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2007年8月 6日 (月)

水色のワルツ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:藤浦 洸、作曲:高木東六、唄:二葉あき子

1 君に逢ううれしさの 胸に深く
  水色のハンカチを
  ひそめる習慣(ならわし)
  いつの間にか 身にしみたのよ
  涙のあとをそっと 隠したいのよ

2 月影の細道を 歩きながら
  水色のハンカチに
  包んだささやきが
  いつの間にか 夜露にぬれて
  心の窓をとじて 忍び泣くのよ

              (ハミング)

  心の窓をとじて 忍び泣くのよ

《蛇足》 昭和25年(1950)レコード発売。
 クラシック系の作曲家が歌謡曲を作ると、なるほどこういう流麗な曲になるのかと思わせる歌です。

 高木東六は、歌謡曲が好きではなく、とくに47抜(よなぬ)きで作られた演歌は「乞食節」だといって嫌っていました。47抜きとは、音階のうちの4番目と7番目、すなわちファとシがない曲で、日本的なメロディの特徴の1つとされています。

 彼は、歌謡曲はあまり作りませんでしたが、印税収入の多くをもたらしたのは歌謡曲、とくに『水色ワルツ』だったそうです。後年、彼は「こんなことなら、もっと歌謡曲を作っておけばよかった」と漏らしたという話が伝わっています。

 平成18年(2006)8月25日、102歳で大往生。

(二木紘三)

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コメント

高木先生は歌謡選手権なんかの審査員で拝見した程度ですが、あの批評が好きでした。
発声を重視し、他の審査員とはあきらかに審査基準が違ってましたから・・・・

投稿: トシ1210 | 2007年8月23日 (木) 23時38分

この歌は20歳頃憶えました。今でも歌いますが、昔お姫様だった人達に、良い歌ですよねと言われます。歌がうまいのか、曲が良いのか。はっきりしない方が良いのですよね。

投稿: M.U | 2008年5月21日 (水) 14時59分

昔、高木東六がラジオかテレビで水色のワルツはチャイコフスキーの*****という曲からヒントを得たと言っていたのを聞いたことがあるのですが・・・・。
私にはクラシックの素養がないので*****を覚えていません。どなたか心当たりはありませんか?
二葉あき子は、晩年はキーを落として歌っていましたが若いときの声はすばらしかったです。

投稿: 周坊 | 2008年5月21日 (水) 20時37分

先生の解説が実にユニークです。今の子供達もこうゆう唄を
歌った方が人間としての感性が磨かれると思います。
NHKのど自慢も若者に寄りすぎていると思うのは私だけでしょうか。

投稿: 海道 | 2008年9月29日 (月) 19時03分

高木東六の曲もたしかにきれいなのですが、この歌の魅力はなんと言っても藤浦洸の詩にあるのではないでしょうか。
逢う瀬の喜びの後に来る別れの涙を隠すために、胸の奥にそっと「水色のハンカチをひそめる」という表現は、忍ぶ恋の、うれしさと悲しみのない交ぜになった複雑な思いを余すところ無く語っているように思います。
私のアコーディオンで歌っている、老人ホームの女性が、しきりに感心していました。

投稿: 阿弥陀堂 栗桃庵 | 2008年10月 5日 (日) 22時42分

高木東六・藤浦洸、おふたりの鶴に似た痩身を懐かしく思い出します。当時高校生の姉によると、いつもその色の服をお召しになっているので、「水色のワルツ」と呼ばれた先生がいらしたとか。いかに流行っていたかということですね。

投稿: Bianca | 2008年10月 7日 (火) 07時18分

この『水色のワルツ』は大好きです。高木東六の研ぎ澄まされた、繊細な曲と藤浦 洸の作詞もまた良い。最近クラシック歌手の鮫島有美子さんが歌っています。やっぱり歌手ですネ。ドイチェさんのピアノ伴奏も素晴らしい。聞いていて涙がこぼれます。1938年生まれの男性。

投稿: レフティ しげ | 2008年10月 7日 (火) 21時34分

 水色の叙情性。スローワルツ。「君」の解るメンタリティ…。例えば、この歌に相応しそうな女優さんを求めるとすれば、誰でしょう?今の時代にはいそうにないし。やっぱり、若かりし頃の原節子でしょうか?いや、少し違うかな?

投稿: 大場光太郎 | 2008年10月10日 (金) 17時08分

50年位前だと思いますが、NHKラジオに「話の泉」と言うのがあって、高木先生も出ていた記憶があります。 博学だったですね。
 二葉あき子さんの歌はやはり高いキーの方が素敵ですね。
 この曲は確かタンゴにも編曲されていますね。

投稿: 弘中健一 | 2008年10月11日 (土) 16時19分

小生の初恋の女性が高木東六先生の弟子で長野県で小学校の音楽の先生をしていました。50年も前のことですが春休みなど必ず水色のハンカチを携えて神戸に来られて居ましたから私同様此の歌のファンでした。もう今は黄泉の国の住民となられたそうで一昨年安曇野へお墓参りに参りましたが、今一度あの世で彼女と一緒に東京ソフィア合唱団の”水色のワルツ”を聴きたいなと願っております。

投稿: y.okamoto | 2009年3月 1日 (日) 06時02分

周坊 様
この曲のヒントになったというチャイコフスキーの曲ですが、これは私の全くの当てずっぽうですが、「ワルツ・メランコリックValse melancolique」という曲の雰囲気が「水色のワルツ」にとても似ているように思います。違っていたら御免なさい。

投稿: くまさん | 2009年3月 4日 (水) 23時49分

くまさん 様
貴重な情報を有難うございます。
クラシックのレコードやCDを探したことはありませんが、早速楽器店に行ってみようと思います。見つけたらご報告します。
 

投稿: 周坊 | 2009年3月 5日 (木) 13時31分

周坊 様
大変申し訳ありません。「ワルツ メランコリック」ではなく『ワルツ センチメンタルValse Sentimentale』の間違いでした。とんだご迷惑をおかけして申し訳ありません。(粗忽者でアバウトのくまさん)

投稿: くまさん | 2009年3月 5日 (木) 21時52分

くまさん 様
どういたしまして。
楽器店に行く前に、とネットを眺めていたら「ワルツ メランコリック」で他の作曲者のがありましたので、同じ曲名でいろいろな人が作曲するのだなと思っていました。
「センチメンタル」ゆっくり探そうと思っています。
                 

投稿: 周坊 | 2009年3月 6日 (金) 15時06分

くまさん 様
Valse sentimentaleをYouTubeで聴きました。
ピアノソロとヴァイオリンソナタの様なのを何度も聴きました。
あなたがおっしゃるように確かに雰囲気が似ていると思います。
いずれにしても、高木東六がこの曲を知らなかったはずはなく何らかの影響を受けたことは間違いないと思います。
ありがとうございました。
 

投稿: 周坊 | 2009年3月13日 (金) 11時23分

周坊 様
わざわざご返信いただき有難うございます。再度おことわりしますが、曲の雰囲気が似ているというだけで、この曲がそうだという確証はありません。私自身は「水色のワルツ」の方が名曲だと思っています。美しい音楽にクラシックもポピュラーもない、
二木先生の演奏に耳を傾けているとあらためてそう思います。また、たとえばモーツァルトのピアノ協奏曲(特に初期の)の中には、まるで日本の演歌を思わせるような旋律も出て来ますよ。

投稿: くまさん | 2009年3月14日 (土) 10時24分

 さいたま市のシニアユニバーシティ大学院の音楽科は、キーボードを使い1年間で自分の曲を各自1・2曲弾けるよう指導してくれました。
 この「水色のワルツ」を選んだ女性は私より年上の人でした。それまで私はうろ覚えだったのですが、彼女の曲と歌を聞いて「ああ、いい曲だなあ」と思いました。

 それ以来、私もこの歌が好きでよく唄います。彼女とは幹事同士でした。昔小学校の先生だったみたいです。今でもお元気ですか!清澄なこの曲を歌うと彼女を思い出します。

投稿: 吟二 | 2010年2月19日 (金) 22時25分

最近のカラオケでは作詞家の労作が世の中の趨勢か、例えば習慣(ならわし)「水色のワルツ」を平仮名、耐えた(こらえた)「東京アンナ」を平仮名、自動車(くるま)「若い二人の心斎橋」を車など字を簡略化しています。作詞家あるいは関係者に断っているのならともかくとして、こういった字の使い方を好む者としては残念です。


投稿: 海道 | 2011年11月 7日 (月) 17時33分

この曲は高木東六が伊那市に疎開していた時天竜川のほとりを散歩していた時に浮かんだメロディーが元になっているとか。

投稿: 海道 | 2012年4月 7日 (土) 16時17分

高木東六が伊那の天竜川のほとりでこの歌を・・・
伊那の飯田市川路に疎開でいき 天竜川で泳ぎ遊んだ
大昔・・懐かしく、思い出しています
ハーモニカでの演奏は最高です
メンバー共々頑張ります・・宮ケ原さんに片岡さん
青木さん・斉藤さん 楽しく吹きましょう

投稿: 田中 喬二 | 2013年2月19日 (火) 21時02分

藤浦 洸と高木東六が審査員として並んでいたテレビ番組を思い出します。私は小学3~4生?、それとも中学生だった? 二人の講評が子供心に素晴らしく思えました。他の審査員や番組題名を全く覚えていません。ご存知の方、教えてくださると幸に存じます。

投稿: tangominato | 2013年2月20日 (水) 06時12分

頬の落ちた藤浦洸の抑揚に富む話しぶり、メロディーを少し変えて手本を示したりする高木東六の歌いぶり、楽しくも懐かしい。話の泉はラジオでしたね。テレビ番組は東京五輪後と思いますから、中学はおろか高校も過ぎており、甚だしい記憶違いでした。NHKのど自慢だったのでしょうか?

水色のワルツを聴くたびに、緩やかなテンポにじれったくなります。もう少し軽快テンポなら…さわやかな哀調になるのでは、とド素人は思います。でも時代の雰囲気を失う…かな。
> クラシック系の作曲家が歌謡曲を作ると、なるほどこういう流麗な曲になるのかと思わせる歌です。
この二木さんの解説はじれったさの別表現かしらと他意無く推察いたします mm

投稿: tangominato | 2013年2月20日 (水) 20時18分

高木東六が出た番組で覚えているのはNHK「あなたのメロディ」「家族そろって歌合戦」です。藤浦洸は「私の秘密」です。一緒に出られた事があったのでしょうか。暇だったのかよく観ていた番組でした。私の記憶ではご一緒だったのは無いように思います。それにしても美しい音楽です。メロディもですが、2番の歌詞が美し過ぎて、藤浦洸の頭の中を覗いてみたくなります。水色のハンカチに包まれたささやき、私ならさて何色のハンカチにしましょうか。想像するだけで幸せな気分になります。恋は素敵!

投稿: ハコベの花 | 2013年2月20日 (水) 21時28分

スローワルツに耐えつつ、二木さん奏でる流麗にして荘重な調べを繰り返し拝聴。すると、夜霧に濡れて忍ぶ恋、むせぶ泣く恋、悲痛なまでの恋、、、源氏物語で習った`恋`の真髄が伝わってくるようです。

ハコベの花さん、いつも詳しく教えて下さりありがとうございます。ツギハギばかり出鱈目の記憶を恥じています。`みなと`に`灯台守/助舟`で精一杯のボンクラですから。
みなと…や‼でカミングアウト出直します。これからもどうぞ宜しゅうに存じます。

投稿: minatoya | 2013年2月20日 (水) 23時42分

高木東六さんはお元気な頃、毎年大晦日の夜、横浜山下公園の「赤い靴の女の子」の像の小さな芝生広場で歌を唄う集まりを催されていました。私も二度程参加したことがあります。80歳をちょっと超えた頃かと思いますが、矍鑠と、素敵な声で歌っておられたのを思い出します。審査員の時の講評では、なかなか辛口コメントで、面白かったですね。「私の秘密」においての、藤浦珖さんのあのお顔としゃべり方はとても特異な印象として残っています。藤原あき、山本嘉次郎さん等がいましたかね。司会は高橋圭三アナ、「どうも、どうも」でした。懐かしいです。「水色の…」は歌詞、メロディ共に秀逸です。

投稿: かせい | 2013年2月21日 (木) 00時33分

私の秘密で忘れられないのは『何でも見てやろう』を書いた小田実が1日1ドルで世界旅行をしたあと、出場したのですが不遜な態度で良い印象を与えませんでした。藤浦洸が憮然とした顔をしていたのが忘れられません。
minatoya様、高校生の頃私の住んで居るところとは全く違う環境の人を探して文通していました。京都府竹野郡網野町字まで続く長い住所の人でした。tangominatoさんのお近くだったかもしれませんね。

投稿: ハコベの花 | 2013年2月21日 (木) 11時04分

恋の季節は師走…と聞カナンダガ、いく年くる年に交すキスにすっかり馴染みました。若い男女ならば文字通り、甘く切ない恋、あるいはハートブレイクの師走があるのでしょう。水色のハンカチをどうして、藤浦洸は思いついたんでしょう?縹(ハナダ)色を扱った万葉歌があり、浅葱色とも言うそうで、これが水色なんですね。ハナダやアサギ名を染色の友人が使い、明るい藍色が乱れ踊る着物に染め上げます。そんなハンカチを持つ人は目立つでしょうが、ワルツの詩なればこそ、1950‐60年代の恋がほのかに想像されます。

ハコベの花さん仰る`文通`は水色の時代に相応しい。高木東六、大往生102歳の記述を覚えていて、網野生野の生王部神社に立つ椎の古樹が重なってきます。あの見事な椎樹に「あなたのメロディー」作曲家が連想され、懐かしく思い出されます。偶然ながら昨日やってきたカルラの祖父も102歳と聞き、オヤッと、この水色の頁を探しました。色に詩、椎の樹や故郷を思う機会です。

投稿: minatoya | 2014年12月 3日 (水) 03時28分

大好きな水色のワルツ。
高木東六先生のブラウン管を通して伝わるお人柄も好きでした。8年前、60の手習いでピアノを齧った動機も「水色のワルツ」が弾けるようになりたい一心でした。愛の賛歌、ロメオとジェリエット、ダニーボーイと引き進むも束の間悲しい出来事に遭遇。
諸々の事情で今では弾き手のないピアノが埃を帯びています。(娘達が帰省の折、役目をはたすのみ)

投稿: りんごちゃん | 2015年1月22日 (木) 09時17分

二木先生
先生のサイトに励まされて再びピアノに挑戦致します。娘のような若いピアノの先生とのご縁で3月からのスタートです。すっかり忘れたのでゼロからの出発です。水色のワルツを弾けるように頑張ります。

投稿: りんご | 2015年2月27日 (金) 20時54分

もう40数年も昔の若き頃の想い出です。当時、小生の職場の職員が結婚された場合では、後日、改めて会費制の披露宴が開かれていました。その披露宴に出席の後、二次会には気が向かず、以前行ったことのある市内では有数のグランドキャバレーに・・・一人で・・・。
ボーイさんに案内され席に着く。暫くして、目が印象的なドレス姿の彼女と同席することに。世間話をしているうちに、生バンドの演奏も終わり、ピアノソロで、何と、高木東六先生の名曲「水色のワルツ」が流れ始めた。それには、びっくり!
広いフロアーでは誰も踊る気配はなかった。
小生、勇気をふりしぼって彼女にアタック!
彼女は快く承諾、そのステップの軽やかなこと今でもピアノ演奏が聴こえてきそうです。
途中、彼女の耳元へ「今日は素敵な夜をありがとう」と
囁いた記憶があります。

投稿: 一章 | 2015年7月31日 (金) 20時26分

この歌の中の女性は何歳ぐらいの人なのでしょうか。少し大人になった女性、24,5歳でしょうか。18歳ぐらいから思いを寄せていて、やっと恋人になれたのが22,3歳、何かの事情で結婚が遅れていて、たまにしか会えない。会えばまだ恥ずかしい感情が先に立つ。そんな恋に憧れていたのに、とんでもない夫を持ち、慎ましやかなんてどこにあるのかという生活をしています。せめてこの歌を聴きながらまだ17,8歳のころの自分に戻って楽しんでいます。私の心の清涼剤になっている歌です。

投稿: ハコベの花 | 2015年8月 1日 (土) 10時49分

今朝、近所から金木犀の香りとピアノの練習音が聴こえてきました。秋ですねぇ。しばらく甘い感傷に浸ることができました。りんごさん、ピアノ上達しましたか。ピアノが弾けるなんて羨ましい限りです。頑張ってくださいね。
それにしても、歌詞といい、メロディといい、本当に美しい歌ですね。今の若い人たちに伝わらないのは淋しい限りです。でも誰にでも美しい思い出の1つや2つはあるものです。きれいなハンカチに包んで心の奥にしまっておきましょう。

投稿: ハコベの花 | 2015年9月26日 (土) 22時30分

故郷の名峰月山も初冠雪を待つばかり。
今朝は9月というのに時雨虹の風情でした。
「水色のワルツ」感覚を取り戻しました。
一時はもう駄目かなと萎えたのも嘘の様です。
来春四月の教会での発表会で披露します。
もう一曲は「山の煙」と決まりました。
「水色のワルツ」を弾いていると恋の切なさが蘇ります。
胸の小箱をそっと開いては閉じて現実に戻ります。
ハコベの花様の永遠の恋物語も素敵ですよ~。

投稿: りんご | 2015年9月30日 (水) 16時22分

わたしが知っている高木東六作曲の歌と言えば、本歌と戦時中よく歌った『空の神兵』(梅木三郎作詞)くらいのものです。そして、わたしがかれに持っていた印象は、演歌・歌謡曲を極端に嫌ったクラシック至上主義者で、大衆(民衆)音楽とは縁のない、鼻持ちならない音楽エリートという類でした。しかし、かれを調べてみて、わたしはかれへの認識を改めることになりました。そこで、次のような私案を考えてみました。
①かれは戦時中、戦意高揚のために軍歌や戦時歌謡を数多く作っています。その傑作のひとつが『空の神兵』です。わたしは軍歌復活には反対ですが、このメロディは数ある軍歌の中でも出色の出来栄えです。この歌詞を替えて歌い継ごうという案です。軍歌と言うだけで、拒否反応を示す方もおいででしょうが、『歩兵の本領』や『雷撃隊出動の歌』は歌詞を替えて、現在も歌い継がれています。『空の神兵』は歌詞を少し替えるだけで、熱気球の競技や凧合戦の歌になるように思いますし、海の競技にも使えそうな気がしますが。行進曲風にアレンジすれば、スポーツ大会でつかえるように思います。
②先に、かれは大衆(民衆)音楽には関心がなかったのではないか、と勝手に解釈していましたが、わたしの不明をお詫びしなければなりません。かれは戦前、朝鮮民族の音楽に深い関心を寄せ、「春香伝」という朝鮮の古典文学の最高傑作(文学的価値では日本の「源氏物語」に、人気度では「忠臣蔵」に匹敵するようです)を材料に、『春香』と言うオペラを作曲しましたが、東京空襲で苦心の楽譜をすべて焼失してしまいます。落胆したかれでしたが、戦後再び『春香』のオペラ作曲を完成させ、公演もされたそうです。そこで、日韓が反目し合っている、現今の情勢を打開する手がかりとして、このオペラを両国で公演することも意味があるように考えるのですが。
 ①、②が実現すれば、泉下のかれももって瞑すべきでしょう。

投稿: ひろし | 2015年10月 3日 (土) 13時19分

最近よく頭に浮かぶのがこの曲です。
ほんとに久し振りで、自慢の「蓄音機」で何回も聴きました。
「二葉あき子」さん30代前半の歌唱ですが、のびのびとした美声に感動しています。
高木東六・藤浦 洸コンビの絶妙の逸品だと思います。
私の大好きな一曲です。

投稿: 一章 | 2015年10月31日 (土) 20時42分

 二木先生、ありがとうございます。いつも興味深く拝見しています。
 水色のワルツは心に滲みるいい曲ですね。 これを2016年2月20日(土)午後第5回那覇市牧志駅前ほしぞら公民館まつりのサークル舞台発表として、森山洋編曲でギター演奏します。  
 毎週月曜日16時-18時に活動している「ほしぞらギターサークル」の会員で、三線主体のサークル「ヨンナー島唄」(同18時-19時)管理人をしています。ブログとメールは下記です。

http://blog.goo.ne.jp/siriusnh
mail: mksssrsk@gmail.com

 沖縄が復帰する前まで沖縄屈指のプロギタリストだった森山洋先生がボランティアで教えてくれています。生徒はもったいないことに、たった4人です。
 管理人は2013年9月の初心者時から参加しているのですが、その後見学者は時々現れても会員は増加せず。そのうち徐々にレベルが上がって「初心者歓迎」とは宣伝できなくなりました。
 森繁久彌と二人だけで舞台にたってリズム無視の彼の「知床旅情」の伴奏をしてビックリ仰天したこともあると言う森山洋先生によれば、この歌の著作権を高木東六が最後の最後まで売らなかった、とのことです。二木先生はご存知でしょうか。
 

投稿: ヨンナー島唄管理人 | 2016年1月 8日 (金) 12時47分

初めまして。
私は昭和37年生まれなのでリアルタイム世代ではありませんが、何とも切ない曲ですよね。
中学生の頃に友達と見た"サチコの幸"という映画の中で、この曲が流れていました。

投稿: 春一番 | 2016年3月21日 (月) 22時51分

今日・8月25日は、歌謡曲での代表作「水色のワルツ」で一世を風靡した作曲家・高木東六先生の没後10年目の命日です。
今、頭に浮かんでくるのは、1963~5年頃のNHK総合テレビ「あなたのメロデイー」での審査員としての見事な総評が思い出されます。
このサイトでも、多くの方々からのコメントを拝読し、この曲に対して様々な想いを寄せられていることを感じます。
私のSP盤コレクションの中の1枚で、「原孝太郎と東京六重奏団」の演奏する「水色のワルツ」を聴きながら本日の命日を偲んだところです。

投稿: 一章 | 2016年8月25日 (木) 22時25分

私のつたないピアノ演奏は
娘に言わせれば「壊れたオルゴール」
6月の教会での発表に優しい女性の牧師さんは
「曲想を理解した大人が弾くと胸に深く響くのね。
機械的に弾きこなす子供とは違うわ」と過分な御ほめ。

二木先生の流麗な演奏に涙が込み上げます。
昨日一人ドライブで初めての転任地であった山沿いの街を走ったら不覚にも涙が込み上げました。
ブルーな気分を引きずっていたので今日の「水色のワルツ」は堪えました。しかし、この涙は悲しいだけの寂しいだけの涙ではありません。
つくづくと美しい大人の調べです。
一章さま そうでしたか  25日が高木東六先生の
命日。没後10年しか経ってなかったのですね。

投稿: りんご | 2016年8月26日 (金) 18時09分

八月も終わりに近づくと、もの悲しくて切ないロマンチックなこの歌を聴きたくなります。理由は高校生のとき我が家に遊びに来ていた兄の友人が関東の大学に帰っていく季節だったからです。もう60年近くなるのにこの季節になるとその時の悲しい気持ちが甦ってくるのです。
その頃この歌を知っていたら帰る彼を駅に見送っていったかも知れません。16歳の私、19歳の彼、ろくに物も言わずに見つめただけで会えなくなった人、その頃この歌を知っていたら毎日この歌を歌っていたかも。美しいものに憧れていた生涯で一番で美しい日々だったような気がします。

投稿: ハコベの花 | 2016年8月26日 (金) 21時12分

26日のコメントに加筆させてください。

高木東六先生の調べ、ピアノ演奏の素晴らさと
同等に優れているのが藤浦 洸先生の歌詞です。
美しい詩です。
つくづくと美しい詩です。
「君に逢う嬉しさの胸に深く
水色のハンカチを~」

忍ぶ恋を歌ってこれ以上の美しく切ない作品があるでしょうか。

わずか15歳  東京方面への修学旅行のバスの中で
党員教師が歌いました。
もう一曲は「もずが枯れ木で」でした。

二曲とも心に刻まれたが
「水色のワルツ」は衝撃の曲でした。年とともにこの曲の滋味を味わえるようになりました。

シューベルトの「冬の旅」より胸に染みて
今なお思い出の一曲として不動の地位を維持しております。

投稿: りんご | 2016年8月29日 (月) 09時53分

この「水色のワルツ」は、私の大好きな曲で、二木オーケストラの名演奏にもより何回聴いても飽きることはありません。
私が忘れがたいのは、以前のコメントでの懐かしい想い出が蘇り、この曲の「ピアノソロ」を聴きたくなり、「ピアニスト 浜野優子 高橋丈太郎」で検索、柔らかな演奏にしばし心を奪われました。
追伸、浜野優子さんのピアノ演奏の後、生前の高木東六先生のピアノ伴奏が聴けるかもしれません。

投稿: 一章 | 2016年9月 5日 (月) 21時04分

昔、昭和27年の頃、姉が高校の文化祭でこの歌を歌い、
絶賛をあびました。伴奏なしだったようですが。
私は中学生のガキで女性の気持ちも分からないのに、
すっかり覚えこんでしまったのでした。
今度、老人ハウスのパーティーで、出し物をしなければ
ならず、これを歌ってみることにしました。
よれよれのジジイが、こんな女心の歌を歌ったら、同ハウスの
バアサン達は、どんな顔をするでしょう。

投稿: 田主丸 | 2018年2月13日 (火) 20時24分

田主丸様
素敵ですよ。
シニア男性の水色のワルツ、切々と胸に染みて元乙女の皆さまを魅了するでしょう。
啄木の初恋なども 高齢の男性の歌にこそ深い味わいがあります。成功をお祈りいたします。

投稿: りんご | 2018年2月13日 (火) 21時07分

今晩は、先ほどまで「あんたに ひとめぼれ」の芋焼酎(宮崎県都城市産)で今週を振り返り、乾杯をしたところです。
特に、最近の「うた物語」に集う仲間の皆さんのコメントを拝読いたしておりますと・・・皆さん、それぞれの懐かしい歌に対する想い出・・・抒情的でしかも恋心を秘めるなど心を癒してくれると同時に明日への活力をいただいており大変嬉しく思っております。

ところで、今日、8月25日はこの曲を作曲なされた高木東六先生が、2006年8月25日、102歳で大往生なされ、没後12年目の命日を迎えます。
今更ながら、二木先生の名演奏を聴く度に、数々の懐かしい思い出の一コマ一コマのシーンが目に浮かんできます。
中学時代の片想いであったT子さん、新任の独身で美人の音楽の先生・・・特に、現職のころ、友人の結婚披露宴の後、立ち寄ったグランドキャバレーで同席された彼女とピアノソロでこの曲を踊れたことなどなど・・・

本日は、高木先生のピアノ伴奏により二葉アキ子さんの歌で命日を偲びたいと思います。

最後になりましたが、二木先生におかれましては、2000年2月の歌声喫茶から今日まで通算、4千2百万件を超えるアクセスがあり、「うた物語」フアンの皆さんの心の支え(オアシス)となっているものと確信し感謝の気持ちでいっぱいです。
これまでも時間的にも大変なご苦労をなされていると思われますが、今後とも、心待ちにいたしております「うた物語」フアンのために重ねてよろしくお願いいたします。

(mikuni1199さま提供)
http://www.youtube.com/watch?v=Ujerei1ncvQ&list=RDUjerei1ncvQ&start_radio=1#t=85

投稿: 一章 | 2018年8月25日 (土) 22時01分

 歌と音楽は、映画においては重要な表現手段となるもので、単なる添え物ではありません。 ましてや、それが既製の歌や曲であれば、監督の何らかの意図があるに相違ないと私は思っています。
 五所平之助監督の作品に『わかれ雲』というのがあります。1951年の公開ですから、この『水色のワルツ』リリースの翌年ということになります。 出演者は、川崎弘子、沢村契恵子、沼田曜一らで、いわゆる大物スターがいない(川崎弘子は往年のスターでしたが)小作品的な映画です。舞台は中央線の小淵沢駅あたり。   この映画で、この『水色のワルツ』のメロディが幾度も流れます。 二葉あき子の歌唱はありません。 ロシア曲『ともしび』も使われていて、純朴で真剣に生きている青年医師を演じる沼田曜一が高らかに唄い上げます。 『ともしび』も作られて間もない歌ですね。
 五所平之助監督が『水色のワルツ』をふんだんに使ったのはこの曲に相当惚れ込んでいたのか、それとも世間でかなり流行っていたのか、たぶんどっちもなのでしょうね。
 高木東六がこの映画を観たのかどうかも、ちょっと気にかかるところです。 
 

投稿: かせい | 2018年9月24日 (月) 12時54分

桜の花がハラハラと散る樹の下。青い海の向こうに見える白い雲、打ち寄せる波打ち際。黄金色の銀杏の葉が散り敷く歩道。青い街灯に舞う白い粉雪の街。貴方と歩いてみたかった二十歳の私です。今、出会えば嬉しさで水色のハンカチを涙で濡らした事でしょう。せめて黄泉の国に行く前にあの小さな電車の駅前の街灯の下でお会いしたいと思います。生きていて下さいね。この歌を一人で静かに聴いています。

投稿: ハコベの花 | 2019年4月 3日 (水) 16時45分

 私がこの古い歌謡曲に目をとめたのは、趣味の川柳句集をた時でした。
「古希の集い水色のワルツをうたう」という五七五から外れた破調の句でした。
 その時はベテランでもこういう破調の句を作るのかと思っていました。
 しかしこの曲をユーチューブで聞いて驚きました。七十歳を超えた方が、初恋にも匹敵するような熱いそして秘めた思いを持って歌われるのかと・・・。今も忘れられぬ句です。
           伊勢の茜雲

投稿: 伊勢の茜雲 | 2019年7月 5日 (金) 13時36分

5,6年前に青いハンカチセットをくれた青年がいました。多分その青年はこの歌を知らないと思います。美しい青年でした。
「あなたはハンサムねぇ」と言うと真剣な顔をして「そんなこと言うのはやめて下さいよ」と怒りました。
妙に気が合って我が家に来るとお菓子を食べながら、よくおしゃべりをしました。金融機関はロマンとは程遠い仕事だったと思います。彼に貰ったハンカチはいつもバックに入れてあります。転勤でもう会うことはないと思いますが、ハンカチは大事にしています。この歌を教えて置けば良かったと思っています。鼻水を拭かない様に気をつけてはいますが、年と共に危ういことになりそうです。ロマンとは程遠い年齢になってきました。

投稿: ハコベの花 | 2019年10月31日 (木) 00時15分

どちらかというと、口下手で決して器用な人ではなかった母親が、好きな歌でした。
7人もの子供を抱えて、34才の若さで未亡人となった母にとって、当時はとても歌など歌えるような日々ではなかったと思いますが、92才で亡くなる何年か前、テレビの画面に映る二葉あき子の水色のワルツを泣きながらじっと見入っていた老いた母の姿が忘れられません。

私の記憶では、母が歌う姿を見たことはありませんし、あの口下手で決して器用に生きれる人ではなかった母にとって、歌は苦手だったのかも知れませんが、同じ広島出身で年代も近い二葉あき子に、自分の青春と無我夢中で過ごした戦後の日々を重ねて感極まったのでしょう。

私にとって「水色のワルツ」は、苦労ばかりの母を偲ぶ悲しい曲の一つです。

投稿: あこがれ | 2019年11月 1日 (金) 23時42分

あこがれ 様

 昭和22年、北九州小倉生まれ育ち、高校は、広島のあなた様高校の後輩です。「水色のワルツ」は、広島市二葉の里出身の二葉あき子さんの歌ですね。老年になってから、知りました。 彼女は、昭和20年8月6日、国鉄芸備線で、広島駅から三次駅に向かう列車が、トンネルに入っている時に原爆が落ちて、助かりました。
 私の今、農業を営んでいる土地では、ローカル線・JR水郡線の鉄橋が、台風19号の水害でながされました。1年前の水害で鉄橋が流されたJR芸備線は、先日、やっと復旧したと聞きました。当地の水郡線が復旧(今は、西金駅=常陸大子駅間が不通)するのも1年後になるのでしょうか? 私は1日だけですが、軽トラで、茨城県久慈郡大子町まで、復旧ボランティアに行って来ました。

投稿: 竹永尚義 | 2019年11月 2日 (土) 17時06分

2018年ご投稿の一章 様
 私が、社交ダンスと言うものを踊った(教えてもらった?)のは、20歳の大学生のとき、相手は、佐賀県出身の1歳年下の女性でした。その当時、二葉あき子さんのこの唄は知りませんでしたが・・・。

昨日ご投稿のあこがれ 様
 北九州・小倉生まれ育ち、広島のF高校卒業、今は茨城で定年有機農業を営むものです。二葉あき子さんが、広島市二葉の里出身で、昭和20年8月6日朝、広島駅から三次駅に向かう列車が、トンネルの中に居て直接被爆を免れた方だと、老年になってから知りました。
 先日の台風19号で水害にあった県内の大子町、常陸太田市へボランティアに、我が軽トラで行って来ました。 大子町へは、水戸駅からJR水郡線が通じていますが、途中の鉄橋が崩落、現在、西金駅ー常陸大子駅間がは不通です。広島のJR芸備線の鉄橋は、先日1年ぶりに復旧した様ですが、こちらも1年位掛かるのでしょうか。 
 「水色のハンカチ」からは、かけ離れたコメントになったかとは思いますが・・・。

投稿: 竹永尚義 | 2019年11月 2日 (土) 18時11分


竹永 尚義 様

交流掲示板をご覧ください。

投稿: あこがれ | 2019年11月 2日 (土) 18時20分

竹永尚義 様

交流掲示板をご覧ください。

投稿: 一章 | 2019年11月 2日 (土) 20時05分

YouTubeに、今や伝説のタンゴ歌手・藤沢蘭子が歌った「水色のワルツ」があります。勿論タンゴ・アレンジで、日本語とスペイン語(多分)で歌っていますが、これって素敵なんですよ…。CDにコピーして思い出しては時々楽しんでいます。ぜひご一聴下さいませ。たぶん今でも聞けると思います。

投稿: ジーン | 2019年11月 5日 (火) 14時23分

リタイア後の趣味で川柳を少々たしなんでいます。
 ある時、川柳会誌を読んでいてこんな句を見つけました。
 女性が詠んだ句で「喜寿の集い水色のワルツを歌う」というやや破調の句でした。
 「水色のワルツ」という古い歌謡曲があるのは知っていましたが詩の内容は全く知りませんでした。
 早速このブログで検索したところ、大人の女性の心情あふれる歌だと知りました。70代後半の女性が詠んだ勇気に感動しました。
 以来、わたしもあやかれないかと、作句にあたり、せっせと歌謡曲にヒントを拾おうと頑張っています。
 

投稿: 伊勢の茜雲 | 2020年1月21日 (火) 23時51分

歌詞の意味が、大変深く、こうだろうか、ああだろうか、、おもいをはせています。

本当に良い曲,良い詩です。ひとりで散歩の時よく歌います。

投稿: 菊地時洋 | 2020年5月 6日 (水) 16時20分

入社してすぐに各工場から集められた同輩達と大学の教授から講義を受けました。その経験は仕事に役立ったとは思います。その寮兼教室には教務室があって一人の事務員の女性がおり、誰が射止めるか競争でした3学科合計100分の1の確率では私には及ばぬ事でした。そのころ御殿場の青年の家で合宿があり、スポーツと歌の指導を受け「水色のワルツ」を憶えました。今でも同期会をやっています(この2年は休会)が、皆出身工場が売られてしまいました。いい時代を生かされた全てに感謝です。

投稿: 海道 | 2021年5月 8日 (土) 06時06分

勇ましくもさわやかな『空の神兵』を作曲した人が、こんなにも流麗な曲を作るとはまことに素晴らしいと思います。
高木東六先生は102歳まで生きて大往生されたそうですが、それも含めて深く敬意を表します。

投稿: 矢嶋武弘 | 2022年5月17日 (火) 04時59分

高木先生の歌謡曲
もっともっとあったら素敵だったでしょうね。


本当に国策というものは恐ろしいですね。
我が県を故郷に持つ
短歌の巨匠 斎藤茂吉


国策の短歌を読んだ事に蟠るものがあり
晩年は、故郷の最上川の辺りで暮らしたそうです。

ウクライナに平和をの思いに繋がります。

投稿: りんご | 2022年5月17日 (火) 08時37分

先日のフォレスタの番組で高木東六と天竜川の関係を
述べていましたね。信州に疎開していたのは永六輔
もそうですが大本営もそうですね。松本市は空襲された
のに何故。

投稿: 海道 | 2023年3月22日 (水) 16時39分

 Youtubuに、高木東六さんのピアノ伴奏で双葉さんが歌う貴重と思われる動画がありますので、お試し下さいませ。

投稿: ジーン | 2024年11月29日 (金) 20時41分

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