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2007年8月26日 (日)

恋人よ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲・唄:五輪真弓

1 枯葉散る夕暮れは
  来る日の寒さをもの語り
  雨に壊れたベンチには
  愛をささやく歌もない
  恋人よ そばにいて
  こごえる私のそばにいてよ
  そしてひとこと この別れ話が
  冗談だよと笑ってほしい

2 砂利路(じゃりみち)を駆け足で
  マラソン人(びと)が行き過ぎる
  まるで忘却(ぼうきゃく)望むよに
  止まる私を誘っている
  恋人よ さようなら
  季節はめぐってくるけど
  あの日の二人 宵の流れ星
  光っては消える無情の夢よ

  恋人よ そばにいて
  こごえる私のそばにいてよ
  そしてひとこと この別れ話が
  冗談だよと 笑ってほしい

《蛇足》 昭和55年(1980)の大ヒット曲。アジア各国でも歌われました。

 演歌系の歌手も歌いますが、この歌はやはり五輪真弓でなくてはなりません。五輪真弓が硬質な声で歌うことによって、アクティブな生き方をしている知的な女性の失恋というイメージになります。
 小節をころころ回す演歌の歌唱法では、これとは全然違うイメージの「捨てられ演歌」になってしまいます。

(二木紘三)

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コメント

「捨てられ演歌」なんて凡人には発想出来ません。名文句
です。ジャリタレが踊りまくっている世の中にこのような
名曲を聞く機会が少ないのは何故でしょう。産まれた時から
何でもあるからでしょうか。

投稿: M.U | 2008年5月22日 (木) 16時29分

 私は昭和50年代半ばの4年間ほど、都内での職業体験を致しました。昭和55年。その頃は、明治通り沿いにある某社に、今でいう契約社員として在籍しておりました。
 業務内容は土木設計。建設省や道路公団(当時呼称)等の発注元の各高速道路などの設計の納期に間に合わせるため、担当部署全員が業務に追われ通しの日々でした。その年の秋も深まった、ある晩7時頃のこと。業務はまだまだ続きます。皆ピリピリカリカリしながら、机にかじりついています。そんな時、どこか遠くの方から、誰かヤケクソでかけたものなのか、ボリュームいっぱいである歌が聞こえてきました。
 歌唱力抜群な女性が歌う、切々としたラブバラードのようでした。初めて聴く歌ながら、聴くほどに心に沁みて、じんじん響いてきました。それが五輪真弓の歌う『恋人よ』だと、後で知りました。

投稿: 大場光太郎 | 2008年7月 6日 (日) 19時34分

先生は知的でアクテブな女性の失恋と言われますが、この名曲で彼が戻って来たと信じたい。

投稿: M.U | 2008年7月29日 (火) 13時42分

これほど哀愁を帯びた歌はあまりないでしょう。
仕事では男と張り合って生きるアクティブで知的な女性が、失恋のどん底に叩き落とされる悲しい曲です。
“キャリアウーマン”として必死に生きる彼女は、恋も手中に収めるものと信じていたのでしょうが、雨に壊れたベンチのように、夢ははかなく潰え去ったのです。
男女の雇用機会均等が実現する途上で、バラ色の明日を信じて進む若き女性が、初めて味わう“挫折”でした。
これを歌う五輪真弓は、当時のキャリアウーマンを彷彿とさせるような趣で正に絶唱でした。
しかし、彼女は挫けないでしょう。失恋のどん底に叩き落とされても、明日を夢見て彼女は進み続けるしかないのです。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年7月30日 (水) 18時33分

曲の美しさ。詩の訴求力。詠唱の見事さ。
それが五輪真弓というたった一人の女性の仕業とは・・・許せません!
私の音楽ジャンルの分類では、この曲はニューミュージックとかポピュラーソングではなく、レッキとしたクラシックの部門に入っています。
女性の真の幸せってなんだ。
この永遠の問いに、この歌が提示する答えとは・・・。
ウーン・・・。

投稿: くまさん | 2008年7月31日 (木) 22時08分

先生のおしゃるように この歌が もし五輪真弓以外の人が歌って 世に出たなら こんなにヒットはしなかったし 感動も もらってなかったと思います。どうして あんなすごい声が出るのかと不思議です。 

投稿: 二人三脚 | 2008年8月19日 (火) 18時52分

私がこの曲を聴いたのは38年前のラジオ番組でした。凄い歌唱力の女性と驚きました。研ぎ澄まされた硬質な音声が、未だに耳に残っています。そして、その後彼女に匹敵する歌唱力の歌い手が出ないのは残念ですが、又、彼女のオリジナル曲を待ち望んでおります。

投稿: 浮雲 | 2008年11月16日 (日) 23時45分

 名声を確立した色々な歌手がテレビなどでこの歌に挑んでいるのを聴きましたが、五輪真弓を超えたのを知りません。
 シンガーソングライターによる歌は、やはり他人では歌えないのでしょうか?
 それとも最初に歌った歌手の声を含めたものが、他人をして代えがたい「歌」として我々にインプットされるからしょうか。

投稿: 周坊 | 2008年11月18日 (火) 11時17分

周坊様

全く同感です。川内康範の言う、企画、詞、歌手これが、揃えば売れる。その見本ですね。先輩にたいし、余計な事を
申してすいません。

投稿: 海道 | 2008年11月20日 (木) 17時31分

周坊様

「最初に歌った歌手の声を含めたものが、他人をして代えがたい「歌」として我々にインプットされる。」最初に歌った
歌手が上手すぎるからだと思います。これからも唄友達で
宜しくお願いします。

投稿: 海道 | 2008年11月21日 (金) 21時50分

(。>0<。)私は男性ですから立場は逆になりますが、別れの辛さは同じだと思います。
22年前に別れてしまいましたが、今でも心が癒えることはありません。
いのちを懸けた人だったからです。
この曲を聞くと涙が溢れてきます。

投稿: 希望 | 2009年9月12日 (土) 19時48分

五輪真弓さんの伸び伸びして、力強い声は他に類をみません。

投稿: 羽田光利 | 2011年6月20日 (月) 22時09分

声はガラガラ、音程なし。結婚式にマイクの前に立たされ汗だくになり笑っているだけの人でした。
10年経ち、お互いの熱も冷め、そっぽを向いてたある日、夫は「この歌が好きだ」とつぶやきました。
「恋人よ」の調べが流れていました。
人生を分け、それぞれを歩みこの歌が私の心に残りました。繊細で美しい歌詞の情景を追いながら、彼が口ずさんだ旋律を耳にしています。同じオンチで口ずさんでいたら・・・今来たこのみち・・かえれない。

投稿: クロモミジ | 2012年12月11日 (火) 09時03分

この歌を聴くと、余計に辛さが膨らんでくる様な気がします。男と女の立場は違えど、失恋の辛さは変わりないと思いました。何度も「死」を考えましたが、勇気も根性もなくこの歳まで生き長らえてきましたが、素晴らしい「歌」であるだけに、聴くたびに苦しいです。

投稿: 赤城山 | 2013年5月17日 (金) 11時18分

この素晴らしいメロディと詩を作り素晴らしい歌唱力で歌った五輪真弓さんですが他にヒット曲はなかったのでしょうか? この曲を鮫島有美子さんも歌っていますが流石本格派ソプラノの声、歌唱力はすごいですねえ。二人の歌を聴き較べると甲乙つけ難いように感じます。

投稿: オイロッパスキー | 2013年6月 1日 (土) 23時05分

 シンガーソングライター自身の歌唱と本格的な声楽で鍛えた歌手の歌唱との違いを家庭料理に譬えると、同じ料理を作っても片や年季の入った専業主婦おふくろの味、片や手練れのプロの味と言ったところでしょうか、そもそも出汁のとり方からして違うので、風味は異なって当たり前、あとは味わう人の好み次第と云うことになるのでは、と考えますが。

投稿: 槃特の呟き | 2013年6月 2日 (日) 15時26分

この歌を聴くたびに自分の越し方が悔やまれてならない。
この歌が流行った時、私は30代で長女は小学5年生。
物語性の濃いこの歌にとても惹かれたものです。
長女はどんな恋人に巡り合うのだろうなどと想像。
貧しく育った私は自分の子供時代を生きなおすように長女を操縦。夫は7人兄弟の末弟、転勤族ながら無一物の姑を引き取って生活を共に。全て私に味方してくれた夫ではあったが(5人の義姉の援軍を得て強い姑)との軋轢があった。
男に頼らない道を長女に描きその通りになった。
「平凡に生きたかった。この生き方辛い」と言われる時一言もない。この歌が流行った時点に戻れるなら戻りたい。、
そして教育ママを返上して、ゆったりとした時間を長女に与えたい。などと詮無いことを思いめぐらすにつけても涙が込み上げてくる。

投稿: りんご | 2015年7月13日 (月) 17時18分

この歌は失恋の歌ではありません。
夫を交通事故で失った若き妻の悲嘆をその夫婦の盟友である五輪真弓が歌にしたものです
「無情の夢よ」
妻と結婚した頃この歌が流れていました。
先月、妻が癌で逝きました。

投稿: きんぽうげ | 2016年11月26日 (土) 20時07分

ハーモニカでこの歌を初めて吹きました
女性の歌なのでカラオケでも歌った事も
ありませんでした
ハーモニカで吹いた時にこの曲の良さに
震えました
なんとも切なさがハーモニカの音と合い
大好きになりました・・カラオケでも
歌ってみようと思っています

投稿: 田中 喬ニ | 2017年1月 3日 (火) 17時48分

20数年前金融機関に勤めていた時の事です。金融機関のトップと大手商社の役員とのカラオケ懇親会をアレンジしたことがありました。当時私はその商社の担当でした。その時金融機関のトップ(当時副社長その後社長となり今は名誉顧問)が歌った曲が「恋人よ」でした。 演歌を歌われる方が多い中当時としてはしゃれた曲でしかも金融機関のトップが歌うのは相応しくないのではと思い聴いていましたが、必ずしも上手くはないものの、切々と心に沁みて来たことを思い出しました。 
今私はインドネシアの金融機関に勤めていますが、インドネシアでは五輪真弓の曲は大人気で、特に「心の友」はインドネシアの第2の国歌といわれるほど誰でも知っている曲のようです。私は同僚のインドネシア人から教えてもらうまでは知りませんでしたが、You Tubeで聴くと恋人とはまた違う素晴らしい曲でした。アジアで五輪真弓は人気があるということも改めて認識しました。
https://www.youtube.com/watch?v=xU3jbdk9ZM4

投稿: 太田光一 | 2018年1月13日 (土) 20時18分

 残念と言うべきか、五輪真弓の歌は「恋人よ」しか知りません。初めてこの歌を歌う五輪真弓をみたとき、これほど人の温もりを求めている歌があるのかと思いました。それからTVで度々みましたが、ストレートに歌い上げるこの歌に、失ったものへの深い哀しみが強く響いてきているように思いました。

 2016.11.26きんぽうげさまのコメントに「この歌は失恋の歌ではありません。夫を交通事故で失った若き妻の悲嘆をその夫妻の盟友である五輪真弓が歌にしたものです。」とありましたように、私も数十年経ってから、テレビ番組で五輪真弓自身がそう語っているのを聞いたことがあります。今朝、うた物語からyou tubeでの五輪真弓の「恋人よ」を聴いてみると、やはり胸に迫るものがあります。

 話がとびますが、こじつけみたいに思われてしまいますが、「五番街のマリー」で2017.10.12(木)11時02分のkonohaコメントは「恋人よ」の歌詞のように独り残されたマリーと重なってくるように思いました。
自分でマリーの気持ちを妄想で書いたにすぎませんが、なんだか「マリー頑張れ」と言いたくなってしまいました。妄想の妄想ですね。

投稿: konoha | 2018年8月25日 (土) 11時00分

きんぽうげさま
 時間ってすごいですよね ・・・ どうぞお身体をおいといください。

投稿: konoha | 2018年8月25日 (土) 11時18分

彼女は他部門で私とは業務上の関係は全くありませんでした。社内でも彼女を見かけることはほとんどありませんでした。
それでも会社の通路などで彼女を見かけた際私はじっと彼女をみつめていたものでした。

一度だけ事務的な用件で彼女の席まで伺い一言三言会話したことがあります。彼女はむっつりと、胡散臭そうに私を睨んで、事務的な返答をされただけでしたが、私はそれだけでも天にも登る嬉しさで大満足でした。

そんな長い期間が過ぎたのち、ある日彼女がマタニティ姿で台車で資料を運んでいるところを見かけました。そうか、結婚されたんだな、赤ちゃんが産れるんだな、と思い半分悔しくも、半分彼女の幸せを嬉しくも感じたものです。

そんなある日、社内で、彼女が亡くなったという知らせがありました。赤ちゃんは無事に産れたそうなんですが、彼女はその時亡くなられたのだそうです。

そしてお別れの会への招集がありました。驚きました。彼女のご主人は私と同部門で私も存じている方でした。
・・・そんなこと知らなかった・・・

お別れの会で彼女の遺影は花に囲まれていました。いつものように美しい彼女の遺影でした。

その時の気持ちはこの曲の詞と同じです。冗談であって欲しい。・・・冗談だと言ってくれ・・・
この曲はその気持ちを思い出させてくれました。

投稿: yoko | 2018年8月25日 (土) 16時14分

美しくて悲しい曲ですね。最近はこの曲のメロディーと二木先生の演奏にどっぷりと浸って何度も繰り返して聴いています。そして35年前に亡くなった彼女のことを思い出しています。

前コメントの繰り返しになるかと思います。申し訳ありません。彼女を思い出して同じことですがもっと吐き出したくなりました。

彼女にいつから魅せられるようになったのかはわかりません。おそらく、社内のどこかでチラッと拝見したのがきっかけでしょう。綺麗な人だな~と思いました。

以来彼女を見るたびに思いは募りました。といっても、業務も異なり、彼女を偶然にでも見かけるのは年にせいぜい2~3回程度です。

自分から彼女に接近するようなことはしませんでした。
彼女はきっと僕には手の届かない遠い世界の王子様と結婚なさるのだろうと思いました。また彼女の側近の男性たちも彼女をほっておくことはないだろうと考えていました。

彼女と直接の仕事の関係はなかったのですが、ある問題で、彼女に聞くと良いよ、との助言を受け、私は喜んで彼女の席に向かいました。彼女はニコリともせずジロりと私を睨み、「何?」と言ったそっけない応対でしたが私は彼女に近づけたチャンスがあったことだけでも大感激でした。

彼女は僕の胸に秘めた心の恋人でした。
長い期間が過ぎました。
そんな中で、私は結婚もし、子供も2才になりました。

ある日彼女がマタニティを着て台車を押している姿をみかけました。そのとき、”結婚されたんだ、赤ちゃんも生まれる”、と私は彼女の幸せを自分のことのように嬉しく思いました。

しばらくして社内で彼女の死が報じられ私の部門内でもお別れの会への参加が募られました。赤ちゃんを出産された後帰らぬ人となられたそうなのです。彼女のご主人は私と同じ部門の方でした。遠い存在だと思っていた彼女がなんだか身近に感ぜられました。

遺影ははつらつとして美しい彼女そのものでした。
その微笑んでいる彼女の姿を思い浮かべますとこの曲の詩のように、今でも「冗談ですよと笑ってほしい」と思います。

時間は無常ですね。喜びも悲しみも押し流してもとにはもどりません。彼女の死は今でも昨日のことのように思えるのですが、もう35年も経ってしまったのですね。

赤ちゃんは女の子だったと聞きましたがもうお母さんの年齢を超えられたのですね。お母さんの面影を残した美しい女性になられたのかな、などと思います。

投稿: yoko | 2018年8月28日 (火) 10時37分

konoha先のコメント「時間ってすごいですよ」としましたが、送信後、高校時代からずーと親しくしている友人のことを思いました。彼女の夫は20年前53歳で逝ってしまいました。相思相愛で結婚した二人でした。彼女が目に涙を浮かべず話せるようになったのは、7年以上かかりました。

yokoさまの「時間は無常ですね。喜びも悲しみも押し流してもとにはもどりません」は本当にそう思います。でも悲しみは流れ去って行く時間に人は大いに助けられて暮らしていけるのでは思います。

話はガラッと変わります。「太陽がひとりぼっち」yokoさま2018.7.16コメント「・・・気になる存在・・・なぜかイライラする・・・」のお話はサスペンス的短編小説になりそうですね、読んでみたいです。(余計なことでしたが、書かずにいられなくてすみません)

投稿: konoha | 2018年8月28日 (火) 12時08分

私は明日68歳のバースディーライブをやります。15曲ほど歌いますが、恋人もその中にあります。今まで失恋の歌として歌ってきましたが、この曲の生まれた背景を、このコラムで知り、愕然としました。これからどう歌えばいいのか戸惑っています。この世の無情を歌えません。私にとっては今の技量では、失恋の歌としか歌えない事を、リハをやりながら、痛感させられています。どうしても失恋の歌になってしまいます。

投稿: 公造 | 2019年10月 5日 (土) 18時42分

 2018.8.28konohaコメントで紹介しました友人と昨日会いお茶をました。お墓参りの帰りに寄ってくれたのです。彼女の夫は一年先輩です。高校時代は私は会ったことがありませんでした。

 二人にはこんなエピソードがあります。
結婚する前、公園でデートをしている時、彼は巡回中の警官から職務尋問をされたそうです。当時それを聞いて私はさもありなんと笑ってしまいました。全く見も知らぬ人から見たら、清楚な女性が悪い男に絡まれているように見えてしまいます。彼は真面目で誠実な人柄なのですが、どこかトッポさがあり、おまわりさんからは夜目遠目で、こりゃ大変だと思ったのでしょうね。

 お茶をしながら彼のお墓参りをしてきた彼女は首にかけている金のネックレスを見せてくれて、これは彼が首にかけてくれた以来、一度も外したことがないと話してくれました。彼が逝ってから今年で23年になります。
 
 とてもいい話が聞けました。

投稿: konoha | 2019年10月 6日 (日) 09時35分

「恋人よ」言わずと知れた、五輪真弓の最高傑作ですが、どうしたらこんなにも人の心の襞まで沁み込んでくるメロディが浮かぶのだろうと、この歌を聴くたびに私はそう思ってしまいます!

彼女の歌を初めて私が知ったのはフォークギターに夢中になっていた19才の頃で、1973年に発売された彼女のデビュー曲「少女」を買ったレコードで聴いた時、その歌の巧さと、その詩のセンスの良さに感激した憶えがあります。

『少女』

1;あたたかい陽のあたる 真冬の縁側に
  少女はひとりで ぼんやりと座ってた
  つもった白い雪が だんだんととけてゆくのを
  悲しそうに見ていたの 
  夢が大きな音をたてて 崩れてしまったの ♪ ♪ ♪

これはあくまでも私の独りよがりの考えですが、彼女のアルバムをとおして、これまであらゆる作品を聴いてきた私が思うのは、1980年に大ヒットした「恋人よ」は、上記の詩を書いた五輪真弓だからこそ作成できた楽曲ではないのかと、今でも思うことがあります。
それは、デビュー曲「少女」が一人の女性の黄昏をソフトに歌った少女版ならば、その後にシンガーソングライターとしての彼女がおかれた環境、そして偶然性や必然性の中で、後年に彼女から生まれ出たその作品が、この重厚な楽曲、大人版の「恋人よ」ではないかと思えてしまうのです。

「恋人よ」この歌を聴く時、メロディが流れ始めるとすぐに吸い寄せられるのは、ヴァイオリンとピアノが奏でるそのイントロメロディですが、この作品の編曲を担当している、船山基紀のアレンジ力がこの作品のイメージに大きな影響を与えていると思います。

「恋人よ」この楽曲をオペラ歌手をはじめ、淡谷のり子など錚々たる実力派の歌手たちが挙ってカバーしていますが、
『蛇足』>この歌は五輪真弓でなくてはなりません。二木先生のこのお言葉は、まさに的確で、ある意味で最も優れた鶴の一声!だと思います。
そして、唯一無二の声を持つ五輪真弓は、シンガーソングライターのレジェンドとして、今でも私の心の中に保存されています。


投稿: 芳勝 | 2019年12月 8日 (日) 18時23分

交通事故で亡くなったディレクターの木田高介の葬儀に参列した五輪真弓が木田の妻の悲嘆ぶりを目の当たりにしてそれを基にして作った(Wikipedia)と言われていますが、そう思って詞を無理矢理解釈すれば「この別れ話が冗談だよと笑ってほしい」「あの日の二人宵の流れ星光っては消える無情の夢よ」突然の男の死を痛んでいるかのようにも取れますが、やはりこの歌は練に練られた歌詞、曲、歌どれを取っても世界に誇れる恋人との別れの名曲だと思っていいじゃないでしょうか。

投稿: 海道 | 2021年5月31日 (月) 16時45分

 2019.10.6付拙コメントの中で、友の連れ合いが亡くなって23年経つは彼女自身が語ってくれていましたので、こちらが正しい年数です。

投稿: konoha | 2021年5月31日 (月) 21時09分

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