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2007年8月15日 (水)

ダンスパーティの夜

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:和田隆夫、作曲・唄:林伊佐緒

1 赤いドレスがよく似合う
  君と初めて会ったのは
  ダンスパーティの夜だった
  踊り疲れて二人で
  ビルのテラスに出てみたら
  星がきれいな夜だった

2 燃える想いを秘めながら
  そっと唇ふれたのも
  ダンスパーティの夜だった
  甘くせつないブルースよ
  何にも言わずに頬よせて
  二人いつまでも踊ったね

3 熱い泪をためながら
  君が別れを告げたのも
  ダンスパーティの夜だった
  はかない夢とあきらめて
  忘れましょうと言った君
  星が冷たい夜だった

《蛇足》 大正7年(1918)、横浜市鶴見の花月園に欧米流の社交ダンス場が誕生して以降、わが国でも、多くの人びとが社交ダンス(ソーシャルダンス)を楽しむようになりました。

 しかし、戦時下、「国民精神総動員」が進むと、「ダンスホールはわが国の醇風美俗を破壊し、何ら益するところがない」というので、次々と閉鎖されました。
 東京のダンスホールがいっせいに閉鎖されたのは、昭和15年
(1940)10月31日のことです。この日には、各ホールとも、名残を惜しむ愛好者たちで超満員になったそうです。

 戦争が終わって、生活にやや余裕が出てくると、社交ダンスはまた盛んになりました。ダンスホールも盛況になり、さまざまな会でダンスパーティが催され、男女の出会いの場となりました。
 昭和25年
(1950)に発表されたこの歌は、そんな風俗を反映しています。

 日本人がソーシャルダンスというものを見たのは、記録に残っているうちでは、万延元年(1860)、新見豊前守正興を正使とする遣米使節がワシントンで歓迎を受けたときが最初です。
 副使・村垣淡路守範正は、国務長官レウス・カスの夜会に招かれたとき、ダンスを見た感想を次のように書いています。

 「男女組み合いて足をそばだて、調子につれてめぐること、こま鼠の回るようであって、なんの風情もない。高官の人も老婦も、若い人も、みなこのダンスを好んでする由である。
 数百人の男女が、あちらのテーブルの酒や肉を飲んだり食べたりして、またこちらにきて代わる代わる踊る。夜遅くまで遊ぶ。まったく夢かうつつかわからぬほど、あきれたことだ。
 およそ礼儀のない国とはいいながら、外国の使節を宰相が招いてのことだ。無礼ととがめれば、限りはない。礼もなく、義もなく、ただ親(しん)の一字を表すものと見て、許した」

(二木紘三)

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コメント

林伊佐緒は作曲もされたが、自分も歌いましたね。私は
麗人草の歌が好みです。

投稿: M.U | 2008年7月 7日 (月) 16時20分

昔を思い出してブログの書き込みをしてます、 社交ダンスと言って、田舎では「不良の集まり」みたいに思われてましたが、 真面目な教室に暫らく通いました、定年後の同窓会で踊れたには驚きました体が動くんです、
もちろん「ダンスパーティの夜」と「鶴田浩二のサンドイッチマン」が良く踊った曲でした。

投稿: 寿老人(ことぶき) | 2008年10月 7日 (火) 20時01分

父が機嫌のいい時などに口ずさんでいました。
風呂場から調子っぱずれのこの歌がよく聞こえてきたものでした。

今年は父の13回忌を迎えます。

投稿: y.y | 2010年3月 2日 (火) 20時22分

林伊佐緒さんの歌唱力には常々敬服致しおります。其の音域の広がり、声量の豊かさ…イヨマンテの夜・高原の宿など何れも私の心が強く惹かれる想い是ありて、歌声少年と仇名されし小学生の頃、幾たび歌ってみても真似る事が出来ませんでした。それ程此のお方の歌唱力は図抜けたものが在りました…只管、真空管ラジオのノイズまみれの歌番組に耳を傾けて居りました…

投稿: 戦後歌謡曲66 | 2012年3月20日 (火) 12時43分

ふっとこの歌を聴きたくなる時があります。手足が長くすらりとしていてリズム感が良かったらダンスもよかったかもしれませんが、純和風ですからダンスは出来ませんが、なぜかこの歌が好きです。ロマンがあっていいですねぇ。踊りの相手に良い人はいたのですが、夢でした。彼たちは素敵な人と踊ったかも知れません。3番の歌詞は経験したのですが、私が涙を溜めたのではなく、素敵な彼の目に涙が光っていました。でも私の方が忘れたことはありません。皆夢の中です。静かに聴いていると青春の終わりの悲哀に襲われます。

投稿: ハコベの花 | 2018年5月25日 (金) 23時19分

人はなぜ愛していても別れなくてはならないのだろうかと、考えてしまいました。親や兄弟のこと、経済的な理由、相手の欠点が気になって嫌になったり、別れる時は別れなくてはならないと思うのに、年月を経て、別れた理由を忘れ、なぜ別れたのだろうかと考える、若い日々は迷いの毎日だったように思います。歌謡曲の恋の歌にはそんな歌が多いですね。「ダンスパーティの夜」「港の見える丘」などなど、きれいな歌が多いですね。別れにはロマンがあります。別れの悲しみは浄化されて美しさに変わるように思われます。恋に別れがなかったら良い歌は半減してしまうのではないかと思います。雨の降る窓の外を眺めながら,過ぎた別れを懐かしんでいます。

投稿: ハコベの花 | 2018年5月31日 (木) 14時11分

「ダンスパーティの夜」私が林伊佐緒のこの歌を知ったきっかけは昔テレビでよく観ていた懐メロ番組でした!

昭和45年当時の私がこの歌を歌唱する林伊佐緒をテレビ画面で観ながらふと感じたのは、歌のタイトルのイメージとはやや違うような、男らしい歌い方をするなぁという印象を持った記憶があります。
ところが、私が41歳の時に購入した懐メロ全集CDアルバムで25年ぶりにこの歌を聴いた時には、16歳の時に私が憶えた林伊佐緒の歌唱法へのその違和感は不思議なことにすべて消えていました。その時私がふと思ったのは歌を聴く人の年齢や体験等によって、人それぞれに歌へのイメージの捉え方は変わるのかも・・と思った憶えがあります。

時折大好きなこの歌のページを開いては二木先生の名演奏を聴いているとき、常に私が実感するのは「ダンスパーティの夜」という、この歌の『タイトル』そして『三聯の詩とメロディ』また今でもYouTubeで視聴している『当時の林伊佐緒の歌唱法』現在ではそのいずれにも魅せられてしまう自分がいます。特に前奏のメロディは秀逸だと思います。

投稿: 芳勝 | 2024年10月12日 (土) 18時36分

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