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2007年8月 7日 (火)

長崎の女(ひと)

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:たなかゆきを、作曲:林伊佐緒、唄:春日八郎

1 恋の涙か 蘇鉄(そてつ)の花が
  風にこぼれる石畳
  噂にすがり ただ一人
  尋ねあぐんだ港町
  ああ 長崎の 長崎の女(ひと)

2 海を見下ろす外人墓地で
  君と別れた霧の夜
  サファイヤ色のまなざしが
  燃える心にまだ残る
  ああ 長崎の 長崎の女

3 夢をまさぐるオランダ坂に
  しのび泣くよな夜が来る
  忘れることが幸せと
  遠く囁(ささや)く鐘の音
  ああ 長崎の 長崎の女

《蛇足》 昭和38年(1963)のヒット曲。

 長崎は歌に詠われることが非常に多い町で、昭和62年(1987)の時点で、歌謡曲・民謡・童歌・巷歌・古歌を合わせて900曲を超えていたそうです(『長崎は歌とともに』〈宮川密義著・長崎文献社〉による)

 昔の知り合いに、この歌を好んで歌う人がいました。思う人を探し歩いた経験でもあったのでしょうか。 

(二木紘三)

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コメント

この四月からヤフーで「陽ちゃんの日々」というブログを始め、長崎にも友人ができました。8月には広島原爆忌、長崎原爆忌があり、友人からも情報をいただきながら、記事を書いて来ました。日本が再軍備の道を進まないようにブログからも発信したいと思っている。年齢的に自分が戦争に行くことは考えられないが、叔父は戦死しているし、父も戦争中の食事が原因で戦後すぐに亡くなっている。娘たちの婿や多くの人が戦争にいくことのない時代にしたい。

投稿: 江尻 陽一 | 2007年8月23日 (木) 13時02分

長崎と聞けば反射的に広島にいってしまうのですが、長崎は詩人にとって魅力のある所なんでしょうか。同じ過去がある
のに。

投稿: M.U | 2008年6月29日 (日) 15時57分

記憶に残る最も古い曲は「お富さん」です。
しかし長崎で生まれ育った私には「長崎の女」こそ我が故郷の心の歌です。
先日NHKで岩崎宏美さんと平原綾香さんが長崎の町で歌う番組がありましたが、
背景がどこも美しく、長崎はどこも絵になる街だとあらためて思いました。
外人墓地というと、私はゴルバチョフ大統領が来日した折訪れた稲佐の外人墓地を思い出します。
幼い頃よく遊んだものです。
見下ろす港はまさにサファイア色ですし、同級生はギリシャのハーフで彫刻のような風貌をしています。
サファイア色の瞳にも違和感がありません。
故郷を離れた今、「長崎の女」は故郷を恋する歌です。

投稿: MATSUKUMA | 2009年1月28日 (水) 16時25分

〇〇の女と言えば昔恋した女性を何年か後に尋ねるが逢えなかったり、人の妻だったりですね。何年も女性は待てないですよね。俺はやっぱりあの頃の君をさがして明日に生きるのさ。こうでなけりゃ。

投稿: 海道 | 2011年10月24日 (月) 09時58分

この曲では「サファイヤ色のまなざしの女性」と、想像するになかなか魅力的な妙齢の美女が思い浮かぶわけですが、昭和50年代、三十代の頃に土曜の晩ともなれば悪友と入り浸っていたカラオケスナックのママは、“商売柄”というか“職業病”というか黄色い目をした某女性芸人似の熟女でした。まったく風情も色気も無い話ですが・・・。

投稿: 焼酎百代 | 2014年10月 7日 (火) 21時36分

  昨日はたまたま「長崎物語」の蛇足に引き込まれて読んでいました。確かに長崎に関する歌は多いですね。先日長崎には遠いですが東シナ海(正しくは何と言うのでしょうか)の近く「天草灘」に面した島に行きました。海の色が濃くて何だか詩人になったような錯覚をおこしました。海でこうですから、長崎の街は詩情にあふれていると思います。

投稿: 今でも青春 | 2014年10月 8日 (水) 16時24分

しょぼくれジジイがまた投稿させて頂きます。しつこいようですが、『長崎の女』では「サファイヤ色のまなざしの女性」という、魅惑的な女性像が描かれています。
他方、作家椎名誠は著書の中で「眼」に異常な興味・執着を示し、魅惑的な女性とは正反対の“むさくるしい男ども”の眼を“ドロリ眼”“にごり眼”などと表現してました。それはともかく、『長崎の女』がヒットした当時は他に、橋幸夫『白い制服』、三橋美智也『星屑の町』、石原裕次郎『夕陽の丘』などが文化放送「全国歌謡ベストテン」の常連曲でした。

投稿: 焼酎百代 | 2016年2月 5日 (金) 14時49分

佐賀県に住んでいた幼い頃には、父の生まれ故郷、長崎県大村市にある親類の家へ、父に連れられて幾度となく着いて行きました。海が望める、とても景色のよいところでした!
中学3年生の初夏、南九州3泊4日での修学旅行2日目は長崎観光でした。平和記念像・大浦天主堂・グラバー邸などをまわり、原爆資料館見学に於いては、子供ながらも、何とも言えない、戦争の悲惨さを覚えながら、食い入るように見ていた自分を想いだします。
そんなこともあり、長崎には、特別な愛着心があります!
私は仕事柄、外でお酒を飲む機会が大変多く、スナックへも頻繁に通っていましたが、カラオケの時には、この長崎の女♪をよく歌いました。また、私自身、教会での祈りとか、マリアさまにも、仄かな思いの念があり、大好きなロザリオの島♪や長崎の鐘♪もよく歌いました。
考えてみると、あれから長崎には、かれこれ48年程行っておらず、近いうちに、花が大好きな妻と二人で、ハウステンボス宿泊コースの、長崎観光をしたいと思っています。
そして、懐かしい本場のちゃんぽんと皿うどんを現地で味わい、土産には、子供の頃によく食べた、九十九島せんべいと、文明堂のカステラは、必ず買ってきたいです。
こうやって長崎の女♪を聴いてると、一日も早く、長崎への旅行がしたくなりました。


投稿: 芳勝 | 2018年2月 1日 (木) 23時06分

本曲ヒットの昭和38年、下宿屋の一室に予備校仲間と集まって文化放送「全国歌謡ベストテン」を毎週火曜だったか聴くのが楽しみでした(当時のベストテン:長崎の女、夕陽の丘、星屑の町・・・)。林伊佐緒は「長崎の女」、「リンゴ村から」(三橋美智也)、「てなもんや三度笠」(藤田まこと)・・・多数作曲し、歌手・作曲家の二足の草鞋で大したものでした。
↓和爺の部屋さん提供(長崎の名所旧跡バックに「長崎の女」春日熱唱、女声コーラスも最高です)
http://www.youtube.com/watch?v=WKJ9xSEjyPQ

投稿: 焼酎 | 2018年5月27日 (日) 11時11分

焼酎様

「長崎の女」で、最高の動画を観ることができました!

豪華客船を浮かべた真っ青な海の長崎港の景色から始まり、グラバー邸・オランダ坂・外人墓地・平和記念像・大浦天主堂など、少年時代に私が観た景色が、鮮明に蘇ってきました。

それと、これまで未だ観た事がなく、いつかは是非とも私が観たいと思っていた、長崎港に向かって建っている、日本二十六聖人殉教地・めがね橋・孔子廟・夕陽がかかる九十九島・そして美しい長崎の夜景など、一曲の歌に、こんなにも長崎の有名スポットが見事に映しだされ、長崎を満喫できる動画が観れるとは思ってなかったので、大変嬉しく思っています。

焼酎様が仰る通り、「長崎の女」、最高の動画でした。本当にありがとうございました。

投稿: 芳勝 | 2018年5月27日 (日) 16時00分

 皆様こんにちは。
 この歌の歌詞をもう一度見直してみると、「サファイヤ色の・・・」とか「夢をまさぐる・・・」という言葉に惹かれます。また、「恋の涙か 蘇鉄の花」がとか「風にこぼれる・・・」という箇所とくに「風にこぼれる・・・」というのは言葉は言葉を使いこなす方だと思いました。
 歌は歌詞が命だということを改めて感じました。

投稿: 今でも青春 | 2018年5月27日 (日) 16時42分

芳勝様  コメント有難うございます。
春日八郎が歌謡ステージで歌う映像でなく、「長崎の女」に合う映像を探していたところ、“和爺の部屋さん”提供の映像が見つかり投稿したしだいです。北関東在住で九州は行ったことはないですが、芳勝様が言われる通り長崎の有名スポットが満載の映像は素晴らしいの一言です!

投稿: 焼酎 | 2018年5月27日 (日) 18時28分

この歌、長崎の女(人)悲恋の歌ですよね。道ならぬ恋を
想像し、憧れを感じます。今の、私の気持ちを表した歌だと
思います。 長崎の鐘と長崎の女私の好きな歌です。

投稿: 恋するおじさん | 2020年12月 6日 (日) 14時07分

母が長崎出身です。
遠く離れて暮らす、新潟の女性が、春日八郎のファンです。年末になり、通勤途上でこの歌を口ずさんでいます。

投稿: ようちゃん | 2022年1月 1日 (土) 07時10分

四国から長崎に行き4年を過ごしました。4年生の時に下級生の彼女ができ、岩屋山に登ったりと一学期を楽しく過ごしましたが、二学期に破局を迎え、というよりは振られたというのが正しいですが(^^;
卒業後電話と手紙で逢えないかと連絡。その頃は怒りも残ってたか拒否して溜飲を下げたまでは良かったのですが、10数年を経た頃何だか会いたくなり消息をたどったがわからないままでした。お互い家庭をもっているだろうと調査まではいきませんでした。老境のこの年までかすかながら未練が残っていたんでしょう。この歌にある外人墓地も二人で歩いた場所でした。歌を聞くたび青春の一幕を思い出す。

投稿: かつさん | 2022年3月14日 (月) 15時58分

「長崎の女」春日八郎が『・・サファイヤ色のまなざしをした外人女性に対する思いを切々と歌い上げた・・』この曲を聴いていると、私が幼いころに観ていた景色や微かな想い出が蘇ってきます!

佐賀県の伊万里市で生まれ、ものごころつくまでをそこで過ごしていた私にとって、『長崎県』といえば、伊万里に隣接する松浦市・西海市・佐世保市への思いが強く、長年が過ぎた今でも私の脳裏に深く残っている地域です。
そんな中でも、昭和30年に完成した、西海市と佐世保市を結ぶ『西海橋』は当時有名で、父の生まれ故郷・長崎県の大村へ行った時に、私はこの橋へ連れて行って貰ったことがあります。
生まれ故郷を離れて暮らす私にとっては、有難いことに、2006年には、情熱を持った政治家や技術者の努力によって、北側に平行して『新西海橋』が完成し、そこから眺める景色はまさに絶景だそうです。元気なうちに是非とも、私の微かな記憶の中にある九十九島の風景や、その新西海橋から眺める旧西海橋をもう一度観てみたい、また、テーマパーク・ハウステンボス観光などの旅がしたい。そんな思いが私の胸には益々膨らむばかりです。
私は幼いころから少年時代にかけて、三度長崎へ行ったことがあります。ここで、二木先生の名演奏を聴いてると、自分がそのころに観たことのある異国情緒ある長崎の様々な風景が微かに浮かんできます。

「長崎の女」昭和38年にヒットしたこの唄について『・・・春日八郎にとっては、昭和34年の「山の吊り橋」以来、4年ぶりのヒットとなって、健在ぶりを示した唄でした。』(昭和の流行歌・野村耕三氏解説より)

投稿: 芳勝 | 2022年3月16日 (水) 18時04分

かつ さま
芳勝 さま

  私も1984~夫の転勤で長崎の佐世保に居りました。もう随分昔の話になりますが、「長崎の女」はとても心に残る歌でしたので、その場所に行けるという思いで大変な引っ越しも嬉しく想っておりました。只今日芳勝さまのコメントに在りました(サファイヤ色のまなざし、、、、)で浅学な私は何時も日本人でサファイア色??と思っていましたが外人女性で良いのですね。何10年と疑問に思っていた事が分りました。有難うございました。新西海橋賀とか、是非私も行ってみたいと思います。

投稿: かずえ | 2022年3月16日 (水) 22時30分

 長崎のsitaruです。この歌が発売された当時(昭和38年)、私は少学三年生で、テレビはもう来ていましたが、まだ流行歌を進んで視聴することはなく、近所のラジオから流れる、当時流行っていた歌や古い歌を受動的に聴く程度でした。
 この歌も、印象的な前奏と春日八郎さんの歌声で、長崎を代表する曲の一つとなりましたが、愛聴するようになったのは、ずっと後のことです。

 そして、メロディー派の私は、歌詞も長い間誤解しており、「サファイア色」の瞳を持った女性も、日本人とばかり思っていました(そもそも、サファイア色がどんな色かも知りませんでした)。

 この歌も含め、長崎の歌には、オランダ坂、石畳、思案橋(しあんばし)、眼鏡橋(めがねばし)、グラバー園、大浦天主堂、浦上天主堂などが織り込まれているのが、昔からお決まりパターンですが、長崎に生まれ育った私は、長崎の名所は、いつでも行けるという安易な気持ちで過ごしており、さすがにこれらの名所には、子供の頃に行きましたが、ほかにたくさんある、名所・旧跡にはあまり興味を持っていませんでした。鳴滝塾(なるたきじゅく)跡や出島の内部には、未だに行ったったがありません。

 20代の半ば、今の妻と結婚するまでの間、長崎でよくデートしていましたが、グラバー園と大浦天主堂に行った帰り、まだ時間があったので、どこかほかの名所へ行こうと思いましたが、近くに知ったところが無かったので、止むを得ず、小学校時の時に行った「長崎児童科学館」という所へ行きました。子供向けの科学装置を見ながら、お互い顔を見合わせて苦笑いをした記憶があります。

投稿: sitaru | 2022年3月17日 (木) 15時25分

sitaru さま

 早速の再投稿お疲れではないですか?
私は「長崎の女」の歌詞で(サファイヤ色の眼差しが、、)というところを日本の女性と思っておりました。先のコメントにも書きましたが何と何と私が掲示板で拝見する貴方様もその様に思われていらしたとか、、嬉しさの余り、動けぬ体に鞭を打ちつつ散歩をしてまいりました。どうぞこれからもよろしくご指導下さればと思います。河津桜やエドヒガン桜などが満開の稲毛海岸です。長崎は稲佐山の夜景どうでしょうか?又私は平戸の埼方公園が好きでした。転勤族でしたので短い間に色々と廻りました。

投稿: かずえ | 2022年3月17日 (木) 16時14分

 長崎のSitaruです。かずえ様、重ね重ねのご厚情、ありがとうございます。早朝からパソコンに向かいっ放しなので、さすがに目が疲れました。こんな時は、布団に入って、明かりを消して、ぼんやり天井を見ながら、掲示板のネタ探しをしています。

 長崎の夜景は、「世界新三大夜景」に認定されたということで、目が良ければ、夜の稲佐山に是非行ってみたいと思っていますが、まだ果たしておりません。ネット動画で我慢しています。
 
 昨夜の地震で被災された東北地方の方々に、お見舞いを申し上げます。私も、熊本に住んでいた2016年に熊本地震に遭遇しました。今度の地震と同じ震度6強で、震源地のすぐ近くだったので、停電や断水が起きましたが、幸いそれほど古くない集合住宅に住んでいたので、室内の物が散乱する程度で済みました。長崎は、元々地震の少ない所で(高校卒業まで長崎に住んでいましたが、地震があったという記憶は、全くありません)、今後も、多分生きている内は、大きな地震は来ないだろうと、たかをくくっていますが、今の日本は、どこで大きな地震が起きてもおかしくないそうですので、地震保険には加入しています。

投稿: sitaru | 2022年3月17日 (木) 17時04分

誰だったのか全く思い出せませんが、この歌について、最初から最後まで、「長崎の人」が、いったいどんな女性なのかほとんど像が結べないと、こき下ろしていた人がいました。そのときはそれもそうかなあとぼんやり考えていたのですが、後年大ヒット曲「長崎は今日も雨だった」が生まれ、それも深く考えることなく「ワワワワー」とうたっておりましたら、昨日ふと、こっちの歌も結局、尋ねあぐんでいる人がどんな女性(?)か、もっと分からないじゃないかということに気が付きました。要は、すでに「歌詞」が従になってしまっていて、人々は主である曲の巧さと豪華さに幻惑されるようになっていたのですね。

投稿: 半畳亭 | 2024年11月10日 (日) 20時01分

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