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2007年8月31日 (金)

別れの朝

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:J.Fuchsberger、作曲:Udo Jürgens
日本語詞:なかにし礼、唄:ペドロ&カプリシャス

別れの朝 ふたりは
さめた紅茶のみほし
さようならのくちづけ
わらいながら交わした
別れの朝 ふたりは
白いドアを開いて
駅につづく小径を
何も言わず歩いた

言わないで なぐさめは
涙をさそうから
触れないで この指に
心が乱れるから

やがて汽車は出てゆき
一人残る私は
ちぎれるほど手をふる
あなたの目を見ていた

   (間奏)

言わないで なぐさめは
涙をさそうから
触れないで この指に
心が乱れるから

やがて汽車は出てゆき
一人残る私は
ちぎれるほど手をふる
あなたの目を見ていた

ララララララ……
あなたの目を見ていた

Was Ich Dir Sagen Will

Was ich dir sagen will,
fällt mir so schwer.
Das Blatt Papier vor mir
bleibt weiß und leer.
Ich find' die Worte nicht,
doch glaube mir:
Was ich dir sagen will,
sagt mein Klavier.

Was ich dir sagen will,
wenn wir uns seh'n.
Ich kann nur stumm
an dir vorübergeh'n.
Ich dreh' mich nach dir um
und denke mir:
Was ich dir sagen will,
sagt mein Klavier.

Was man nicht sagen kann,
weil man allein nur fühlt.
Wie eine Brandung,
die den Fels umspült.
Die dich erfaßt und mit sich
in die Tiefe reißt.
Ich kann es fühlen,
doch nicht sagen, wie es heißt.

Was ich dir sagen will,
bist du bei mir.
Ist so unsagbar viel,
doch glaube mir,
Wenn du mich nicht verstehst,
versprech ich dir:
Was ich dir sagen will,
sagt mein Klavier.
Was ich dir sagen will,
sagt mein Klavier.

《蛇足》 原曲はドイツ語圏歌謡界の大立者、ウド・ユルゲンスが1967年に発表し、世界的なヒットとなった『Was ich dir sagen will(私があなたに言いたいのは)』。日本でも『夕映えのふたり』という邦訳題名でヒットしました。舟木一夫が同名の歌を歌っていますが、別の歌です。

 昭和46年(1971)、この曲になかにし礼が詞をつけ、ペドロ&カプリシャスが歌いました。なかにし礼の詞は、原詞よりストーリー性があり、イメージが浮かびやすいいい詞だと思います。

 ペドロ&カプリシャスは、あの高橋真梨子がいたグループですが、このころのリードヴォーカルは、彼女ではなく、前野曜子でした。

(二木紘三)

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コメント

恋人同士の微妙な感情を上手く表現した、いい詞ですね。
「触れないでこの指に心が乱れるから」ここが最高。

投稿: M.U | 2008年7月 2日 (水) 14時12分

 これほどの名曲になぜ投稿が少ないのでしょうか?ーーーそこで投稿ですね。

 この歌は 原曲がドイツとは思えないほど 日本人の心にしっくりきます。詩も 同棲した部屋から別れのプラットホームまでの最後の道行きの途中、未練ある女心を むしろさらっとうたって そこが良いと思います。 

 youtubeで歌を聞く時、終始 その顔に見入ってしまう女性歌手がいます。面魂(つらだましい)といえば男ですが、女性にもきりっとした いい表情の歌手がいます。

 一人目はこの「別れの朝」の前野曜子です。wikipediaによると前野は 才能はあったが、芸能界になじめず、多くの恋愛遍歴も実らず、深酒におぼれて 40才で早世したとあります。
 妄想の多い私は 孤高のアーチストの悲運を思います。例えば今どき、商業主義との妥協なしに ヒット曲などありえないでしょうから、一本気で不器用に思える彼女は おおいに苦しんだのではないかと想像します。彼女の大いなる歌唱力は 破滅的な人生の代償のように思いながら 画面の少しさびしそうな彼女の顔を見ます。

 このサイトにはない歌で 恐縮ですが、二人目は「織江の唄」の山崎ハコです。九州弁で実に味のある歌い方をします。小柄な身体からでる迫力に いつも画面に見入ってしまいます。

 三人目は「百万本のバラ」のアラ ブガチョワですね。(1983年版)ロシアの女性の自然で はつらつとした美しさを感じ、その太り気味の身体も気にならず 目が離せません。人を喰ったようなカメラ目線もいやみではなく 愛嬌を感じます。ロシア語の発音の美しさも知りました。

投稿: 越村 南 | 2012年10月26日 (金) 19時17分

ウド・ユルゲンスさんが12月21日、心不全のため、スイス北東部ミュンスターリンゲンの病院で亡くなったそうです。80歳。同日、ゴットリーベンで散歩中に倒れたとの事。(合掌)
ウドさんは日本語で”メルシー・シェリー”と言いう歌を唄ってますが、メロディーが素晴らしいので、この曲も前野曜子さんが歌っていればヒットしていたかなと思う次第です。

投稿: Flendyshelty5 | 2014年12月22日 (月) 15時54分

 私が高校生の頃に大ヒットした曲です。『夕映えの二人も』も深夜放送で流れていましたが海外では4年も前にヒットした曲だったんですね。なかにし礼が『わかれの朝』の訳詞を“作詞”した経緯は産経新聞連載の『世界は俺が回している』(角川書店より単行本として出版済み)に詳しく書かれていました。原詞はドイツ語ですが、別にウド=ユルゲンス自身が歌っている英語版があり、試しにカラオケで『わかれの朝』の演奏をバックに歌ってみましたが、全く合いませんでした。日本では全く別の歌になっていると思います。

投稿: Yoshi | 2014年12月25日 (木) 14時34分

高橋真梨子さんの前の歌手でしたね。顔ははっきり記憶してませんが、歌声は前野さん?でしたか。
若くして亡くなられて、御気の毒でしたね。俳優より歌手のほうが、生き方によっては年齢を重ねても歌っている歌手もいらっしゃるのですが・・・・・。
年を重ねられても、声の高さやテクニックで上手にアレンジしておらるのは、さすがだなあと感心させる方もいらっしゃいます。自分が洋楽器を奏でられないので、河原で「ハーモシカやトランペット」とか、出会うと楽しげに奏でられていて、そばでしばし楽しませて頂きます。
サックスを夕方30分、吹いておられる中年の男性は、94歳のお母様の介護されていて、束の間だけ気分転換に来るのですと、話されていました。
正直『羨ましい』です。プロの演奏家を聴いたり見たりしていて思うのは、演奏してる人の楽しそうな、幸せそうなこと、生まれ変わったら『絶対に音楽界』で生きようと、思っています。

投稿: mitsuko | 2015年3月 2日 (月) 04時56分

 今朝、目覚めると「2018年も今日で終わりか・・2018年の歳の神様との別れの朝か」と漫然と思った。私の住んでいる国は旧正月で祝うので、歳末気分はほとんどありません。日本の大晦日の今日、記念のコメントを書こうと『うた物語』の『別れの朝』のページへきました。

 二木先生の写真を見ると、トレンチコートのすらりとした女性が電車を見送る姿が・・女性の後ろ姿に以前より魅力を感じる年齢になりました。
この女性は乗り遅れてくやしがっているのではないようだ。遠ざかっていく列車にいつまでも視線を送り(見えないけれど)右手を胸のあたりに当てて物憂げな様子ですから愛しい人を見送ったのでしょう。
 恋人と別れの見送りをしたことはついに未経験で終わりましたが、さぞや情感が胸にあふれるものがあるでしょう。『哀愁列車』『高原の駅よさようなら』などもそういうテーマです。  

 私は、毎年、歳の神様の見送るだけです。ところで、歳の神様を迎える初詣には万人がおしかけますが、歳の神様の見送りというのは聞いたことがない。すこし薄情ではありませんか。

 子どもの頃こそお正月がうれしかったが、30代頃から、むしろ年の瀬に、年末年始の華があるような気がしていた。忙しげに正月の準備をする年末の街を用もないのにぶらつく時、なんともいえぬ喜びがあった。市井に生きる喜びといえば気障ですが、正直そんな気分で、飲み屋の暖簾をくぐりました。
桜の花も満開より7部咲きが好みですから、正月になった気分より準備の時がうれしい性分です。

投稿: 越村 南 | 2019年1月 1日 (火) 00時00分

何年一緒に暮らしたのでしょう。最初から何年と決めていた訳じゃないけれど、大人の恋の終わりはこんなに淡々といくものなんでしょうか。「さめた紅茶のみほし」ルビーの指輪にも出て来ますね、(別れだからさめた?)「さようならのくちづけわらいながら」だって。「言わないで なぐさめは 涙をさそうから 触れないで この指に心が乱れるから」ここはいいところ(女性の泣き所)をついていますね。悲しさが見え隠れするが、別れたくないけれど別れなくてはならない気丈な二人。「愛していたけれど」などの心情を表す言葉を全く使わず行動を表す言葉だけで成熟した大人を酔わせるのに充分な素晴らしい詞を提供してくれました。

投稿: 海道 | 2021年6月12日 (土) 16時15分

大人の恋にあこがれた中学生でした。でも、恋はいつになっても上手になりませんでした。ただ、だんだん、慣れていくだけでした。慣れた分だけ日常のありふれたイベントになっていました。あんなにあこがれだけでどきどきするような時間があったことだけは覚えています。もう、あんな瞬間はないのだろうなあ。

投稿: ウィーン | 2022年6月 9日 (木) 04時50分

「別れの朝」この曲がヒットしたのは1971年、当時私はまだ高校生でした。あれからもう50年が過ぎましたが、ある思いがあり今でもこの曲が私は無性に聴きたくなります!

当時の私はペドロ&カプリシャスというよりも、リードボーカル前野曜子の天性な歌声と美貌、そしてチヂリ毛のカツラを被ったりしていた、あの独特なファッション、私はそんな彼女の姿にも興味をそそられていたような、今振り返るとそんな気がします。
そして、酒には弱かったという彼女ですが、最期はアルコール依存症の深刻化により40歳で早世しました。その事実をニュースで知った時、当時の私にはそのことがどうしても不思議でなりませんでした。さらに後年になり私がコラム等で前野曜子の生い立ちや複雑な家庭環境等、その波乱万丈を絵にかいたような彼女自身の孤独な生き様を知った時、私はふとそのことがどことなく腑に落ちたような気がしました。あれから長年を経た今私が思うのは、リードボーカル前野曜子はその見た目とは裏腹にもしかしたらそんな不器用な生き方しかきっとできなかったのではないのか、私にはそんな思いがいつも芽生えてきます。
YouTubeには今でも彼女の歌唱動画が数多くアップされており、私はよく視聴しますが、数あるその動画の中でも特に1971年に日本でも一世を風靡したポップ・トップスの「マミーブルー」をカバーした動画が私の最もお気に入りの動画です。その動画を視聴する度に私が思うのは、ソウルミュージックをこよなく愛した彼女ならではの歌唱力の凄さを最大限に感じ取ることができるからです。

「別れの朝」この曲をその稀な歌唱力で見事に歌い上げた、ペドロ&カプリシャスのリードボーカル前野曜子は、ファンの私にとっていつまでも心に残り続けるまさに素敵な歌姫でした。

投稿: 芳勝 | 2022年6月10日 (金) 22時25分

(文中敬称略)
ペドロ&カプリシャスの名を世に知らしめた名曲「別れの朝」、私は同曲をモチーフもしくはネタにした東西を代表する喜劇人の出し物を思い出します。
東の代表は女剣劇の第一人者であった浅香光代(北岡昭子、1928~2020)です。
私は浅香が国定忠治に扮し、辰巳柳太郎(新倉武一、1905~1989)が忠治を演じた新国劇の戯曲「名月赤城山」における忠治の子分・浅(浅太郎)との別れのシーンの名台詞を「別れの朝」の歌詞とコラボした一人芝居を黛敏郎(1929~1997)司会時代の「題名のない音楽会」(1964~放送中、東京12チャンネル(現・テレビ東京)→テレビ朝日・CBCテレビ→中京テレビ→名古屋テレビ・毎日放送→朝日放送テレビ)で見た記憶があります。
対する西の代表は「どつき漫才」でお馴染みの元夫婦漫才コンビの正司敏江(及川キミコ、1940~2021)・玲児(及川玲児、1939~2010)です。
敏江・玲児の演題に玲児が昭和の名曲の一節を歌うたび敏江が玲児の女癖の悪さを蒸し返すツッコミを入れる「敏江・玲児の昭和歌謡大全集」があり、相当笑わせて頂きましたが、こんな感じの漫才だったと思います。

玲児「♪別れの朝、二人は…♪」
敏江「それはおどれ(お前)がミナミのホステスの○○ちゃんに手を出した時にヒットしてた曲じゃ!」

浅香、敏江・玲児、作詞者のなかにし礼、「ペドロ」初代ボーカルの前野曜子は鬼籍に入ってしまいましたが、前野からボーカルを引き継ぎ現在はソロに転向している高橋真梨子(広瀬まり子、1949~)には長生きしてライブでも歌唱しているこの昭和の名曲を歌い継いでほしいものです。

投稿: Black Swan | 2024年4月20日 (土) 07時56分

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