋のバカンス」等の和製ポップスの魁ともいえる数々の歌をヒットさせたザ・ピーナッツ。
戦後の高度成長を支えた二人ですね。
この双子の姉妹の歌は、当時流行ったジャズやカンツォーネ等にも負けない垢抜けした明るい響きがありました。
マッチ売りの少女を彷彿させる抒情的なこの歌は、二人だからこそ表現できた素晴らしいだと思います。
投稿: タケオ | 2021年4月 8日 (木) 10時20分
タケオ様同様にこの歌は我が心の歌の一曲です。
私の思うことを簡潔にまとめてくれました。
寂しい時、悲しい時、いつもこの歌が心に寄り添ってくれました。
これもまた昭和の名曲ですね。
投稿: りんご | 2021年4月 8日 (木) 12時00分
「心の窓にともし灯を」この歌が1959年12月「NHK歳末たすけ合い運動」の一環として作成された作品だと、私が知ったのは、つい数年前のことでした!
2018年8月28日ご投稿・みやもと様のコメントにも記されていますが、昭和34年と云えば、やはりあの未曾有の大災害「伊勢湾台風」で、被災された方々を励ますという趣旨がこの歌の最大のネックになったのではないかと私は思います。
また、この歌は幼少のころに私が体験した、数年にわたる極貧生活を想い出させる歌で、胸が痛くなる歌でもあります。
一聯の歌詞の中の『・・古いセーター ぼろシューズ・・』私はこの『ワンフレーズの歌詞』を眼にするだけで、何不自由のない暮らしをしている今でさえ、幼少のころの想像を絶するその体験の数々が、一瞬で私の脳裏には浮かんできてしまい、思わず胸が熱くなるのです。
「心の窓にともし灯を」名称・横井弘が書いたまさに慈愛が込められた秀逸の詩に、私が崇拝して止まない中田喜直が付けたそのメロディは実に素晴らしく、昭和34年当時、ザ・ピーナッツのその天性の歌声に励まされそして心を癒された方々はきっと大勢おられたのではないでしょうか。ここで二木先生の名演奏を聴く度に、私にはそう思えてきます。
投稿: 芳勝 | 2023年5月17日 (水) 23時41分
8日のラジオ深夜便、日本の歌心の歌は作曲者
特集中田喜直さんでした。
最後にこの歌が流れ、伊勢湾台風の被災者を慰め元気づける為に作られたとの説明がありました。
何と2018年、21年とコメントしておきながらすっかり忘れていたとはショックです。
投稿: りんご | 2024年5月10日 (金) 19時27分
昨日このサイトを開いて、この曲を初めて聞きました。あれ懐かしメロデイーだ。なんという歌だったかなあとしばらく考えました。昭和34年といえば私が10歳、小学校4年生だ。「心の窓に灯を」を歌った後、1テンポおいて「ホラ えくぼが浮かんでくるでしょう」と続くところが実に印象的な歌でした。そうか伊勢湾台風直後の歌だったのか、作詞は横井弘さんか。なるほど...と自分の人生の一コマをゆっくり振り返るような時間になりました。
「心の窓に灯を」というので当時の私は、キリスト教の伝道の歌くらいにしか思っていませんでした。いやいや,あらためてこの歌はほんとうにいい歌だと思いました。
今は台風とか地震の話になると、救援体制からすぐお金の話に重点が移るんですが、昔は、がんばれよ負けるなよという心の励ましが第一だったんですね。それにみんなまだまだ貧しかったもの。本当に心が一番大切です。そのころの日本人がすばらしかったと思いました。
投稿: 越村 南 | 2024年5月11日 (土) 09時59分
承前
本当に昭和20年代30年代、日本は貧しかったけれど、みんな素晴らしい人達だったですね。
あらためてこのことを思わされ、つい一言。
投稿: 田主丸 | 2024年5月11日 (土) 17時36分
"蛇足"で、早稲田通りに面した映画館とは、高田馬場パール座のことでしょうか?
私も高校生の頃この映画館に通いました。『卒業』や、『短くも美しく燃え』をこの映画館で観ました。
映画館は現在の西友スーパーの地下にありました。
今でもこの通りの駅寄りのビルの3階に眼科のクリニックがあります。
歌と関係ない話題で済みません。
投稿: Yoshi | 2024年5月11日 (土) 21時12分
Yoshi様
交流掲示板の2024/05/12付けの投稿をご覧ください。
投稿: 二木紘三 | 2024年5月12日 (日) 00時48分