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2007年8月17日 (金)

さよならはダンスの後に

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:横井 弘、作曲:小川寛興、唄:倍賞千恵子

1 何も言わないでちょうだい
  黙ってただ踊りましょ
  だってさよならはつらい
  ダンスの後にしてね
  ここはお馴染(なじ)みのクラブ
  いつものように踊りましょう
  せめてキャンドルの下で
  泣くのだけはやめて
  誰にも負けず深く愛してた
  燃えるその瞳(め)もその手もこれきりね
  何も言わないでちょうだい
  黙ってただ踊りましょ
  だってさよならはつらい
  ダンスの後にしてね

2 少しカクテルをちょうだい
  酔ったらまた踊りましょう
  だってさよならはつらい
  ダンスの後にしてね
  いまは懐かしいクラブ
  気のすむまで踊りましょう
  せめて恋人のままで
  やさしく肩を抱いて
  初めて聞いた夜のささやきが
  たとえ短い夢でも忘れない
  少しカクテルをちょうだい
  酔ったらまた踊りましょう
  だってさよならはつらい
  ダンスの後にしてね

  あなたがとても好きなこの曲も
  明日(あす)はどこかで
  独(ひと)りで聞くだけね
  何も言わないでちょうだい
  黙ってただ踊りましょ
  だってさよならはつらい
  ダンスの後にしてね

《蛇足》 昭和40年(1965)のヒット曲。この年の末、第7回日本レコード大賞作曲賞を受賞しました。
 作曲の小川寛興は、NHKの連続テレビ小説『おはなはん』の音楽を担当したことで知られており、ほかに中村晃子『虹色の湖』などのヒット曲があります。

(二木紘三)

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コメント

小川寛興氏といえば、すぐ思い出すのは月光仮面です。
テレビから流れてくるテーマ曲に何度も何度も心が躍り一緒に口ずさんだものでした。他にも怪傑ハリマオ、七色仮面、ジャガーの眼、隠密剣士等数多くの作品を世に送り出しています。
又、クラッシック、映画音楽など多彩な才能を持ち、85歳の今も日本作曲協会監事としてご活躍されていると聞きます。これからも氏の健康とご活躍を祈ります。

投稿: 中村和己 | 2008年8月14日 (木) 20時13分

正直、今小川氏の名をご記憶の方がおられるとは嬉しい驚きです。

ご高齢の現在も、作曲を続けておられるのでしょうか。

童謡畑では、純朴な「夏休み日記」(NHKみんなのうた、1968)が
懐かしく思い出されます。

投稿: | 2008年8月15日 (金) 02時05分

美しい倍賞さんを思い出しますね。
下町の太陽のイメ-ジが強くて
女優さんとしては損をしたけど
私はこの曲の倍賞さんが一番好きです。

投稿: sunday | 2008年8月15日 (金) 20時58分

私はこの歌が大好きです。カラオケで誰か女性できれいな声の人の歌ってもらいたいなと思っているのですが、歌う人がいません。仕方がないから一人カラオケに行って、自分で歌ってしまいます。歌の途中で一瞬、静かになる間がありますから、その後の歌い出しのタイミングが命ですね。同じ16年生まれの賠償千恵子ちゃ~ん、応援してるよ~。

投稿: 吟二 | 2008年9月 7日 (日) 18時15分

 いい曲ですね。私は倍賞さんよりひとつ上ですが勿論この歌大好きです。特に1番と2番との間のインタールード(間奏)の素晴らしさ! 他にも二葉あき子さんの「さよならルンバ」やリリーさんの「私は泣いています」も素晴らしく、ラテンバンドを結成してルンバのリズムで是非演奏したい曲のひとつですが、先の短いオジンの夢かァ・・・。
2年前からS.sax・T.saxを始め抒情歌・ジャズ・ポピュラー等(ラテン音楽はあまり好まれていません)の演奏で、大阪・豊中市内でのボランティア『ミニミニコンサート』に参加しておりますので情報を下さい。

投稿: 尾谷 光紀 | 2008年9月25日 (木) 17時15分

いい曲です
なのに、ムーンライト伝説、は、なぜ完璧に複製して、知らん顔していられるのでしょう。

投稿: こらこ | 2008年11月 9日 (日) 03時34分

その昔SKD(松竹歌劇団)を首席で卒業した倍賞千恵子さん。私と同じ東京下町生まればかりか父親が都電運転手だったことも同じです。年齢は私が2歳上かな。
デビュー以来の大ファンです。澄んだ美しい声と、明るい表情にいつも元気づけられます。「下町の太陽」まさにそのものです。

投稿: かつじいじ | 2010年12月24日 (金) 06時26分

 倍賞千恵子はこんなにきれいな人だったのかと 昔の映像を見て、今さらながら驚いています。好みでしょうが、吉永小百合以上の魅力です。この歌詞にカクテルがでてきますが、倍賞さんはとても飲めない感じの女性にみえます。でもそのギャップがまた良いんですね。
 昔の女優にはそこはかとない恥じらいの表情がありました。ああ、時間の経過とともに失われたもののなんと大きいことか。

投稿: 紅孔雀 | 2012年11月 5日 (月) 15時06分

彼女歌で一番好き!

各曲の終わりの方に出てくる

 *なにも言わないで「ちょうだい」

 *すこしカクテルを「ちょうだい」

の「ちょうだい」部分の歌い方が、とっても素敵

プチ・クールのような、少し甘えたような・・・

ほかの歌手のカヴァ曲は、みんな たんたんと歌っているのでイマイチ。

テンポもいいし、声も曲にドンピシャ

名曲中の名曲ですね。

   またね  

投稿: トッコ | 2012年12月17日 (月) 11時15分

さあ今夜もうた物語に誘われて時の旅人。
目を瞑れば一気に二十歳前の自分に戻れます。
切ない思いが込み上げてきます。

投稿: りんごちゃん | 2015年1月22日 (木) 19時27分

いみじう素敵なセリフ

「せめてキャンドルの下で泣くのだけはやめて」

粋なセリフね

あやニクシ

曲想にもぴったり

横井弘さま

hat off !

想えば

この歌に遭遇してから

いくとせの時が流れたことか

この歌が

永遠に燦然と輝き続けるさまを

見たいものよ!

好きなルネ・シャールのポエムを添えます

* 永遠は人生よりもそんなに長くない。


    Au revoir

投稿: トッコ | 2016年5月 4日 (水) 21時26分

この「さよならはダンスの後に」の作曲を手掛けた小川寛興氏が亡くなられました。 歌謡曲では、やはり倍賞千恵子の「おはなはん」中村晃子の「虹色の湖」などを世に送り出しました。映画の劇判も多く手掛けた小川氏ですが、やはり特筆すべきはTV黎明期の子供向け連続ヒーロー番組の主題歌を沢山創り出して下さったことです。「月光仮面」「七色仮面」「豹の目」「快傑ハリマオ」「隠密剣士」等々・・・
 胸をワクワクさせてくれた小川メロディを耳にすると、純粋だったあの少年の頃に、一気にワープしちゃいそうで嬉しくなるのです。  ご冥福をお祈り申し上げます。 合掌

投稿: かせい | 2017年7月24日 (月) 01時36分

 上記に追加します。   作曲家の小川寛興はTVテーマの他 劇判の仕事、歌謡曲もこなしました。多才でしたね。  「さよならはンスのあとに」「おはなはん」(歌・倍賞千恵子)「虹色の湖」(歌・中村晃子)
 この3曲は、いずれも作詞は「横井弘」です。

投稿: かせい | 2017年8月17日 (木) 00時56分

「さよならはダンスの後に」この曲が流行っていた頃、我が家の長男は、毎週日曜日に隣町にある知人の喫茶店の二階を借りてダンス教室を開いていました!

踊りに興味が強かった小学生の私もその教室に何度か連れていってもらい、見学したことがありますが、社交ダンス曲の中に時々「さよならはダンスの後に」や「コーヒールンバ」などが流れていたのを憶えています。その兄の影響もあり、私は成人になってからも職業柄クリスマスパーティなどに参加した時などは、お誘いがあればすぐにパートナーにして頂き、楽しく踊ったりしてきました。

今もそうですが、軽快なルンバのリズム歌謡の中では賠償千恵子が歌ったこの曲と、桂銀淑が歌ってヒットした「真夜中のシャワー」この2曲が特に好きです。
ただ「さよならはダンスの後に」を作詞したのが、「哀愁列車」「達者でな」「山の吊り橋」そして「夕焼け雲」などを手掛けたあの横井弘なのですが、その作風の違いに驚きます。あと中村晃子が歌ってヒットした「虹色の湖」もそうでした。作曲は2曲とも小川寛興ですが、改めて横井弘の才能を見せつけられた感じです。

ここでこうして二木先生演奏の「さよならはダンスの後に」を聴いていると、ダンス教室で講師をしていた長男の姿や、その頃の光景が浮かんできて、思わずルンバのリズムをとってしまっている自分がいます。

投稿: 芳勝 | 2018年9月20日 (木) 17時00分

 「下町の太陽」を歌う倍賞千恵子しか知らなかったので、テレビで初めてこの曲を歌う姿に大人を感じました。
横井弘の作詞した歌の数々を調べていた時、倍賞千恵子の育ての親は横井弘とありました。そして横井弘作詞の歌を数多く歌っています。三橋美智也、春日八郎、倍賞千恵子などなどが歌う詞の内容の幅の広さに驚かされます。

二十代前半のころ、社交ダンスが流行っていました。あちらこちらでダンスパーティーが開かれていて、私もダンス教室に習いにいきました。マンボとジルバを習いました。楽しかったですね。カクテルドレスも銀座の鐘紡で生地を買って作りました。いい思い出です。

あるダンスパーティーでアルゼンチンタンゴの曲がかかったとき、踊って下さいと声をかけられましたが、踊れないと断ると大丈夫だからと言われて踊りました。すると「カクッ」と90度に身体を回されて、いつの間にかタンゴを踊っていました。タンゴを踊ったのはそれが最初で最後でした。そのうちモンキーダンスやツイストが流行るようになり、ダンスからは遠ざかりました。

投稿: konoha | 2018年9月20日 (木) 22時01分

konoha様はダンスをなされていたのですね。さぞ美しかったのではないかと想像できます。私はダンスと聞いただけで身が震えるほどのトラウマがあります。中学1年から高校3年までダンスの女教師のパワハラに悩まされたからです。週に1時間ダンスの授業がありました。勿論社交ダンスではなく、リズムに合わせて身体を動かす体操でした。生徒の人格は無視されて自分の感情でヒステリックな怒声を生徒に浴びせていました。昔の生徒は大人しかったですね。陰で悪口を言うだけでが我慢していました。私は卒業したらこの教師の小説を書いてやろうと思って我慢していました。6年間は長かったですね。卒業してからも会うことがありましたが視線を外して無視しました。
今、思うと戦争中に教育を受けた教師はパワハラが当たり前という人が多かったですね。特に体育会系は殆ど生徒の人格など無視する人が多かったように思います。小説は書きませんでしたが、学校からパワハラが無くなるようにと願っています。美しいダンスに無粋な書き込みですみません。

投稿: ハコベの花 | 2018年9月21日 (金) 11時07分

喜寿を迎えすることもなく寂しくなると、昔の映画音楽を一人パソコンで聞いています。特に倍賞さんの歌声はたとえようのないほど素晴らしく大好きです。特に下町の太陽主題歌を聴くと、我が青春時代を思い出し胸が熱くなり、知らぬ間によく一人泣いています。友人も少なく高齢のせいか
涙もろくなっています。今も泣きながらこの文章を書きなぐっています。

投稿: 赤城 太郎 | 2021年7月 9日 (金) 13時21分

あの美人の倍賞千恵子さんは今どうしてるかなと時々思う。そんな時、この曲を聞く。彼女はさくら貝の歌、月の沙漠、あざみの歌などの良い歌をを実に美しい声で歌っていた。そしてダンスも上手な人だったので、ついこの曲を聞いてしまう。この曲の横井弘の歌詞も優れていると思います。「さよならはダンスの後で」この題名だけで思いのすべてが語りつくされているようです。
倍賞さんは結婚もせずに生きてきた人だ。私は結婚は経験してもよし、結婚せずにいてもよしと正直思うので、結婚のもつ煩わしさをのがれたある意味幸せな人だと思います。最後までがんばって生きてねと願うばかりです。

投稿: 越村 南 | 2023年12月 2日 (土) 00時11分

りんご様、12月7日の通信は私へのものですね。ありがとうございます。調べたら倍賞千恵子さんは2001年乳がんにかかり、2005年頃から、ピンクリボン活動(乳がんの知識を広め、早期受験を推進する)に参加し、2008年には「手術時の心境や夫の力添えについて詳述した」とありました。彼女は結婚していたのですね。あまり調べずに発信してしまって申し訳ありません。訂正いたします。
私の前妻も乳がんで亡くなりましたから、たいへん印象に残る記事でした。油断するとどんな病気も怖いですね。

投稿: 越村 南 | 2023年12月 7日 (木) 19時41分

私も賠償さんの数々の歌に魅了された1人です。特にこの歌は物語生があって鮮烈な印象を受けました。
ところで賠償さんにはれっきとした配偶者がおられます。音楽家の小六禮次郎さん。
恋多き女としても名を馳せたが
小六さんとはおしどり夫婦としても有名ですね。

猛暑から極寒と大変な日々、みなさまご自愛ください。

投稿: りんご | 2023年12月 8日 (金) 05時55分

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