« 一本刀土俵入り | トップページ | 異邦人 »

2007年8月 9日 (木)

いとしのクレメンタイン

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


アメリカ民謡、作詞・作曲:P. モントローズ、日本語詞:田香隆

1 寂しい谷間に 金鉱掘りの
  父と暮らしてた 娘のクレメンタイン
  (*)オーマイダーリン オーマイダーリン
     オーマイダーリン クレメンタイン
     おまえはもういない
     悲しいよ クレメンタイン

2 明るいほほえみ やさしい瞳
  きれいなサンダル 履いてたクレメンタイン
  (* 繰り返す)

3 毎朝アヒルを 追ってた娘
  あるとき泡立つ 流れに落ちて
  (* 繰り返す)

4 赤いくちびる 沈んでいった
  泳げぬ私が 死なせたクレメンタイン
  (* 繰り返す)

        Clementine

1. In a cavern, in a canyon,
   Excavating for a mine
   Dwelt a miner, forty niner,
   And his daughter Clementine
    (Chorus:)
      Oh my darling, oh my darling,
      Oh my darling, Clementine !
      You are lost and gone forever
      Dreadful sorry, Clementine

2. Light she was and like a fairy,
   And her shoes were number nine,
   Herring boxes, without topses,
   Sandals were for Clementine.
    (Chorus:)

3. Drove she ducklings to the water
   Ev'ry morning just at nine,
   Hit her foot against a splinter,
   Fell into the foaming brine.
    (Chorus)

4. Ruby lips above the water,
   Blowing bubbles, soft and fine,
   But, alas, I was no swimmer,
   So I lost my Clementine.
    (Chorus:)

《蛇足》 歌詞と曲は、パーシー・モントローズ(Percy Montrose)が1879年ごろに作ったとされています。モントローズは仮名のようで、経歴などはわかりません。
 なお、歌詞については、H. S. トンプソンが1863年に作った「Down by the River Liv'd a Maiden」が下敷きになっているという説があります。

 世界各国でさまざまな歌詞がつけられており、わが国では、西堀栄三郎(元南極越冬隊長)らの作詞になる『雪山讃歌』がよく知られています。

 この歌はゴールドラッシュのころのカリフォルニアが舞台になっています。
 1848年、カリフォルニアのアメリカン川沿岸で砂金が発見されると、世界中から一攫千金の夢見る人びとが殺到しました。とくに1849年には10万人もの男たちがカリフォルニアに殺到したといわれています。原詞の1番にある「フォーティナイナー」は、そうした金鉱掘りを指しています。上の絵は、その頃の金鉱掘りたちを描いたものです。
 余談ですが、ジョン万次郎も帰国の費用を貯めるため、金鉱
掘りをしていたそうです。

 歌詞は、金鉱掘りの娘が川に落ちて死んだ話を歌ったものです。金の夢にとりつかれて娘を未開の地に連れてきたあげく死なせてしまった父親――その慟哭が聞こえてきそうな歌詞ではありませんか。

 この歌が世界的に知られるようになったのは、1946年に公開された西部劇『荒野の決闘』(原題はMy Darling Clementine)の主題歌に使われたことがきっかけのようです。

 ジョン・フォード監督の手になるこの映画は、OK牧場の決闘を軸に、伝説の保安官ワイアット・アープ(ヘンリー・フォンダ)と元外科医の賭博師ドク・ホリディ(ヴィクター・マチュア)の交流、さらに東部からやってきたドク・ホリディの許婚者クレメンタイン(キャシー・ダウンズ)への淡い恋心を描いたものです。
 モノクロの美しい画面とクレメンタインのメロディーとが相俟って、この映画をただの活劇ではない詩情を感じさせる作品に仕上げています。

 実在のドク・ホリディはペンシルベニア歯科大学卒の歯科医師でしたが、この映画では外科医(surgeon)となっています。

(二木紘三)

« 一本刀土俵入り | トップページ | 異邦人 »

コメント

いつも楽しませて頂いております。
極めて安定した受信が出来るので、
気に入った曲は、お気に入りに登録して
いつでも受信出来る様にしています。
今度システムを変更されるそうですが、
出来れば、文字の色を、見やすい明確な
色に変えて頂けると、大変有り難いと、
思っております。
宜しくご賢察下さいます様に、お願い
致します。

投稿: 矢野孝一 | 2007年8月24日 (金) 14時56分

ある歌詞を探していて漂着しました、この宝島に。 歌詞だけでなく、メロディーも聴けるし、オマケに各歌に調査の行き届いた興味深い話までついているとは。 おかげでカラオケの際の薀蓄話のレパートリーが広がります(益々飲み友達に嫌われそう)。 あまりにも懐かしい歌、好きな歌が多いので、二木さんは同じ世代の方かなとプロフィールを拝見したところ、大学の同じ学部の4年先輩でいらっしゃいました。 高校時代、学校をサボっては映画館通いをしていましたが、リバイバルで観た「荒野の決闘」は最も好きな西部劇でした。 先日、横浜のショットバーで連れにこの歌と同じ"Clementine"という名のバーボンがあるという話をしていたら、若いバーテンさんが「川で溺れ死んだ娘の唄ですね。」と言いながらその酒を出してくれました。 嬉しくなり、酒に弱いのに粋がって西部劇の真似をして飲んだら、50.5度のストレートで見事にノックアウト、後が大変でした。 こんな私ですが、先輩!!宜しくお願いいたします。 

投稿: 上阪 信道 | 2008年4月18日 (金) 21時57分

荒野の決闘。モノクロのリアルさと爽やかさ。

投稿: t_u_shouta | 2008年10月21日 (火) 20時17分

今週NHK BS2で荒野の決闘の映画を久し振りに見ました。何回も見ていますが、あきずに見ていました。いとしのクレメンタインが流れて、人情味がありアメリカのよき時代にできた作品という感じがしました。ラストシーンがよかったです。今朝もこの曲を聞いています。

投稿: 昔の少女 | 2009年7月 4日 (土) 10時51分

この歌のテーマが『雪山賛歌』でないからでしょうか、それとも名画『荒野の決闘』の主題歌に敬意を表してでしょうか、いわゆる山男・山女(失礼!)の方々のコメントが寄せられていないのは、ちょっと淋しいですね。
 わたしがこの歌を初めて知ったのは、大学に入った年の夏休みに、先輩に連れられて行った上高地でキャンプを張ったときでした。梓川河畔の小梨平キャンプ場で、歌好きの先輩から教えられた『雪山賛歌』は、わたしの青春歌謡の1ページを飾ることになりました。わたしの好きな青春歌謡の2ページは『青春は雲の彼方に』ですが、いつか二木様にアップしていただけるものと期待しています。

投稿: ひろし | 2009年7月 4日 (土) 22時39分

名作荒野の決闘。ドク・ホリデイの許嫁役がキャシイ・ダウンズという名だったことを "蛇足"で初めて知りました。

ホリデイ君は歯科医のところ外科医に潤色されているとのことですが、カメラがホテルの彼の部屋を映した時、壁面にボートのエイトの、たぶんセピア色の写真が架けられていました。フォード監督は潤色ついでに、ハーヴァードのボート選手、おそらくはキャプテンに擬していたようでした。
肉体派サムソンを演じたビクター・マチュアぴったりの設定だったなあ、と思い出します。

投稿: 大坂一義 | 2009年8月 8日 (土) 19時21分

「荒野の決闘」の主役ヴィクター・マチュアはその容貌が、一部の男性たちに非常に人気があったと聞いています。私がつい最近読んだ作家花田清輝も、また、ヴィクター・マチュアに似ていると言われたとか。(蛇足の自乗ですが)

投稿: Bianca | 2009年8月 9日 (日) 11時49分

 映画『荒野の決闘』。ほとんどの人はまず取り上げないと思いますが―。舞台となる街の酒場で、旅芸人の年老いた座長がOK牧場のならず者にせかされて、『ハムレット』の一節を披露するシーンがあったかと思います。「生くべきか、死すべきか、それが問題だ。…死んで戻ってきた者は誰もいない。それゆえ死は恐怖なのだ」という有名なくだりを、切々と語る場面です。『あヽ西部という辺鄙な処にも、文化というものはああやって伝播されていくものなのか』と妙に感心したものでした。
 クレメンタイン役のキャシー・ダウンズ、スレンダーで清楚な女優さんでした。今の肉食大国・アメリカのハリウッド映画では、華奢な私など圧倒されそうな肉感的でグラマラスな女優ばかりで…。ついでに言わせてもらえば、予め善と決められたヒーローとヒロインが助け合い、さまざまな困難に直面し悪と戦い超人的活躍で切り抜け、最後は必ずハッピーエンドで結ばれて、めでたしめでたし。(西洋版おとぎ話の焼き直し映画を、世界中に押し売りするのはもう止めてくれ ! )
 その点古き良きアメリカの『荒野の決闘』の、ラストの何たる見事さよ。クラントン一家は全滅したけれど、ドク・ホリディも死んじゃって、すべてが終わって。街に残るクレメンタインの見送りを受けながら、「クレメンタイン。何と良い名前だ」と一言だけ言って、恋心を押し殺しながら馬に乗って去っていくワイアット・アープ。バックに流れる、この『いとしのクレメンタイン』。これでこそ、詩情と余韻がいや増すというものです。

投稿: Lemuria | 2009年8月12日 (水) 00時42分

ひろし様

この歌が「雪山賛歌」では?との疑問に、私が歌好きな方から聴いて覚えているこの歌に纏わる曖昧なお話は・・・。

大正15年(昭和元年:1926年)京大山岳部員が唐沢温泉で吹雪に閉じ込められた際に、西堀栄三郎氏(以後、第一回南極越冬隊長に)がリーダーになりこの歌を作詞した。
メロディは当校で英語の講師をしていた米国人に教わっていた・・・とのことです。

  1.雪よ岩よわれらが宿り 俺達ゃ町には住めないからに(繰り返し) 
    ~ 9.山よさよならご機嫌よろしゅう また来る時にも笑っておくれ(繰り返し)

昔「ダーク・ダックス」や「デューク・エイセス」がコンサートでよく歌っておりましたが、私は原曲の
   “・・・オオマイダーリン オオマイダーリン オオマイダーリンクレメンタイン・・・にそこはかとない人の愛と言うか熱い思いがこみ上げて嬉しくなってきますが・・・。

二木先生の『蛇足』や皆さんの『コメント』読んだら無性に観たくなり、これから500円で売っていたDVDを買いに行きます。
 

投稿: 尾谷 光紀 | 2009年10月30日 (金) 11時00分

去年「荒野の決闘」のDVDを買っていたのをボケがきたのかすっかり忘れており、雨の日の今日やっと観ました。

500円の海賊版(?)かどうかわかりませんが97minで“My Darling Clementine”は初めと最後と中間部にほんの少しだけメロディが流れていました。
「OK牧場の決闘」関連の中でもこの「荒野の決闘」は、モノクロによる美しいシーンを醸し出しており、さすがJ・フォード監督一家の手腕だと恐れ入っております。
そしてLemuria様と同様に<クレメンタインという名がすきです>のセリフ・・・いいですね。

他にもう一度観たい映画はカーク・ダグラス、エルザ・マルティネリの「赤い砦」で1対1の決闘の挑戦のシーン、歌手のジルベール・べコーの二役「遥かなる国から来た男」がハッピー・エンドの役を終えて去って行く雪のシーンやバックに流れる彼の歌、そして今まで最高に笑ったダニイ・ケイの「ぼくは憑(?)いてる」は廃盤で一生観られないと思いますが・・・。

投稿: 尾谷 光紀 | 2010年1月31日 (日) 22時58分

 偶然このサイトを見つけました。 私は「西部劇」
はあまり観ないのですが、「荒野の決闘」は人に勧
められて観ました。

 監督は有名な人だそうですが、本当に良い映画で
すね。 この歌も一生懸命に覚えました(一番でけで
すが)。 この歌は携帯電話に入れて時々聴いていま
す。

投稿: かっちゃん | 2010年7月13日 (火) 08時23分

『荒野の決闘』はかつて何度もNHK教育テレビで放送されました。アメリカに留学した際に、ロケで使われたモニュメントバレーを訪れ、何と荒涼とした、また何と美しい風景だろうと息をのみました。帰国後、DVDを買いましたが、見るたびにユタの地に思いが馳せます。ジョン≃フォード監督はよほどこの地が好きだったらしく、『駅馬車』など多くの映画でロケに使っています。
ドクター・ホリデーの卒業したペンシルバニア大学はアイビーリーグでもある名門で、歯科に関しては特に伝統があるそうです。映画の中でホリデーが外科医と呼ばれていたかどうかは知りませんが、歯科医もドクター(Doctor of Dental Science)と呼ばれます。映画の中で彼の部屋に証書が飾ってありますが、アメリカの大学が発行する証書Certificateは権威を象徴するように立派であり、それを額に入れて飾るのも一般的です。エリート歯科医ホリデーにとって、結核に罹患して西部へ移動したのが転落の始まりだったようです。彼が生きた時代にはまだ麻酔法が確立しておらず、映画でも愛人チワワに対し、無麻酔で弾を取り出す場面があります。私が受けた麻酔科の講義では、銃で撃たれた仲間に対して、ホリデーは拳銃のグリップで頭を殴って気絶させ、弾を摘出したと教わりました。
二木先生のおっしゃる通り、フォーティナイナー(ズ)はゴールドラッシュでカリフォルニアに集まった人間達を指し、サンフランシスコのフットボールチームの名前にもなっています。その1849年にカリフォルニア州の金鉱地へ向かう近道を探して、ネバダ州の谷に迷い込んだ人達がいました。彼らは不毛の谷を数週間さまよい、数人が命を落とした末にやっとの思いで谷を抜け出しました。現在この谷はデスバレー(死の谷)という名の国立公園になっています。金鉱探しは時に命がけの仕事であったことがわかります。

投稿: Yoshi | 2011年4月29日 (金) 10時12分

「荒野の決闘」は高校生の頃から何十回と見て、毎回感激しているのですが、一つだけラストの部分の謎が解けないのです。

ヘンリー・フォンダさんのワイアット・アープが、かの地に残って学校の先生になると言うクレメンタイン(キャシー・ダウンズさん)に、又牛を追って戻って来ると言い、キャシーさんの頬に軽くキスをして馬に乗り、その後言った言葉です。何十回聞いても良く聞き取れません。”Sure I got the name Clementine”と言っている様で、字幕には「素敵な名前だ、クレメンタイン」となっています。

しかし、この「いとしのクレメンタイン」と言う歌は、金鉱堀りの49erの娘のクレメンタインが激流に落ちて亡くなり、その娘を好きだった若者が、自分がカナズチのために救うことが出来なくて、彼女を永遠に失ってしまったことを嘆き悲しんでいるうちに、彼女の妹にキスする(好きになる)ことでクレメンタインを忘れたと言っている様です。

さてここで、この映画の原題「いとしのクレメンタイン」ですが、元歌では最後にクレメンタインを忘れてしまう(但し、父親の49erは忘れていませんが)のを、この映画のラストは「永遠に愛する」と替え歌にしています。従って、ワイアット・アープのヘンリー・フォンダさんはクレメンタインに何と言ったのでしょうか。私は「クレメンタインと言う名を確かに受け取った(決して忘れない)!!」と、元歌の歌詞とは反対のことを言ったのではないかと勝手に解釈しています。その方がこの場合、ワイアット・アープさんの気持ちがこの歌を良く知っているはずのクレメンタインさんに伝わる様な気がするのです。

ミステリーの様な感じですが、「素敵な名前だ クレメンタイン!!」が本当でも、この映画の素晴らしさはいささかも変わることがありません。ただ気になって何十年、つたない英語で肝心の言葉が聞き取れないのがちょっと悔しいのです。長々とお騒がせしました。「荒野の決闘」大好き人間のつぶやきです。

投稿: 富士三合目 | 2011年5月 5日 (木) 16時16分

富士三合目さんがおっしゃるように、5番の歌詞は以下のようになっています。

How I missed her, how I missed her,
How I missed my Clementine,
But I kissed her little sister,
I forgot my Clementine

missではなく、missedですからClementineを失った悲しみは過去のことなのでしょうね。妹にkissをしてClementineを忘れてしまうなんて、死んだClementineが可哀そうな気もしますが、『去る者日々に疎し』の諺は洋の東西に関係ないようです。内容とは別に、この5番はmissedとkissedの韻にこだわった詩だと思います。

『荒野の決闘』は有名な映画ですので、scriptは複数のサイトで検索できます。それぞれのサイトの正確さには限界がありますが、この文章が投稿される場所もネット上ですので、相対的な正確さと受け止めて下さい。以下のサイトからペーストしておきます。

http://www.filmsite.org/myda3.html

After he fulfilled his part of the commitment to tame the land, Wyatt, the classic mythic hero returns to the wilderness, prefering to live apart. After vaguely half-promising to return to the community, Wyatt turns and mounts his horse. Before riding off, he delivers the film's final line while saluting her with his hat:
Ma'am, I sure like that name - Clementine.
As he rides away, Clementine waves and then stands in the road to watch his figure shrink smaller and smaller as it moves on a long, vertical road toward a distant monument and the horizon. A harmonica plays the tune of western folk ballad 'Oh My Darling Clementine' again as the film fades with the cowboy chorus singing:
I'll be loving you forever, Oh My Darling Clementine.

投稿: Yoshi | 2011年5月 6日 (金) 20時40分

forget は"忘れる"ではなく、ここでは "deliberately stop thinking about" という意味ですよ。
この映画では Victor Mature がよかったですね。役者が続けることができなくなったシェイクスピアのハムレットの台詞をそらんじてい、代わりに言うところなど、私は好きです。何十年も前に観た映画なのに、いまでも鮮明に覚えています。

投稿: 寒崎 秀一 | 2011年5月 6日 (金) 21時58分

50年以上前の我が高校時代、文化祭の後に慰労祭というのがあって、我がクラスは、何故か、英語の歌を合唱することになり、その中でこの Clementine の歌詞を覚えました。
二木さんのコメントを読むまでは、単純に、娘を亡くした49歳の鉱夫の哀歌と思っていました。
学生時代の合唱の経験といえば、騒然としていた、当時の政治集会での定番、インターナショナルとワルシャワ労働歌ぐらいなものですが、 Clementine は、まだのどかな時代の、思い出の合唱歌です。

投稿: 青葉 太郎 | 2011年5月 7日 (土) 07時00分

Yoshi様 台本の検索先まで教えて頂き、有難うございました。長年の疑問が完全に氷解しました。

元歌の「いとしのクレメンタイン」は悲しい歌ですが、この映画の「いとしのクレメンタイン」は最後の ”I will be loving you forever Oh My Darling Clementine" で将来に希望がつながり、生きる喜びを感じます。

元歌の「いとしのクレメンタイン」の悲しみは、ドク・ホリディとチワワがあちらの世界へ持って行ってくれたのでしょうか。

この映画が製作された1946年はまだ第二次世界大戦が終わったばかりで、元歌の様に男女を問わず「いとしの○○○○」を永久に失って悲嘆にくれていた人達が大勢いたと思われますが、寒埼様がおっしゃる様に、「忘れてしまう」のではなく、「deliberately stop thinking about・・ 」で将来に希望を持って生きなくてはいけないことを教えてくれます。 ちょっと考えすぎですかね・・。

投稿: 富士三合目 | 2011年5月 8日 (日) 11時13分

先日、近くの大手デパートのDVD鑑賞会で「荒野の決闘」を初めて観ました。やはり、最後のワイアットとクレメンタインの分かれのシーンが良かったですね。それと、教会の建設記念パーティーで親友(ドク・ホリディ)の許婚と知っていながら踊りに誘い(彼女の方も誘われたい雰囲気がアリアリ)、ワイアットが奇妙に足を跳ね上げながら踊るユーモラスなシーンも良かったですね。荒々しい西部の荒野の中の、若い男女間の心の交流が、素朴に、微笑ましく描かれている感じでした。

"Oh My Darling Clementine"の唄は、ニキビ華やかなりし高校生時代、"Oh Your Darling, Oh Your Darling, それはー私よー" などとふざけた替え歌を作って歌っていたのをおもいだします。今や50年以上前の話です。

投稿: Twinpeak | 2011年6月 9日 (木) 18時50分

この歌に出合ったのは学生時代で、コンパの席で歌われた「雪山讃歌」でした。その後、社会人となり、60年代前半にラジオからよく聞こえたのは、”The Browns”による「My Darling Clementine」でした。The Brownsは、Jim Ed Brownに姉、妹を加えた、アメリカのコーラス・トリオで、勿論、歌唱は原語(英語)でした。Jimのカントリー・ウェスターン風の軽快な歌いっぷり、それを支える姉妹を含めた美しいハーモニーが絶妙で、原語で歌う格好よさも手伝ってか、すっかり気に入ってしまい、それ以来、この歌=The Brownsという図式で、私の心を占めています。
 当時、アメリカの歌が、シャンソン、カンツォーネ等とともに、流行っていたと記憶します。The Brownsの歌は、このほかに、「The Three Bells」(「谷間に三つの鐘が鳴る」)やGreen,Green(「グリーン・グリーン」)がありました。特に、「The Three Bells 」は大好きな歌で、今でもよく口遊みます。(”二木紘三のうた物語”で取り上げられていないのが残念!)

投稿: yasushi | 2016年1月 9日 (土) 11時17分

 青葉 太郎さま

六年も遅いですが 49歳 の訂正です。

49er=forty niner,(フォティナイナ-(ズ))いわゆる「49年人」を指します。1848年にカリフォルニアで金が発見されて、翌年にどっと押し寄せた人たち(鉱夫、賭博師、山師、娼婦その他をひっくるめて)を意味します。
むろん、亡くなったクレメンタインの父親もその中の一人です。

アメリカに、この名をつけたプロのスポ-ツチ-ムがありますね。

クレメンタインの歌の中には 靴のサイズを歌っているのもあります、No9です。このサイズがどの大きさかは不明です。国によってサイズ表示はバラバラです。まともに9インチを指しているならば23cm弱ですから、そこそこの女性になります。十六、七歳とすると父親の歳は49歳も妥当かな ・・。

投稿: グ・グロリア | 2017年12月19日 (火) 22時27分

二木先生の「金の夢にとりつかれ未開の地に娘を連れてきた金鉱堀りの父が、娘を川で亡くしてしまった慟哭・・」や皆さんの映画の解説などで、仲間と山陰の雪山に挑戦していた若い頃を懐かしく思い出しました。
また西堀栄三郎氏の作詞した「雪山讃歌」と同じメロディーということ知り 当時の仲間に連絡してみたくなりました。南極越冬隊長として体験された苦労話を静かに講演された西堀さんを思い出しました。

投稿: けん | 2017年12月20日 (水) 09時02分

先日NHK BS3でリバイバル放映された映画「荒野の決闘」(’46米)を、視聴しました。
好きなアメリカ歌曲「いとしのクレメンタイン」が登場する映画とあって、興味があったのです。
「いとしのクレメンタイン」は、男声コーラスで、あるいは、器楽演奏で出てきて、場面を支えていました。初めて観る映画でした。

エンタテインメント映画として、ストーリは興味深いものでしたが、西部劇の中で、旅役者によるシェイクスピア作「ハムレット」のセリフ、”To be,or not to be,that is the question: ...”が登場したところでは、大きな驚きを感じました。
思い返せば、大学1年のとき、英語の授業で、”To be,or not to be,that is the question: …… And lose the name of action.”部分の暗記を命じられ、必死に憶えたものでした。不覚にも、ストーリを逸脱し、しばし、当時の記憶に浸ってしまいました。

観終わった今、歌の中に出てくる娘クレメンタインと、映画に登場した美しいクレメンタイン嬢は、どういう関係なのだろうかと、自問しているところです。

投稿: yasushi | 2020年11月 9日 (月) 16時42分

 小生にとって「荒野の決闘」で忘れ難いシーンのひとつは、リンダ・ダーネル扮するチワワが酒場でポーカーをしているワイアット・アープの傍に来て、「Ten thousand cattle gonna stray, Left my range and wandered away…」と古謡を歌うシーンでした。同曲の音源を長いこと探しているのですが、未だに見つけることができないでおります。
 それと、ラスト・シーンでのワイアットの台詞、Sure like that name,Clementaine…(だったかな?)も忘れ難いものでした。

投稿: ジーン | 2022年11月 9日 (水) 21時31分

雪山賛歌だと「おれたちゃ、街には住めないからに~」の部位と似た節のある「パリのカーニバル」
 https://www.youtube.com/watch?v=dgWwsTmWzio
サッカーの応援でよく使われ、いま佳境に入ったカタール大会でも何度となく耳にしました。
けど、「パリのカーニバル」と「いとしのクレメンタイン」との関連は不明。(たぶん無関係。そもそもパリのカーニバルの正体を掴めてません)

投稿: 右院座 | 2022年12月17日 (土) 05時40分

「雪よ岩よ我らが宿りー-」と中学生の頃ぐらいに習った歌の元歌が「いとしのクレメンタイン」で、金鉱堀の父が川でおぼれた幼い娘を失って嘆いた歌だったとは、、まったく知りませんでした。へえーそうなんでしたか。金鉱堀って、ある種賭博のような仕事であり、身も心もとらわれちゃう仕事ですね。そういう仕事じゃ家族はほったらかしになってしまう。謝らなくてはいけないのは亡くなった娘だけではなく奥さんにも、、、そんな気がします。というのは江戸時代の伊能忠敬や間宮林蔵の一代記を調べたから。こちらは自分の体だけが資本で毎日膨大な距離な距離を歩かなければ、日本地図を作ることも北方探検もできません。忠敬の息子はぐうたらで勘当され、かわいがっていた娘とも一時絶縁状態になってしまう。林蔵は両親が嫁にふさわしい娘を故郷で準備して待っていたが林蔵には故郷へ帰る時間がなく、とうとう嫁になる前に女は死んでしまった。身も心もささげて良しとする仕事、またそう思っている人には、家族の幸せというのはなかなか手に入らないのではないでしょうか。仕事って生活のためにお金を稼ぐために始めたことなんですけどね。つい忘れちゃうんですね。いや年金生活に入って気づいたというべきかも。
いとしのクレメンタイン」が映画「荒野の決闘」の原題だったとは、これも知らなんだ。なるほど、、だからジョンフォード監督のこの映画が「静かな西部劇」といわれるんですね。なんとなくわかってきました。それにしても<蛇足>のていねいな情熱的な文章や皆さんのコメントを読むと、ていねいに映画を何度も見ておられることがわかります。まさに映画の時代を生きた先輩たちです。私も以前は変だと思っていたクレメンタインの名前が好きになりました。

投稿: 越村 南 | 2022年12月21日 (水) 08時48分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 一本刀土俵入り | トップページ | 異邦人 »