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2007年8月13日 (月)

朧月夜(おぼろづきよ)

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一

1 菜の花畠に 入日薄れ
  見わたす山の端(は) 霞ふかし
  春風そよふく 空を見れば
  夕月かかりて におい淡し

2 里わの火影(ほかげ)も 森の色も
  田中の小路(こみち)を たどる人も
  蛙(かわず)の鳴くねも 鐘の音も
  さながら霞める 朧月夜

《蛇足》 大正3年(1914)に『尋常小学唱歌 第六学年用』の教科書に発表されました。
 日本の田園風景をつづった格調高い叙景歌で、『故郷』『紅葉』などとともに高野・岡野コンビの代表的作品。

 1番の「におい」は、ここでは香りの意味ではなく、鮮やかな色あい・色つやのこと。2番の「森の色」の色とほぼ同義です。

 『枕草子』に「花びらのはしにをかしき匂ひこそこころもとなくつきためれ」とあります。「匂いやか(または匂やか)な女性」といった表現がありますが、これは、つやつやと輝くように美しい女性、という意味。

 2番の「里わ(里曲)」は、里、すなわち村落のあたり、という意味。

 上の絵は2007年の年賀状用に描いたものです。

(二木紘三)

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コメント

 菜の花畠に入日薄れ 見わたす山の端霞ふかし…。昔の田園風景が鮮やかに甦ってまいります。懐かしい、懐かしい風景です。さながら、この歌だけで完結している、一つの小天地の趣きです。

投稿: 大場光太郎 | 2008年3月15日 (土) 19時23分

詞は同郷の著名人ですが、この様な風景は我々が幼少
の頃にはどこにもありました。いまは荒れ野原になって
しまいました。

投稿: 海道 | 2009年6月 1日 (月) 08時09分

朧月夜はいつ聴いても心ほのぼのとさせられます。日本人の心のふるさと、いいですね!私も菜園をやっていますが、春の菜の花が咲く頃はいつも朧月夜を口ずさんでいます♪いい歌を毎回聞かせて頂き、ありがとうございます!

投稿: 庄司光男 | 2009年11月22日 (日) 12時17分

昭和30年代の田舎育ちの自分としては、こうした日本の原風景が日々失われて行くことを大変残念に思いますね。
ただ、菜の花が咲き乱れる頃、高野辰之の故郷である長野県中野市(旧豊田村)から飯山市へ続く国道117号線を千曲川沿いに走ってみると、まだまだ唱歌『朧月夜』の世界を堪能できます。

投稿: 流星 | 2012年7月27日 (金) 04時14分

皆さん今晩は

いいですね

この歌詞

なにか格調高い漢詩でも聴いてるみたい

文語体の表現って切れ味がいいね

特に「・・・におい淡し」のフレーズ

最高!

あたしの子供の頃からの愛唱歌です

今でも学校で教えているのかな?

投稿: トッコ | 2013年5月17日 (金) 23時18分

今夜の様な寒い日はこの歌の様な風景を想像します。小学校の時の遠足で田舎道を歩いていると、一面のレンゲ田の向こうに真っ黄色の菜の花畑が見えました。そこには本当の春がありました。ほのぼのとした日本がありました。思い出の中の春です。車社会が田舎の風景をすっかり消してしまいました。母の実家もいつの間にか洋風の家になっていました。もう訪ねる事もないでしょう。一緒に遊んだ従兄たちも一人ずつ黄泉の国へ旅立っていきました。そこには一面に菜の花が咲いているかも知れませんね。

投稿: ハコベの花 | 2015年3月10日 (火) 22時59分

 歌は格調高く、二木先生の絵も、のどかでこころが休まります。
家路をたどる農夫の姿が、なんとも牧歌的です。
 
 ハノイの田舎では、野良仕事を終え、鍬をかついで家に帰る農民の姿をふつうに見ます。バイクに鍬を積んで、夫婦が二人乗りで家に帰る姿もほほえましい。放牧された牛たちがねぐらに帰るのに、田舎の道路を、車を待たせてゆっくりと横断したり、村の路地を一列に並んで歩くのも趣があります。この国は、自家用車の普及はまだです。

 私は、日本で定年になったのに、いまだ会社勤めをしている、余暇を享受できない65歳の愚か者です。
仕事が終わると、時々、バスを利用せず、迷路のような路地を歩いて、家に帰ります。すれちがう多くのバイクの光と騒音をさけて夜道を歩くのは、かなり煩わしい。しかし、家路をたどる喜びは、やはり2本の足で歩いて帰ることだと妙に実感するしだいです。
それゆえ絵の中の農道をゆっくり歩く農夫の姿に、思うことが多いのです。
 ただ、最近のハノイの春の天気は、日中も夜も、ほとんど月も太陽も見えない霧雨の続く毎日です。朧月夜は、日本人が享受できるうるわしい風景です。

投稿: 越村 南 | 2015年3月11日 (水) 15時52分

 この曲に触れると、私はいつも薬師寺東塔を遠くに望む奈良盆地の光景を思い浮かべます。奈良は日本史の墓場と評された所だけあって、郷愁をそそる場所に事欠きません。幾度も足を運んだ土地ですので、東戎の私には、この曲とともに安らぎを与えてくれる街です。

投稿: 槃特の呟き | 2015年3月11日 (水) 23時57分

越村南さん「家路をたどる喜びは、やはり2本の足で歩いて帰ることだ」――>至言です。歩ける人は、とか、歩ける限りは、といった条件はつくとは思いますが。

投稿: コマツ | 2015年3月13日 (金) 18時23分

今日から3月…
春の宵、南風が吹いて空に薄雲がたなびき、月は朦朧としてかすむ。 高校時代に習った漢詩の一句が今も忘れずに口をついて出てきます。

春宵一刻 値千金
花に清香あり 月に影あり
歌管楼台 声細々
鞦韆 院落 夜沈々  蘇軾

「春」と聞いただけで、思わず気分が高揚してきます。
詩もメロデイーも心にしみわたるような感じで、遠い昔の懐かしい日本の原風景が浮かんできます。
寺尾智沙・田村しげる が、抒情歌のゴールデンコンビとするならば、高野辰之・岡野貞一はまさに唱歌のゴールデンコンビですね。

投稿: あこがれ | 2017年3月 1日 (水) 12時23分

学校を終えて何年も経ってから、ふと「朧月夜」を口ずさんで、なんと素晴らしいメロディーだ、こんないい歌はほかにないなあと感じ入ったことがあります。今、改めて歌って気づくのは、「夕月かかりてにおい淡し」という、清少納言ふうの「におい」の用法を子供はなんの抵抗もなく受け入れていたことです。月の香りが鼻から入ってくるなどと考えたわけではありません。2番に進むと、灯火や人影と同じように、蛙の声、鐘の音も霞みます。普通「霞む」のは視覚でしょうが、ここは聴覚の対象も一緒に霞んでいるおぼろ月夜です。フランスの詩人ボードレールの詩『照応』の有名な詩句「香りと色と響きが応え合う」を日本の田園に展開したような歌ですね。

投稿: dorule | 2017年3月30日 (木) 20時13分

3番がないので勝手に作ってみました。朧月夜は夕方を歌っているので思い切って朝の春の情景を詠んでみました。

桜の川戸(かわべ)に 朝日昇り
お池のほとりを 歩く人が
鶏(にわとり)の鳴く音も 小鳥の声も
さながら聞こえる 春の息吹

投稿: 二松五男 | 2017年4月 6日 (木) 21時25分

二松五男さま
私もこの歌は好きで子どもの頃からよく歌ったものです。
春の朝の情景ですか! いいですね!
桜 朝日 お池のほとり 鶏(にわとり) 小鳥
・・・などなど
のどかな朝の田園風景が浮かんできて素敵な詩だと思います。
  

投稿: 一章 | 2017年4月 6日 (木) 23時44分

ありがとうございます。少し、訂正。

桜の川面(かわも)に 朝日昇り
河辺(かわべ)のほとりを 歩く人も
鶏(にわとり)の鳴く音も 小鳥の声も
さながら聞こえる 春の息吹

川面は川の水面。河辺は川のほとり。「さながら」は、残らず皆(すべて)の意味です。「も」が韻を踏んでいます。

投稿: 二松五男 | 2017年4月 9日 (日) 14時12分

「朧月夜」今朝のNHKラジオからも流れました。
心に沁みる名曲です。

菜の花の香りにむせた下校道が浮かんできます。
かくれんぼをして遊びながらの下校でした。
衣服にまとわりついた花粉の咽るようなかおりが甦ります。
二木先生の絵も素敵ですね。

30年ほど前に聴いた辻久子さんのバイオリン演奏による
「朧月夜」の感動が甦ります。

投稿: りんご | 2017年4月19日 (水) 17時35分

この曲を聴くたびに「よくぞ日本に生まれたり、よくぞ田舎に育ちけり」と思ってしまいます。自分のふるさとに一番の安らぎを感じるのは世界中どこの人もおなじでしょうね。
二松五男さんのすてきな作詞に触発されて私も4番をひねってみました。手あかのついた語彙の羅列ですが。
菜の花畑の やわき陽ざし
れんげの野原に たわむるわらべ
みつばち飛びかい ちょうちょも舞いて
調べも楽しき 里のかすみ

投稿: 断片子 | 2018年1月22日 (月) 00時33分

 今日は 皆既月食

 少し 前倒しの 朧月夜の 月食を楽しみましょう

  九時が ピークだとか

 コーヒーをいただきながら 零下ーーの能勢のベランダ
 
 で  楽しみます

 月の まわりには ハローとよべる 輝きも見られます

  世の中いろいろ ありすぎますが
    精神を平静に保つこと  大切です

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年1月31日 (水) 20時31分

梅の花が咲き、菜の花が辺り一面を黄色に染め、南風に乗せて桜花のたよりも ぼつぼつと気になる頃となりました。
“才月は人を待たず”といいますが、年毎に四季の移ろいが敏感に感じられるようになり、はっとして、思わず越し方を振り返ったりすることがあります。

スマホのfbのプロフィールカバーには、菜の花ばたけから見渡した残雪の常念岳をUPしてますが、もうじきこれも桜の花に入れ替えることになるのでしょう。
交換レンズと三脚を抱えて、安曇野から上高地あたりまで走りまわった日々は、遥か遠い日のことになってしまい体力も脚力も衰えましたが、あの懐かしい朧に霞む信州の春の日のことは、ついこの間のことのようにフラッシュバックしてきます。

「早春賦」から「朧月夜」へ・・・さて、次はどんな曲に想いをゆだねるとしますか? 
名曲に酔いながら春の宵は更けていきます。
おっと! 明日は、朝から六甲山荘のオープン準備の打ち合わせ会議でした。早く寝なきゃ~。

投稿: あこがれ | 2019年3月12日 (火) 00時49分

桜と菜の花は綺麗な彩色で春を見事に感じさせてくれます。桜とこれ以上の黄色の表現はないのではと思うほどの鮮やかな菜の花色は日本の春を表す絵の世界の代表。まるで吸い込まれそうな程美しい黄色です。ぼんやりと霞かかった曇り空でも菜の花の咲いている道端に喜びを感じます。桜と菜の花ならお城と桜も又見事ですね。昨日さぬきからの帰路たまたま伊吹島が見える県道の海岸線から沈む夕日を見ました。丁度日没前で夕日が大きく海に落ちてゆく処で海に一筋の太陽を照らした光線の道が岸近く迄伸びて燃えるようなオレンジ色の眩しい太陽が刻々と落ちてゆく瞬間でした。寸秒間のシャッターチャンスでした。

投稿: 細川 和代 | 2023年4月 1日 (土) 08時20分

今まさに夏の真っ盛り。猛暑には閉口しております。
とは言え、幸いなことに、歌の世界では、好きな季節を訪れることができます。

『朧月夜』は、歌詞もメロディも美しく、『早春賦』などど並んで、日本の名歌だと思います。
『朧月夜』は、子供(小学生)のころ習った歌ですが、その頃から、歌詞1番の♪におい淡し♪のとことろは、"(春の)香りがうっすらとする”と思い込んでいました。小学生には、少し理解しづらかったということでしょうか。
老境にある今、改めて歌詞を眺めますと、日本の春の夕暮れを、見事なほど美しく謳った歌だなあと、感嘆を憶えます。まあ、この歌は、大人向けの歌と言っても言い過ぎではないとさえ思えるのです。

ついでながら、同じく、小学校で習った(と記憶する)『早春賦』の歌詞3番には、
  ♪春と聞かねば知らでありしを
    聞けば急(せ)かるる胸の思いを
    いかにせよとのこの頃か
    いかにせよとのこの頃か ♪
とありますが、この部分の感覚は子供(小学生)には通じにくく、大人だからこそ深く心に響くのだろう、大人向けの歌?、と思い巡らせております。

投稿: yasushi | 2024年8月 4日 (日) 16時56分

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