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2007年8月23日 (木)

赤い靴のタンゴ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:西條八十、作曲:古賀政男、唄:奈良光枝

1 誰がはかせた 赤い靴よ
  涙知らない 乙女なのに
  はいた夜から 切なく芽生えた
  恋のこころ
  窓の月さえ 嘆きを誘う

2 なぜに燃え立つ 赤い靴よ
  君を想うて 踊るタンゴ
  旅は果てなく 山越え野越えて
  踊る肩に
  春はミモザの 花もにおう

3 運命(さだめ)悲しい 赤い靴よ
  道は二筋 君は一人
  飾り紐さえ 涙でちぎれて
  さらばさらば
  遠い汽笛に 散りゆく花よ

《蛇足》 昭和25年(1950)のヒット曲。

 同年3月に日本で公開されたイギリス映画『赤い靴』(制作は1948年)から想を得たものといわれます。映画は、ロンドンのバレエ団に入団した少女の恋の物語です。
 コンチネンタルタンゴにも、同名の曲があります。

(二木紘三)

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コメント

奈良光枝さんにはスクリーンでお目にかかった事はないが、その美貌と歌唱力は素晴らしかったと聞き及んでいます。
私の好きな唄は「白いランプの灯る道」です。

投稿: M.U | 2008年7月 3日 (木) 17時18分


小生、中1の時の歌ですね。奈良光枝さんは細身の美人でした。確かNHKの人と結婚しましたが、間もなく亡くなりましたのを覚えています。当に美人薄命の人でした。間奏にコンチネンタルタンゴらしきメロディーが入っているのでなるほどさもあらんと感じた訳であります。
他の曲も好きですね。

投稿: 高森宗光 | 2010年2月 5日 (金) 18時19分

「はいた夜から 切なく芽生えた 恋のこころ・・・」そうだ、恋心は突然やってきた。その日からもう60年経ったのだ。その前から何回も彼は我が家に来ていたのに、彼がその日は特別素晴らしく輝いて見えたのだ。恋人にもならなかったから、失恋もない。あの日を思い出すと切なく温かな気持ちになる。永遠の恋人。大学の合格を知らせに来た日だから、嬉しさで輝いていたのだろう。そんな日があっただけでも幸せな事なのだ。60年は戻ることはないけれど、私はずっと赤い靴を履いている。

投稿: ハコベの花 | 2015年11月13日 (金) 23時10分

『赤い靴のタンゴ』は昭和25年のレリース。私は小学4年生。兄は高1。異母兄弟で家は暗かったが、兄はたまにしか僕をいじめなかった。この歌がラジオから聞こえると、「ええ歌やね」と聞きほれる。情熱的で上品で悩ましい。子供ながら、二人の少年には、なにか、もやもやした思春期が近づく思いだった。大阪の南河内、田んぼの中にある家で僕らは何を夢にしてよいやら、茫漠たる思いでこの歌を聴いた。『赤い靴のタンゴ』は後に私が発表した『ビーライフ!』というミステリーでも少し引用させてもらった。それまで、半世紀のインターバルがある。二木先生、ありがとう。成秋

投稿: 濱野成秋 | 2016年11月16日 (水) 14時09分

以前「赤い靴」のところでコメントしたとき、その一行下のこの「赤い靴のタンゴ」に目が留まっていました。 というより、こちらの方が私の人生の上から、もっと思い出深い懐かしさいっぱいの曲なのです。

この歌が作曲されたのが昭和25年とのことです。
私は昭和27年、中学3年になる春、先に上の学校に入るため上京していた兄姉を追って上京し、鶯谷の母の実家で生活することになりました。この歌を覚えたのがその頃です。 それまでは歌を唄うのが好きだといってもただメロディーを追っていただけでしたが、このころから歌曲にはそれぞれリズムというものがあると知り、そしてこの歌がタンゴのリズムなのだということを認識したのでした。 といってもタンゴとかブルースとかボレロとか、細かいところは未だに分かりません。つまりは楽才がないんですね。 楽譜もいつまで経っても読めないし。
だけどこの曲はいいですね。独特のリズが妙に魅力的で、たちまち好きな曲の一つになりました。 それに歌詞の「涙知らない乙女なのに、、、」なんて、少年の心に随分刺激的でした。 そしてこの曲こそが私の青春時代の始まりだったのです。

昭和の30年代、物凄い量のリズム、歌曲が紹介されてきたように思われます。 (田舎ではクラシックも軽音楽も聴く機会などはあまりありませんでしたし) 勿論ジャズやタンゴなどは大正の頃からあったようですけれど、このころいっぺんにあふれ出てきた感じでした。 その内私が特に好んだのがラテン音楽でした。 リズミカルで明るくて。 歌詞の意味を知りたくて、学校でわざわざ文学部のスペイン語を聴講させてもらったりしました。
そのラテンの中でも特に私の心を捉えたのがタンゴでした。 もうすっかりのめりこんでしまいました。
勿論初めは「ラ・クンパルシータ」から、「アディオス・パンパ・ミア」「ア・メディア・ルス」「カミニート」、、、etc,etc.   楽団もフアン・ダリエンソ、フロリンド・サッソーネ、エンリケ・ロドリゲス、、、etc,etc.  サッソーネの演奏の切れの良さは素晴らしいし、エンリケの尻切れトンボ演奏も面白い。
当時ラテン音楽ブーム乗って、NHKに「これがタンゴだ」という番組があって、いろいろタンゴについて勉強になりました。 ただ随分と専門的になってきて、タンゴ・ポルテ‐ニョは、ブエノスアイレスの港町に発生したミロンガから派生したものということでミロンガの紹介が始まったのですが、私にはこのミロンガが合わなくて好きになれませんでした。 と、そこへ現れたのがコンチネンタル・タンゴでした。 これがまた名曲ぞろいでした。 筆頭は「碧空」、そして私は「バラのタンゴ」「夢のタンゴ」「夜のタンゴ」を名曲中の名曲三タンゴとして好んだものです。 勿論、他の曲もそれぞれ実に素晴らしい。
楽団は勿論アルフレッド・ハウゼ、マランド。 心まで踊り出しそうな演奏をしますね。

日本の楽団も素晴らしかった。 早川眞平とオルケスタ・ティピカ・東京、西塔辰之助とオルケスタ・ティピカ・パンパ、坂本政一とオルケスタ・ティピカ・ポルテ―ニャ、チャーリー石黒の東京パンチョス、見砂直照の東京キューバンボーイズ、原孝太郎と東京六重奏団、それぞれタンゴばかりではなく他のラテン音楽を演奏しますが、ラテン的なものを巧く日本人に合うように演奏します。 巧みなんですね。

当時、銀座八丁目の土橋に近いところに早川眞平実演のタンゴ喫茶がありました。 (昼はレコードだけの喫茶店ですが、夜にはお酒が主になります。これをタンゴ喫茶とよんでいいのかいまだに分かりません)
早川眞平とオルケスタ・ティピカ・東京、日本最高のタンゴの演奏が楽しめました。 奥さんの藤澤嵐子の歌唱が素晴らしかった。 そのころこの楽団に加入した菅原洋一が、まだ持ち歌がなくて、いつも「青い背広で」ばかり歌っていたような記憶があります。

当時銀座表通りに、あの有名な「銀巴里」があって、そこでは丸山明宏が「メケ・メケ」を唄っていましたが、私はあの女っぽい姿が嫌いで、一度も行かなかった。 そこはシャンソン的で、当時の有名な文士たちが通っていたようです。

タンゴを中心とした私の青春は浅草で終ることになりました。 東京で最初に住みだしたのが鶯谷だったものですから、遊び場はノガミやエンコで、高校の時中野に自宅が出来てからも、中学高校の仲間が台東区中央区なものですから、ずうっと遊び場はエンコ(浅草)が主でした。
当時浅草には、西の宝塚に対抗した松竹少女歌劇団の本拠、国際劇場がありました。 私は少女歌劇などあまり興味はなかったのですが、ある時仲間から、国際劇場の「アトミック・ガールズ」のラインダンスがすごいぞと誘われ、一緒にでかけていきました。 これは凄かった。 見目よきおみ足がおよそ五、六拾本、ずらりと並んでタッタッタ、これを凄いと言わずして何と言おうか。

この後、私たちの主眼ではなかった歌劇でした。 松竹歌劇団、水之江瀧子はずっと以前に退団していたし、川路龍子、小月冴子も全盛を過ぎ、時の主役を務めていたのは松竹歌唱舞踊学校を首席で卒業したという草薙耀子でした。(昭和35年、倍賞千恵子がこれまた首席で卒業し入団したころ)
この時の歌劇がタンゴ「さらば草原よ」でした。(スペイン語のアディオス・パンパ・ミアだったかも知れない) この時の草薙耀子のガウチョ姿が美しかった。 真っ赤なブラウス、黒いヴェスト、黒いパンタロン、黒いかんかん帽をちょっと斜めに被った姿、すっかり私の心を捉えてしまったのでした。
それからの私の行動をここに書いてもしょうがないが、私はなんとか逢ってみたいと試みました。当時は普通の人でも男女の交際は厳しかったし、ましてや姿が命のダンサー、男と付き合えばすぐに体の線が崩れます。ということで、劇団側は絶対に逢わせようとはしませんでした。 我が人生最大の悲劇でした。
後、菊地寛の「真珠夫人」を読み、「耽美に溺れる」という言葉を見て、いい言葉だなと思ったときに、ふと草薙耀子の事を思い出したのでした。 あの時私は、確かに草薙の美しさに耽溺していたのだと思う。
惚れてしまったのならなぜもっともっと追わなかったのか、後悔の念もいささか残りました。

その後すぐに社会生活が始まり、外国にばかり居て音楽をたのしむ機会もすっかりなくなってしまいました。
私の青春は「赤い靴のタンゴ」に始まり「さらば草原よ」で終ったのでした。

もう60年ほども前のお話です。
長い文章、ここまでお読みいただきありがとうございました。

投稿: 田主丸 | 2023年1月16日 (月) 00時27分

この項の蛇足欄に、英国映画「赤い靴」と述べられています。 これは私にとって決して忘れることが出来ない、印象深い映画なのでした。

当時、中学校では、優秀映画が上映されると、全校挙げて(学年別に日を変えて、入場料学校もちで)鑑賞にいったものでした。 この映画は、私が中学校2年の時だったか、久留米の映画館までみんなで揃って出かけていきました。

この映画はバレーの天才といわれた、スコットランド出身のモイラ・シアラーの紹介映画です。
劇中のバレー劇「赤い靴」を踊るモイラ・シアラー演ずるヴィクトリア・ペイジ(ヴィッキー)のバレーダンスの素晴らしさ、見事さ、バレーなど初めて目にする中学生でも驚嘆致しました。 「美しい」以上の語彙を知らないのを残念に思う。 舞踊というものは(日本舞踊も含め)、単なる芸能ではなく芸術なのだということが十分に知らされたのでした。
それと共に、ヴィッキーと組み、デュエットで踊る男性バレーダンサー(オーストラリア出身の映画俳優、バレーダンサー)ロバート・ヘルプマンが凄かった。 デュエットだから二人組んでいるのに、まるで一個体のようになって踊り廻ります。 最後にヴィッキー亡きあと、ヴィッキー無しでこの「赤い靴」バレー劇が上演されるのですが、そのときこのロバート・ヘルプマンが(劇中の名前は忘れました)、あたかもヴィッキーを胸中に抱えているかのような形で独りで踊り廻るのです。 巧いですねえ! ただただ感嘆するばかりでした。

またこのバレー団団長レルモントフ(こちらは俳優名を忘れました)の、ヴィッキー無き上演の始まり時、幕前での観客への語り掛けが感動的でした。
”Ladies and gentlemen!,,,I'm sorry to say that,,, miss Page is ,,,unable to dance tonight.”
悲しみをこらえ涙を抑えて、つっかえつっかえ観客に語り掛ける言葉が胸をうちます。

ヴィッキーに魔法の赤い靴をすすめる魔法使い役のダンサーも実に感情豊かでよかったし、その他の大勢のダンサーも皆な見事な踊りを見せていました。 おそらくヨーロッパ中のバレーダンスの名手を集めてきていたんでしょうか。

この映画「赤い靴」は私の最初に見た英国映画だと思いますが、これまでに見た英国映画の中でも最も優れたものだという思いがあります。 映画の初めから終わりまで殆ど全場面覚えています。

この映画から私は二つの事を学びました。
一つは英語の発音ないし話し方の事。
英語の発音は個人によりばらばらですが、矢張り言葉はその国での最も正しい発音をきちんとした話し方で話すのが正しい態度なのだということを学びました。 バレーの社会を巡る人々はきちんとした階級の人々なのでしょうが、英語の発音、話し方がじつに綺麗でした。
(近頃、ネイティヴ英語を学ぼうなどという声を聞きますが、これには間違いのないように気をつけて頂きたいものです。 yes を、ヤーとかイェアーなどと言うのは止めてほしいものです。 近頃のアメリカ映画の英語は汚らしい)

二つ目は人間としての挙措の問題です。 欧米は今でも階層社会ですが、きちんとした人々はやはりきちんとしたマナーを守ります。 バレー界をめぐる人々はおそらくきちんとしたマナーを心がけているのでしょう。 この映画でも人々の衣装、動きが実に端整でした。 

さて最後に、何故ヴィッキーが自殺に追い込まれてしまったのか。 バレー劇「赤い靴」を作曲した新進作曲家クラスターとヴィッキーとが相思相愛の仲となります。 嫉妬した団長レルモントフからクラスターは馘になります。 クラスターはヴィッキーに自分と一緒に出ていこうと迫ります。 ヴィッキーは悩みます。せっかく得たばかりのプリマドンナの地位を捨てるべきか否か。 悩み苦しんだ挙句に、新たな上演の直前に列車へ飛び込むことになったのでした。
この映画を見たのが中学生の時、このような問題は余り気にもならなかったのでしたが、後日グレアム・グリーンの「おとなしいアメリカ人」を読んだときに、男がある女を好きになった時、相手の状況も構わずにどれだけ迫っていけるのか、暫く考えさせられたことがありました。 日本人は常に、自分がこういう態度行動に出たら人が迷惑するだろう、困惑するだろう、損害を蒙るだろうと考えた時には身を引くのが通常です。 身を慎むのが日本人の最好の性向です。 西欧人にはそれがありません。 ただ、愛したんだから、たとえ人の者でも自分の者にしようとするのは当然と考えます。(「者」という言い方に蔑視はありません。 念の為)

この問題は難しくて、既に色恋に関係がなくなったいまでも分かりません。
ただ、映画「ピクニック」のウィリアム・ホールデンを酷い奴だと怒ったのは事実です。

まあ、そんなことよりこの映画は実に素晴らしい映画でした。
DVDがツタヤにあるかも知れません。ぜひご一覧下さい。

投稿: 田主丸 | 2023年1月26日 (木) 02時58分

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