宇宙戦艦ヤマト
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 さらば地球よ 旅立つ船は 2 さらば地球よ 愛する人よ |
《蛇足》 昭和49年(1974)から読売テレビ系列で放映されたテレビアニメの主題歌。劇場版も作られました。
『宇宙戦艦ヤマト』フリークとも言うべき熱烈なファンが世界中にいて、ネット上に多数のサイトがあるので、詳しいことはそちらをご覧ください。
作曲者の宮川泰(ひろし)は、大阪学芸大(現・大阪教育大)時代からピアニストとして活動。中退後、ジャズの平岡精二クインテットなどを経て作曲家に転身し、昭和37年(1962)にザ・ピーナッツが歌った『ふりむかないで』で注目されました。
以後、ザ・ピーナッツと組んで『恋のバカンス』『ウナ・セラ・ディ東京』など次々とヒットを飛ばし、売れっ子作曲家となりました。
その後も梓みちよ、小柳ルミ子、沢田研二らに作品を提供。東宝映画・植木等主演の『無責任』シリーズを始めとする映画やミュージカルなどの音楽も数多く手がけました。
平成18年(2006)3月21日死去。
(二木紘三)
コメント
この曲があまりにも有名なせいで、「ヤマトは音楽がいい」と言うと「さらば~地球よ」しか思い浮かべてもらえないは悲しい‥‥
BGMが素晴らしいのであって、自分にとっては(手垢のついた)この歌はそれほど思入れがないですね。
(ヤマト世代ではありませんし)
吸い込まれるような美声スキャットの「無限に広がる宇宙」。ヤマト世代に聞かせると、ものすごい確率で「ヤマトだ」と理解してもらえます。
(逆に世代でないと、丸で知名度がない)
ヤマトのBGMは、ソウル五輪のソ連(!)のシンクロティームが伴奏として用いて世界中に響きました。
しかし限られた世代にしか知られていない曲目ゆえ、気付いた人は極めて少数だと思います。
宮川泰は世界に通用した作曲家でした。けど、その能力が日本以外に知られていないのは残念です。
投稿: takama | 2009年8月 2日 (日) 03時42分
私は戦艦ヤマトが建造された呉が故郷でもあり、戦前ヤマトが勝てない戦いに片道の燃料のみで果敢に南方に出撃した
映画等をみる度に涙するものです。
従ってこの宇宙戦艦ヤマトの”必ずここへ帰ってくると”の
詩が幸せな意味でいつも気になります。
一方映画は、確かS50年ごろ梅田で親戚の女の子とみました。確かLAST SEENは”古代とユキが二人だけでヤマトで、都市国家の要塞”に日本国いや地球を救う為に玉砕するものだったと憶えています。このときも恥ずかしいのですが涙をこらえることは出来ず、また翌日あの感動のセリフやスキャットのSOUND TRACK CDを買ったのでした。
投稿: 黒原大雲 | 2010年6月10日 (木) 00時00分
呉のご出身ですか~
僕は「大和ドック」のすぐそばで生まれましたけど・・・
さて、その映画とは昭和53年の「さらば宇宙戦艦ヤマト」ですね。
前年、Part1の劇場作の大ヒットを受けて製作されたものです。
劇中、この“歌”はなく(BGM化した曲が多数のバージョンでは登場する)、「ラストの沢田研二の歌を
当時の若者たちが涙を流して合唱した」と聞いております。
ラストが日本的、と批難囂囂でしたが、どうでしょう?
それから20年ほど経って、ハリウッド大作映画『インディペンデンス・デイ』と『ディープ・インパクト』の両作が、
その「さらば~」を真似しまくっていました(笑)。
(両作とも、我が身を捨てて地球を救う最後)
音楽だけでなく、ヤマトは世界に通用したのです!
投稿: takama | 2010年10月 8日 (金) 04時23分
ヤマトの生みの親、西崎義展氏が急死されました。
(世間の誤解として「ヤマトの作者は松本零士だ」というのがありますが、松本氏はスタッフの一員にすぎず、ヤマトの作者と言えるのは西崎氏のみです)
熱き魂を持った西崎氏だからこそ、舛田利雄氏・豊田有恒氏らがヤマト製作に精魂を傾けたのです。
それは、この主題歌に携わった宮川泰氏・阿久悠氏・佐々木功氏にも当てはまります。
阿久・佐々木両氏は「その熱さに負けた」と述べていました。
西崎義展がいなければ、この有名曲も生まれなかったのです。
投稿: takama | 2010年11月12日 (金) 02時16分
この歌2011ねん2月19日幼稚園で歌いました。
大好きな歌です。楽しかったです。 6歳
投稿: 中薗駿斗 | 2011年2月20日 (日) 20時58分
http://www.youtube.com/watch?v=ZrMHJdVyoig
これです!
ソ連のシンクロ・デュオがBGMにヤマトを使ってる・・・
動画自体はソウル五輪のものではありませんが、
おなじ88年ですから、ソ連での五輪出場選考会のそれか、と。
投稿: takama | 2012年6月30日 (土) 14時32分
投稿: taka-shiz | 2014年9月 3日 (水) 22時37分
今回の北部九州豪雨では、うた物語の仲間の皆さんよりご心配と励ましのお言葉をいただき厚く御礼申し上げます。
ありがとうございました。
まだ、雨模様が残り明日ぐらいまでは油断ができないようですが・・・
昭和期の懐かしい曲を検索していたころ、謎の天才少女14歳のエレクトーン奏者「826aska」さんが演奏するこの「宇宙戦艦ヤマト」に出会いました。
聴いてみて、彼女が演奏する熱のこもった姿に暫くは釘付けに・・・
現在、14歳でこの曲を演奏したときは13歳とのこと、「826aska」の「826」は彼女の誕生日で、「aska」は名前とのこと。
勿論、彼女の見事なエレクトーン演奏を聴くのは初めてで、こんな天才少女が存在されていたとは知りませんでした。
「うた物語」と同様に「インターネット検索」でも・・・歌は旅の物語のように夢が膨らみ最高だと思います。
「宇宙戦艦ヤマト」826aska さん提供
http://www.youtube.com/watch?v=aigOZ6dpXRM
エレクトーン少女 popo 提供
http://www.youtube.com/watch?v=w73F0m0dOnU
投稿: 一章 | 2018年7月 7日 (土) 19時54分
「かならずここへ、帰ってくると」という想いもこめて、自衛隊でよく演奏されているとの事。
動画サイトでも、みごとな演奏が披露されていました。
元気になれる曲ですね。
投稿: erana | 2019年1月 6日 (日) 17時20分
長崎のsitaruです。ヤマトの最初のテレビ放送が始まったのは、1974年秋でした。私は、その時大学二年生で、初めてモノクロの14インチテレビを買ったその晩に第1話が放送されたことを、鮮明に覚えています。やはり冒頭の主題歌が素晴らしく、グイグイと中身に惹き付けられました。ただ、最終話まで見たと思いますが、今一つストーリー展開をはっきり覚えていないのは、中学生の頃から、SFと言えば「スタートレック(宇宙大作戦)」の大ファンだったことも関係しているかも知れません。8月の盆に帰省した時、家族皆で墓参りに行くと言われて、見たいテレビがあるからとあとで行く言って、母からひどく怒られてしまう位に夢中になっていました。映画化されて一気にファンが増えて行ったヤマト作品の素晴らしさは言うまでもないことですが、ただ一点、ヤマトに防御スクリーンが装備されていなかったことが物足りなかった点かも知れません。戦闘シーンでは、敵の砲撃を受けて、ヤマトは必ずどこかしら傷つきます。スタートレックのエンタープライズは、最初の攻撃ではびくともしません。ヤマトの場合は、傷つくことで、却ってそれが、視聴者をハラハラさせる効果を生むという製作者の意図があったのかも知れません。
投稿: sitaru | 2020年8月 7日 (金) 21時44分