旅人よ
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:岩谷時子、作曲:弾 厚作、唄:加山雄三
1 風にふるえる 緑の草原 2 赤い雲行く 夕陽の草原 |
《蛇足》 昭和41年(1966)発売。弾厚作は加山雄三が作曲するときの名前。
クラブミュージック風にアレンジしてみました。
加山雄三の曲のなかではいちばんいいと思います。いつまでたっても心から「田舎」が抜けない私には、加山雄三の湘南ボーイ風ソングには響いてくるものがありません。
(二木紘三)
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 風にふるえる 緑の草原 2 赤い雲行く 夕陽の草原 |
《蛇足》 昭和41年(1966)発売。弾厚作は加山雄三が作曲するときの名前。
クラブミュージック風にアレンジしてみました。
加山雄三の曲のなかではいちばんいいと思います。いつまでたっても心から「田舎」が抜けない私には、加山雄三の湘南ボーイ風ソングには響いてくるものがありません。
(二木紘三)
コメント
加山雄三 の FANだったときがあって
それを 思い出して腹を立てていたときもありました。こんなきれいな曲を あの人が
作った? 代作ではないか?
なんて 疑ってましたが 才能とは
どうしようもないかな? と
田舎もの の一人です。
投稿: 二宮 博 | 2007年8月15日 (水) 05時07分
この歌は、わたしのサラリーマン時代、即ちアメリカでのビジネスを成功させようと、あちこちの都市を転々としたときを思い起こさせます。重たい建材のサンプルを抱え、設計事務所への訪問、展示会の開催。しかし、幾度となく味わされたニューカマーとしての悲哀。疲れた足を引きづり、探し当てた日本食レストランでの晩飯と寝付くまでのカラオケタイム。最後に、今は亡き、よき相棒だった男と合唱するは決まってこの歌・・・理由はともかく、私にとってこの歌は、打ち拉がれどうしようもなくなった男に、まだ希望があるよ、がんばろうと力強く囁く応援歌だったのです。
投稿: 池田 稔 | 2007年8月17日 (金) 06時30分
私が社会人になって2年目、社内旅行に行って女子社員も男子社員も朝方まで歌いました。ギターで弾いてくれた奴もいました。そのとき、ちょっと好きだった娘も私の隣にいました。そしてこの「旅人よ」を歌ったとき、この歌は私にとってその夜の一番心に残る歌になりました。それ以来、この歌を歌うと青春のあの日を思い出します。
投稿: 吟二 | 2008年9月21日 (日) 20時47分
歌詞が素晴らしい。二木氏が「加山雄三の曲のなかではいちばんいい」と書いておられるが同感です。「風にたなびく」ではなく、「風にふるえる」としたのもいいし、「たどるかがやく瞳」でなく「たどる瞳かがやく」もいい。「草は枯れてもいのち果てるまで」も胸にしみ応援歌のように元気になりますね。46年前に発売なので加山雄三は28歳頃だと思う。それまでにも弾厚作として優れた歌詞を書いているが、私が不思議なのは、その後の40数年でこれといった優れた歌詞も書いていないし作曲もしていないこと。この前、コンサートで「夜空の星」を歌う前に、この曲は自分が14歳の時、つまり60年前に作った歌ですと言っていたが、やはり芸術的な才能は多感な時に開花しすぐにピークを迎えるのでしょうか、モーツアルトやショパンのように。
投稿: SK2 | 2011年6月25日 (土) 17時46分
SK2様は思い違いされております。この歌の作詞者は、岩谷時子です。彼女の詩にはたくさん記憶に残るものが有ります。「想い出させる故郷の空」「ぬれた体でかけて来い」「大空をさまよう恋」「褥にしておくれ」・・・
以前、このサイトに岩谷時子の出身地が島根県大田市(石見銀山のある町)であると投稿されており、驚き、いつか確認してみようと思っておりました。私の知る限りでは彼女は神戸の出身です。
私自身、大田市には親戚もおり多少知っていますが、たしかにこの地には岩谷姓は多く、財界の著名な人も輩出しています。「みやねや」さんもこの地の出身と聞いております。
昨日、大田市役所に電話してみました。
前に時子の事が地方紙で取り上げられ、大田市も初めて時子が当市に関りのある人物であることが判った。が、出身地と断定できる記述は無かった。自著(愛と哀しみのルフラン)に、父親が大田市の在の生まれである、と書かれてあるので・・・市職員の方の回答でした。
投稿: 老婆心B | 2011年6月29日 (水) 13時25分
老婆心B様、ありがとうございました。そうですね、確かに作詞は岩谷時子さんでしたね。この歌、大好きです。それにしても加山雄三さんはとても74歳に見えません。信じられないくらいです。永遠の若大将としていつまでも活躍して欲しいものです、それこそ「いのち果てるまで」。
投稿: SK2 | 2011年6月29日 (水) 23時05分
加山雄三Finalホールコンサートツアーの公演を、三月に楽しんできました。開催53回の、折り返しの27回目でした。妻と共に、喜寿の慶寿を経たとは思えぬバイタリティーを感じ、新たなライフエネジーを享受しました。コンサートでも、この曲は、歌詞がステージにアップされ会場の全員で歌いました。二木先生の演奏のすばらしさもあり、コンサートのあと何回もクリックしています。先生に、機会があれば、報告したいこともありました。それは、加山氏がサイドストーリーで、洋上で満天の星見て考えられた、哲学を語ったことです。シティボーイもカントリーボーイも齢を重ねると社会に対する責任とか感謝を、同じレベルで発信していくのかなと感じました。人はいくつになっても、夢を抱き、人を愛していくものでしょう。
投稿: 夏橙 | 2015年10月26日 (月) 21時22分
「旅人よ」二木先生の蛇足>加山雄三の曲のなかでは一番いいと思います。このご意見に私も全く同感です!
またクラブミュージック風にアレンジされたこのリズム感がこの曲のメロディをさらに魅力的にしていると思います。
1、お聞きはるかな 空に鐘が鳴る
遠いふるさとにいる 母の歌に似て♪♪♪
私はここで何度となくこの歌を好んで聴いていますが、岩谷時子が表現したこの歌詞の部分が特に好きです。
加山雄三の作品のなかでは、この「旅人」そして、妹が欲しかったという自分が幼いころに抱いていた願望を匂わしている「僕の妹に」というこの二曲が今でも気に入っています。
投稿: 芳勝 | 2018年11月 9日 (金) 16時32分
加山雄三は東宝のスターで、歌手。生まれも育ちもサラブレッドの慶応ボーイ、スポーツも万能。
映画若大将シリーズは、私が小学生の時には東宝の怪獣映画と2本立てになっており、無理やり観させられました。ストーリーはというと、全く単純な、恋のドタバタ劇で、青大将こと、田中邦衛が悪役で、必ずハッピーエンドでした。
そんな加山雄三のイメージとは違い、『旅人よ』は人生をうたったような曲で好きでした。「いのち果てるまで君よ夢を心に」というくだりが好きで、友人の披露宴でも、ギターを弾きながら歌いました。この歌にはセリフがあります。少し長いですが、以下にペーストします。
「この世に生きているものはみんな旅人だと思う。一人で生まれてきて、やがてまた一人で遠いところへ帰っていく。誰でも平等にたった一度だけ与えられるのがその人の一生なんだ。そう思えばもったいなくて粗末になんかできやしない。自分に授けられた力の中で精一杯生きて、生まれてきてよかったと人にも自分にも思われる人間でありたいと僕はいつも思っているんだが。」
投稿: Yoshi | 2021年6月20日 (日) 09時40分
慶応の応援歌に「・・・陸の王者 慶応慶応」とあります。加山雄三さんはてっきり湘南の海の若大将と勝手に色づけていましたが、陸の人でもありますね。岩谷女史の若人の哀歓たたえる詩に、極限ともいえる若者から老青年に至る人々の琴線を震わす節(メロディー)を付けくれた加山さんは陸の大将でもありますね。「投稿: Yoshi | 2021年6月20日 (日) 09時40分」さんのコメントに掲載された この歌のセリフ を読むにつけ、わが人生もかくありたいものと共感かつ念じえやみません。 Yoshi さんありがとうございます!!
投稿: 亜浪沙(山口 功) | 2021年6月26日 (土) 13時47分
2018年11月 9日に芳勝さんが、加山雄三の曲の中でもう一つ好きな曲として「僕の妹に」を上げられていました。私も同じです。芳勝さんは「妹が欲しかった自分が幼い頃に抱いていた願望」と書かれていますね。私には妹がいますが、私は上に3人もいて、唯一下は妹だったので可愛がっていたのでそうだったのかも知れません。改めて聞いてみると、その曲はパットブーンの「砂に書いたラブレター」に似ていると思いました。加山はブーンの年に近いと思いますからブーンの影響を受けていたのかも知れませんね。
投稿: 吟二 | 2022年10月26日 (水) 20時31分
青春時代、加山雄三さんが「シアワセだなあ、ボクは君といるときが一番しあわせなんだ」と颯爽と現れました。岩谷時子という名前もとてもステキでした。
この歌は、いつもの加山さんの歌とちょっと違って、こころに響きました。
ブログ・ハーモニカ演奏の伴奏に使わせていただきました。ありがとうございました。
投稿: ゆるりと | 2023年5月 8日 (月) 06時10分