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2007年8月23日 (木)

逢いたくて逢いたくて

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:岩谷時子、作曲:宮川泰、唄:園まり

1 愛した人はあなただけ
  わかっているのに
  心の糸がむすべない ふたりは恋人
  すきなのよ すきなのよ
  くちづけをして ほしかったのだけど
  せつなくて 涙がでてきちゃう

2 愛の言葉も知らないで
  さよならした人
  たった一人のなつかしい 私の恋人
  耳もとで 耳もとで
  大好きと 言いたかったのだけど
  はずかしくて 笑っていたあたし

3 愛されたいとくちびるに
  指を噛みながら
  眠った夜の夢にいる こころの恋人
  逢いたくて 逢いたくて
  星空に 呼んでみるのだけど
  淋しくて 死にたくなっちゃうわ

《蛇足》 昭和40年(1965)

 このころ、園まり(写真)は可憐な容姿に艶っぽい声で、多くのファンを惹きつけました。
 中尾ミエ・伊東ゆかりとともに渡辺プロの三人娘として売り出しました。3人のなかではいちばん年上でしたが、おとなしい性格だったようです。

 昔知り合った芸能ライターが、楽屋で中尾ミエと伊東ゆかりがキャアキャア騒いだり、ケンカしたりしている脇で、園まりは静かに編み物をしたり、本を読んだりしていることが多かった、といっていたのを思い出しました

(二木紘三)

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コメント

It's so romatic song by Sono Mari on 1966. It always bring me back the old fasioned memory.

Thanks again.

投稿: Akihito | 2008年12月11日 (木) 08時01分

中尾ミエ、伊藤ゆかり、園まりが渡辺プロから「三人娘」で売り出されましたが、当時、私は園まりだけが演歌っぽいのに、なぜ?と思いました。まりちゃんは若いのにねっとりとした歌い方で色っぽいので、よけいそう思いました。

でも、伊藤ゆかりも本人の性格は目立つのが嫌いで、おとなしい人だったらしいし、中尾ミエは本当はポップスはいやで本格的なジャズシンガーになりたかったらしいですね。人間、見かけだけではわからないようですね。

投稿: 藤村大蔵 | 2009年6月29日 (月) 23時07分

1900万アクセスおめでとうございます!歌を歌うことから離れていたのですが、この歌は思い出の曲なので、歌ってしまいました。今から40年以上も前の20代のとき、男性に人気があった園まりを、女の私が好きだったのは、私は変わっているのか?と思ったほどでした。

今はi podに園まりの曲を数曲入れて聴いています。「何も言わないで」も良いですね!

投稿: 摂チャン | 2010年5月10日 (月) 19時52分

二木様のページを初めて開いた時、ア行でこの曲を見つけました。丁度長男が生まれた年でした。
その子供が現在では45才そしてその子が23才と21才早いもので小生は76才になってしまいました。
二木さまもお元気でお過ごし下さい。

投稿: 高森宗光 | 2011年1月12日 (水) 11時30分

二木様の投稿曲を拝見して初めてこの曲を発見した次第です。園まりの若い年に似あわずなかなか大人びた容姿又、妖艶な声と相まってそれ以来ファンになりました。伊東ゆかりもなかなかポピュラー等を沢山歌ってますね。
この両者は当時はなかなか得がたい歌手だと思いました、

投稿: 高森宗光 | 2013年3月12日 (火) 18時47分

 「学生時代」そう言っていいのでしょうか。あまり勉強や研究をしないで、ダンスホールに行ったりしていた軟弱な学生でした。そのころ一番安いのがダンスでたしか100円前後で午後の時間が過ごせたのです。
 この歌もかかっていました。たしか「ルンバ」のステップにあっていたようです。今ではもう忘れたのですが、マンブ、ブルース、ルンバ、ここまではなんとかしましたが、後は卒業して行かなかったのでダメでした。
 

投稿: 今でも青春 | 2014年10月29日 (水) 20時16分

>男性に人気があった園まりを、女の私が好きだったのは、私は変わっているのか?と言われる摂ちゃんさん、
私もいつもは「男好きのする」と言われる女性より中性的とかボーイッシュな女性が好きですが、園まりだけは何故でしょう、好きです。(私は女です)

投稿: Bianca | 2014年10月30日 (木) 13時15分

二木先生は「・・園まりは静かに編み物をしたり、本を読んだりしていることが多かった、といっていたのを思い出しました」と解説されています。

20台の後半、私は見合い写真をみて園まりに似ていると思いました。お会いしてみると「静かで本を読んだり小さな子供と歌ったりするのが好きで地味で家庭的な優しい女性でした。」私は福知山で勤め、彼女は東京で勤めていましたので土曜日の夜行寝台列車で上京し日曜日朝東京でデートしました。そして日曜日の夕方に夜行寝台列車で福知山に帰っていました。

その女性の数人の友達から「あの人は私達女性が大切にしている女性です。貴方が彼女を幸せにできないなら結婚させない」と何度も言われました。

・・あれから46年、お金の貧乏はしていますが 彼女の笑顔に支えられ心のしあわせ貯金ができました。

投稿: けん | 2017年1月30日 (月) 22時48分

  「逢いたくて逢いたくて」は、私が社会人3年生のころ流行った歌で、愛唱歌の一つです。
  何しろ、メロディが長調で明るく美しく、出だしの♪愛した人はあなただけ…♪の部分が、すーっと口に出て、歌いやすいこと、この上なしです。
  また、私が男性だからでしょうか、園まりさんの甘ったるく感じる歌声はとても心地よく、たまりません。

投稿: yasushi | 2018年1月 4日 (木) 15時17分

前回の投稿から、早くも約1年半が経過しました。
今も、ときどき、自前の音源(マイ・ジュークボックス)から、「逢いたくて逢いたくて」を聴いて、園まりさんの心地よい歌声に浸っております。

さて、歌詞を眺めて、思い巡らせますと、
歌詞1番では、現在進行中の乙女の恋。好きなのに、まだ、くちづけをして貰っていない乙女心の切なさが心に響きます。
歌詞2番では、恋の終わり。”大好き”と言いたかったのだけれど、言えずに、笑ってごまかして、別れてしまった乙女心の悲しさが滲みでています。
歌詞3番では、時が経ち、夢に出てくる恋人。夢が覚めて、淋しさを噛みしめている乙女の姿が浮かび上がります。

ついでながら、この度、何気なく、「逢いたくて逢いたくて」を、ネットで調べましたところ、Wikipediaに、”原曲は、ザ・ピーナッツの「手編みの靴下」(1962年)で、作詞者の岩谷時子が新しい歌詞をつけたリメイク版であるが、その「手編みの靴下」は「港が見える丘」」(作詞・作曲:東辰三)がベースとなっている。(主旨)” と、ありました。
1962年と言えば、私は社会人1年生。「手編みの靴下」は、その年に出た歌とのことですが、何故か、今の今まで、この歌は知りませんでした。
早速、「手編みの靴下」をYouTubeで聴いてみました。確かに、メロディは、「逢いたくて逢いたくて」と同じでした。新たな発見でした。
はて、ベースとなっている「港が見える丘」とは、どういう繋がりなのだろうか?と、私なりに思い巡らせたところ、「港が見える丘」の前奏の出だしの部分、”ラーラ、ラーラ、ララー(ラ)”と、「手編みの靴下」の歌い出しの部分、♪小さな夢(を)♪の部分が同じメロディであると気づき、納得している次第です。

投稿: yasushi | 2019年6月19日 (水) 13時36分

園まりさんの歌といえば、すぐに『逢いたくて逢いたくて』を思い浮かべます。彼女の甘い歌声が、美しいメロディと相まって、心地よい世界に誘ってくれます。

今日の夕刊に、園まりさんが80歳で亡くなられたとの訃報が載っていました。
ご冥福をお祈りし、感謝の気持ちを捧げたいと思います。

投稿: yasushi | 2024年8月 1日 (木) 17時22分

子供の頃耳にしていたのですが
ピンときてませんでした。それから10年後、そしてまた10年かけてこの歌詞のようになっていったことも今日のまりさんの天国への旅立ちをきっかけに気づかされました。当時のことを手にとるように思い出します。
ずっ―とそうだった自分がいます。3番の「逢いたくて、逢いたくて・・」の歌い方に切なさを感じます。

投稿: junko | 2024年8月 1日 (木) 19時12分

園まりさんのご冥福をお祈り申し上げます。
 可憐な容姿に艶っぽい声、3人の中では大人しかった
            園まりさんのファンでした。

「園まりさんは静かに編み物をしたり、本を読んだり
していることが多かった」にも魅かれ・・。
園まりさんみたいな方との出逢いがあれば・・と
         夢見ていたのは、50数年前でした。 

投稿: けん | 2024年8月 2日 (金) 07時53分

「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」「帰りたくないの」「何でもないわ」「夜があるかぎり」「大阪の女」「何も云わないで」「愛情」「好きなの好きなの」「やさしい雨」「つれてって」「愛は惜しみなく」私が32年前に購入したCDアルバムにはこの12曲が収録されています!

先日何気に閲覧していたネット上に突然告知された園まりさんの訃報を知った時は本当にショックでした。
昨日は久しぶりにそのアルバムを取り出しては園まりさんの全盛時代の歌声をじっくりと聴きながら自分の幼少時代を懐かしみました。
今でも鮮明に記憶に残っているのは、まだ我が家にテレビがなかった昭和39年ごろのラジオリクエスト番組で流れてきた園まりさんの「何も云わないで」という曲ですが、初めて聴いたにもかかわらず、その艶やかな歌声は不思議と幼かった私の心を揺さぶりました。

ちょうどこの曲がヒットしているころの我が家にはようやく待望のテレビが届きました。そして、そのころのテレビ歌番組で私が最も耳にしたのがこの歌で、まさに園まりさんの全盛期でした。
上に記載されている写真のように、しとやかさが溢れる園まりさんの素敵なその姿に仄かな憧れを抱きながら、テレビの前にかじりついていた幼いころの自分を今も想い出します。

晩年は病魔と闘っておられた園まりさん、どうか安らかにお眠りください。心より感謝を込めて!

投稿: 芳勝 | 2024年8月 3日 (土) 15時45分

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