名月赤城山
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作詞:矢島寵児、作曲:菊地 博、唄:東海林太郎
1 男ごころに男が惚れて 2 意地の筋金 度胸のよさも 3 渡る雁(かり)がね 乱れて啼いて (別ヴァージョン) 1 男ごころに男が惚れて 2 しのぶ浮世は山また山の 3 (上と同じ) |
《蛇足》 昭和14年(1939)。
国定忠治(本名は長岡忠次郎)を主人公にした歌。
『国定忠治』は、『瞼の母』や『一本刀土俵入り』などと並んで、新国劇や映画、旅芝居、村芝居の定番でした。その芝居や映画でよく流されたのが、この歌か、やはり東海林太郎が歌った『赤城の子守唄』でした。
この3つのスタンダードナンバーには、それぞれ人口に膾炙(かいしゃ)した名文句がありますが、『国定忠治』では下記の台詞が極め付け。
上州各地で抗争事件を起こし、赤城山に追い詰められた忠治一家が、厳しい追及のためにそこにもいられなくなり、ついに解散することを決めた夜、忠治が子分たちと交わす会話です。芝居や映画によって少しずつ違いますが、下記は新国劇のもの。
忠治「赤城の山も今宵限り、生まれ故郷の国定村や、縄張りを捨て、可愛い子分のてめえたちとも、別れ別れになるかどでだ」
定八「そう言や何だか寂しい気がしやすぜ」
巌鉄「ああ、雁が鳴いて南の空へ飛んで行かぁ」
忠治「月も西山へ傾くようだ」
定八「俺ぁ明日はどっちへ行こう?」
忠治「心の向くまま、足の向くまま、あても果てしもねえ旅へ立つのだ」
定八・巌鉄「親分!」(笛の音が聞こえて)
定八「ああ、円蔵兄ィが……」
忠治「あいつもやっぱり、故郷の空が恋しいんだろう。(刀を抜いて月光にかざし)加賀の国の住人、小松五郎義兼が鍛えし業物(わざもの)、万年溜(まんねんだめ)の雪水に浄めて、俺にゃあ生涯(しょうげえ)てめえという強い味方があったのだ」
上の写真は、片岡千恵蔵が昭和33年(1958)の東映作品『国定忠治』でこの場面を演じているところ。
私が小学生のころ(昭和20年代の末ごろ)まで、毎年、秋の取り入れが済んだ時期を見計らって、旅役者の一行が村にやってきました。
やくざや侍、町娘などに扮した役者たちは、太鼓を打ちながら、興行の開催を触れ回った途中、今はもうなくなってしまった私の生家の南庭でお茶を飲み、招待券を置いて、また宣伝を続けるのが慣わしでした。
子どもたちは、彼らのあとをワイワイいいながらついて回ったものでした。
(二木紘三)
コメント
小学校時代従兄弟の隣の敷地で旅芝居の興行が定期的にありました。
その時の座主と銭湯で一緒になり”坊や見においで”と言われたのを
憶えています。従兄弟と一緒に見に行き踊りが始まりこの曲がかかり
舞台にキャレメルを投げたのを憶えています。昭和26-27年の
風景です。
投稿: akichan | 2007年10月22日 (月) 00時24分
大変懐かしい曲ですね。子供の頃、旅芝居の役者さんがこの歌に乗って踊っていた姿が、懐かしく思い出されます。今こうして二木先生の演奏で聴いてみると、あらためてその旋律の美しさ、ことに序奏や間奏の美しさに魅了されます。
ヤクザの股旅物を歌うのに、タキシードと蝶ネクタイは無いだろう、シューベルトの歌曲じゃあるまいし。若い頃の私はそう思っていましたが、今は違います。
ピンと背筋を伸ばし、名月赤城山もむらさき小唄も同じクラシックだという姿勢を、愚直なまでに貫いた東海林太郎。「矜持」という言葉がこれほど似合う人物を、私は寡分にして知りません。
そういう意味で、東海林氏のあの凛とした矜持は、私達に大切な何かを教えてくれているように思います。
投稿: くまさん | 2008年5月12日 (月) 19時23分
国定忠治も良いですが、私は忠臣蔵の南部坂雪の別れと大石東下りをこよなく愛している一人です。人間より犬を好んだ馬鹿将軍に対して命をもって対決した四十七士。連判状を見て大石に許してたもれと言った若き主君の奥方瑤泉院。旅籠で出くわした名も知らぬ武士に自分の道中手形を渡す大物垣見五郎兵衛、男が男に惚れたのですね。そして塩田他で儲けさせてもらったと言って武具を揃えた商人天野屋利兵衛、こんな人情の世の中だってあっても良いと思います。(第1部読みきりと致します。)
投稿: 海道 | 2012年10月 2日 (火) 19時40分
懐かしい曲です!ずっと昔TVで【高峰秀子さん】がご自分の人生を語られた中で、東海林太郎さんの背中におんぶされて舞台に立たれたころ、子供心に小さな手で東海林さんの肩にかかる負担を軽くしようとしている仕草に、東海林さんが心を動かされて、義母ともども東海林さん宅に引き取られて、(義母は女中頭の名目で)学校にも通われた時期があったそうです。
だから息子さんたちとも仲が良くて、息子さん【汚い男の子たち】の話とか、ざっくばらんに話されていたのが、忘れられません。ご苦労されたのですね。【でこちゃん】はどうされてるのでしょうか?幼いころから大人の世界で生きてこられたのに、笑いながら楽しそうに話されていた姿、大好きになりました。どんな世界でも成功された方は一味違いますね。笑いながら話されるまでにたくさんの涙が流されているでしょうに、懐かしい記憶がよみがえってきました。
投稿: mitsuko | 2016年1月10日 (日) 03時11分
「名月赤城山」私は股旅者の映画や芝居が好きなので、国定忠治を題材にしたこの唄は「赤城の子守歌」とならんで大好きな唄です!
2 意地の筋金 度胸の良さも
いつか落目の 三度笠
いわれまいぞえ やくざの果てと
さとる草鞋に 散る落葉
特に、この2番の上記の歌詞には渡世人の哀愁を感じます。
小松五郎義兼が鍛えし業物 万年溜の雪水に浄めて
俺にゃ生涯てめえという 強い味方があったのだ・・・
そして国定忠治口上の最後の上記セリフは、幼少のころ母と行って観た芝居などでよく耳にしていたので、いつの間にか憶えていました。
ここでこうして解説を読みながら二木先生の演奏を聴いていると、東海林太郎の唄が一番好き!と言っていた母のことが想い出されます。
投稿: 芳勝 | 2018年11月26日 (月) 22時50分
この歌は子供のころから聴いていましたが、忠治は義賊だと思っていました。渡世人だったのですね。それにしてもきれいな歌です。フォレスタの榛葉樹人さんが澄んだ声で歌っているのを聴いた時、身が引き締まって心が洗われる様な感じがしました。横笛が聴こえるようでした。歌詞もメロディも秀逸だと思います。無常という言葉が浮んできます。
投稿: ハコベの花 | 2018年11月27日 (火) 22時05分
人の心は複雑で、新しい知識・理性的判断だけでは生きられないのですねえ。忠治の生涯が決して浪曲・講談・映画で描かれたようなものでないことも、板割の浅太郎の愚行も知りながら、それでもやはりホロリとさせられてしまうのが我等。同様に赤穂の浪人達も短慮な主君も、お馴染みの俳優さんに演じられてしまうと、ついつい拳を握ってしまいます。が、時にはそういうコースチングの時があってもいいし、無くては気が詰まります。今夜はその方です。
投稿: 半畳亭 | 2018年12月17日 (月) 20時16分
赤城の山も・・・と この曲を演奏すると必ず
言葉を浪曲調で入れた・・何でも詩吟の先生をして
いた!ようで・・今では施設に入り私達のボランティアで
名月赤城山を楽しんでくれた・・詩吟の先生!天国できっと
この曲で 赤城の山も・・声が聞こえて来ます!
投稿: 田中喬二 | 2020年3月22日 (日) 12時07分
国定忠治といえば「弱気を助け強気をくじき」という言葉を思い出します。次郎長と並ぶ男の中の男として子供のころから憧れてきました。
私の場合「赤城の子守唄」が持ち歌で、カラオケでは必ず歌います。
投稿: jurian prabhujee | 2020年7月31日 (金) 22時42分