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2007年8月23日 (木)

あの丘越えて

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:菊田一夫、作曲:万城目 正、唄:美空ひばり

1 山の牧場(まきば)の 夕暮れに
  雁(かり)が飛んでる ただ一羽
  私もひとり ただひとり
  馬(アオ)の背中に 眼をさまし
  イヤッホー イヤッホー

2 お花畑の まひるどき
  百舌(もず)が鳴いてる 雲の上
  私はひとり ただひとり
  遠い都を 思い出し
  イヤッホー イヤッホー

3 山の湖 白樺の
  影が揺らめく 静けさよ
  私はひとり ただひとり
  恋しい人の 名を呼んで
  イヤッホー イヤッホー

4 山の牧場の 星の夜
  風に揺れてる 灯(ともしび)
  私と同じ ただひとり
  泣けば 悲しい山彦が
  イヤッホー イヤッホー

《蛇足》 昭和26年(1951)の松竹映画『あの丘越えて』(瑞穂春海監督)の主題歌。
 汚れを知らぬ野性の少女
(美空ひばり)と素朴な青年(鶴田浩二)が綴る愛と涙の高原物語。

(二木紘三)

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コメント

私が生まれて初めて観た映画がこれです。同時に原爆の映画
を観ました。鶴田浩二も出ていたと思います。二木先生の言われる、その気になれば、避けられた戦争、そのとうりですね。

投稿: M.U | 2008年5月25日 (日) 16時43分

美空ひばりと言う歌手は、故人になっても、偉大な歌手として崇め奉られていますが、私は、それほど好きな歌手では有りません。しかし、この頃の彼女の歌は好感が持てます。それと、「港町十三番地」、「波止場だよおとっつあん」、など、港シリ-ズはいいと思います。
 この、「あの丘越えて」は、まだ幼さの残るひばりの、高い裏声に近い、甘えたような唄い方が印象的です。心に残る一曲です。
 

投稿: Hikoさん | 2008年8月 3日 (日) 09時41分

私が11歳ころだったでしょうか、東京文京区音羽にあった三流映画館でこの映画を見ました。ひばりが可愛くて好きでした。早稲田の学帽のような帽子をかぶった鶴田浩二もまだ若く、甘い2枚目でした。挿入歌のこの歌は私の愛唱歌の中でも上位に入ります。ひばりは、この頃は万条目正作曲が多かったですね。とってもいい歌ですね。

一番印象に残っているのは、鶴田浩二が大根役者だなあ、と思ったことです。後年、彼の役になりきった自然な演技力に「うまいなあ」と感心したので、まだ復員後あまりたっていないこの時の下手さが印象深いです。

投稿: 吟二 | 2008年9月10日 (水) 20時11分

私の実家のすぐ側に映画館があって(あの丘越えて)もそこで観ました。学帽姿の鶴田浩二に小学生の私はすっかり魅せられファンレターなど出したものです。美空ひばりはあまり好きでなかったのは嫉妬心があったのでしょうか。。。^^
その頃電蓄を父が買ってくれましたので美空ひばりの(あの丘越えて)や(私は町の子)など買ってもらったのを懐かしく思い出しました。

投稿: おキヨ | 2008年9月12日 (金) 01時24分

自分と同世代のせいか、ひばりの歌が好きで
ハーモニカでよく吹きます
特にこの歌は、メンバーの斉藤さんの好きな歌
私も好きで吹いています・・・他に悲しき口笛が
今度やるので楽しみです

投稿: 田中 喬二 | 2013年2月19日 (火) 19時43分

感動しました。子供のころの、憧れの姉さんでした。

投稿: 吉森信行 | 2014年9月30日 (火) 21時18分

歌も歌いやすくて最高ですが、この映画で初めて上高地の存在を知りました。特に大正池の中に立つ松の木。こんなとこがあるんだと初めて知り、行ってみたいと思ったことが、若い日の思い出としてずっと有りました。後程上高地に行ってみて、感動を新たにしました。
今では牧場もなくなりすっかり変わってしまった上高地ですが、私にはこの丘越えての上高地がずっと生きています。カラオケでいつも口ずさんでおります。

投稿: 田中勇 | 2015年9月19日 (土) 22時31分

万城目正作曲の作品の中では一番好きな曲です。
物心ついた2-3歳の頃からラジオから幾度となく流れていて刷り込まれたような気がしてます。菊田一夫の歌詞も逸品と言えますし、万城目正のメロディも軽快で、イントロ部分も良いですね。「あの丘越えて」の映画では幾度も穂高連峰が背景ショットで使われますが、モノクロながら重荘感があってみごとですね。ただ絵取りの撮影は方角的にメチャクチャですが…。
まだ上高地が全国的に知られてなかったのでしょうか。

投稿: かせい | 2015年11月 2日 (月) 00時43分

先日来、身の回りの不要なものを処分しようと重い腰を上げたところでしたが、出てきました!出てきました!
何と!私が小学5年生(昭和26年)頃の地元新聞での映画広告での「あの丘超えて」の新聞切り抜きが出てきました。
それにはビックリ・・・というのは、子どものころから映画・音楽会・演劇など何か観に行ったり聴きに行ったものについては、必ずと言ってほど入場券の半券・チラシ・パンフレットなどを集め、適当な紙箱に収納しておりました。
現在残っているのは、何故か、この「あの丘超えて」の新聞広告1枚だけが残っています。
その新聞記事の内容では、
「あの丘超えて」の表題の上に鶴田浩二・美空ひばりが寄り添っての顔写真、それを囲むように、
「人気絶頂!唄いまくる! 美空ひばり・鶴田浩二!」
全映画フアン待望の顔合わせ成る!
白樺の高原にこだまする愛と涙と笑いの溢れる哀愁の純愛巨編! 十一月一日松竹系一斉封切・・・
ほんとに懐かしいですね!
現在では、先ず見かけることはないでしょう!
今振り返ってみれば、当時のことが懐かしく想い出されます。
映画の中では、当時、鶴田浩二が27歳・美空ひばりが14歳の時で、鶴田浩二扮する大助(大学生で万里子の家庭教師)と美空ひばりが扮する万里子(勉強どころか各所で主題歌等を唄いまくる)の二人が馬に同乗・・・白樺の高原を颯爽と駆け抜けるシーンでは、主題歌とともにこの映画での印象に残る最大のシーンのように思えます。
それにしても、いつも思うのですが、二木先生のその曲にマッチしたアレンジと見事な演奏に感服の至りです。
ありがとうございます。
これからも心に染み入る曲を心待ちにいたしております。


投稿: 一章 | 2017年11月 5日 (日) 21時41分

 「一章」様、心に染みるコメントだと思います。私は2,3年前から地域のグラウンドゴルフの会に入っています。その中で、「あの丘越えて」が出てきますが、なんと打ったボールが方向違いで、コンクリートを越えて道路に飛び出すときです。「あの丘越えて」というと、そういうことを指します。
 そんなこととは別に年に2回ほどささやかな食事会があります。そのときに、ある方が「あの丘越えて」を歌われました。ゴルフボールが道路に飛び出すかどうかについては、まだご本人はご存知なかったかもしれません。この歌はそういうことを思い出させます。

投稿: 今でも青春 | 2017年11月 6日 (月) 16時17分

今でも青春 さま
早速の私のコメント、心に留めていただき恐縮です。
「今でも青春」さまのグラウンドゴルフでのユーモアたっぷりのコメント・・・バックスクリーン(あの丘)越えてのホームラン!だと思います。ありがとうございました。
以前から、「今でも青春」さまのコメントを拝読いたしておりますが、私も、コメントを書きたい気持ちは充分にありますが、先輩諸氏のコメントを拝読いたしておりますと、抒情性豊かな深みのある内容に近づけそうもないようですが、「うた物語」に集う仲間の皆さんの後押しを受けながら書き続けたいと思います。
「今でも青春」さま、お互いに頑張りましょう!
ありがとうございました。


投稿: 一章 | 2017年11月 6日 (月) 20時00分

老人会でお世話約をやっています。毎月映画を見る小グループのシネマサロンがあるのですが、最近要望があって「丘を越えて」の映画を上映しました。私も皆さんのコメントにある通りで、しばしタイムスリップに楽しく想いふけり、二木先生のブログに感謝いたします。じじばばのパソコンサークルでインターネットの検索先として紹介し皆さんにも見ていただきたくなりました。
泉北のごろんたです。

投稿: やまぐち しょうへい | 2017年11月 8日 (水) 11時46分

 就学前に、父親の肩車で近くの映画館によく連れて行ってもらいました。
 上映前や終映後、館内では色んな流行歌が流れていましたが、中でも記憶に強く残ったのが『黒百合の歌』とこの『あの丘越えて』でした。
 歌詞は殆ど解らずとも、覚えやすいメロディが、幼い私を強く惹きつけたのでしょう。 今でもこの二曲のイントロを聴くと、身体に電気が走るような気持ちになり、その頃の映画館の様子が浮かんできます。

 昨日の『NHKのど自慢』で、80歳の女性が『あの丘越えて』を唄いました。音程も正確で、若々しく澄んだ声質でしたので、半ばで “うん、これは行ける”と思いましたが、果たして見事に合格しました。
 むぎわら帽子にデニム地のサロペットそして長靴と、まさに “まきば娘”のコスチュームでの爽やかな挑戦でした。
  年齢を多少加味しての合格評価もあったかも知れませんが、文句無しの鐘3つだったと私は思っています。

投稿: かせい | 2018年12月10日 (月) 10時17分

コロナさえなければ、間違いなく愛車を駆って 好きな能勢路~丹波篠山辺りまで里山散策に出かけたであろうと思わせるような今日の好天気です。

大好きな「高原の旅愁」「丘は花ざかり」と、リクエストして頂き、越村さん・権兵衛さん・yasushiさん ありがとうございます。
何度も何度も 口遊みました。そしてあの壮大な信州の山並みやいろんな人達との触れ合いを思い起こしながら、30年前の懐かしい思い出に浸っています。

八ヶ岳南麓 甲斐大泉の友人のペンションの近くにオープンしたばかりの八ヶ岳倶楽部で、オーナーの柳生博さんとお近づきになり、私のかみさんのことを市原悦子さんかと思った?などと、大笑いしながら話したり、当時アンノン族で賑わった清里や清泉寮のソフトクリームの美味しかったこと、道祖神、美術館めぐりをした安曇野からの北アルプスの眺望やアルプスの雪解け水を湛えた梓川の清流や白樺林・・・そんな風景を思い巡らせながら、思わずヤッホー!コロナなんか飛んで行け!!と叫んでみたくなります。

コロナが飛んでいった後の あの山の向こうには、きっと幸せが待っている・・・三代目三遊亭圓歌の《山のあな~あな~》を聞くと幸せな気分になります。

投稿: あこがれ | 2020年4月25日 (土) 16時25分

美空ひばりさんと同い年生まれということもあり、私は、高校生くらいまで、彼女の新しい歌が出るたびに、フォローして憶えたものです。
「あの丘越えて」も、それらの歌の一つです。その当時、鶴田浩二さんと共演の映画ができたことは知っていましたが、町の映画館まで出向いて、鑑賞するほどの余裕は、我が家にはありませんでした。
投稿の方々のコメントによれば、「あの丘越えて」の”山の牧場”の舞台は、上高地だったようですね。

4年前の夏に、初訪問しました上高地の風景が思い出されます。
あこがれ様も触れておられますように、新型コロナ禍で、不要・不急の外出の自粛が叫ばれている昨今です。
果たして、この夏頃には、上高地などの信州の山岳風景を楽しむような、県外遠出が許されるほど、新型コロナ禍が沈静化しているだろうかと、気がかりですね。

投稿: yasushi | 2020年4月26日 (日) 13時53分

ひばりさんの曲の中では、牧歌的で健気なこの曲が一番好きです。

投稿: 白鳥 絵梨香 | 2021年1月13日 (水) 15時04分

この歌のメロデイーは、はっきりと覚えている。今でもカラオケでも歌えるほどだ。他に「ひばりの花売り娘」、「越後獅子の唄」も同じ1951年(昭和26年)の歌であるが、同じように明確に覚えている。不思議なのは昭和24年生まれの私が2歳の時の映画の主題歌である。なんではっきり覚えているのだろうと、いろいろ時間をかけて考えてみた。
昔は流行歌の生命力は3年4年、いい歌ならもっと長かったことだろう。
だから私が3歳から6歳の頃に住んでいた近所の商店街(三ノ宮のすぐ東にある春日野道)の有線放送やたまに行った親戚の宴会などで聞いた素人娘の歌う美空ひばりの歌が私の頭に刷り込まれたに違いない。
小学校へ行く前の柔らかい頭に万城目正のメロデイー、菊田一夫の歌詞が実に自然に流れ込んできたのだろう。
当時、ほとんどの人の娯楽がラジオだった。そして老いも若きもひばりの歌を聞いていた。この歌を聞けば、幼かったあの時代がよみがえってくる。人生の一時期を思い出させてくれる大切な歌だ。

投稿: 越村 南 | 2023年12月15日 (金) 18時42分

「あの丘越えて」私は、どこからともなく颯爽と流れてくるような、この万城目正の爽快なメロディに俄然魅力を感じていて、今でも時折このページを開きます!

実は、成人になるまでの私は馬のことを『アオ』と表現すること自体を知らずにいたので、そのことを不思議に思いながらも、幼少のころには全く気には留めずに、ただ大好きなこの歌を何気に口遊んでいました。

ひばりさんが少女期に歌った、映画主題歌メロディの大半は、万城目正の作曲によるものと、手持ちの資料を読んで再認識した私が改めて実感したのは、この曲や「陽気な渡り鳥」の曲にみられる、爽快さを感じさせるようなメロディ、そしてまた「越後獅子の唄」や「角兵衛獅子の唄」の曲にみられる、哀切漂うようなメロディ、そのいすれの旋律にも心を打たれる自分がいます。今改めてよく考えてみると、私は幼少の頃からどうやら作曲家万城目正のメロディが心底好きだったようです。

「あの丘越えて」私が昔購入した521曲を載せた美空ひばり・追悼版、その歌詞集本には、松竹大船撮影所の所員通用門の前に立つ、美空ひばりの左手には、時代を感じさせるフラッシュカメラ、その右手には、この映画で共演した若き日の鶴田浩二、横にした撮影用のカチンコ棒の両先をお互いに持って、笑顔で二人仲良く写っている貴重な写真が記載されています。そのページをじっと見ていると、中学生のころのひばりさんには、少女のあどけなさがまだ幾分か残っており可愛いらしいです。

投稿: 芳勝 | 2024年2月 4日 (日) 20時36分

今日というか、もう昨日になったけれど、よく晴れた早春の一日だった。
午後ちょっと風が冷ややかだったけれど、我が老人ホームの苑内の掃除をしていたら、気が付いたらいつの間にかこの歌を口ずさんでいた。 まあ、なんと懐かしい歌だろうか。 それに歌詞もきちんと覚えていた。

美空ひばりと私は同年の生まれだが、同じ年ごろということもあったのか、私はひばりの熱心なファンだった。 それも「悲しき口笛」より前の、映画「セコハン娘」以来の。
でも当時はラジオと映画以外に歌謡曲(当時は流行歌と言っていたが)を聴く機会はなく、ひばりの歌もそれほど多くは記憶にない。 そして、ひばりの全盛になった頃からの歌は殆ど知らない。

たしかひばりが小林旭とかいう俳優と結婚して暫く経った頃だったか、あるときテレビでひばりの歌を聴いているとき、突然ひばりの、微笑んでいる顔貌の中にまがまがしさを感じたのだった。 「まがまがしい」とは通常「禍々しい」と書く。 しかし私は「凶々しい」とも書く。 そう、私はその時ひばりの顔面に凶性を覚えたのだった。 そしてその時以来、ひばりを見る、聴くことはしなくなった。
後日、ひばりの背後にはあやしい団体とつながりがあるとか耳に入ってきたり、結局本人から完全に離れてしまうことになった。

丁度そのころから私はテレビの歌謡番組、ドラマ類を見なくなて来たので(海外に出ていることも多く)、ひばりの歌だけではなく、多くの歌手の70年頃からの歌はほとんど知らない。 千昌夫の歌を一つだけしか知らないのもそのせいだろう。
(私だけの思いかも知れないが、そのころから日本の歌謡曲が変わってきたように思う。 嵐だか吹雪だか知らないが、あのヤングたちの歌が耳に入ることがあっても全然わからないし面白くもない。 どなたか、老害だなど言わないで下さいね。)

ということで、ひばりの歌は、「悲しき口笛」「東京キッド」と、この「あの丘越えて」だけが記憶に残った。

しかし結局は思う。 ひばりはまれに見る天才歌手だと呼ぶに吝かではない。 そしてこの私の記憶に残る歌も実に素晴らしい名曲中の名曲であろうと思う。

「悲しき口笛」「あの丘越えて」、私の記憶にはっきり残っていてほんとによかった。


 

投稿: 田主丸 | 2024年2月29日 (木) 02時23分

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