石狩川悲歌(エレジー)
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:高橋掬太郎、作曲:江口浩司、唄:三橋美智也
1 君と歩いた石狩の 2 ひとり仰げばただわびし 3 君を思えば身に染みる |
《蛇足》 昭和36年(1961)のヒット曲。歌謡曲歌手・三橋美智也の歌ですが、抒情歌の傑作として歌声喫茶でもよく歌われました。
江口浩司(ひろし)は、戦前から戦後にかけて『月月火水木金金』『長崎のザボン売り』『憧れのハワイ航路』『赤いランプの終列車』などのヒット曲を連発した作曲家・江口夜詩の長男。
江口浩司には、ほかに『わすれな草をあなたに』『下町の太陽』などのヒット曲があります。平成22年(2010)1月23日没。
(二木紘三)
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コメント
大学受験を控えた多感な青春期を思い出させてくれる曲です。
三橋美智也さんにすれば珍しく叙情的なメロディーは、いつ聴いても甘酸っぱい思いが甦ってきます。
投稿: 越山 洋平 | 2007年8月26日 (日) 10時30分
昭和41年の夏、NHKのど自慢の県予選に出てやろうと思い、歌を選曲していたら、友達が下宿にやってきて、何曲か聴いたもらうううち、この曲にしろということになりました(もちろんアカペラ)。一応予選はとおってあくる年の決勝大会にでましたが、リハーサルではみんな本格的な発声で、これはだめだなと思いました。決勝大会は県内でテレビ中継がありましたが、結果は予想通りダメでした。当時ののど自慢は、どちらか言うといわゆる演歌よりは、正調歌謡といいますか、山のけむりやイヨマンテの夜などがまだ歌われていましたが、前年度のチャンピオンは「ぼくは流しの運転手」をうたった方でした。(2位が「マンマ」)あとからわかった話ですが、このひとは、中日ドラゴンズの山本昌投手のお父さんだった言うことです。
三橋さんの歌は、原盤の復刻版を今でも聞きますが、この歌はほかの歌とはとは全く違い、まさに「叙情歌」ですね。
投稿: 佐野 教信 | 2007年12月 2日 (日) 10時22分
遠い々昔を思い出す。
通い馴れた道すがらで知合った素敵な女性、休日に
会う約束をして、そして会った、コーヒーの香り漂う
純喫茶だった。
幾度か会って、暗い夜道を語りながら歩いた。
手を握ることも知らないで・・・後に思った、あれは
初恋なのか。
容姿は理想像の女性ではないが、今は子供や孫に囲まれて
やさしい妻と幸せな日々を過している。
石狩川悲歌を聴くと、遙か遠い甘ずっぱい青春時代を
思い出す。
投稿: 小林 幸二 | 2008年1月21日 (月) 21時37分
今朝,NHKのラジオ深夜便で聞きました。興奮して眠れず娘に歌詞を探してもらってここにたどり着きました。ありがとうございました。感謝します。
投稿: みつゆき | 2008年2月13日 (水) 22時11分
高校3年の暮れ、昭和36年の紅白歌合戦でこの曲を聴き、まだ見ぬ北海道と石狩川に憧れました。あれから47年、今では毎年数回は北海道に行きますが、石狩川の流れを見るたびに、あの時の感激を思い出します。北海道で暮らしたいと就職先も北海道の企業を志望したのですが、果たせず、北海道暮らしは還暦を過ぎた今でもまだ夢のままです。
投稿: 岡野正隆 | 2008年5月11日 (日) 16時50分
詩よし、曲よし、歌手よし。今の若い人たちには合わないでしょうが、このような青春もあったのです。「黒髪清く瞼に消えぬ」という部分が好きです。茶髪はきらいです。日本人には合わないと思います。
投稿: くんくん | 2009年1月26日 (月) 20時50分
高校入学時、彼女は賢く特別クラスでした、私のところに
きて、(かっこいい人が見つかった机の中に花をいれるかも)というのです 私は夢にみたこともある彼女ですが、
高嶺の花、だまって聞き流しました。それから2年後、
就学旅行先の長野県のりんご園で私の前に現われてりんご
を取ってというのです。どんな格好で取ったのか覚えて
いませんが、それから40年経っても思い出すたびに、あの若かったころの年に帰ったような気になります。
投稿: とんぼ | 2009年5月17日 (日) 17時50分
昭和46年秋、夜10時前、札幌駅に到着。
この曲は高校時代に聞いてすごく印象に残って、北海道に行きたいときめていました。石狩川が札幌の近くにあるとは知らずに過ごした2年間。石狩川の支流である豊平川の岸辺を君と歩いたかな?あれから40年が経つよ
時々思い出しては、アカペラで歌っているよ、君の事も。。。。
投稿: なんとかなるさ | 2011年8月15日 (月) 13時50分
ヒット曲が出た翌年の五月に札幌に転勤になりました。
それから三年三月、今でも心に焼き付いている青春の、
想い出の数々、、、
投稿: 春の里 | 2014年9月 2日 (火) 17時58分
昭和36年のヒット曲でしたか。
となると私のあの記憶はヒットの翌年ということになるのですね。
確か中学の遠足のバスの中で同級生のKがこの歌を歌ったのを記憶しています。Kは秀才だったけど、そんなに歌が得意そうには見えない子だったのが切々と歌うのにちょっと感動しました。ちなみに同じクラスにいた初恋の人をめぐるライバルでもありました。
投稿: 片島諒 | 2017年7月 8日 (土) 16時16分
昭和36年ですか。
久し振りに口ずさんでみて、何だか胸がいっぱいになりました。
二度とは会えぬあの人は今も地元でお元気の様です。
美しい曲です・・・。沁みます・・・。
投稿: mint | 2017年7月 9日 (日) 22時45分
この歌がリリースされたのは、私が小学6年の頃。
歌詞の内容もあまり解らないのに、メロディの良さと三橋美智也の歌声に惹かれて、学校帰りによく口ずさみました。
作曲家江口浩司は父君とは一寸違って、叙情歌風な曲が多いですね。高椅掬太郎の歌詞も素晴しいとおもいます。
「流れの岸の幾曲がり」、石狩川は蛇行を繰り返しながら流れる大河ですね。流域面積や流路延長で、関東の利根川と肩を並べる一球河川です。北海道生まれの高椅掬太郎としては、多分に気分良く取り組めた仕事だったのではないでしょうか。 7・5,7・5,7・7,7・5と‥美しく定型に綴って…。
もっと江戸の早い頃入植が行われていたら、異名が「蝦夷太郎」と呼ばれていたやもしれませんね。
集中豪雨で被害に遭われている九州北部の皆様、お見舞い申し上げます。「筑紫次郎」筑後川は、やはり侮れない「暴れ川」なんですね。それにしても、今年の梅雨前線は悪魔のように執拗に襲いかかってくる……。悔しい!
投稿: かせい | 2017年7月10日 (月) 01時47分
やはり、この歌は詩曲共に素晴らしい。九州から家出をして、名護屋のパチンコ店から札幌の豊平区、小樽のパチンコ店で働いて、放浪の旅をしていた時も、口ずさんでいました。やはり男は何故「北」へ向かうのでしょうか(笑)。この曲と同じく思うのは、啄木の詩「さいはての駅に降り立ち雪明り 寂しき町に歩み入りにき」小生19歳、、、どうして生きていこうか不安だらけの北海道生活。あれから47年経過。すっかりおっさんになりましたよ。カラオケの十八番はこの曲歌いながら、若き日の自分を懐かしみ「自己陶酔」で歌ってます。歌の出だしが素晴らしい「君と歩いた石狩の流れの岸の行く曲がり、、、、♪」
投稿: なんとかなるさ | 2019年1月14日 (月) 14時24分
三橋美智也さんの 曲では 何故か
古城 に次いで 好きな曲です
昨日から 知人が 北海道を周っており
到着当日は 網走に向かい オホーツクの流氷を観光するため
砕氷船に乗ったとか
知床半島 眺められましたか と聞きましたが
曇っていたようで まったく 見えなかった様子です
今日は 宿泊地から 旭川の 旭山動物園へ
高速道路の 吹雪による通行止のため 下道を走っていたようです
さて 明日の北海道からの帰りは大丈夫でしょうか
千歳からは 飛ばないなんてことにはならないでしょうか
心配しています
全国的な 気温の極端な変動 今日は 20度を超す
地域もあり 湘南では サーファーが 海に出ていましたね
十日町では 雪まつりの 雪像が崩壊
怪我人も出ていました
北海道はブラックアウト に近い気候
激しい気候の差は???
人間 慣れた事象には対応できますが
経験ない危機管理は難しいですね
この曲をきき 恋 初恋に 酔えてた時代から遠からず
気候においても 国の施策においても
心の全く不安定な落ち着けない時期がくるでしょう
国には 対応 補償もする気がなく
経済で失敗しようが
外交で失敗しても
偏向報道を得意とした新聞社に都合よきことのみ報道させ
国民の知るべき情報が隠蔽される
こんな 虚偽 虚偽 隠蔽の歴史はないです
立ち上がらなければ
現政権を 一年ものさばらしたらーー
酷いことになるでしょう
日本の 形が崩壊するのでは
とも 危惧している 今日 この頃です
投稿: 能勢の赤ひげ | 2019年2月 5日 (火) 00時59分
やはりこの歌は素晴らしい、このくそ熱いときは、抒情歌もいいもんです。最近懐メロにはまってます。いやあ。いいもんです。高原の宿、岩尾別旅情、喫茶店の片隅で、美しい人、雨の中に消えて(吉永小百合)、通天閣の灯、北上夜曲、惜別の唄、そのひとは昔、妻を恋うる歌、思秋期、ながれ星、、いい歌いっぱい、幸せいっぱいかな?あそうそう、この前、ラジオで流れてました「母あればこそ」いい歌です。
投稿: なんとかなるさ | 2019年7月23日 (火) 22時23分
50年以上以前、東京の下宿で愛唱した曲です。
隣室の友人に何度も歌の指導を受けましたが、音痴の私には、馬に念仏でした。
この歌に夢中になったのは、そのころ付き合っていた女性が北海道出身であったので、自分を重ねていたのかも知れません。「黒髪清く瞼に浮かぶ」と調子に乗って歌っていましたが、その後は文字通り「哀歌」に終わりました。
この曲、この詩はまさに私の青春譜でした。
投稿: 伊勢の茜雲 | 2020年1月17日 (金) 21時56分
母の実家の前に遠州灘に流れ込む川があります。堤防に高さがあるので草に隠れて歩いている人影が見えません。素敵な人とあの堤防の上を歩いてみたいと思っていました。高校生の頃。従兄と歩いた事はありますが、恋心が全く無かったので、いつかその日が来るようにと願っていました。残念ながらその機会はありませんでした。
今、私はその川の中流に近い所に住んでいますので、今日もお使いの行き帰りに、川を眺めながら、夫に素敵な人とあの堤防を歩きたかったと言ってやります。生涯にやり残したことの1つです。残念でなりません。キラキラ光る川面を見るとロマンが胸に広がります。
投稿: ハコベの花 | 2020年1月19日 (日) 20時52分
高校へは1時間の列車通学、60年も前、同じ駅から通学していた友と帰りの列車が一緒になるといつも列車の最後尾のデッキに行き、2人で歌ったのが石狩川エレジーやリンゴ村から,古城等三橋さん春日八郎さんの歌を沢山歌いました、当時の列車は蒸気機関車が牽引トンネルも多く、いくら大声を出しても列車内の人には聞こえません、大声で歌った友も10年前に他界今も思い出しては涙しながら歌っています、こんな投稿欄が有るのを知り思わず書いてしまいました、思い出を引きずって後何年たったら友の所へ行けるのか、76歳.後10年待っててね?
投稿: よっちゃん | 2021年2月11日 (木) 08時13分
時々このサイトを訪れている昭和23年度生まれ、男性です。楽曲を発表年別に並べて頂けると有り難く思います。曲目で調べてもそこから同年代の曲に行くことが多いと思いますので。それにしてもよくこれだけ揃えましたね!
投稿: 太田実 | 2021年7月10日 (土) 21時59分