早春賦
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 春は名のみの風の寒さや 2 氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ 3 春と聞かねば知らでありしを |
《蛇足》 作詞の吉丸一昌は、明治6年(1873)に大分県臼杵(うすき)で生まれ、東京帝国大学を卒業したのち、明治41年(1908)に東京音楽学校(現在の東京芸大音楽学部)教授になりました。
「尋常小学唱歌」編纂の作詞委員長として、作曲委員長の島崎赤太郎らとともに日本の唱歌成立に重要な役割を果たしました。
この仕事が一段落したのち、それとは別に『早春賦』『故郷を離るる歌』『木の葉』『四つ葉のクローバー』『お玉じゃくし』『浦のあけくれ』『蜜蜂』『蛍狩り』などを作詞しました。また、『日の丸』『桃太郎』『池の鯉』『かたつむり』も、吉丸の作品ではないかといわれています。
大正5年(1916)に43歳の若さで没。臼杵市に吉丸一昌記念館「早春賦の館」が建っています。
吉丸は、明治の末に安曇野を訪れ、その雪解け風景に感動して、大正2年(1913)11月にこの歌を作ったと伝えられています。ただし、彼が安曇野を訪れたとする文献は見当たらず、疑問視する向きもあります。
穂高町(現在安曇野市穂高)にある大王わさび農場の近くを流れる穂高川の土手には、『早春賦』の歌碑が建っており(写真)、毎年4月に「早春賦音楽祭」が開かれます。
歌の舞台は大町市の木崎湖付近だという説もあり、そこにも歌碑が建っています。
安曇野の住人たちは、この歌が安曇野を歌ったものであることに喜びと誇りを感じています。
私が生まれ育った村では、彼の子息が歯医者を開業しており、子どものころ(昭和20年代)、何度か診てもらった記憶があります。東京育ちのはずの子息が安曇野に居を構えたのは、やはり父君の影響だったのかもしれません。
作曲を担当した中田章は、『夏の思い出』『ちいさい秋みつけた』『雪の降る街を』などを作曲した中田喜直の父。
ある人が中田喜直に、「あなたは夏・秋・冬の定番曲は作っているのに、なぜ春の曲を作らないのですか」と訊いたところ、「春の定番曲には『早春賦』があり、父を尊敬している私としては、あえて作ろうとは思いません」と答えたという話が伝わっています。
2番の「角ぐむ」は、葦、荻、薄、真菰などの芽が角のように出始めること。「あやにく」はあいにくと同じで、折悪しくの意。
なお、テレビや旅行ガイドブックで安曇野として紹介されるのは、現在は安曇野市に含まれている旧穂高町がほとんどのため、安曇野イコール安曇野市と思っている人が多いようですが、これは違います。
安曇野は、旧南安曇郡と北安曇郡のうち、北アルプスから流れ下る川によって形成されたいくつかの扇状地の連なりを指します。
具体的には、南側は旧梓川村(現在は松本市)の北端、北側は大町市の中程、木崎湖に近い信濃木崎あたり、東側は梓川・犀川の西岸、西側は北アルプスの麓ということになります。
大町は安曇野に含まれないという人もいますが、大町市の南部は北アルプスから流れ出し、北西から南東へと流れる高瀬川や、その支流の鹿島川によって形成された扇状地ですから、安曇野から外す理由がありません。
高瀬川は南大町の先で南に向きを変え、再び南東に流れを変えて、安曇野市の南東部で穂高川、および梓川下流の犀川と合流します。
安曇野の範囲についての認識は、長年にわたるテレビや雑誌の旅行番組の影響でしょうか、現在では地元の人びとの間でも曖昧になっているようです。というより、平成の大合併で安曇野市が誕生したことにより、安曇野=安曇野市が固定してしまった感があります。
(二木紘三)
コメント
春のしるしを数えあげ、冬のしるしを数え上げ、やがて来る春を待ちわびる という意味で「早春賦」とは早春の数え歌のことであったのですね。
たぶん小学校で教わっておきながらすっかり忘れてしまっていた「賦」という言葉の意味を、ごく最近になって学びなおしました。
投稿: 成瀬 | 2007年8月 8日 (水) 08時01分
2月に入り『立春』の頃を迎えると、いつもこの曲が蘇ってきます。
安曇野はまだ厳冬のさなかでしょうが、関東地方に住む者にとっては、春がすぐそこに近寄ってきたかのように感じます。
しかし、寒い風が吹いてそれが“錯覚”だと気づくと、よけいにこの曲に魅了されます。
「春と聞かねば知らでありしを 聞けば急かるる胸の思いを いかにせよとのこの頃か」
素晴らしい詩ですね。早春の思いをこれほど見事に歌った曲はないでしょう。あと1カ月ぐらいは、この名曲を口ずさみながら春を待ちましょう。
投稿: 矢嶋武弘 | 2008年2月 2日 (土) 14時47分
いつものことながら、二木先生のすばらしい演奏と解説に感銘をおぼえつつ、幸せなひと時を頂戴しております。
立春を迎えたこの時期は、やはりなんと言っても、「早春賦」ですね。私も雪国の生物ですので、この「春は名のみの風の寒さや」 という心持は、じつによく解ります。2月4日といえば、旧暦ではまだ12月27日ですからね。
この歌詞をくちずさむたびに痛感するのは、いまや過去の日本語となった古文体の美しさです。現代語の散文詩では味わえない、格調や簡潔美に、限りないオマージュをおぼえます。
♪ 春と聞かねば 知らでありしを・・・・。たまりませんね。
やはり、この詩にしてこの曲あり、の感ひとしおです。
花をのみ待つらん人に山里の 雪間の草の春を見せばや(藤原家隆)
投稿: くまさん | 2008年2月 4日 (月) 12時39分
この曲大好きです
投稿: sunday | 2008年3月31日 (月) 07時56分
全く幼少の頃ラジオから流れて来たこの歌詞を「春は奈の実」と信じて唄っていました。耳から聞いたとしても
一寸考えれば解りそうな物を。幼少故知恵が有りません
でした。いまは先生の解説のように詞に託された意味及び背景を掴んで唄っています。唄に感情が載って来るような気がして。
投稿: 海道 | 2008年12月29日 (月) 09時02分
♪春、花の実の・・・♪
と歌っていました。教科書の楽譜の下にひらがなで書いてあっただけですから。
それにしても、春に花を咲かせ直ぐに結実する植物って何だろうと思っていました。
好きな曲の一つです。この歌を常念岳に向かってみんなと合唱するためだけに、毎年4月29日は毎年穂高川の土手にいます。
投稿: コーデリア | 2009年2月19日 (木) 14時52分
この歌に対する皆さんの思いが私の胸にも伝わります。本当にこの歌は「早春賦」ですね。私もご他聞に漏れず、この曲を聴くと、厳しい寒さの中に忍び寄る春を感じて、身がキユッと引き締まる気がします。こんな歌や曲を作って、後後の世の人たちに歌ってもらえたらうれしいでしょうね。
投稿: 吟二 | 2009年2月20日 (金) 20時50分
一番で動物を、二番で植物を、そして三番で人の心を詠うところが、美しいですね。 春を急いているは人の心のみというのも、齢を重ねるにつれ実感しています。幼い頃はスキースケート雪遊びが楽しくて、春が来なければよいと思った時もあったのに。
投稿: 寒崎 秀一 | 2009年2月24日 (火) 21時11分
今日は立春~
♪ 春とは名のみの風の寒さや ♪
早春賦は、北国の2月を謳った名曲です・・・
投稿: エスペロ | 2010年2月 4日 (木) 14時23分
来年(H24)2月の「県人会の集い」で芸能発表会が予定されており、我が長野県は朧月夜、故郷、早春賦の3曲をバックに田舎の景色を写しながら合唱する計画です。
投稿: 海道 | 2011年12月20日 (火) 16時25分
そろそろ春が待ち遠しい季節になりましたが、早春賦は私の大好きな曲の一つですが、早春賦とモーツアルトのピアノ協奏曲27番の第3楽章との類似性がしばしば指摘されます。以下の2つを比較して聴いて皆さまはどのように感じられるでしょうか?私にはそっくりに聞こえますが。。。
http://www.youtube.com/watch?v=YCIOt-CkD0k&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=BD2ZdVSe2vQ&list=PLCC111CAC5903E58C&index=4&feature=plpp_video
投稿: KeiichiKoda | 2012年12月10日 (月) 13時15分
二木様
始めまして、早春賦に関する資料をお送りしたいのですが、送り先をお教えください。
川崎市 赤澤寛(鹿島岳水)
投稿: 赤澤寛 | 2014年10月 9日 (木) 14時59分
いつも楽しませていただいてます。
秋の安曇野に行ってきました。
早春賦の歌碑の前で案内して下さった地元の運転手さんが
この歌詞は恋の歌とも読めるでしょうと熱心でした。
山が白い時期の春の安曇野に、また行きたいと思ってます。
投稿: M 高橋 | 2014年11月14日 (金) 15時52分
昨昨日、アラレが地面を叩き、今週はずっと雨、強風被害も続出。我が村は文字通りの''春は名のみの風の冷たさや''… そこで素敵な早春賦ばかりを室内で聴いて、癒され且つ楽しんでおります。
KeiichiKodaさんご紹介の交響楽 Mozart Piano Concerto 27を注意深く視聴。ながらも、曲想の類似性を確認するのは私に難しすぎるようです(全くつかみどころがありません)。ところが偶然、次を見つけました。https://www.youtube.com/watch?v=32S53cOuvYA ソプラノのUS歌手(60才)Barbara BonneyがモーツアルトのV596を歌っています。これは歌い出しから、直ぐに‘そっくり‘ぶりが(私にすら)伺われます。
1791年作曲モーツアルトが、1913年中田章の作曲「早春賦」に生かされている…、巷の解釈が理解されます。越南さんが語彙「パクリ」を用い、ある歌について優しく意見を述べられています。どこかで耳に入れた旋律を無意識に新曲に採用する(現象)と言うこと。
パクリは部分・全体に拘らず。盗作を意味するんですね。英語表記ならPlagiarismになり、政治家の出世手段になる博士論文や小説家のそれは厳しい社会的制裁の対象になります。近年スキャンダルとしてドイツ連邦大臣二名が過去のパクリ行為のため辞職を余儀なくされています。今後の彼等にその汚名はついて回ります。
つい最近、USポップ作曲の盗作が容認され、驚きました。なぜなら音楽界に関して、この言わば「コピー&ペイスト」は殆ど問題にされないと言う印象を受けるからです。音楽にパクリが生じるのは自然であって、それは芸術、例えば西洋絵画史における模写に準じるのでしょうか。
21世紀、数百万の‘芸術家‘が互いに影響しあい、どなたも「アレッ、これ何処かで観た/聴いたな~」と言う経験をお持ちでしょう。リアリティーと言うか、一つの社会現象に過ぎないのかも知れません。
投稿: minatoya | 2015年4月 4日 (土) 01時48分
minatoyaさんが紹介されている曲はモーツアルトの歌曲「春へのあこがれ」ですよね!この曲はピアノ協奏曲27番第3楽章から転用された曲ですから、「春へのあこがれ」と早春賦が「そっくり」だと感じられるなら、ピアノ協奏曲27番第3楽章と早春賦の類似性を認めたことになるのではありませんか?
早春賦の「ぱくり」といえば、ほかの方も指摘していましたが、「知床旅情」の出だしの部分は早春賦とそっくりで、その意味で早春賦の「ぱくり」といえなくもありません。
投稿: KeiichiKoda | 2015年4月 8日 (水) 22時33分
老人ホームの男性が、戦争に行く 子等に、女性や母が歌って 居たと思い出を話してくれました。若い人は、卒業式に在校生が別れを惜しんで歌う歌になって いますがいろんな 場所で歌い継がれているのだなあと感じました。
投稿: けんこううさぎ | 2016年3月 4日 (金) 12時09分
現職の時、先輩が「知床旅情」と「早春賦」が似ていると言われました。その方も今はおられませんが、その時はじめて類似性に気づきました。
そう言えばギターで弾くときそのことを意識します。もっともクラシックとの類似性は本当にわかりません。でも両方ともいい曲です。
投稿: 今でも青春 | 2016年3月 5日 (土) 17時33分
私は山口県出身で72歳、現在愛知県に住んでいますが、少年の頃は山口市立佐山小学校に通っていて、その4年生の折り、恒例の全校生徒の学芸会で6年生が《山椒大夫「安寿と厨子王丸」》を演じました。姉の安寿は人買いから弟の厨子王丸を逃して、自らは井戸に飛び込んでしまうわけですが、その哀しいシーンに合わせてこの『早春賦』を6年の生徒達がハーモニカと一緒に合唱しました。その学芸会には父兄も見に来ていて、私の母も来ていました。
家に帰って、私は母に「今日の学芸会で6年が《安寿と厨子王》で唄った歌は何に?」と聞くと、母は「いい歌でしょう・・教えましょうか?」と優しくほほえんで《早春賦》を特訓してくれました。私は、昔は1番の歌詞が好きでしたが、今は3番の『♪春と聞かねば知らでありしを・・聞けばせかるる胸の思いを・・如何にせよとのこの頃か・・如何にせよとのこの頃か♪』がどこか恋歌に共通して好きです。もう6年前になりますか念願叶って大分県臼杵市の★吉丸一昌記念館「早春賦の館」★に行って『吉丸一昌先生』に手を合わせて来ました。
投稿: 迷える古羊 | 2017年2月18日 (土) 23時19分
春が近づいてきて、この歌が懐かしくなります。作曲者が中田喜直氏のお父上であることは承知していましたが、氏自身がこの歌にかなわないという気持ちとそれゆえに父上への深い敬意を隠さず語っておられのに、感動を覚えました。この曲にまつわる「盗作」論議も耳にしますが、良いメロディー、心地よい曲が似通ってしまうのは仕方ないことで、鬼の首を取ったように騒ぎ立てるのは、音楽を音楽としてみることのできない、偽物のような気がします。出だしの5音が同じなだけで、6音目からは和音構成も違う全く違った進行をするのですから立派なオリジナルです。これが不当なら、メンデルスゾーンの「春の歌」だってモーツアルトの真似だといわなければならないでしょう。先日気づいたのですが、正月の定番「一月一日」の出だしはマラン作曲讃美歌291番(「女学唱歌(三)」所収「秋のあわれ」)とそっくりです。日本における発表時期から考えてどちらかが真似したとは到底考えられません。中田章氏がモーツアルトの曲なら聞いていたはずだという類推のもとに「盗作」論は出されていますが、音楽の世界ではそっくりであっても許されるべきだと私は思います。
投稿: solong | 2017年3月 5日 (日) 15時46分
失礼しました。曲名を間違えていました。モーツアルトの「春へのあこがれ」に出だしが似ているのはメンデルスゾーンの「春の歌」ではなく、シューマンの「楽しき農夫」でした。
投稿: solong | 2017年3月 5日 (日) 19時12分
「早春賦」で春の訪れを喜び、「朧月夜」で春の温かさを感じ、心ははや夏を待ちわびて「夏は来ぬ」を歌います。四季折々の日本の唱歌は素晴らしいですね。いつまでも歌い継がれて行く日本の風景であって欲しいです。
投稿: yoko | 2017年3月 6日 (月) 16時21分
高校生のころ、早春賦の旋律と歌詞に心奪われ初老となった今も変わりません。安曇野は先日結婚式を挙げた息子のお嫁さんの実家があります。ごあいさつで初めて伺い、ずっと抱いていた安曇野のイメージにあまりに違わないことに感動を深くしました。市民の方々が誇りとする曲が、この早春賦であることがなんとうらやましいことでしょうか。
来春には早春賦まつりに足を運んでみたいと思います。
蛇足ですが、同じ山国である信州に対し、古い甲州人の多くは尊敬の念を持っております。商人に代表されるわが県に比し、教育県の歴史に対するものです。わたくしも両親からその心を受け継ぎながら早春賦を聞いています。
投稿: 天野尚士 | 2017年11月25日 (土) 18時16分
暦の上では春となりましたが、”春は名のみ”で、寒波が到来して、寒い日が続いております。
「早春賦は」は、歌詞、メロディとも素晴らしく、もし、外国人から”代表的な日本の唱歌は何か”と問われたら、迷わず、「早春賦」(英語では、A Song of Early Spring?)と答えると思います。
”春は名のみ”に類する文言が入っている歌は、他にもあろうかと思いを巡らしていましたら、一つ気づきました。「国境の春」(松村又一 作詞、上原げんと 作曲、岡晴夫 唄 S14)の歌詞1番に、♪…春というても 名のみの春よ きょうも吹雪に 日が暮れて…♪とありました。
早く花咲く春が来てほしい、と望まれる昨今です。
投稿: yasushi | 2018年2月10日 (土) 14時13分
午前中の雨もあがって、昼過ぎからは雲ひとつない抜けるような青空の下、風邪気味でダウンしているカミさんに替わって洗濯ものを干している時、薄い塀の外からちょっと抑え気味の年配女性らしき声で この歌が聞こえてきました。驚いたことに、3番の歌詞を悠々と歌いこなしているのです。
“春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か“
うっとりするほど上手くはなかったが、丁度ぴったりのこの時季に、軽やかに早春賦を口ずさむ塀の向こうの麗しき女性?は、どんな人なのだろう?と、できるだけ音をたてないようにして最後まで聞きほれました。
それにしても、この歌の3番まで諳んじて歌えるとなると...60代? それとも70代? 文系の昔乙女?のような女性だったのだろうか...なんだか気になる・・。
投稿: Ruka-ji(あこがれ) | 2019年2月 6日 (水) 15時58分
いい歌ですね。この冬の寒暖差は異常ですが、三寒四温とはよく言ったものです。3月上旬はまさに 「聞けば急かるる 胸の思いを」 が満ちてきます。この時期は台所に立ち、菜っ葉を洗いながら、お鍋の中をかきまぜながら、ついつい口ずさんでしまいます。
投稿: konoha | 2019年2月 6日 (水) 16時32分
Ruka-ji(あこがれ)さま konohaさま
有り難うございます
ほんとうに 早春賦 ですね
日々の 煩雑さに 時節もわからない状態でした
コメントを読ませていただき 大切なことに気づかせていただきました
有り難うございました
時節を愛でること 余裕のある時でないとできません
そういう 時間をもてるように過ごしたいです
これから 能勢では いろいろな花たちが 気持ちを
昂ぶらせてくれます
四月の 桜まで もちろん そのあと もありますが
時節を楽しみながらいこうと思います
今年は 災害の少ない年で あってほしいですね
有り難う ございました
投稿: 能勢の赤ひげ | 2019年2月 7日 (木) 01時44分
今日は少し先週の寒さも和らいだようです。
そろそろ春がやってくるのかな~と感じます。
この歌を聴きながら呟きながら中学校の校舎を思い浮かべています。中学校は松林に囲まれた丘の上にありました。
登校の坂を登りながら校舎の二階の音楽室が望めます。
音楽室から早春賦のピアノ伴奏が聞こえてきます。
そして女子生徒のコーラスが・・・
そんな情景を想像しているだけですが・・・
春っていいなぁと思います。
音楽室からは日本海が見晴らせました。
実は僕が卒業した中学校はもうありません。
10数年前他の中学校と統合されて別の場所に移されました。思い出すと寂しいですね。
早春賦を歌いながらかっての学校を思い浮かべながら
懐かしんでいます。
投稿: yoko | 2019年2月18日 (月) 23時28分
塀の外の軽やかな声の主も、ひょんなことから わかってしまえば 夢やぶれて微妙な心境です。(2月6日;コメントの続き)
我が家の小さな庭は南向き、塀の外側沿いに高さ3mくらいの南天や銀杏の木が植わり、そこは少し広めの私道となっており、てっきり見知らぬ通りがかりの人かな?と、思っていましたが、まさかお隣りの大奥方様とは・・・。
私には、とても早春賦を軽やかに歌いこなせる感じの方とは思えないのですが・・・かみさんに言わせると
《なに言ってるのパパ! すごいのよ!あの奥さんは! いつぞやは 踊りの稽古中に、突然 うちの玄関に入ってこられ “奥さん 一度私の歌を聞いてもらえませんか?” と、言うや否や、突然両手を胸の前で組み ♪♪秘めやか~に 闇をぬうわが調べ~♪と、歌い始めるのよ! もう びっくりして~それも表情たっぷりに、かすれかかったような、裏返ったような声で・・・、なにごとが始まったのかと、玄関まで出てきた踊りのお弟子さんと、笑いをこらえるのに必死で、腹の皮がよじれそうだったわ!》
その話を聞いて多少の先入観をもっていた、お隣のあの奥方が、あの時の「早春賦」を?と、思うと、なにか信じられない感じでした。
やはり、夢やロマンは、あまり深く知ろうとしないことだと、思わされました。
♪♪春~と聞かね~ば 知らでありしを~ 自分で歌おうっと・・・。
投稿: あこがれ | 2019年2月23日 (土) 13時12分
Ruka-ji(あこがれ)様
konoha さま
ご無沙汰いたしております。お変わりございませんか。 1月は行く~2月は逃げる~3月は去る・・と言いますが、 そうこうするうちに直ぐ新しい元号になり、今年もあっという間に終わりそうです。
先のことはさて置き、2月の立春シーズンは私的には何と言っても《寒い朝》に《早春賦》を口ずさみたくなります。今年はこの2曲にどんなコメントが載っているかな・・とのぞいてみましたら、何と、皆さん寒くないのでしょうか、《寒い朝》は、2018年8月18日 (土)のけん様の投稿を最後に途絶えており、夏のアイスキャンデイは分かりますが、『冬来たりなば春遠からじ』のこの時期にコメントがないのも淋しい限りです。私は、昨年はkonohaさまのバックアップも頂き、《寒い朝》には楽しく投稿させていただきました。尤も、今年はまだですので人のことは言えませんが・・・
一方《早春賦》はさすがです。私も本欄の2017.2.18(土)に、この歌詞の3番が好きだと投稿しましたが、お二人とも3番に触れておられるのをお見受けし、良かったと思った次第です。
投稿: 迷える古羊 | 2019年2月24日 (日) 00時40分
春を待つのは、地球上で冬の凍れる冷たさや寒さに見舞われる地域で、生きとし生けるもの、それぞれが待ちわびているのでしょうね。 ちょっと気になって 「生きとし生けるもの全て」 はどこからきているのかと思い、Wikipediaで調べてみました。すると紀貫之の『古今和歌集』の「仮名序」に 「花に鳴く鶯 水にすむ蛙の声を聞けば 生きとし生けるもの いづれか歌を詠まざりける」 とありました。
吉丸一昌は文学者、教育者でもあったので、これは憶測に過ぎませんが、紀貫之『古今和歌集』「仮名序」から連想して「蛇足」にもありましたように、安曇野の雪解け風景の中に佇み、2009.2.24寒崎秀一さまコメント 「一番で動物を、二番で植物を、そして三番で人の心を詠うところが、美しいですね。」 と書かれていますように、春めくような光の中の田園風景、山おろしの風の切るような冷たさ、空気に感動したのでしょうね。
この歌の春待ち心は、冬の冷たさを知っている外国の人々にもきっと分かってもらえるでしょうね。日本だけではなく外国にも歌われていくといいですね。春先の歌として欠かせられません。
投稿: konoha | 2019年2月24日 (日) 11時13分
いつに変わらぬ konohaさんの文学性豊かなコメントに接し、ほっと癒されています。
konohaさんのHNは、確かオー・ヘンリーの「最後の一葉」に由来していると、コメントで拝見したことがありますが、むしろ今のこの青葉若葉が芽吹く時季にぴったりのような感じがいたします。
「生きとし生けるもの」そして1100年もの前の勅撰和歌集「古今和歌集」紀貫之の仮名序・・安曇野の雪解け風景とくれば、否が応にも早春賦を口ずさみたくなります。
今朝、私の中学校時代の後輩の女性から、重病の40才の三男作の詩を送ってきました。
「谷川に 消残る(けのこる)雪よ 道開けね 黄蓮の花 我を待つらむ」
まさに、早春賦そのものの詩心だと感想をメールしておきましたが、早春賦は無論、坊がつる賛歌にしても雪解けの春の胎動は、気分が爽やかになりますね。
konoha さんの素敵なコメントに触発されました。ありがとうございます。
投稿: あこがれ | 2019年2月24日 (日) 13時25分
今から60数年前の小学校6年生のバス旅行でした。担任の先生は、ずんぐり太っていて快活なお父さんの様でしたが、バスのなかでこの歌を独唱しました。もちろんカラオケ等ない時代、マイクも小さなハンドマイクでしたが素晴らしい歌声に子供心にも感動しました。確か、この歌は教科書にも載っていなかったと思います。
ソフトボール・砂場での相撲どちらかと言えば硬派で体育会系の一面をみたときでした。
この先生も52歳で定年前に他界しました。
合掌
投稿: タケオ | 2020年1月24日 (金) 21時01分
タケオ様
はじめまして・・小生の大好きな《早春賦》にご投稿いただき有り難うございました。
さて、あと4・5日もすれば立春・・今年も《早春賦》がぴったしの季節を迎えます。 寒かったり~暖かかったり、三寒四温と言いますか、でも、暖冬なのでしょうね・・私たちが子供の頃は毎日手がかじかんで本当に冷たくて寒かったですよね・・当地では、1月の積雪は全くなく、100年ぶりの珍事が発生したと言っていました。
《早春賦》については、恥ずかしいながら小生も当欄に、2017.2/18と2019.2/24に投稿していますので、拙文ですがよろしければご覧になってください。この歌の3番が特に好きだと書いてしまいました。
以前、臼杵の「早春賦の館」を訪れ、すっかりこの歌を解釈したつもりでいましたら、本欄で、あこがれ様、konoha様他多くの先輩達の投稿文を拝見し、まだまだ教わる事ばかりで感服した次第です。
では、日本にも中国発の新型肺炎がまん延しそうだとのこと、どうかお身体にはくれぐれもお気をつけくださいますように・・
投稿: 迷える古羊 | 2020年1月31日 (金) 16時16分
年を取ると、春が特に待ち遠しくなります。78歳の自分は、人生であと何回 春を迎えられるのか・・・ 12年前にこの欄に投稿した者ですが、また書きたくなりました。
その時、「春と聞かねば知らでありしを 聞けば急かるる胸の思いを いかにせよとのこの頃か」の詩を素晴らしいと書きましたが、その思いはまったく変わりありません。
その時と同じように、あと1カ月ぐらいは、この名曲を口ずさみながら春の到来を待ちましょう!
投稿: 矢嶋武弘 | 2020年2月 6日 (木) 09時17分
いい歌ですね。私は今は都会の大通りをとぼとぼと歩くのが趣味といえば趣味なのですが、子供のころは家のそばの小川の土手でつくしを摘んだこともありました。母か祖母がそれをお味噌汁の中に入れてくれたことがあったことをぼんやりと思い出します。
春、つくしが芽をだしているのを見つけるとうれしかったですね。懐かしいです。今日はまだまだ風が冷たかったです。春が待ち遠しい。
投稿: yoko | 2020年2月 6日 (木) 20時15分
昨日は今年一番の冷え込みで、まともに吹き付ける北風の中、久しぶりに手袋をして近くのスーパーまで買い物に行きました。
かみさんの一週間の一時退院に合わせて、主夫業で忙しい日々を過ごしていますが、まさに“春と聞かねば知らでありしを 聞けば急かるる胸の思いを~”の心境です。
丁度1年前の昨年2月6日に、この歌でコメント投稿させて頂きましたが、あの日は比較的暖かったような記憶があります。
それにしても、この歌ほど今の時季に春待ち心を想起させる歌は他になく、さすがに文化庁と日本PTA全国協議会が選定した「日本の歌百選」に選ばれるだけの名曲だと改めて実感しました。
じっと目を閉じて、聞き耳を立てると、ほら!あの塀の外から麗しい?お隣りの大奥方の裏返ったような声が…??聞こえてくるようで(2019・2・6&2・23投稿文 参照)思わず庭の方を眺めてしまいそうです。
投稿: あこがれ | 2020年2月 7日 (金) 12時23分
あこがれさま、「麗しい?お隣りの大奥方の裏返ったような声が…??」には思わず吹き出してしまいました。無条件に日本人の琴線に触れる歌として、「早春賦」は「故郷」と共に双璧を成すものだと勝手に思っています。冷たい風の中に春めきをほんの少しでも感じると、つい口ずさんでしまいます。なんとも言えず佳い歌ですね。
投稿: konoha | 2020年2月 7日 (金) 13時33分
迷える古羊 様
小生の拙文ご高覧ただき、ありがとうございました。
ご投稿文から小生とほとんど同世代かと思います。安曇野を舞台とされる早春賦、まさに今の季節ですね。安曇野はファミリー・サークル活動等で何度も訪れています。まさに日本の原風景ですね。
唱歌をはじめとした昔の歌詞はまさに絵画のごとく表現され、日本語の素晴らしさを余すことなく伝えてくれますね。
投稿: タケオ | 2020年2月24日 (月) 22時22分
年が明け、心なしか、陽の光も強さを増してきつつあるようですが、それを打ち消すように、厳寒の時期を迎えております。
とは言え、その先にある、暖かく優しい春の到来が待たれます。
「早春賦」は、歌詞もメロディも美しく、「朧月夜」などど並んで、日本の名歌だと思います。
「早春賦」は、冬から春への移行期の自然や人の心うちを謳った歌で、冬の名残りや春の芽生えがせめぎ合っているなか、それに伴って、人の心が揺れ動くさまが、見事に表現されているように思います。
歌詞1番:暦の上では春なのに、風は寒く、鴬はまだ歌声を発していない。
歌詞2番:池に張った氷は解け去り、葦の芽が角ぐんできて、春の気配を感じるのに、頭上にはまだ、冬の雪空が残っている。
歌詞3番:このようなせめぎ合いをどう受け止めたらよいか、心迷う。春の到来が待ち遠しい。
このように受け取りますと、歌詞1番と歌詞3番は、人の営みにおける暦としての”春(早春)”と、自然とのかかわりが謳われているに対して、歌詞2番は、春の芽生え、冬の名残りとも、自然の営みについて謳われているように思います。
冬から春への移行期における、冬の名残りや春の芽生えがせめぎ合っている自然を謳いあげているという点で、私にとって、歌詞2番が最も早春を思い起こさせ、その風景が目に浮かぶように思うのです。
投稿: yasushi | 2021年1月10日 (日) 10時41分
昔の詩人の言葉の美しさに尊敬の念を抱きます。藤村の「小諸なる古城のほとり」を最初に知った時の感動を思い出しました。中学3年の時でした。一生懸命暗記をしました。雪国の皆様のご苦労を思いながら歌っています。まだこれからの寒波を思うと恐ろしくなります。私の住んでいる所は雪はありませんが、風の強さに恐怖をおぼえます。
「あさくのみ春はかすみて・・」の季節が待ちどうしいですね。雪国の皆様 くれぐれもお身体をお大事になさって、春の水が緩やかに流れるのを見ましょうね。
投稿: ハコベの花 | 2021年1月10日 (日) 22時48分