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2007年8月 5日 (日)

牧場の朝

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:杉村楚人冠、作曲:船橋栄吉

1 ただ一面に立ちこめた
  牧場の朝の霧の海
  ポプラ並木のうっすりと
  黒い底から勇ましく
  鐘が鳴る鳴る かんかんと

2 もう起き出した小舎小舎(こやごや)
  あたりに高い人の声
  霧に包まれ あちこちに
  動く羊の幾群(いくむれ)
  鈴が鳴る鳴る りんりんと

3 今さし昇る日の影に
  夢からさめた森や山
  あかい光に染められた
  遠い野末に牧童の
  笛が鳴る鳴る ぴいぴいと

《蛇足》 昭和8年(1933)、『新訂尋常小学唱歌(四)』に発表。

 作詞者は長い間不詳とされてきましたが、現在は、朝日新聞出身の文人で名随筆家として知られた杉村楚人冠(そじんかん)というのが定説になっています。
 船橋栄吉は声楽家。

 明治40年(1907)、福島県の元御料牧場・岩瀬牧場がオランダからホルスタイン13頭を輸入した際、友好の印として鐘が贈られてきました。その鐘が鳴る牧場の朝を杉村楚人冠がエッセイに書き、また詩に表現したものとされています。

 その鐘は毎日数度、昼食や休憩などの合図に使われてきましたが、ひびが入ったため引退し、現在は町の文化財として同牧場の資料室に展示されています。

 写真は現在の岩瀬牧場。

(二木紘三)

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コメント

今でもメロディーを覚えているのは、ラジオ歌謡だったのでしょうか?。明るくてよい歌ですね。

投稿: 三瓶 | 2009年5月31日 (日) 16時25分

三瓶様  この歌はラジオ歌謡ではありません。二木様の解説にあるように、戦前・戦中に使用された音楽教科書(国定)「尋常小学唱歌四」(4年生用)に載っていた文部省唱歌です。この唱歌のほかには、「春の小川」や「村の鍛冶屋」などもありましたよ。戦後も暫くはほとんどの教科書に取り上げられ、やはり文部省唱歌として歌われていたと思います。わたしも4年生で習った記憶があります。現在も2種類の音楽教科書(4年生)には取り上げられているようです。軽快なリズムと明るいメロディが爽やかな牧場の朝の情景にぴったりで、これが今でも多くの人々に愛唱されている理由でしょうね。
 二木様の解説で初めて知ったのですが、この唱歌の牧場は福島県にあったのですね。わたしは「ポプラ並木のうっすりと」とありますから、てっきり北海道にある牧場だとばかり思っていました。教えていただきありがとうございました。
 

投稿: ひろし | 2009年6月 2日 (火) 23時24分

ひろし様 東北線の鈍行列車で上野から郡山まで行ったとき、福島県の小さい駅の壁が白く塗ってあり黒い字で「モデルの牧場はこの近くにある」といったことが書いてありました。が、その駅の名前を思い出すことができません。確か郡山付近の小さな駅だったと思いますが・・・ 福島県に住んでいる方、どなたかその駅名を教えてください。

投稿: なとりがおか | 2009年6月 4日 (木) 00時42分

「牧場の朝」のふるさとhttp://www.iwasefarm.com/
JR鏡石駅より車で5分 須賀川I.C.より車で15分

蛇足に元御料牧場・岩瀬牧場と書いてありますよ。東北線

投稿: なち | 2009年6月 4日 (木) 07時16分

なとりがおか様
なち様     ご親切にありがとうございます。岩瀬牧場がこの歌の舞台なのですね。10万坪もあるんですか。その広い牧場に、今でも乳牛やひつじたちがのんびりと草を食んでいるのですね。だんだんイメージがふくらんできます。ぜひ一度訪れてみようと思います。重ねて御礼申します。

投稿: ひろし | 2009年6月 4日 (木) 12時46分

ひろし様、「牧場の朝」についていろいろ教えて頂き、有難うございます。合唱の盛んな福島県の牧場でしたか。一度行ってみたいですね。
私は島根に住む後期高齢者ですが、4月から出雲市の混声合唱団(入団条件は55歳以上)に入りました。
今練習している曲は、「聞こえる」・・・平成3年のNHK
合唱コンクールの高校の部・課題曲、「この星に生まれて」、「いのちの歌」・・・だんだんの挿入曲などです。
聴力、音程の正確さ、肺活量など大分落ちていますが、なんとか頑張ろうと思っています^^。

投稿: 三瓶 | 2009年6月20日 (土) 09時58分

三瓶様  東北線は学生時代によく利用していましたが、ほとんどが急行列車だったので、鏡石駅は通過していました。「牧場の朝」の看板が目に入ることもなかった訳です。この忙しい時代には、新幹線で一直線に目的地に向かうことが当然のように思われますが、ときには時間に余裕がある場合には、各駅停車の旅も大切なことなんですね。普段見えないものも見えて来るということでしょうか。人生教訓にもなりますね。
 三瓶様は後期高齢者に入られても合唱団で頑張っておられるとか。今後のご活躍を祈念しております。わたしは後期一歩手前ですが、あなた様を見習って何とかつつがなく余生を送りたいものと念願しております。 
 
  

投稿: ひろし | 2009年6月20日 (土) 21時49分

意外なことに、常磐線の北小金駅(松戸市)に電車が発射するときにこのメロディーが流れます。江戸時代、この付近一帯は幕府直轄の小金原の広大な馬の飼育場でした。その支配者は代々代官・綿貫夏右衛門(わたぬき かえもん)といいました。陸前浜街道の小金宿の北の端に私邸の土地を持っていましたが、明治の終わり頃、馬橋と柏にしか駅がなかった常磐鉄道に無償で土地を提供して、ここに新たに北小金駅が作られました。なお、この土地から幕末に、名落語家が出まして、芸名を金原亭馬生(きんげんてい ばしょう)と名乗りました。小金原で馬が生まれるという、この土地にふさわしいおめでたい名前だったのです。この人以来、落語家の芸名に、金馬、新駒、小円馬、伯楽、馬風、馬之助など馬に縁のある名前がしばしば付けられるようになりました。
 今は、東京の通勤圏として大きな団地があちこちにでき、全く牧場の面影はありませんが、通勤の人の波を送り出しながら、今朝もプラットホームにはこのメロディーが流れます。

投稿: 江戸 | 2012年10月29日 (月) 04時39分

 江戸さん
 地方史の好きな私には、じつに興味あるコメントでした。松戸にはかつて徳川幕府直轄領である広大な「小金の牧」があり、襲名代官、綿貫夏衛門が配置されていた。鉄道の時代になると、その子孫が広い土地を寄付したという。さらに金原亭馬生という名落語がでてきたという話。牧場つながりのいい話ばかりですね。勉強不足の私は どれも知らない話でした。 

 触発されて私も少し調べました。初代夏衛が家康に会った時、あまりに貧乏で 夏なのに袷(あわせ)がない、綿入れから綿をぬいたものを着ていた。家康は聡明な夏衛門を気に入って牧の支配をまかせることにしたが、その時にこれからは綿貫(綿をぬいた綿入れだから)と名乗るようにと命じたとか。そんなあほな~~と思いましたが、おもしろいエピソードとして聞くことにします。

 文章が凝っていますね。始めと終わりに電車から流れる「牧場の歌」のメロディを置いて、その間に郷土の歴史を紹介する。感心しました。


投稿: 秋山 小兵衛 | 2012年10月30日 (火) 10時21分

今から、20年ほど前、近くの公民館で、あくまでもアマチュアの立場を通して、「思い出の愛唱歌を歌う会」を主宰しておりました。
千葉県内の歌碑など尋ねる日帰りバスの旅なども、度々、計画いたしました。「宵待ち草」の歌碑や、「月の砂漠」のラクダ像など……。
集団疎開先の信州・山田温泉・風景館への2泊の旅なども。10名程のご参加でした。
風景館のご主人のマイクロバスで、山奥の山田牧場に連れて行っていただきました。
電池で弾けるキーボードの伴奏で、この「牧場の朝」を、皆で、歌いました。
すぐ近くに乳牛が数頭、のんびりと、寝そべっており、アッという間に、霧が立ち込め、あたりが真っ白になったり!!まさに、この歌詞通りの世界でした!!
連れて行ってくださった、風景館の同年齢のご主人も、その時、参加した内の数名の方々も、すでに、鬼籍に入られました。
皆さんにとって、一生の思い出になったことと、自負しております。
            千葉市 井尻 賤子 80才

投稿: 井尻 賤子 | 2014年4月 9日 (水) 00時05分

小さな頃、3つ上の姉がよく歌っていました。
私はこの歌の舞台を、なんとなく山梨県の清里であると思っておりましたが、ずっと後に福島県の岩瀬牧場であると知り、わざわざ行ってみましたところ、やはり自分のイメージとしては清里のほうがふさわしいように思いました。

投稿: 川口雄二 | 2014年5月21日 (水) 23時35分

関東以西の皆様、猛暑お見舞い申し上げます。
今朝は3時過ぎに余りの寒さに網戸を閉めました。
朝刊を拾い読みして睡眠補足ながら2度寝も叶わず,二木先生の軽快な演奏に癒されています。あまりの涼しさに牧場の朝が連想されました。イザベラバードが東洋のアルカデイアと讃えた地が当県には複数あります。
金山町もその一つで小さな牧場があります。
杉の美林を望む地にお馬の親子が複数おります。
ホースセラピーを取り入れている牧場、休日には親子連れで乗馬を楽しむ光景にも心癒されます。
周囲に広がる手入れの行き届いた青芝の美しさは息をのむほどす。皆様、涼しい牧場を想像して今日も暑さを乗り越えましょう。

投稿: りんご | 2018年8月 4日 (土) 06時26分

豊中は、現在27℃  これからぐんぐん気温も上昇してくるでしょう。

今から、朝靄ならぬ陽炎を突いて、六甲山に上がります。
今日は六甲山牧場も親子連れで賑わうことでしょう。

ところで、船橋市にいる私の孫(中1の女の子)が、昨年まで在校していた小学校で、バイオリンクラブの副部長をしていましたが、「奇跡のレッスン」というNHKの番組の取材があり、世界的にも有名なバイオリニストのレッスンを受けることになり、その時に部長をしていた男の子が緊張のあまり、卒倒して自宅に帰ったため、副部長の孫が表にたって対応した放送が、8月5日PM10時から、BS-1で放送されるそうで、楽しみにしています。

NETで検索したら、一部見れましたが、普段おとなしくて、あまりお喋りの出来る子ではありませんが、放送が楽しみです。

投稿: あこがれ | 2018年8月 4日 (土) 08時31分

 「牧場の朝」の歌詞の中にある、”牧場”、”霧の海”、”ポプラ並木”、”羊の幾群”、”牧童”などのフレーズから、私も、この歌の舞台は北海道であろうとイメージしておりました。けれども、作詞の舞台は福島県だったのですね。
  とは言え、猛暑続きの昨今、憧れをもって、北の大地の冷涼な牧場を思い浮かべております。
  少し逸れるかも知れませんが、あこがれ様のコメントにありました、8/5夜のTV番組「奇跡のレッスン」を視聴しました。弦楽器を練習する子供たちの能力を伸ばそうとコーチするダニエル・ゲーデさん(ドイツ人)の熱意と、それに応えようとする子供たちの生き生きした動きが、大変感動的でした。その中で、あこがれ様のお孫さんのRUKAさん、きりっとして、とても可愛かったですね。(「原爆を許すまじ」についての、あこがれ様の先程のコメントも閲覧致しました。)

投稿: yasushi | 2018年8月 6日 (月) 13時06分

二木 先生 へ

このサイトを通して、趣味を共有出来たり、あたかも何十年来の親しい友人のごとく、先輩後輩の垣根も取り払って気さくに語り合える機会を与えて頂いたことに、心から感謝申し上げます。

yasushi 様は、若い頃は山を愛される、私より2年先輩、石川県のご出身で関西のメーカーにお勤めだったと、コメントで知り得た情報を頼りに、色々と思いを巡らしています。
いつも、誠実で温厚なお人柄のにじみ出るコメントを拝見していると、昨年まで頻繁に投稿されていた(ひろし様)と だぶって、余計に親しみを憶えてしまいます。

歌(牧場の朝)と、離れたコメントになり恐縮ですが、孫のRUKAのことで、暖かいお言葉を頂き、ありがとうございます。これからも、どうぞよろしくお願い致します。

これだけ猛暑が続きますと、本当に高原の冷涼な牧場の朝が思い出され、懐かしく 憧れますよね。

私の場合は、なんども訪れた八ヶ岳南麓の清泉寮であったり、山田牧場であったり、常々 折あらば、今度は車はやめて高原列車に揺られてのんびりと訪れてみたいと、夢見ています。
近くは、六甲山牧場も良いところですが、毎週のように車で走っている見慣れた風景から、少しは変わった風景に接してみたいし、高度が930mと1300mでは涼しさも周囲の景色も、まるで違いますから・・どこまでいっても欲どしい(大阪弁)人ですね、私は・・・。


投稿: あこがれ | 2018年8月 6日 (月) 19時55分

「牧場の朝」この唱歌を学校で習ったという記憶はありませんが、我が家の長姉や次兄がいつも口遊んでいたので、私も幼いころからこの唄には慣れ親しんできました!

『三つの音色』

鐘が鳴る鳴る 『かんかん』 と ♪ ♪ ♪

鈴が鳴る鳴る 『りんりん』 と ♪ ♪ ♪

笛が鳴る鳴る 『ぴいぴい』 と ♪ ♪ ♪

『鐘・鈴・笛』この三種類の音色を表現する時、私は昔も今もこの『上記の表現』以外には思いつきません。牧場の風景を描いているこの歌詞が醸し出す素朴な自然さ、そんなところにも私はこの唄に共感を覚えます。

余談ですが、私は幼少のころに牧場で働くという夢を見ていたことがありました。そんなある日私は我が家の長兄に頼みこんで阿蘇の牧場見学に連れていってもらったこともあります。そして将来は修行を重ねて牛や馬や山羊の世話をしながら生計を立てようと真剣に思っていた時期がありました。
ある事情があり、その夢は断念せねばならず、全く違う別の進路を歩くこととなりましたが、今でもこの曲を聴いていると『牧場の風景』が私の脳裏には浮かんできて、そのころ抱いていた夢が蘇ってしまいます。

<蛇足>での解説により、明治40年日本最初の国営牧場となった、岩瀬牧場がこの歌のモデルになったと知りました。現役を退いた今こそ、いつの日にか必ずこの牧場を訪れてみたい、そしてそのおりには、ひびが入ったため引退し、町の文化財として同牧場の資料室に展示されているというその『鐘』を、私は必ずこの眼で直に見てみたいと思っています。

「牧場の朝」特にこの唄の三聯『遠い野末の牧童の 笛が鳴る鳴る ぴいぴいと』この部分の歌詞を見るにつけ、一度でいいから草原に放牧させている牛や山羊たちの群れを自分の笛を鳴らしながら自由自在に誘導してみたかった、私は今でもそんな思いに駆られることがあります。

投稿: 芳勝 | 2020年11月 6日 (金) 22時43分

 芳勝様、さわやかな「牧場の朝」の曲のコメント有難うございます。「三つの音色」のご説明に共感できます。

 私は 標高500m以上の山間に中学2年迄住んでいました。段々畑や田んぼ、自動車がやっと通れる幅の砂利道、砂利道に沿って流れる小川、傾斜地を削った場所に藁屋根と馬小屋と小さな庭・・。家から見えるのは、山、林がほとんどで空が狭く見えていました。
 子供達の主なあそび場は小学校の校庭、一周50メートル弱の運動場が道路沿いに細くありました。村で一番広い平地でした。

 「牧場の朝」の歌は 両親が口ずさんでいたのを覚えたのかもしれません。大好きな歌でした。歌詞にある牧場やポプラ並木、羊の群れ、山小舎、鐘の音などに憧れていました。いつか村を出て牧場の朝を体験したい・・と。

投稿: けん | 2020年11月 7日 (土) 09時52分

掲示板にコメント
https://9216.teacup.com/duarbo/bbs/2247
2018年、8月4日にコメントした牧場の写真です。

投稿: りんご | 2021年7月16日 (金) 17時22分

関東平野のど真ん中で育った私は子どもの頃に牧場を見る機会はありませんでした。代わりに目の前の利根川堤で牛が草を食んでいる風景が思い出されます。
ブログのハーモニカ演奏の伴奏に使わせていただきました。ありがとうございました。

投稿: ゆるりと | 2023年4月22日 (土) 04時58分

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