雨に咲く花
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:高橋掬太郎、作曲:池田不二男、
唄:関 種子/井上ひろし
1 およばぬことと 諦めました |
《蛇足》 昭和10年(1935)10月に公開された新興キネマ・高田プロ作品『突破無電』の主題歌。レコードは同年12月に発売されました。
昭和35年(1960)、井上ひろしの歌でリバイバル発売され、新規発売時を上回る大ヒットとなりました。
池田不二男は、原野為二、金子史郎ほか、複数のペンネームを使っています。『片瀬波』などの佳作を発表し、将来を期待されましたが、38歳で亡くなりました。
2番のあとに長い間奏が入ります。
(二木紘三)
コメント
私が若いときに良く流行った歌で大好きな曲でした。歌手の井上ひろしが夭折し此の歌も聴かれなくなって久しいのですが、私の生まれた1935年にヒットした曲だと知って愕きました。関種子さんの歌を聴くとキーが高く昔の人は皆声が透き通っていて、高い声だったのは時代の要求と言うより歌がオペラなどの歌曲を原点にしていたからでしょう。当時なら森進一や青江美奈などだみ声の見本ですから到底歌手などにはなれなかった者でしょうから時代の移り変わりとは恐ろしいものですね。
投稿: y.okamoto | 2009年2月 1日 (日) 07時59分
1990年作のアメリカ映画『愛と哀しみの旅路 / Come See the Paradise』にオリジナル曲が使われており、タンゴ風の編曲が気に入っていましたが、こちらはカラオケに入っていないようでガッカリしたことがあります。
投稿: 怯 | 2009年5月20日 (水) 12時43分
この歌に、季節は何時(いつ)ということはないのでしょう。でもやっぱり「雨」といえば、当月6月。今年は特に先月下旬あたりから、天気がぐづつき気味で、既に梅雨入りの感じです。
そこで「雨に咲く花」は、紫陽花(あじさい)。水色、青紫、赤紫、白色…。当地では今、家々の庭先で公園で街路で、雨の日には特に生き生きと引き立って咲いています。逆に晴れた日には、何となくくすんで冴えない感じです。
およばぬことと諦めました だけど恋しいあの人よ
……… ……… ……… ………
雨に打たれて咲いている 花が私の恋かしら
この歌は、旧民法下の厳しい家父長制、がちがちの男性優位社会当時の、女性の切ない恋の歌。今の若い女性に、「この歌の心」が理解出来るのかしら?
もちろん私が聴いたのは、井上ひろしのリバイバルの方です。
投稿: Lemuria | 2009年6月 9日 (火) 11時42分
この歌がカバー曲としてヒットした昭和35年に、わたしは大学を卒業して、東京は北区にあるT出版社に入社しました。入社して数ヶ月、同期入社の女性にほのかな恋心を抱くようになりました。しかし、内向的なわたしは思い切って胸の内を彼女に打ち明けることができず悶々としているうちに、彼女は突然会社を辞めてしまいました。わたしは狼狽しました。もう金輪際彼女に会うことができないと思うと居ても立ってもおられず、勇を鼓して彼女の家を訪れました。わたしの突然の訪問に彼女は驚いた様子でしたが、家の中に招じ入れてくれて話合うことができました。その時わたしが何を話したか、半世紀も前のことですから記憶が曖昧なのですが、目の前にいる彼女に「好きだ」と告白できなかったことだけははっきり覚えています。結局、彼女とはそれきりになってしまいましたが、当時、井上ひろしの唄う「およばぬことと諦めました だけど恋しいあの人よ」の歌詞が、いつまでも、いつまでも、わたしの耳にリフレインしつづけました。それと同時に己の勇気のなさを責めつづけました。この歌を聞くと、今ではわたしにも若き日に、こんな純情な恋があったんだな、と苦々しくも、懐かしく思い出します。
投稿: ひろし | 2009年9月29日 (火) 00時54分
井上ひろしさんのこの歌は好きな歌でした!リバイバルだったのですね。丸顔の可愛い顔をした井上ひろしさんが歌ったこの歌を、メロディーに合わせて歌いました。昔を思い出せました。有難うございました!
投稿: 摂チャン | 2010年5月11日 (火) 13時45分
二木先生
戦争もそろそろ飽きてきた昭和20年。われわれは中学4年で学徒動員で金沢八景の日本製鋼所で働いていました。そのうち私達数名が追浜の航空廠へ派遣され、隊伍を組んで歩いて往復しました。そのときなぜかみんなでよくこれを歌ったものです。物寂しい曲がなんだか戦前を思わせたものです。
投稿: 遠藤雅夫 | 2010年5月21日 (金) 09時53分
歌詞の3番目、”窓に涙のセレナーデ”ではなく
”空に涙の~”の間違いです。
投稿: 高原 勉 | 2012年11月12日 (月) 20時44分
“空に涙の~”?――意味が通じますか。「恋人の家の窓辺にとどけとばかりに嘆き歌うセレナーデ」などと解釈すれば、ここは“窓に涙の”でしょう。淡谷のり子、美空ひばり、氷川きよし、いずれも「窓派」です。無論、関種子も。「空涙」という言葉がありますが、「窓」を「空」と読み違えた歌手が居てもおかしくは無いかも知れません。
投稿: 槃特の呟き | 2012年11月12日 (月) 23時32分
すみません、上のお二人様、わりこみします。気になって眠れず「雨に咲く花」を調べました。YouTubeのカラオケバージョンで「空に涙の~」のまちがった歌詞を使っているケースが複数ありますね。また映像化したものでは1995年4月、青江三奈も「空に涙の~」と歌っていて驚きました。そうすると説明する時「涙のセレナーデが空いっぱいに哀しく響くのです」と強弁しなければならず、少し苦しいかな。
セレナーデとは、もともとは夕べに恋人をたたえるためにその窓の下で歌い、奏でる音楽のことだそうですから。セレナーデといえば連想されるものは窓、そういう約束事なのでしょう。
別件ですが、日本の場合、ブルースといっても黒人の宗教音楽、労働音楽とも無関係に、あいまいに使ってきたという経緯も思いだします。セレナーデだけは厳密にやるの?という自分への問いかけがこの場合はあります。
投稿: 浮舟 | 2012年11月13日 (火) 02時44分
「雨に咲く花」は、井上ひろしさんの歌で知りました。
レコードの歌詞は“空”となっています。
ネット上でも歌が聴けますが“空”と唄っていますね。
歌手名が“井上ひろし”となっていますが、
皆さんはどう覚えておられるのでしょう。
三浦洸一さんの「踊子」“あてやか”のように、
勝手に“窓”に変えて唄っておられたのでしょうかね。
投稿: なち | 2012年11月13日 (火) 05時44分
「およばぬことと 諦めました・・」と同情を引くような哀れっぽい言葉でへりくだって近付いて来たくせに、同情をして結婚したらひどい目に合ってしまった、罪作りな歌です。同じ状況の友人が何人かいます。これは女性の唄かも知れませんが、男性にこんな言葉を使う人が多いように思われます。男性が作った歌だなと納得しています。
投稿: ハコベの花 | 2012年11月13日 (火) 21時24分
私の投稿に対し、思いもかけず、たくさんの方より反応があり、大変楽しく読ませて頂きました。
何せ元歌が昭和10年です。リバイバルが昭和35年、いすれにせよ私の知りうる時代ではありません。
私が古い歌に求めるものは、その歌詞の美しさ故です。
そしてクラブへ行ってカラオケで歌うことです。
私は売れない劇画作家をしておりますが作詞も致します。
故に言葉の正確さを求めます。
クラブで唄っていた時に、画面表示との違いに気づきました。
「窓論」擁護派のご意見もごもっともです。
しかし、カラオケの画面表示は「空」と出てきます。
YOUTUBEでもそうです。
劇画作家の視点から行きますと「窓」のほうがしっくりきます。なぜならこの歌詞全体がなにゆえか、一人になってしまった女性の心理を唄っていますので、「窓」という身近なものへの心理投射の方が自然です。
しかし、「空」表示が多くあるのも事実です。
ここはもう、二木先生にこの二つの生まれた理由を解説していただくしかありません。二木先生、出番でございます。
投稿: 高原 勉 | 2012年11月13日 (火) 22時21分
窓か空か
戦前のオリジナル版(関種子)では「窓に⋯」でしたが、戦後のリバイバル版(井上ひろし)では「空に⋯」となっています。窓をわざわざ空に変える修辞上の理由は見つからないので、おそらく録音用の楽譜を作る際に歌詞を書き間違えたか、井上ひろしが読み間違ったかでしょう。レコーディングが済んでしまったので、スケジュールやコストの関係で「まあこのままいこう」となったのではないでしょうか。
大衆歌謡の世界では、歌詞の扱いはかなり雑で、例えば『吾亦紅』でも、作詞者のちあき哲也は「昔みたいな灯りがともる』と書いたのに、すぎもとまさとは「昔みたいに灯りがともる」と歌い、そのままになっています(ちあき哲也による)。そのほか『侍ニッポン』など、そうした例はかなりあります。(二木紘三)
投稿: 管理人 | 2012年11月13日 (火) 22時22分
ハコベの花様のコメントに驚き。
この歌は男の側の歌だと思っていました。
「男性の作った歌だなと納得しています」、この歌の作詞は「酒は涙か溜息か」の高橋掬太郎ですよ。
まぁ、オレももてなかったからなぁ。想像力の欠如か。
ひろし様の投稿をお読みください。
投稿: 中さん | 2012年11月14日 (水) 01時22分
中さん様 この歌の2番、3番をお読みになれば(花がわたしの恋かしら・・ひとり泣くのよ むせぶのよ)で女性の心情だとおわかりになると思います。
つまり私が男性の泣き落とし戦術に負けてしまったということなのです。女性の優しさを利用するずるい男性が多いのだと思います。最も夫は貰った嫁が鬼より怖いと今は思っているでしょう。ひろしさんの投稿はいつも楽しみに読んでおります。若い日に同じジャーナリスト志望だったということで親近感があります。ひろしさんと同じように訪ねて来てくれた青年もありました。このプログの「東京ブルース・淡谷のり子」に当時のことを書かせて頂きました。昨日のことの様に若い日が思い出されます。
投稿: ハコベの花 | 2012年11月14日 (水) 10時52分
「雨に咲く花」の窓か空かの論争?は終わったようですが、私としては腑に落ちないことがあります。間違いなら妄想としてお笑いください。
高原 勉様の初めのコメントと第二コメントが別人のおもむきがあります。初めは「窓に涙の~は間違っています。空に涙の~です」と無作法な調子の言い方。第二コメントはわきまえた答弁でしかも作家、作詞家であると告白。さらに二木先生の出番をうながしてます。
これは関種子から井上ひろしのところで、歌詞が窓から空に入れ替わるという事情を知った上で、我々を挑発して、いろんな意見をださせたと推測します。愉快犯ですね。その上で二木先生に花を持たせて一件を落着させるという、よくいえば、呼び水のコメント、わるくいえば、やらせですね。作家のシナリオを実際に試してみたのでしょう。挑発に乗ってまじめに意見を書いた我々はもてあそばれたんですね。(笑)
半七捕り物帖のファンの私としてはこう考えます。
投稿: 浮舟 | 2012年11月14日 (水) 22時27分
浮舟様
大変楽しいコメント、ありがとうございました。
お名前はこの蘭のいくつかで拝見しております。
第1稿への厳しいお叱りの言葉と、第2稿への存外なまでの「お褒めの言葉」、ありがとうございます。
私も「二木先生」の「鶴の一声」で今回の問題提義も終息したかとおもっていましたが、「浮舟様」のように引き続き関心を持っていてくださる方のコメントを拝見でき、嬉しく思っています。
「劇画作家」という職種お解りでしょうか、要は「劇画」(漫画)の原作者です。13年かかって、集英社より「賞」を頂くことができました。
けれど、本人は元々は「純文学志向」の人間です。
敬愛する作家は「故・吉行淳之介」です。
いつも心することは、吉行のような文章を書きたい、吉行の生き方を学びたいの2点です。(本当は尊敬する作家ですので「吉行大先生」とお呼びせねばなりませんが、「よせやい!」とご本人が一番嫌われること、吉行ファンなら、皆、解っておりますので、あえて尊称略させて頂きます。)
第1稿と第2稿のトーンの違いまでのご指摘、炯眼恐れ入りました。
浮舟様ご指摘の「愉快犯」=「知能犯」ではありません。どちらかというと、「粗暴犯」の部類です?
私は、昭和27年生まれですが、美しい「歌詞」を求めて
二木先生のこのサイトで、昔の歌調べています。
またどれかの歌詞で、物議を醸すやもしれませんが、お手柔らかにお願い致します。楽しいコメントありがとうございました。
投稿: 高原勉 | 2012年11月15日 (木) 15時14分
高原 勉様
心情吐露に満ちたコメントに感激しました。私も書かずにはいられない心境です。
1 粗暴犯?、お酒でも飲んで第1稿を「(二木先生)歌詞を間違えてます」と決めつけるような書き方になってしまったのでしょうか?私の推理もここまでです。いずれにせよあの書き方で勢いよく話がひろがっていったと思います。
2 劇画作家は川内康範、梶原一騎、小池一夫など有名ですね。ずいぶん楽しみました。私は今、天王寺大の「白龍」がたいへん好きです。暴力というテーマが年をとっても好きですね。少数が多数を制するというサブテーマもいいですね。読んでいて興奮します。「龍が如く」というソフトも世界中で売れたから、暴力は普遍的なテーマなのでしょう。暴力を描くことによって愛とか思いやりとかが、より鮮明に見えてくるという気がします。愛や思いやりは過酷な現実の中で応用問題として解くべしということです。
3 傾倒する作家を持つというのは、幸せなことですね。高原さんの文章全体に若さを感じるのはそのせいかなと思います。(えらそうに言いますが、私は昭和24年うまれですから、まあ少しがまんしてください)
私も向田邦子が生き方も文章も好きですから、その気持ちは少しわかります。
純文学ですが、若い頃は少しやりましたが思いこみの強い世界にうんざりしました。なぜあの世界は一般庶民から隔絶しているのかなあと。しかし同じ文学にしても、例えば「唐詩選」など手にすると、いくつになっても読み手である一般庶民にひらかれている文学世界だなあと思います。(居酒屋談義調になってきましたので、もうやめます)
4 最後に高原さんの受賞作(出版社とも)教えてください。
思いつくまま推敲なしで投稿します。
投稿: 浮舟 | 2012年11月15日 (木) 19時10分
浮舟様
返信メールありがとうございました。
順不同となりますが、お答えしてまいります。
まずは4の受賞作ならびに出版社について。
出版社は「集英社」です。投稿しましたのは「ヤング・ジャンプ誌」の「第29回青年漫画原作大賞」です。1年間の公募期間中の応募作品数は1093本。この回は「入選作」が出ず、私の作品が最終選考に残った9作品の内で最高点となり、「準入選」となりました。「入選」もしくは「準入選」作は漫画化され、雑誌掲載になります。
受賞作の題名は『紅胡蝶(べにこちょう)』、江戸末期、天保年間の歴史的事実・老中・水野越前による「天保の改革(贅沢禁止令が有名です)」を時代背景に、その中で自由奔放に浮世絵を描く「女浮世絵師・紅胡蝶」を活躍させました。もう相当古いですが、雑誌掲載の後、コミック化され
現在もAMAZONで、高見まこの『美弥の恋2』の後半に併載され、売られております。今日現在5冊中古本であります。漫画はあまり面白くありません。謙遜ではありません、事実です。それはコミックの販売数にも表れてます。
何故か、漫画家高見まこ女史がストーリー勝手に変更したからです。私は「男と女」の物語にしておいたのに、漫画の方は「母と子」の物語になってます。
ですから、漫画家と原作者は大体仲が悪いです。
ふたりで1つの作品作っているのだから仲良くやればいいものを、どちらも「この作品は私のもの」と思ってますし、プライドが高い。
その2大例が女の子漫画では『キャンディ・キャンディ』訴訟。詳細は、膨大な裁判の記録が「ウキペディア」に載ってます。最高裁まで25年争い、今は封印され、TVでも雑誌でも、二度と見ることはできません。
青年漫画では梶原一輝とつのだじろうの大喧嘩。
子供に夢を与えるどころではありません。
1について。半分当たっています。
まず、私は酒が飲めません。従って、3年前の同窓会の2次会で、初めて「クラブ」なるものへ連れて行ってもらいました。そこは同級生の経営するお店で、ホステスは同級生の社長のお母さんが「華僑」だった流れで、全員中国人です。
そこで『雨に咲く花』をカラオケで私が唄った時です。
『窓に~』の部分で、一番きれいなホステスがチラリと画面と私に視線送りました。画面よく見ると「空に~」の表示です。本当は私は「粗暴」ではないのですが、気の短いのには自分自身あきれます。お察しの通り、その時の憤激を思い出し、投稿しました。『中国の姉ちゃんでも、画面表示と私の歌詞とが違うと気が付いているではないか』と。
それがちょっとパソコンのキー打つ時に力入った原因ですね。
3について。
「向田邦子さん」ですかー。女流作家の中では美人ですものね。彼女は吉行と関係があります。(「男女関係」ではありませんよ)作品の創作に関してです。お二人の妹さんがどちらも「和子」さん、そのお二人の対談が『吉行淳之介をめぐる17の物語』(KKベストセラーズ)の巻頭に載ってます。妹から見た二人の作家が描かれていて面白いです。
私は「浮舟様」の落ち着いた文章から、もう少し年輩の方を想像していましたので、劇画作家の説明は余分でしたね。「川内康範」先生までご存知となれば、相当お詳しい方です。小学生の頃、夢中で『月光仮面』見てました。
これで一通りはお答えしたつもりですが、話の通じる方のようで安心しました。これも一つの御縁と、メール交換させて頂きたいと思います。今後とも宜しくお願い致しす。
二木先生、かってに私信の手段に使わせて頂き御免なさい。
投稿: 高原 勉 | 2012年11月15日 (木) 23時22分
「まちがっている」。
根拠も示さず、上から目線で決め付ける、そんなコメントがたまにきますね。しかし、ほとんどの場合、ご本人が恥をかく結果になっています。管理人氏は、それほど脇が甘くはありません。
話変わって、ハコベの花さんの
「夫は貰った嫁が鬼より怖いと今はおもっているでしょう」。
誰もが、大きくうなずいたに違いない。
投稿: MAEDA | 2012年11月16日 (金) 00時37分
>誰もが、大きくうなずいたに違いない。
皆の衆、とどのつまり、お上さんを立てていらっしゃる。CIA長官を辞任したばかりのデェヴィッド・ペトラエウスもお上さんを恐れる故にパウラ嬢(ならぬ3人子持ちの主婦)との情事につんのめったのでしょうか…。
オトノさんが「そばに居るだけでいい」欄で「あほらし!」と喝破されていらっしゃいます。御意に候。
投稿: TangoMinato | 2012年11月16日 (金) 09時17分
女性の心情で唄っているように読めますが、男性でもおかしくは無いですよね。美人の女性だと男は「およばぬことと」と思いがちですがまぶしすぎて近づき難かったのも事実でしたね。しかしそういう女性も並の男性と結ばれたのも事実でした。
投稿: 海道 | 2012年11月19日 (月) 11時07分
高原 勉様
吉行淳之介とは懐かしい。愛読しておりました。「街の底で」は今も思い出します。「週刊漫画」の連載対談は毎週楽しみでした。まさに「あの頃が~青春」でした。
下宿の娘が、「今日、コマ劇場で井上ひろしの実演を見てきた」と、普段あまり話したこともないのに話しかけてきました。彼女はかなりのべつぴんでした。
カラオケで歌う私の「雨に咲く花」は、聴く人が感動します。めったに歌いません。
以後も「空になみだの・・・」でいきます。
投稿: 中さん | 2012年11月20日 (火) 23時00分
中さん様
コメントありがとうございます。
私の提起した「窓空論争」?と、「中さん様」と「ハコベの花」様との論争?が同時進行でしたので、昭和10年発表の歌に、人それぞれ、様々な思いを抱くのだなあと、歌の持つ力、影響力に改めて感慨を深めました。
私が昔の歌を二木先生のサイトで探すのは、「その詞の美しさ」故です。私個人としては「なかにし礼」先生の「暗い港のブルース」の詞が好きです。
あんなにロマンチックに、誰もが持つ港への、外へ開かれた想念(イメージ)と、「愛しい人」を待ち続ける哀しいまでの心の空漠さを、「空間的広がり」として重ね合わせて
表現する「なかにし礼先生」の感性は繊細ですね。
「港」つながりでゆけば、私は「吉行淳之介」の『砂の上の植物群』の冒頭の横浜港の描写が大好きです。
ネットで「みなと未来」の写真を見ると、もう吉行の描いた時代の横浜港の姿はないのでしょうね・・・。
今の風景はまるで「TDL」です。
私はいずれも行ったことはありませんが。
私にも「愛しい人を待ち続ける心情」を「鷗」に託した
『かもめ』という詞がありますか、提供した友人から曲が還ってきません。
中さん様から「空」論に1票頂いたと感謝してこの稿をしめさせて頂きます。コメントありがとうございました。
投稿: 高原 勉 | 2012年11月21日 (水) 17時07分
いつも二木先生のコメント及び色々な識者?との
やり取りが楽しく、勉強させて戴いております。
所でこの”雨に咲く花”ですがオリジナルは
関種子さん、カヴァーが井上ひろしさんで、小中学校時代に良く聞き覚えのある懐かしい歌なのですが、最近淡谷のり子さんの歌を聞くにつれ、どうしても”日暮の窓で”とメロディーがかぶってしまいます。なにか小生のもやもやを解消できる方策ありましょうか?宜しくご教授下さい。
投稿: 上坂 實 | 2013年7月13日 (土) 14時27分
上坂 實様
『日暮の窓で』は『雨に咲く花』と同じ歌ですね。恋愛を歌った『雨に咲く花』は戦時に合わないと軍部から睨まれたので、田舎の母を思う歌詞に変え、仁木多喜雄がタンゴ調に編曲して再発売したものです。〈二木紘三〉
投稿: 管理人 | 2013年7月13日 (土) 16時41分
早速のご教授有難うございます。
しかし、軍部には、ややもすれば楯ついていた
淡谷さん、どんな気持ちでこの歌を
録音したのでしょうね?。
スッキリしました!!
投稿: 上坂 實 | 2013年7月16日 (火) 15時38分
少々話題が飛んでしまいますが、この曲をちあきなおみのCD(「港が見える丘」と云うタイトルです)で聞いています。原曲の良さはあまり分かっていませんが、ちあきの歌うこの曲は素晴らしいと思いまし、まったく古臭さを感じなく聞けます。他の曲も彼女が歌うとすべて原曲よりもよくなってしまうことが多いようですが…
投稿: Quay | 2014年2月14日 (金) 00時00分
先日のラジオ深夜便では、管理人さんが書かれたように、『雨に咲く花』は軟弱で戦時に合わないと軍部から睨まれたので、田舎の母を思う歌詞に変えたと説明していました。淡谷のり子のその歌「日暮の窓で」も聞くことができました。
こちらには一瞬ですが、レコードに、仁木多喜雄編曲とある写真が載っています。
https://www.youtube.com/watch?v=YUf4yn4ZDC8
こちらのサイトには、「日暮れの窓で」は昭13-08となっています。
http://tattat23.web.fc2.com/70005.htm
なお
高橋掬太郎の父親は岩手県出身の漁師でした。したがって、高橋掬太郎の本籍地は岩手県沼宮内だったのです。
本人が語るところによると「私は郷里が盛岡で在である。現在函館日々新聞社に在るということから余計に(石川啄木)氏に対する思慕を覚える。」
(『流氷』啄木追憶号5月号、大正15年、根室流氷詩社)
高橋掬太郎の代表作は、「酒は涙か溜息か」、「雨に咲く花」、「啼くな小鳩よ」、「ここに幸あり」、「一本刀土俵入り」、「古城」など多くあります。
投稿: みやもと | 2015年2月17日 (火) 19時23分
この「雨に咲く花」は、佐賀市出身で昭和初期の流行歌の作曲家の一人で「池田不二男」さんの作曲で「並木の雨」に継ぐ名曲の一曲ですが、彼は昭和18年に亡くなられていますが、未だにカラオケ等でも多くの方に歌い継がれています。素晴らしい限りです。「井上ひろし」さんのリバイバルで脚光を浴びましたが、何といっても「関種子」さんの原曲が、心に沁みます。曲も逸品ですが、それに勝るともいえる「高橋菊太郎」さんの素晴らしい詩にも感銘を受けています。
投稿: 一章 | 2015年8月 1日 (土) 19時55分
同じ疑問を複数の方々が持たれているのを拝見し、私だけでなかったことにホッとしています。
雨に打たれて
「咲いている」のか「泣いている」のか?
「空に涙」か「窓に涙」か
調べるほどバラつきがあり、混乱しているところでした(-_-;)
投稿: さとし | 2017年1月29日 (日) 22時48分
井上ひろしさんの「雨に咲く花」が世に出た昭和30年代の半ば、私は東京で、寮住まいの学生で、まさに、青春時代のさなかでした。ロッカ・バラード調の流れるような歌声は、哀愁と新鮮さをもって、広く聴く人の心を捉えたのものと思います。
関種子さんによる原曲(S10)があることを知ったのは、大分後のことです。最初に両方の歌を聴き比べたとき、一部分(歌詞1番なら、♪今一度♪のところ)メロディが相異なることに幾らか戸惑いを感じました。しかし、いつしか、その差異も気にならなくなり、片やロッカ・バラード調、片やタンゴ調、それぞれにいいなあと思うようになりました。
更に時は経ち、昨今は、同じ作詞家・作曲家による「並木の雨」(S9)に相通じる伴奏がが気に入っていて、関種子さんの歌う原曲の方をより好んで聴いています。
投稿: yasushi | 2018年3月 8日 (木) 14時27分
私は昭和25年に生まれた者です。昭和10年発表の歌がなんと25年を経て、大ヒットしたものとは知りませんでした。
実によく出来た歌だと思います。詩とメロ、リズム、テンポ全てがぴったりと折り合って、この手の歌の中では何か模範解答みたいで却って不自然なくらいの出来栄えですね!
私の感想で恐縮ですが、1番の歌詞とメロディーで既にどんぴしゃりなので、もう2・3番は大した意味もなく、要らないくらい。でも売り出す曲としてはやはり3番まで必要なんでしょうね。それで、くっつけた・・
ともあれ今までの長い論争、空だか窓だか泣いていても咲いてても、どっちでもいいんじゃないんですか? むしろ二木先生ご指摘の2番のあとの1コーラスに及ぶ長い間奏部、あれは光ってますね。曲中唯一の間奏で、ストレートに4コーラス続けて、いい歌になってると思います。
投稿: 福田の健ちゃん | 2018年3月 9日 (金) 23時34分
YOU TUBEで見たいものを見ようとした時に、見たくもない広告の横槍が入って、数秒間待たされることがある。
その数秒間が気分的に長い。<なんだ、押し付けがましい、この商品は絶対買わないぞ>と思いながら、スキップできる時間まで待つ。
この間もそんな目にあった。ところが、広告の冒頭からBGMで『雨に咲く花』が中国語で流れてきた。白髪の台湾人老テイラーが、ゆっくりと生い立ちなどを話し出す。「父の後をついで仕立て屋になったが、縫製技術の習得には十数年もかかった」「もとは福建省の出身だが、父の時代に台湾に渡ってきて、チャイナドレスの店をはじめた」云々。
職人一筋に生きてきた老テイラーの顔が、人生の欲が抜け落ちたような枯れた表情で、なかなか渋い。
「チャイナドレスにも流行があってね」「体に合わせて100人100通りの仕立てをして、はじめてチャイナドレスといえるんです」「ぴったりフィットしたチャイナドレスに出会った時、ドレスも人も映えるものです」
そんなことを独り言のように静かに語る。(言葉も正確に聞いたわけではなく、私の妄想も半分です)
「20年来、サイズがお変わりになりませんね」「あーら、どうもありがとう」というお客とのやり取りの後、映像には、チャイナドレスを着てゆっくり階段をのぼっていく女性の腰から足の部分がズームアップで写る。
終始『雨に咲く花』の歌が中国語で流れる。
『雨に咲く花が』が、如何に名曲であるかを思い知らされました。嫌いなはずの広告に最後までつき合わされたのは『雨に咲く花』の力です。陶然としてつき合わされたといってもいい。
それにしても、やるせないメロディーと中国語とチャイナドレスと台湾の老テイラー、この4つの組み合わせを誰が考えたんだろう。
投稿: 越村 南 | 2018年12月10日 (月) 23時49分
平年より少し遅れて、当地、関西でも”梅雨入り”しました。
雨となれば、空は暗く、気持ちは塞ぎがちですが、山や田畑が緑溢れるのも雨のお陰と、ポジティブに受け留めたいところです。
さて、雨の季節の歌として、「雨に咲く花」をすぐに思い浮かべます。
オリジナルは、昭和10年に関種子さんが歌ったということで、女性側から謳った失恋の歌といえましょうが、出だしの♪およばぬことと 諦めました…♪が、先ず、いろいろなことを思い起こさせます。
”およばぬこと”=”成就しないこと”と捉えますと、片思いだったのだろうか、家庭の事情によるのだろうか(家風が合わないとか)、不釣り合いだったのだろうか(わが身の至らなさとか)、はたまた、相手の心変わりであろうか、などと、あれこれ考えてしまいます。
♪はかない夢に すぎないけれど…♪(歌詞2番)から、恋を意識してから日が浅いと窺われますが、それだけに、一層別れの切なさが感じられます。
そして、やはり、♪儘になるなら 今一度 ひと目だけでも 逢いたいの♪(歌詞1番)は、控え目ながらも、心の叫び声がにじみ出ているようで、恋心に打たれます。
投稿: yasushi | 2020年6月11日 (木) 13時34分
聞きなれたこの曲に、なつかしさの中に、今までとは違った新しい雰囲気を感じました。メロディーが、なんともやるせない気分を、湧きおこしてくれますが、全然、飽きを感じさせないのです。いつもフレッシュな感動がメロディーにあります。
このメロディーをゆったりサクソフォーンで聞くのもいいです。台湾人でSAX RUBYという女性の演奏家の態度、姿勢、微笑がいいですね。やるせない雨の慕情が日本から台湾へと、広がっていくという気分で聞いています。
このメロディーには、昭和10年の大昔に作ったとはとても思えない、色あせぬ新しさを感じます。池田不二男さんの才能ですね。
コロナ禍、いやコロナ不況とよんだほうがよいような経済の下、お金を使わずに、明るく絶えていくには、こういった曲を楽しむのがよいと思ったしだいです。
投稿: 越村 南 | 2021年8月25日 (水) 16時28分
ヴェトナム戦争の頃、戦地へ向かうアメリカ兵士たちは、東京を経由して行たようで、彼らが六本木や霞町あたりのレストランやバー等で戦場へ行く前の一時を過ごしていたのを度々見かけたものです(ということは私もちょくちょく六本木で飲んでいた、ということですがー苦笑)。
で、彼らが好んで歌っていた日本の歌が「さくら、さくら」とこの「雨に咲く花」でした。メロディが「日本的」に聞こえたのでしょうか。
投稿: boriron | 2022年11月 1日 (火) 21時29分
高原さんと浮舟さんの「窓空論争」、大変興味深く
拝読しました。
そこで調べたところ、美空ひばり、石原裕次郎、五木ひろし、
フランク永井、八代亜紀等、錚々たる面々がカバーして
おりました。その中で「空」は青江三奈と来生たかお(谷村新司とのコラボでは「窓」と歌ている)の二人だけでした。
セレナーデとは「夜に恋人のために窓下などで演奏される
楽曲」ですので、二木管理人さんのご指摘のように
歌詞の書き違いか井上ひろしの読み違いなのでしょう。
いずれにしても、ほかの歌手たちのカバーが井上ひろしの後のであれば、大ヒットして、なお且つ「窓空論争」まで
巻き起こしたのは、井上ひろしの功績ではないでしょうか。
また、「日暮の窓で」と同曲とのことですので淡谷のり子
の歌を聞きましたが、かなり違う印象うけました。
やはりこの曲には「雨に咲く花」の歌詞が最適なのでしょう。それからカラオケでリクエストすると、「空に涙のセレナーデ」と表示されます。歌謡曲は歌う人、聞く人に楽しいひと時を提供すればよいのであって、歌詞の錯誤をうんぬんしても、しかたのないことなのではないでしょうか。
二木管理人さんのご意向はいかがでしょうか。
投稿: マサミ | 2023年6月 9日 (金) 22時00分
今回の投稿を見て、久しぶりに井上ひろしの甘い歌声が甦りました。かつてよく口ずさんだ時がありましたが、これほど女性に思われる男性がいるのかと、羨ましく、憎く思いました。
こんな切ない思いを持ち続ける女性に、それこそ「一目逢いたい」気持ちです。
そう思う一方、今の時代に、これほどの思いをかけてくれる女性がいるのだろうかと思うのは、夢をなくした私の嘆き節でしょうか。
「空」でも「窓」でもどうでもよくなっている昭和人
投稿: 伊勢の茜雲 | 2023年6月11日 (日) 07時58分
「雨に咲く花」戦後生まれの私にとって、今でも大好きなこの曲と云えば、何と云っても幼いころにラジオで聴いていた、井上ひろしのスマートなあの歌声が思い浮かびます!
ただ、30年ほど前に懐メロ好きな私が購入した「昭和の流行歌」という200曲を収録したそのアルバムには、昭和10年にレコードが発売されたという、関種子がタンゴ調のリズムで歌唱している、その原曲が収録されていたので、私はとても興味深くこの唄を繰り返し何度も聴きましたが、彼女の澄んだその歌声には女心の切なさが滲み出ているような、私は当時そんな印象を持った記憶があります。
「雨に咲く花」『・・・ヒットしたこの曲は、戦時色の強くなった13年に内務省から「内容が女々しすぎる」とクレームが付き、詞を変えて「日暮れの窓で」の題で、淡谷のり子の唄で再発売されました。戦後元の歌詞に戻して、ロカビリー出身の井上ひろしが歌ってまた大ヒットしています。これがきっかけで、30年代にリバイバル・ブームが起こりました。』(昭和の流行歌・保田武宏氏解説より)
投稿: 芳勝 | 2023年6月11日 (日) 16時38分
最近、Shinさんというユウチュウブバーが「雨に咲く花」を
カバーしておりました。
彼のブログよると、井上ひろしは三番の「窓」を間違いて
「空」と歌った事を認め、晩年は「窓」と改めて歌唱しておりその動画もありました。しかし、2番の「雨にうたれて、咲いている」が「雨にうたれて、泣いている」となってることついては、言及しておりませんでした。
井上ひろしの動画では、2番を省略しており、どのように歌ったのかわかりません。Sninさんは関種子の原曲をしらないようです。
次に、「恋あざみ」をカバーしております。
この曲は、「長崎は今日も雨だった」を作曲した彩木雅夫が作り、勝彩也が昭和45年に発表しております。
ほかに、森進一、細川たかし、八代亜紀、天童よしみ、など
一流どころがガバーしており、昭和時代を代表する名曲の
一つではないでしょうか。
そこで、二木管理人様にお願いしたいのですが、
この曲を是非、この【うた物語】に取り上げていただけませんでしょううか。この歌に関するエピソードなどが沢山ありそうに思われるますので、いかがなものでしょうか。
よろしくお願いいたします。
投稿: マサミ | 2023年10月 5日 (木) 21時18分
伊勢の茜雲様
御投稿ありがとうございました。
投稿: マサミ | 2024年9月22日 (日) 20時29分