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2007年8月27日 (月)

私鉄沿線

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:山上路夫、作曲:佐藤寛、唄:野口五郎

1 改札口で君のこと
  いつも待ったものでした
  電車の中から降りて来る
  君を探すのが好きでした
  悲しみに心とざしていたら
  花屋の花もかわりました
  ぼくの街でもう一度だけ
  熱いコーヒー飲みませんか
  あの店で聞かれました
  君はどうしているのかと

2 伝言板に君のこと
  ぼくは書いて帰ります
  想い出たずね もしかして
  君がこの街に来るようで
  ぽくたちの愛は終りでしょうか
  季節もいつかかわりました
  ぼくの部屋をたずねてきては
  いつも掃除をしてた君よ
  このぼくもわかりません
  君はどうしているのでしょう

  買物の人でにぎわう街に
  もうじき灯りともるでしょう
  ぼくは今日も人波さけて
  帰るだけです ひとりだけで
  この街を越せないまま
  君の帰りを待ってます

《蛇足》 昭和50年(1975)のヒット曲。『池上線』の男性版といった感じです。

 私鉄沿線と聞くと、学生時代に住んだ西武池袋線の練馬駅近辺や、西武新宿線の新井薬師界隈を思い出します。駅付近の光景ともに、そのころのさまざまな出来事が連鎖状に甦ってきます。

 新井薬師のほうは、10数年前、仕事で近くまで行ったついでにセンチメンタルジャーニーしてきましたが、練馬のほうは大学卒業以降、一度も行っていません。だいぶ様子が変わったという話ですが。

(二木紘三)

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コメント

この曲を聴くと、昭和41年から4年間 西武新宿線花小金井駅から、
徒歩13分強の場所での学生アパート時代を思い浮かべます。
(なお歌は、5年後に流行したものですが)
最初、花小金井とはしゃれた地名と感心した。

当時から新興住宅は増えていたが、畑作・植木・果樹等の農家も多く見受けられた。
畑の潅漑用水路には水も勢いよく流れており、ここが東京かと驚いた。

昨年秋、約37年ぶりに妻子共々と再訪した。素朴な木造平屋の駅は鉄筋構造に、
周辺は高中層マンション・現代風の商業施設が出来、大変身で今浦島太郎の気分。

元アパート付近も新築・塀・フエンス・立派な植木等がなされ近寄り難い雰囲気です。
防犯センサーやカメラらしきものも有り、長く見ていると不審者と勘違いされては?
と思い急ぎ足で廻り早々に駅方面に戻りました。
干上がってはいたが、用水路は健在だったのでほっとした。
(上述の潅漑用水路は、小川用水の分流のようです)

投稿: 道雄 | 2008年5月 6日 (火) 10時28分

愛し合った二人に別れが見えてくると、花屋の花が変わったとか、季節の変わり目を貴方の心で知るとか。綺麗に終わらせるには季節や花に助けを求めるのですね。

投稿: M.U | 2008年6月15日 (日) 07時39分

「伝言板に君のことぼくは書いて帰ります」・・・・
携帯電話が普及した今日、「伝言板に書いて帰る」こと自体わからない人も増えているでしょう。したがって、その気持ちを理解できる年齢層も中高年以上でしょう。「公衆電話」も死語に近い。電話のパーソナル化が、かつての通信文化を劇的に変えた。技術が文明を変えるのは当然だが、文化まで変える。しかも、一世代の間に・・・相手の顔を見ながら話せる時代だからその内に通訳付きになるかも・・・・・・・私からみれば伝言板がつい最近の事のように思えるのですが。そんなに月日が流れましたか、それとも技術革新が速過ぎるのでしょうか。あるいはリタイアした人間のノスタルジーか。」
 

投稿: 海道 | 2012年8月 1日 (水) 08時03分

彼は彼女のことを冷たくあしらっていたわけではなく
彼は彼女が電車から降りてくるのをいつも待っていて
彼女を探すのが好きだった

彼と彼女は彼の街でコーヒーをよく飲んでいて
周囲からも公認の仲だった
そうでもなければ彼女はどうしているのかと聞かれない

彼女は彼の部屋をたずねてはいつも彼の部屋の掃除をしていた
仲が良かった彼と彼女なのに

彼女はなぜ彼の前から姿を消したのか?
彼にもわからない

どうして彼女が彼の前からいなくなったのかは
最後の一行にヒントがありそう

「君の帰りを待ってます」

え?

僕の街でコーヒーを飲みませんか?
僕の部屋をたずねては掃除をしていたのですよね?
もしかすると彼女は彼の街をたずねて伝言板を見るかもしれないのですよね?

それなら彼の街はあくまで彼の街であり彼女の街ではないはず
彼女の街は彼女の街で別な場所に存在していて彼女の部屋もあるはず・・・
彼女は彼をたずねて来たのであって、彼女の帰るところは彼のところではないはず

なのに、どうして帰りを待つの?
たずねて来るのを待つのではないの?

「君がたずねて来るのを待ってます」なら分かるけど
なぜ、いつの間にか彼女の帰るところが彼の街や部屋になってしまうの?
どうして彼女が帰るところが彼のところになっているの?

この辺りの彼の傲慢さに彼女はついて行けなくなったのかもしれない

いずれにしろ、何も言わずに彼の前から姿を消した彼女
まぼろしのような女性なのかもしれない

投稿: ケン | 2013年1月 1日 (火) 11時51分

もう還暦に手が届きそうな歳になりました。
西武池袋線沿線に住む彼女に夢中になった学生時代、池袋駅改札横に伝言板があって、何回か利用したことを思い出しました。
もちろん携帯電話もない時代、当時は伝言板のメッセージだけが待ち合わせに失敗した二人を再び出会わせてくれた唯一の手段でした。
自分の身勝手から別れることになって30数年、(彼女の記憶の中から消し去られているかも知れない自分なのに)今彼女は幸せに暮らしているんだろうか、などと時折考えてしまいますが、彼女にとっては余計なお世話なんでしょうね。(自嘲笑)

投稿: 流星 | 2013年1月 2日 (水) 07時08分

この歌のヒットした頃は、長男が小3で次男が幼稚園の年長の頃でした。私鉄沿線といってもローカルな路線ですが、この駅から通勤をしていました。勤務が銀行ということもあり、数多くの転勤を経験しましたが、妻には車で送迎をしてもらいました。迎えの時は必ず、妻と二人の子供が同乗するのが恒例でした。仕事の疲れも車のなかの家族の笑顔で総て解消された記憶があります。恋人との切ない恋愛の歌ですが、何故かこの歌を聴くとこの当時が思い出されます。
二人の子供たちも独立し、アラフォー・アラサーとなりました。

投稿: タケオ | 2015年5月11日 (月) 19時29分

「今、着きました。改札口で待っています」という電話を貰って駅に駆け付け、遠くからグレイのスーツを着た青年になった彼を見つけた時が,私の人生で一番嬉しかった瞬間ではなかったかと55年経った今思います。
彼を見つけた時のあの一瞬は何にも代えがたい時間でした。私の中では止まったままの大切な時間です。改札口を見るたびに青春の切なさが甦ります。

投稿: ハコベの花 | 2017年3月 6日 (月) 22時10分

皆様のお話を拝見していますと、いいなぁと羨ましく思います。私には学生時代、サラリーマン時代を通じてそのような経験はありませんでした。

曲とは関係ないのですが、高校時代の学年マラソン大会を思い出しました。学校から峠を越えて往復20Kmのコースでした。大勢は2時間前後で完走したのだと思います。私は最後尾のグループで3時間くらいかかったのかなぁ、と思いだします。

ゴールに近づくと数人の女生徒が到着する男子生徒を迎えてパチパチと拍手していました。私は、こんなどん尻の俺に拍手なんてするな、と苦々しく思っていました。それよりもなによりも頭をよぎっていたのは、”彼女(りっちゃん)がいないと良いけど”、という気持ちです。

りっちゃんとは私の家の近所に住んでいる同学年の女の子です。りっちゃんにはとにかくこんな僕の姿を見られたくなかったのです。ゴールで彼女がいないことを確認できてホットしました。

あれから50年たちました、いまさらですが、この曲のように駅の改札口で彼女と待ち合わせることなどできたらいいなぁ、駅前の喫茶店で話ができたらいいなぁ、と思ったりします。ファンタジーですね。

投稿: yoko | 2017年3月 9日 (木) 00時29分

yoko様
 男の方はスポーツが出来ると女性にもてると思い込んで居られる人が多いようですが、それは勘違いです。自分の好みにあう雰囲気を持っている人が良いのです。私ならスポーツ万能の人より静かで考え深い人のほうが好きです。
そして年を取っているから魅力がないと思わないで下さい、大半の女性は知的な好奇心を持っている人が好きです。会話が詰まらない人は嫌われます。意固地で頑固な人も嫌われます。素敵な女性と巡り合い、楽しい会話を弾ませて下さい。もうすぐ春です。青春は亡くなるまで続きます。

投稿: ハコベの花 | 2017年3月 9日 (木) 14時35分

懐かしい歌です。40年は昔のことになります。

当時わたしは東横線の祐天寺駅の近くに住んでいました。勤め先まで乗り換え一回、30分で通えるために選んだ借家でした。彼女は横浜に住んでいて、週末になるとわたしの家に来るというようなつき合いが3年ぐらい続いたと記憶しています。

横浜駅で「今から電車に乗ります」という電話をくれるので、いつも駅まで迎えに行きました。祐天寺は高架の駅ですので、改札口まで階段を降りてくるわけです。そのときの彼女は、文字通り脱兎の勢いで駆け下りてくるのです。転んだりしないかとハラハラして見ていたものです。今思うと、若さの持つエネルギーですね。

改札口で彼女を待っているときにはたいていこの歌が頭のなかで流れていました。ですから、この歌自体は失恋の歌ですが、わたしには幸せな思い出と重なっています。

投稿: 舟人 | 2017年12月31日 (日) 09時36分

舟人様
幸せな思い出ですね。
その後の家庭生活も、きっと温かいものだったろうと拝察します。

投稿: 五鉄 | 2017年12月31日 (日) 17時57分

「あの店で聞かれました 君はどうしているのかと」お似合いのカップルだったことが切ないです。自分の昔住んだ私鉄沿線、友人とその彼女の良い日々や別れを思い出し、私鉄沿線には若い人達のかなわなかった夢が埋まっているように思えてきます。野口五郎さんの同じく山上路夫さん作詞の「甘い生活」の「壁の傷はここにベッドを入れた時につけたもの」も別れが切なくて、叙情的な歌を野口五郎さんが歌う様子を素敵だと思います。野口五郎さんはお人柄も素敵と感じます。歌いながらあちらを指したらあちらの女の子が倒れこちらを指したらこちらの女の子が倒れ、まずかった、と若い頃を回顧なさるユーモアが素敵でした。親友の西城秀樹さんが亡くなった時の心のこもった弔辞に感動いたしました。

投稿: kazu | 2022年1月 4日 (火) 12時06分

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