« 月見草の花 | トップページ | 赤い夕陽の故郷 »

2007年8月16日 (木)

妻恋(つまこい)道中

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:藤田まさと、作曲:阿部武雄、唄:上原 敏

1 好いた女房に三下り半を
  投げて長脇差(ながどす) 永(なが)の旅
  怨むまいぞえ 俺らのことは
  またの浮世で逢うまでは

2 惚れていながら惚れないそぶり
  それがやくざの恋とやら
  二度と添うまい 街道がらす
  阿呆阿呆で 旅ぐらし

3 泣いてなるかと心に誓や
  誓う矢先にまたほろり
  馬鹿を承知の俺等の胸を
  何故に泣かすか 今朝の風

《蛇足》 昭和12年(1937)4月にポリドールからリリース。発売直後から大ヒットし、同年5月27日公開の日活京都撮影所作品『妻恋道中』の主題歌として使用されました。

 藤田まさとのヒット作には、『旅笠道中』『流転』『大利根月夜』といった股旅・道中物が多く、ほかに『明治一代女』、軍国歌謡の『麦と兵隊』、引揚船から降り立つ我が子を待ち続ける母の姿を歌った『岸壁の母』などがあります。

 上原敏(写真)は秋田出身で、専修大学の野球部のエースを務めました。その後、製薬会社勤務を経て、藤田まさとの推薦で昭和11年(1936)に歌手デビュー。『妻恋道中』25万枚の大ヒットを皮切りに、『流転』『裏町人生』『上海だより』とヒットを連発しました。
 歌手として最盛期だった
昭和18年(1943)に出征し、翌年、ニューギニアで戦病死しました。

(二木紘三)

« 月見草の花 | トップページ | 赤い夕陽の故郷 »

コメント

 (少し戯画的に)当世離婚事情によりますと、妻の方は意外とサバサバ、「あなた別れましょ ! 」とある日突然三行り半を突きつけてくるケースも多いようです。それに対して夫たる者、「オレを捨てないでくれぇーッ」とばかりに未練たらたら…。
 しかし遠い昔の男たちは、今とは精神構造が違っていたのでしょうか?この歌は大いに違っていたことを示しています。
   惚れていながら惚れないそぶり
   それがやくざの恋とやら
   二度と添うまい 街道がらす
 「やせ我慢の美学極まれり」という感じなのです。この歌が発表された昭和12年は、7月7日盧溝橋事件が勃発、直後に大陸出兵と東亜の天地が風雲急を告げつつあった年。映画もこの歌も股旅物にかこつけて、出征していく兵士たちに対する「妻子に未練を残さず、心おきなく戦場に赴けよ」という、暗黙のメッセージが込められていたのでしょうか?
 仮にそうだったとしても、この歌、本当にジーンとさせられます。

投稿: Lemuria | 2009年9月10日 (木) 00時21分

戦後色強い昭和20~30年ごろは各地で素人芝居がおお流行りで郷土の慰安でもありました。
顔見知りの人が出演すると祝儀が贈られました。
賑やかな一コマです。その時必ず妻恋道中がかかっていました。
幕間も長くレコードばかり聞かされても皆待っていました。懐かしく思います。

投稿: haruo | 2009年10月14日 (水) 17時34分

私は以前より二木様の本欄をつとに愛読・拝見させて頂いているおります。二木様には心より御礼を申し上げます。
さて本日当欄に投稿させて頂くことになったのは、昨日(平成28年8月22日(月))の読売新聞朝刊に
上原敏さんの記事が出ていました。(台風9号の日でしたね)
むさぼるようにこの記事を読みました。写真付きです。
以下にその記事の内容一部を載せます。

「1930年代に 妻恋道中 などのヒット曲を飛ばしながら戦地のニューギニアで
亡くなった歌手 上原敏(1908-44)の戦地での姿を写した写真が残されていた。米兵が戦場で拾い、
その家族が保管してきたものを
、上原の長女が確認した。
 上原は36年にデビュー。端正な声と気品ある顔立ちで
人気を集めた。43年に召集されて陸軍に入隊し、ニューギニア戦の際に35歳で亡くなった。
 今回確認された写真は3枚。軍服姿の上原が仲間の兵士
と笑顔を見せる2枚と、一人で遠くを見つめている1枚。」

記事はまだ続きがありますが、以下は省略します。
興味のある方は読売新聞でご確認ください。

才能ある人気歌手が戦争で若い命を落とすとは、いまさらながら悲しいことです。

本欄の 上原敏 の写真を見てもいかにも人懐っこい優しそうな顔ですね。本当に惜しい人を亡くしましたね。

この記事のなかで上原敏の娘さん(78)のことばがあります。「戦場は凄惨だったでしょうが。
こういう笑顔の瞬間もあったのかと思うと、うれしいです」と。

いつの時代も戦争はよろしくないですね。

投稿: 岩野 直弘 | 2016年8月23日 (火) 15時02分

日頃、「二木紘三のうた物語」を閲覧させて頂き、有難うございます。二木紘三様の歌に対する深い造詣と投稿者の方々のさまざまな思いに、同感したり、新たな発見に出会ったり、昔に帰ったりしております。
 昭和12年生まれの私にとって、「妻恋道中」は、言わば、同年兵であり、ことさら親しみを感じる、好きな歌です。股旅ものの傑作の一つと思います。生意気ながら、子供の頃に覚えたと記憶します。
 魅力あるメロディで、上原 敏さんの調子よく伸びやかな、明るい歌声が、聴くたびに元気を与えてくれるように思います。同じ年の少し後に出された「裏町人生」(島田磐也 作詞、阿部武雄 作曲、上原敏・結城道子 唄 S12)もいい歌ですね。

投稿: yasushi | 2017年2月20日 (月) 14時41分

先日、往年の東映オールスター映画「清水次郎長伝」
(清水次郎長、演片岡千恵蔵)に大川橋蔵扮する吉良の仁吉
が出ており、その時、この歌を思い起こしました。
三州吉良横須賀で没落武士の子として生まれた仁吉は
あることから、次郎長と兄弟の盃を交わし、世に言う
「荒神山の血闘」で闘争に勝ながら、鉄砲で撃たれ命を
落とします。享年28。この時、お菊という妻を娶って
いたのですが、この喧嘩のためにお菊を離縁したと
されます。このようなことから、この歌のモデルは
「吉良の仁吉」ではないでしょうか。義理に厚く若くして
義理に斃れた仁吉は後世、人情物の講談、演劇、映画、
歌謡曲などの題材として、よく取り上げられる存在となりました。村田英雄の人生劇場にも歌われておりますが、関心のある方のご意見投稿をお願い致します。


投稿: マサミ | 2024年9月25日 (水) 19時48分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 月見草の花 | トップページ | 赤い夕陽の故郷 »