シーハイルの歌
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 岩木のおろしが 吹くなら吹けよ 2 ステップターンすりゃ たわむれかかる 3 夕日は赤々 シュプール染めて |
《蛇足》 この歌の誕生について、平成21年(2009)1月8日付毎日新聞のコラム『今週のお宝』に、次のような記事が掲載されました。取材元は、青森県近代文学館の主事・竹浪直人氏(肩書きは当時)。
スキー歌『シーハイル』が誕生したのは昭和4年(1929)1月20日の夜。この時、五所川原農学校スキー部は大鰐町で合宿を張っていた。監督を依頼されて同宿していた林(柾次郎…東奥日報記者・歌人〈引用者注〉)は選手に対し、翌日阿闍羅山頂に登ること、その際自分たちで作ったスキー歌を歌いながら行くことを提案した。「みんな一つ宛(ずつ)歌コうたって見ろぢゃ」という林の言葉を受けて、選手たちは車座になり各自得意の歌を披露した。
ある選手が歌い上げた流行歌『浮草の旅』(鳥取春陽作詞作曲)のメロディーに林が即興で歌詞を盛り込み、出来上がったのが『シーハイル』であった。一同は一晩がかりで歌詞を覚え込み、翌日の阿闍羅登山では道中この歌を高唱した。吹雪を乗り越えて無事に滑り降り、宿舎で夜を迎えた時には、既に誰か部外者で「岩木の颪が吹くならふけよ」と歌いながら通りを行く人があったという。
その後『シーハイル』は昭和35年(1960)にダーク・ダックスの歌唱でレコードに収められ、冬山の歌として全国に知られるようになった。
この記事では、ダーク・ダックスの歌唱が全国に知られるようになったきっかけとしていますが、戦後のうたごえ運動やうたごえ喫茶で歌われるようになったのが先で、それに着目したレコード会社がダーク・ダックスに歌わせたというのが事実のようです。
ダーク・ダックスのレコードでは、当初、作詞・作曲とも林柾次郎となっており、作曲者名をめぐって一悶着あったようですが、のちに鳥取春陽に訂正されました。
1番の岩木はいうまでもなく、津軽人の心の山、津軽富士の別称で知られる岩木山のこと。梵珠嶺(梵珠山)、阿闍羅(山)は、いずれも青森県内の山。岩木山・阿闍羅山にはスキー場があります。梵珠山にもありましたが、今はありません。
シーハイルは「スキー万歳」といった意味のドイツ語で、スキーヤー同士がゲレンデや雪山で交わす挨拶。
シュプールは同じくドイツ語で、足跡・痕跡という意味ですが、スキー用語としては滑ったあとのスキーの溝のこと。
ラッセルはラッセル車の発明者の名前で、スキー・登山用語としては、雪が深い場所で道を開きながら進むこと。
(二木紘三)
« 私鉄沿線 | トップページ | 白鳥(しらとり)の歌 »
コメント
こんばんは、またまた独りよがりのの文章をつづりたくなりました。申し訳ありません。
山の歌は数多くあり、どれもきらいなものはありません。
穂高よさらば 山の友よ 山に倒れし君 等など
若きころを思い出させる、心騒がせる曲ばかりですね。
この シーハイルの歌 は岩木山を中心に書かれた詩ということは理解しているのですが、僕にとっては、また医学部の同級の七八人の仲間にとってはこの歌は、野沢のゲレンデからきこえてくるのです。牛首 上の平 日影 などのゲレンデから--- 一人プロはだしのがいて、頭から、板までヘッドでかため、我々初心者をしごきにしごいてくれました。上の平あたりの人気の少ない場所につれていかれ、もちろんリフトからは離れており5、 60メーター滑り降りれば、歩いてもどるの繰り返しでしごかれたのです。そのかわり上達も早かったですが--感謝感謝でしたね。
5、6人でストックなしで手をつなぎ滑り降りたり
春スキーは、上半身裸ですべり周辺を驚かせたり
温泉は、必ず毎日いくつかの湯をめぐったり
野沢の宿は、必ず 黒岩荘
同世代のかわいい娘さんが二人いて
野沢菜だけで何杯もおかわりする奴もいて---
思い出すだけで、青春のおもいで 切なく胸苦しくなってきます。 最後の野沢は、国家試験直前。10日ほど前まで野沢にいたのかな?? 野沢からの帰路、車で長野の南部ぐらいで昼食をとりに軽食のできる喫茶店へ---ここで、赤軍派の粛清事件の遺体が発見されたという報道に出くわし、一同唖然、鳥肌がたったのを覚えています。我々も学生運動真っ只中ではあったのですが、我々の大学では、東大、京大とはちがってスト、ボイコットはなし、商都は実利主義だったのか、一時間だけ授業辞退という消極的な対応があったと記憶しています。それまでにも、セクト間の争いでの殺傷はありましたが、これほどの大量の死の粛清があろうとは、我々ノンポリラディカルには想像もつかないことでした。これから、浅間山荘事件へと続いていったのです。
こういう記憶のなかから紆余曲折!! 現在に
この一つの曲が良きこと悪きこと、覚えておかねばならないこと、忘れたいことなど多くのことをよみがえらせるのです。
投稿: 赤ひげ | 2008年3月25日 (火) 00時03分
青年の頃、皆で集まって、山の歌など良く唄った中で、この歌もその歌集の中にありました。
きのうはボンジュネ今日またアジャラ、何の事か分からないまま歌詞を辿っていましたが、どうやら峰の名前の様ですね!ここで改めて歌詞を見て答えが出たような気がします。懐かしく青年の頃を思い出しました。
投稿: Hikoさん | 2008年7月31日 (木) 15時58分
すばらしいHPを作っていただき、ありがとうございます。毎週「ともしび」に通っている歌声ファンです。さて、シーハイルの中で、二番の「エールにとどめ」が分かりません。ヤフーの知恵袋にたずねましたが、回答がありませんでした。エールを送るやエールの交換は理解できますが、この場合のエールの意味を教えてください。
投稿: エターナリー | 2008年12月 8日 (月) 12時42分
エターナリー様
滑るのにちょうどよい雪の斜面があったが、ヤッホーとかなんとか呼び声を発するだけにして先に進んだ、という意味ではないでしょうか。エール(米語yell)は呼び声・叫び声・わめき声といった意味ですが、現代ではもっぱら「応援の叫び」という意味に使われているようです。
投稿: 管理人 | 2008年12月 8日 (月) 16時26分
『あぱよ、次回は、きっと滑ってやるからなー』ですか? 納得です。小生、趣味は山歩きで山頂から周辺の山を眺めるのが大好きです。惚れぼれする形の山を見つけた時は、『いつかきっと登るから待っててくれー』との想いを込めてその山に向かって『ヤッホー』と叫ぶことがあります。今後は、この気持ちを込めて歌います。ありがとうございました。さて、ついでと言ってはなんですが、「ペチカ」の二番 ♪雪のふる夜はたのしいペチカ ペチカ燃えろよ おもては寒い くりやくりやと 呼びますペチカ♪ の『くりや くりや』の意味をご存知でしたら教えてください。『栗や 栗や』と書き換えた歌詞を見かけますが、意味がよく分かりません。
投稿: エターナリー | 2008年12月 9日 (火) 00時07分
今は亡き「林先生」も天国でこの曲を聞いておられることと思います。広島県立御調(みつぎ)高校は田舎の小さな高校、スキーとは縁の無い地域ですが、毎朝のホームルームでいつもこの曲を林先生の指導で歌いました。
今年の同窓会で逝去を知りました。恩師の冥福を祈りつつ、懐かしく聞き入っています。
投稿: 裏町ギター | 2009年3月 1日 (日) 19時44分
ある山行きの帰りの車中で聞いてすばらしいメロディーにいっぺんで夢中になりましたが、今まで昔の曲とは気がつきませんでした。大正演歌は私たちの胸の奥で絶えることなく湧き続ける感動の泉みたいですね。そのときの車中で覚えた文句1番3行は「昨日はボンジュール 今日またアデュー」で、私はしばらくそう歌っていました。だれが変えた文句なのか、「梵珠嶺・阿闍羅」は耳慣れないのでそう聴き取ってしまったのか、それとも初めは語呂合わせのだじゃれだったのか。山渓文庫「山のうたごえ」(土橋茂子編著・山と渓谷社昭和37年)にはそう印刷されていたのです。この本、楽譜の方は音楽家らしく歌いやすく変調され、多くは二部合唱に編曲されていてありがたいのですが、文字の方は、編集部の仕事でしょう、相当に無責任なものでした。作曲者名作詞者名翻訳者名は大半が入っていません。「シーハイルの歌」の場合も、「林正次郎 詞曲」という始末で、作曲の鳥取春陽はなく、しかも柾次郎が正次郎になっているのでした。
投稿: dorule | 2012年9月 8日 (土) 12時37分
懐かしい歌に出会いました。60年ほど前、南国の四国にも
小さなスキー場ができよく通ったものです。
その際、先輩から教わったのがこの「シーハイルの歌」でした。
2番の歌詞の最後の部分は
屈伸滑降ではなく、身体を屈めた「屈身滑降」と
記憶しています。
道後温泉近くに住んでいる80歳の老人です。
投稿: 道後温泉の昔青年 | 2016年3月29日 (火) 21時35分
道後温泉の昔青年様
屈伸滑降――>屈身滑降。
訂正しました。ありがとうございました。
(二木紘三)
投稿: 管理人 | 2016年3月29日 (火) 22時46分
屈身滑降
「梵珠嶺ぼんじゅね」を「ボンジュール」、「阿闍羅あじゃら』を「アデュー」と覚えていたと前に書きましたが、いま思い出すと、そのころは「屈身滑降」を「クリスチャニア」と歌っていましたね。そう間違えていた人はかなり多かったと思います。
投稿: dourly | 2016年7月22日 (金) 22時51分
もう 雪に遊ぶことはないだろうと 年月の流れを感じながら
寂しく 雪のゲレンデを思い出しつつ この シーハイルの歌 を聞いています
以前にも 書きましたが ほんとうに 雪の仲間たちと 面白くすべりましたね
上半身裸ですべった春スキー
四 五人で 手をつないですべったり
まだ ボードはなく 皆 板スキーでした
そうでした こんなことも ありました
大阪の女子高校のスキー学舎(スキーの修学旅行)の付き添いの医師で行ったことがあります 長野 爺が岳のスキー場でした
先生方が速成のスキーの先生になって 学生を教えていました 僕の方は 無料リフト券をわたされ 好きなだけ上下しています 学生さんたちが 教わっているところを スイスイ気持ちよくすべっているわけでーーー
この野郎と 妬ましく思われていたのでしょうね
でも 何度も ミスタードクター と呼ばれて うん 気恥ずかしいような なつかしい嬉しい思い出です
一年生はまだまだ幼く また三年生は大人に近づこうと背伸びしている子達も多く いずれにしても かわいい子たちで とった写真も残っているし 皆元気にしてるのかなぁと ときどき気になります
この年末で 丁度四十年 僕を 医師としてよんでくれたその女子高の英語の先生は まだご存命らしいです
その先生の娘が女医で その子と毎日 卓球をして健康を維持しておられます おかしいことに 競馬のハンディ戦のように 彼女は錘を背負わされての卓球です
シーハイルの歌 から とりとめもなく思い出しています
投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年12月24日 (日) 23時27分
先日NHKで長野の戸隠を訪れる旅番組を放映していました。雪深い所だと言う事は知っていましたが、戸隠神社の奥社が全く雪に埋もれてしまっている映像をみて驚きました。また鳥居の上にある横木に手をかけて話をしている様子にも驚きました。天手力雄命が投げ飛ばした天の岩戸が長野まで飛んできて落ちた所が戸隠山だと言われています。
私が「シーハイルの歌」を初めて聴いて覚えたのは戸隠へスキーに行ったときです。「ボンジュネ」、「アジャラ」懐かしいですね。私もカタカナの方で何の事やら分からず歌っていました。「ロッジタンネ」という山小屋でランプの灯下の宿泊でした。その雰囲気に魅了されてしまいました。夕食後、囲炉裏端で誰かが傍らにあったギターをかき鳴らし「シーハイルの歌」をみんなで歌いました。囲炉裏の火を見ながら歌っていると、なぜかそこに居る人たちみんなに連帯感を覚え、心地良く雰囲気に酔いました。
タンネで働いていた朴訥な青年が、私のへっぴり腰の滑り方を見かねたのでしょう、まさに個人教授で教えてくれました。「シーハイルの歌」を聴くとあの青年を思い出します。「ロッジタンネ」は今は「山の庭タンネ」に名をかえています。
10年前、新緑の戸隠へ行ってきました。戸隠神社奥社への大木の連なる杉の参道はそれは素晴らしかったです。
投稿: konoha | 2018年3月 1日 (木) 11時42分
konohaさま
こんばんは
戸隠のコメント 楽しく読ませていただきました
雪にまつわる思い出 いいですね
雪に因む話は よい話が多くなります
何故でしょう
真っ白な色 鮮烈な空気が すべてを浄化し
清らかに かえてくれるのでしょうか
僕の 最後のスキー旅行は 斑尾でした
残したスキー靴を尋ね 訪れてみたいものです
投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年3月 1日 (木) 23時03分
konoha
能勢の赤ひげ 様
もし、生まれ変われたら何がしたい?と、問われたら
躊躇せずに、スキーと登山 と答えます。
自慢じゃありませんが、スキーは 板にも触ったことがないくらいで、ただテレビや映画で見るだけの縁遠い(羨まし~い)世界の話でした。
山国でもなければ雪国でもない、中途半端な都会生活という環境と、周囲にスキーや登山の情報が少なかった事も影響していたかも知れません。
これも又20数年前の話・・・
G/Wが過ぎた後に、赤倉スキー場で春スキーを楽しんでいる人達を目の前で見た後、妙高高原、野尻湖~鬼無里~戸隠神社 参道横の蕎麦屋さんで真っ黒い蕎麦を食べ、参道の向かい側の忍者屋敷を見て、白馬村に抜けて帰ってきましたが、かなり記憶も曖昧になってしまいました。
それにしても、スキーや登山に関する小説は、いまでも好きでよく読みますが、実際の経験がないというのは寂しい限りです。
出来る人が羨ましい~!!
投稿: あこがれ | 2018年3月 2日 (金) 10時25分
能勢の赤ひげさま
赤ひげさまのおっしゃるとおり、雪国ではない土地に生まれた人間には雪は贈り物に感じます。一面が真っ白になり陽が照り返り、空気が冷たく美味しく感じられます。戸隠はスキーを始めて2年目でした。旅行者としての雪は最高でした。
あこがれさま
戸隠の蕎麦は美味しかったですね。そば湯を3杯ほどおかわりしました。忍者屋敷は伊賀、甲賀といきましたが、戸隠が良かったです。
豪雪地帯にお住まいの方達には雪は凶器にもなりうるものなのですね。冬のシーズンになると、TVニュースで報道される雪がもたらす事故に大変だなと思いを馳せてしまいます。また今回の北海道の雪の嵐、5年前の親子の事故と重ねあわせてしまいます。春はそこまで来ていますが、雪国の皆様には溶けていく積雪対策で大わらわのことでしょう。くれぐれも事故のないようにお祈りしています。
投稿: konoha | 2018年3月 2日 (金) 10時45分
あこがれさま
踊り アカペラ(教会で??) 等 多くの趣味趣向
をお持ちの あこがれさま スキーは経験されなかったですか
それは 残念でした
スキーに入れ込んでいた人ではありませんが
野沢を中心によく出向きました
うん 良かったですよ
いろんな 友 知人がいて
種々のスポーツ 音楽 芸術 などに
ついては 見聞きしています
薀蓄をたれれるほどの物はーーーないでしょうが
いろんな話題には ついていけます
また お話したいですね
konohaさま
最近の 気候の危うさについての言及
有り難うございました
ニュースで 大吹雪を伝えているのに
雪は すべてを浄化し 清らかに かえてくれる
なんて ちょっと KY ものでした
雪にうずもれておられる りんごさま にも
失礼いたしました 申し訳ありません
恥ずかしく 反省しております
ミニ氷河期にはいったようで
夏冬の温度差もどんどんひらき
台風 ゲリラ豪雨 豪雪 など 異常気象がふえ
また 火山帯の活発化と 地震の誘発にもつながりますね
やはり 落ち着かない環境が
落ち着かない 政府 国 世界へと伝播していくのでしょうか
投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年3月 2日 (金) 13時39分
先日 秋田高速を走った時に 梵珠嶺 阿闍羅なる地名にぶつかり シーハイルの歌を思い出した。50年以上前の学生時代に渋谷・新宿の歌声喫茶カチューシャとか灯に通いよくこの歌を歌った。懐かしい曲である。
投稿: まるはげ | 2019年5月23日 (木) 17時24分