哀愁列車
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:横井弘、作曲:鎌多俊与、唄:三橋美智也
1 惚れて 惚れて 2 燃えて 燃えて 3 泣いて 泣いて |
《蛇足》 昭和32年(1957)リリース。
三橋美智也は、ビジネスなんぞに色気を出さず、歌一筋にやっていたら、美空ひばりに匹敵する国民的歌手になったはずと、いつだったか立川談志がいっておりました。
(二木紘三)
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作詞:横井弘、作曲:鎌多俊与、唄:三橋美智也
1 惚れて 惚れて 2 燃えて 燃えて 3 泣いて 泣いて |
《蛇足》 昭和32年(1957)リリース。
三橋美智也は、ビジネスなんぞに色気を出さず、歌一筋にやっていたら、美空ひばりに匹敵する国民的歌手になったはずと、いつだったか立川談志がいっておりました。
(二木紘三)
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コメント
私たちの田舎の町にも(人口5万くらい)社交ダンスの教習所がたくさんあり、哀愁列車でフォックスとロットを今の妻(75歳)と一緒に習ったことを思い出します。よき時代でした。
投稿: 三宅正瞭 | 2007年8月20日 (月) 15時58分
初めてのメールです
私当年78歳です、パソコンを始めて3年そこそこです
此のMIDI歌声喫茶、二木先生の項目で昔の歌謡曲を聞かして頂いて
いる者です、気分転換に非常に役立たせてもらっています。
今後も陰ながら 応援者として感謝しております、
御健闘をお祈りいたします。
投稿: 吉岡 英三 | 2007年9月14日 (金) 16時15分
三橋美智也さんの曲は春日八郎さんの曲と同様、幼い頃から聴かせて戴いておる訳でございますが、特に三橋さんの♪哀愁列車や♪リンゴ村からは、今の殺伐とした時代を忘れさせてくれます。
投稿: 水本爽涼 | 2008年5月24日 (土) 16時46分
『歌はこころの走馬灯
人生 絵模様 歌舞台』
昨今、演歌心をなくした殺伐とした世の中になっています。多くの心ある人々がそのことを嘆いています。
いまを生きる私たちは、この素晴らしい演歌を、演歌の心を演歌の世界を、立派に受け継ぎ、広く後世に伝える、継承していく義務があるのではないでしょうか?
奈良ボイス SHU-SHINでした。
投稿: パンプキン | 2008年6月14日 (土) 12時39分
哀愁列車、懐かしい曲です。私が高校に入学した時に発売されたようですが、当時、クラスに三橋美智也ファンが居て、教室で何時も口ずさんでいたのを覚えています。今でもこの曲を聴くと、その学友を思い出します。今年、クラス会の案内を出したのですが、腰痛がひどくて不参加でした。今一度、あの時の哀愁列車が聞きたかったのですが、残念でした。代わりに、私がここで大きな声で唄いました。
投稿: Hikoさん | 2008年7月28日 (月) 21時19分
勝手乍ら、私のブログ「水本爽涼 歳時記」にリンクの貼り付けをさせて戴きました。どうぞ、御了知賜りますよう、御願い申し上げます。
投稿: 水本爽涼 | 2008年8月 7日 (木) 22時51分
初恋の彼女が大阪の職場へ帰る別れ際、
“後ろ髪引かれる思い” とつぶやいたのを
昨日のように鮮明に覚えています。
実はこの歌に織り込まれているのを知りませんでした。
どうなんでしょうかね、当時の彼女はこの歌詞を知っていて使ったのか、または別の出典があったのか不明のままです。
初老の今でも好きな言葉です。
投稿: くろかつ | 2008年9月 1日 (月) 20時56分
今晩は、久し振りの投稿です。私たちの様な団塊生まれで、しかも大都市の下町生まれの人間にとって、兎に角、群集は苦手と言うよりは、苦痛の何者でも有りません。所が事懐メロに関しては、このジンクスは当てはまりません。出張先が台北でもクアラルンプールでもはたまたバンコクであろうが、勿論国内にても、この哀愁列車を歌うと、同年輩の方々は決まって、往時のエピソードと共に合唱してタイムスリップさせて下さいます。この曲にはそんな魔力が有るみたいです。
投稿: relokun | 2009年3月21日 (土) 20時32分
若く勢いのある頃の三橋美智也は、本当に高音が伸びて気持ちよかったですね。中年になってからの彼の声は、まだ若いのにめっきり衰えて、寂しく感じられました。晩年後妻さんから暴力をふるわれて、なんて泣き言を言っていた彼には、若い頃のまじめに精進を重ねた苦労話を聞いている私としてはちょっと寂しかったです。
「哀愁列車」は「りんご村から」と並ぶ彼の魅力いっぱいの歌だと思います。これを氷川きよしが歌っても、味の点でも三橋には遠く及ばないでしょうね。
投稿: 吟二 | 2009年6月 4日 (木) 23時45分
小生小学6年の時の曲ですので、意味は解らず歌っていました。誰に惚れたんだと隣の叔母ちゃんに聞かれ弱り
ました。確かに三橋に並べる歌手はいませんですね。
投稿: 海道 | 2009年12月21日 (月) 13時02分
立川談志みたいなアル中がいくら言っても、私達団塊世代
にとっては、三橋、ひばり、春日、三波は永遠のアイドルです。空襲の焼け野原の都会育ちにとっては、あの透き通る歌声が、どれだけ人々の励みに成ったか・・・・
投稿: relokun | 2010年1月 7日 (木) 20時26分
私の姉(昭和16年生)が都立城北高校(東京・赤羽駅が当時の最寄駅)の生徒の時の話だそうです。
当時の先生が飛び降り自殺の巻き添えで亡くなられ、結婚間もない先生の奥さんが遺骨を抱えて赤羽駅から帰郷するのを生徒たちが駅まで見送った時に、駅長の計らいでこの「哀愁列車」をホームで流してくれたそうです。
私がこの話を聞いた覚えがある?のも50年以上前になります。この曲を聴くたびにそのことを思い出します。
近くに住む姉にその真偽を確かめることはできますが、聞かないままにしておきたいほどの名曲と常に思っております。
投稿: 修さん | 2010年3月27日 (土) 15時26分
建てつけの悪い家の隙間から木枯らしが吹き込む、ある夜のこと。掘り炬燵で居眠りをしている幼い私の耳に、夢うつつのように聞こえてくるおやじ、おふくろ、それに近所のおじさんの喧嘩ごしの声。それは大ヒット中の『哀愁列車』の歌詞の1番にある「来は来たが」の解釈についてでした。
漢字を見さえすれば誰もが問題なく解釈できるのでしょうが、当時は山深い田舎のことととて、ラジオから流れてくる流行歌の詞を文字で確かめるすべがありません。
おふくろが「ホームに来るには来たけれど、なんじゃないの?」と、正しい主張をしているのに対し、近所のおじさんは「気はするけれど、だよ」なんて反駁して譲りません。目に一丁文字のないおやじはそれを黙って聞き、黙りこんでいます。論争は延々1時間くらい続いたように思いますが、結論がどうなったかは記憶にありません。
50数年も前のあの冬の夜のことを思うと茫々として夢幻のごとくですが、『哀愁列車』を聴くたび、すでに黄泉の人となったおふくろ、おやじのことが脳裏をかすめ、不覚にも涙が滲みそうになります(まあ、寄る年波のせいでしょうね)。
投稿: 待宵 | 2011年5月 5日 (木) 11時24分
三橋美智也に好きな曲はと尋ねた人があっただって。その時、間髪を入れず「哀愁列車」と言ったのをどこかで読んだ記憶があります。また、三橋美智也の葬式に舟木一夫が出てて、「自分はミハシミチヤに憧れて歌手になった。みんなそうですよ」とインタビュに答えていたのを思い出します。
投稿: よこいしろう | 2011年7月18日 (月) 11時04分
windows-xpを使って居た頃に二木さんのMIDIサイトを偶然見つけ、お気に入り登録して、三橋美智也さんの哀愁列車を聴きながら涙流しながら聴いて居ました・・・あの頃は慥か雪国の蒸気機関車のフォトや萎びた旅館の一室に灯りがついていたフォトが付いて居た様に思いますが・・・泣けて泣けて・・・今もこの拙き便りを認めながら涙が止まりません・・・MIDI音源は素晴らしいですね。そのPCも壊れてしまい、お気に入りに登録した大事なサイトが無くなりガッカリして居ましたが、windows-7で様々検索しました処、紛う方なきうる覚えの懐かしい「二木紘三」さんの名前に出くわし、慌ててお気に入りに登録、先ずは一安心・・・若干15にして自律神経失調症と鬱を発症、爾来愉しかるべき青春も知らず最近に成って漸く己が自律神経失調症と鬱を病んで居た事を知れり…人様と愉しく交われず、二木さんのMIDI音源に酔い痴れて居ります・・・あの懐かしい写真の掲載願わしゅう存じます…
投稿: 戦後歌謡曲66 | 2012年3月12日 (月) 19時12分
詩吟の稽古を始めて3年を経過しました。終わってから会食天下国家の話のあと、カラオケへとくりだします。16年生まれの小生、仲間は新しい歌をまじえるのに懐メロ一辺倒で通します。この歌も定番となり、ラジオ育ちの年代で歌謡ベストテン50余週とアナンスしていたのが記憶に残っています。元気な内は継続したい。
投稿: 河嶋 忠雄 | 2014年6月16日 (月) 15時26分
この「哀愁列車」といい、「北海の終列車」といい、遠く彼方まで透き通る伸びのある歌声は、この人しか表現できないだろう。 カバーという名の、節まわしが巧みなだけのノドで歌いまくるかたよ、三橋を心から愛する私の心を乱さないでほしい。
投稿: 国境の春 | 2015年2月27日 (金) 02時27分
小学校2,3年の頃、ラジオからこの歌がよく流れていた。
「惚れ~て 惚れて」という、でだしの言葉は、大人のなまぐさい雰囲気がして、子ども心に、好きではなかた。
「燃え~て 燃えて」は、さらに理解不能な言葉でした。
三橋美智也は知ってる人ではあるが、まったく知らない人でもあった。
今、虚心に聞けば、この歌は名曲で、三橋は名歌手です。
「星がとぶ とぶ 哀愁列車」は、さすが横井弘の歌詞だと一人勝手に感じ入ります。銀河鉄道みたいなひろがりを感じて・・
立川談志の言葉もうなづけますが、三橋美智也の晩年は、女運が悪かったみたいです。略伝をみれば、糟糠の妻を捨てたところから、人生が狂っていったような気がします。
投稿: 紅孔雀 | 2016年3月 8日 (火) 21時50分
私は一歳の時、足にできものができ高熱がでたそうです。その後、二才になっても歩くことができなかったそうです。
今でも左足に障害が残っており少し不自由です。
母は温泉が良いという話を聞き、私を連れて山陰線各地の温泉を巡ったそうです。温泉津温泉、玉造温泉、有福温泉・・・
私はその時のことを覚えています。おそらく二才くらいの頃ではなかったかと思います。列車内のことです。外の寒さと車内の暖かさで列車の窓は霧を吹いたように真っ白になっていました。私はそれを拭って外を眺めたり、窓に指で温泉マーク(♨)を描いていました。私が最初に覚えた文字・記号は(♨)でした。それが得意で、家でもよく描いていました。夜汽車の窓から♨マークの光が星のように飛び去っていくのを見て楽しんでいたような覚えがあります。幻想かもしれませんが・・・。ただし温泉につかったことは全く覚えていません。
その時の母の気持ちをこの『哀愁列車』の詩から取り出してみました。
ーーーーーーー
旅をせかせるベルの音
落とす涙の哀愁列車
燃えてすごした湯の宿に
君の幸せ祈りつつ
旅にのがれる哀愁列車
星がとぶとぶ哀愁列車
ーーーーーーーー
最近不自由な足が少しづつですが弱くなっているように感じています。
遠距離を歩いて鍛えようと頑張っていたのですが、昨年は逆に足を痛めて入院してしまいました。過ぎたるは及ばざるがごとしですね。
投稿: yoko | 2016年3月 9日 (水) 07時56分
三橋美智也さん、私の高校時代に多くのヒット曲を出しました。アルバイトをしてレコードも何枚か買いました。
今でも毎日CDの三橋さんと一緒に哀愁列車やりんご村からを歌っております。毎日です。
投稿: 高橋 | 2017年2月 5日 (日) 21時03分
最高です。
投稿: 信介 | 2018年2月15日 (木) 23時45分
三橋美智也さんの「哀愁列車」春日八郎さんの「赤いランプの終列」島倉千代子さんの「この世の花」は心に残る歌謡曲のベストスリーです。その当時の好きな歌手のベストスリーとなり次、次と出るヒット曲に聞きほれたものです。
その割に哀愁列車の歌詞は「惚れて惚れて」しか記憶にありませんでした。もちろん小学生の私に「惚れての」の意味もよく分かりませんでした。ましてや「燃えて過ごした~」は記憶にも残らなかった程に理解の範疇を超えていました。紅孔雀改め越村さまのコメントで今更ながらに意識したほどです。
さてyoko 様 大変な目に遭われたのですね。
お母様の心情察するに余りあります。
足と手の相違はありますが、野口英世の母を連想致しました。おみ足ご自愛ください。
投稿: りんご | 2018年2月16日 (金) 08時33分
良いですねぇ~。
三橋美智也さんや島倉千代子さんの高音の透き通る歌声は・・・
何度も聴いています。
リンゴ様
お気遣いありがとうございます。
寒くて風邪もひいてしまい1~2月は冬眠状態でした。
温かくなってきましたね。もうすぐ春ですね。
そろそろ活動しなくては・・・
投稿: yoko | 2018年2月16日 (金) 16時22分
横井弘作詞・鎌多俊与作曲、三橋美智也歌唱と相まって、「赤いランプの終列車」と並ぶ“列車歌謡曲”の代表曲です。昔は「〽落とす涙の哀愁列車」・・・今は美人アテンダント嬢と美人車内販売嬢がいる観光特急おもてなし列車が人気です(北関東在住のため乗ったことはないですが)。
sshibanさん提供「近鉄おもてなし列車」
http://www.youtube.com/watch?v=hCaze3Z0L4A
投稿: 焼酎 | 2018年6月16日 (土) 07時06分
焼酎さま
おはようございます。「哀愁列車」ありがとうございます。
久しぶりに三橋美智也の歌声が聴きたくなりました。YouTubeで「哀愁列車 三橋美智也」を開きました。良い声でしね。惚れ惚れします。リピートして聴きました。白黒映像で蒸気機関車の勇姿ふた場面、鉄道ファンにはたまらない映像でしょうね。
投稿: konoha | 2018年6月16日 (土) 07時44分
続投をお許しください。
しばらく三橋美智也の歌声を楽しんで、再び二木楽団の演奏を聴きました。いいですね!まさに哀愁漂う演奏です。チャッチャ、チャッチャとブラシ(?)が入る音、良いですね。ありがとうございます。
投稿: konoha | 2018年6月16日 (土) 07時57分
今日は日がな一日、三橋美智也でした。YouTubeはありがたいですね。「夕焼けトンビ」などいろいろな歌を聴きました。昔、歌謡曲はあまり聴かなかったのですが、三橋美智也だけはラジオやテレビで流れてくると必ず聴いていました。
「津軽あいや節」、「津軽じょんがら節」、「島原地方の子守唄」など哀調の高い民謡は三橋美智也の哀調帯びた高音にぴったりですね。「越中五箇山こきりこ節」も歌っているかなと思ったのですが、ありませんでした。聴いてみたかったですね。
焼酎さま今日はありがとうございました。
投稿: konoha | 2018年6月16日 (土) 20時53分
konoha様 “列車歌謡”「赤いランプの終列車」と双璧を成す「哀愁列車」投稿に感謝して頂き恐縮です。
作曲の鎌多俊与(本名釜田俊雄、芸名近衛八郎)は、林伊佐緒と同じく歌手/作曲家の二足の草鞋でした(Wikipedia)。三橋美智也は二木先生解説(立川談志・談)の通り歌一筋なら国民的歌手でした。うちのカミさんも同じ感想です。
投稿: 焼酎 | 2018年6月16日 (土) 22時45分
「哀愁列車」私が3才の頃に流行ったこの唄ですが、後年聞いた母の話によれば、未だ口もろくに回らない幼い私が、「~未練心につまずいて 落とす涙の哀愁列車~」と歌っていたので笑えたそうです!
いずれにしても如何に当時の三橋美智也が国民的歌手だったのかが想像できます。
また、「夕焼けとんび」や「リンゴ村から」もよく歌っていたよ!と話してくれたことがあります。どうやら当時の私は童謡よりも流行歌が好きだったようです。それにラジオから流れる唄も流行歌がほとんどだったような憶えがあります。
先日、日頃大変お世話になった78才になられる、知人の方が跡継ぎがいないとのことで、会計事務所を畳まれました。それで私たち有志が集まり、近所の温泉で一泊の慰労会をしたのですが、その宴会の席で大の三橋美智也ファンのその方が「哀愁列車」を歌われました。その方は高校を卒業し一旗あげるため青森から愛知にきたが、この唄を歌うと故郷を出る時、駅に見送りに来て泣いていた、幼馴染みの娘さんのことを、どうしても想い出してしまうとしんみりと話されました。
また三橋美智也の唄なら知らない曲はないと豪語されておられました。ほろ酔い気分になった私も「おんな船頭唄」を歌ったところ、その方は一番若いあんたが三橋美智也の唄を歌ってくれて嬉しいととても喜んで下さいました。
それにしても、二木先生が演奏する「哀愁列車」のメロディは何度聴いても堪らなく良いですね!
投稿: 芳勝 | 2019年2月 8日 (金) 16時44分
三橋美智也の、高音部の歌声に惚れ込んでいた作曲家の鎌多俊与は、なら
ばと、この『哀愁列車』の唄い出し初っ端に、最も高い音を使ってメロディ
を作ることに決めたのだそうです。(だいぶ前のNHK『ラジオ深夜便』での
担当アナの話)
確かに、三橋美智也の歌唱力なればこそ出来ることかもしれません。
この『哀愁列車』が大ヒットしたので、翌年の58年に横井・鎌多コンビは、高い音の唄い出しの作品『おいら炭坑夫』♪おいら〜はなぁ〜 生まれながらの炭坑夫〜♪を作ります。 私はこの『おいら炭坑夫』が大好きでした。 夏祭りの会場に、幾度も流れていたのを懐かしく思い出します。 まだ石炭が『黒いダイヤ』であった頃の歌ですね。
投稿: かせい | 2019年2月 8日 (金) 22時32分
「少年の秋」2018.6.25konohaコメント、「三橋美智也の声はどうしてこんなに心に響いてくるのか、また民謡がこれほどまでに親しみ易く身近に感じられるのは何故か、そして例えば「達者でな」、「夕焼けとんび」ほか沢山の持ち歌が民謡になって聴こえてくるのは何故か、そこが知りたくて三橋美智也漬けになっています。」と載せています。
当時、図書館から『民謡風土記』、『日本民謡大辞典」他、おまけに当時の世相が知りたく昭和29年から38年までの経済企画庁が出した『年次経済報告書』そしてパソコンによる検索などと共に三橋美智也の歌を朝から晩まで聴いていました。結果、私が知りたいことは分かりませんでした。もっと他の調べ方があったかもしれませんが、お手上げで中断したままでそれっきりでした。ーーー ところが7/12「少年の秋」芳勝様のコメントがあり自分のコメントも再読しました。そこで再びyou tubeで三橋美智也を検索しました。
ありました。ーーー 「崇拝している東海林太郎先生の唱法に民謡の心を入れました」ーーー これです。私が知りたかった事を三橋美智也自身で語っていました。
三橋美智也の追悼ビデオ
https://www.youtube.com/watch?v=L6wuqzSG4cw
上記の中に知りたかった事が入っていました。初めて歌謡曲を歌ったのが「酒の苦さよ」です。これは「新相馬節」をアレンジしたもので、民謡の旋律を借りてそのまま歌詞を変えて流行歌を歌うというものでした。翌30年「おんな船頭唄」を歌い空前の大ヒットになりました。
また、軽快な曲はb音で歌ったとのこと、四角いb音はシャープのことで、その説明は次のアクセスです。b音の説明 https://www.suganami.com/info/44155
三橋美智也は民謡と歌謡曲の歌い方で違うところがあるとし、大塚文雄の歌を聴いた三橋美智也は一つ直せばと言っていましたが、秘訣を教えてくれなかったと語っています。ご存知のように「一子相伝」があります。歌手生活から事業に手を出してしまった三橋美智也でしたが、これぞと思われる後輩にその秘訣を伝授して欲しかったと思いました。三橋美智也はオーケストラ伴奏で全国の民謡を手がけたそうです。
さんさ時雨(作詞/作曲不明) 民謡です。
https://www.youtube.com/watch?v=Rz8zh2r4Wgk
新さんさ時雨(作詞苅田仁 作曲武田忠一郎 編曲飯田三郎)
https://www.youtube.com/watch?v=4EYv4qFVRCY
聴き比べてみてくださればと思います。
俺ら炭鉱夫(まさに民謡歌謡ですね)
https://www.youtube.com/watch?v=7jdBfoZ_qsM
ついでながら春日八郎の持ち歌「山の吊橋」を追悼ビデオの中で三橋美智也が歌っています。思うにきっとこの歌を自身で歌いたかったのでしょうね。長くなってしまいましたが、三橋美智也つながりでご容赦ください。
投稿: konoha | 2020年7月16日 (木) 16時26分
今週、久しぶりに懐メロ番組で三橋美智也さんの「哀愁列車」を聴きました。それほど若くはない頃の収録だったと思いますがツーンと頭に響く高音はさすがでした。
私の若い頃の曲なので好きだったのですが一番の出だし「惚れーて 惚れーて」を人前で中々歌えなかったものでした。それなのに歌詞すべて覚えてしまっているのは、昭和歌謡そのものの横井弘の詩に起因するものでしょうか。昭和の名歌だと思います。
昭和歌謡には「哀愁・・」という題名が目立つ気がします。「哀愁日記」「哀愁の夜」「哀愁の街に霧が降る」「哀愁の高山」「哀愁波止場」「哀愁出船」「哀愁のカラマツ林」 みんななんとなく、寂しげな歌ですが私の好きな曲でよく口ずさみます。
投稿: 伊勢の茜雲 | 2023年3月18日 (土) 08時38分
「哀愁列車」三橋美智也のこの曲がラジオから流れてくると、当時まだ三歳だった私も一緒になってこの唄を口遊んでいたと、生前の母が話してくれたことを想い出します!
konoha様が、2020年7月16日にアップロードして下さっている、『三橋美智也・追悼ビデオ』1時間34分50秒の動画を今日は久しぶりにじっくりと堪能させていただきました。この一本の動画はやはり私にとっては感慨深いものがありました。そして、そこに収録されている名場面の数々は感動の連続でした。司会の玉置宏をはじめ、ゲストで出演した、二葉百合子・大津美子・ペギー葉山・大塚文雄・大月みやこ・この方たちの三橋美智也との絆の深さを感じさせる貴重な想い出話には強く胸を打たれるものがありました。また、三橋美智也が歌う東海林太郎の「名月赤城山」の歌唱シーンは、この唄が大好きな私にとっては格別な感がありました。そしてこの番組の最後の局面では、五十周年記念曲「幻灯の町」の歌声とともに、そこにはふっくらとした顔をした元気なころの三橋美智也の精悍な姿が写し出されますが、そのVTRの映像を観ていると、やはり私の胸にはふと幼いころの想い出とともに、三橋美智也への強い歌愛が溢れてきてしまい私は思わず目頭が熱くなりました。
「おんな船頭唄」「リンゴ村から」「哀愁列車」「母恋吹雪」「古城」など、好きな歌を数えたらきりがありませんが、物心ついたころから私の耳に馴染んできた三橋美智也の究極とも思えるその天性な歌声は、長年が経った今でも私の心の奥底に焼き付いたまま離れることはありません。昭和三十年代の歌謡界を思う時、三橋美智也はまさに偉大な歌手だったと私には心から思えてきます。
思えば私が物心ついたころは三橋美智也の絶頂期でした。そして私が三歳のころ、一番から三番までを間違わずに歌えた唄は三橋美智也の「リンゴ村から」で、家族の皆も驚いたと母が言っていた記憶があります。
投稿: 芳勝 | 2023年3月18日 (土) 17時13分