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2007年8月26日 (日)

今日の日はさようなら

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:金子詔一、唄:森山良子

1 いつまでも絶えることなく
  友だちでいよう
  明日の日を夢見て
  希望の道を

2 空を飛ぶ鳥のように
  自由に生きる
  今日の日はさようなら
  また会う日まで

3 信じあうよろこびを
  大切にしよう
  今日の日はさようなら
  また会う日まで
  また会う日まで

《蛇足》 昭和41年(1966)に森山良子が歌って以来、卒業式やキャンプファイヤーなどの際によく歌われるようになりました。レコード発売は翌年8月25日。
 ただし、曲は昭和30年代後半にはできていたようです。

 金子詔一は立教大学理学部卒で、合唱指導や英語教育に携わってきました。東京都知事選に立候補したことがあります。

(二木紘三)

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コメント

心が洗われるようないい曲です。1番、2番、3番・・・どの歌詞も好きですが、特に3番の「信じあうよろこびを大切にしよう」がいいですね・・・

投稿: エスペロ | 2007年11月26日 (月) 20時44分

いま、近くの居酒屋のカラオケで、最後にこの曲を歌ってきました。(916点の高得点でした! 私事で申し訳ありません。)
森山良子の歌声は本当に澄みわたっていて、心の底に染み入るようです。また、歌詞もメロディーも伸びやかにして大らかで歌いがいがあります。
カラオケでも会合でも、最後にはこの歌を歌うのがマッチしているようですね。エスペロさんが言われるように「信じあうよろこびを大切にしよう」の歌詞が素晴らしいです。
これからも、カラオケなどでこの歌を大いに歌っていくつもりです。金子詔一さん、二木紘三さん、本当にありがとう。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年3月18日 (火) 21時17分

この歌の出会いは、教会のミサの中で若者が、ギターを持って演奏し、みんなで譜面を見ながら歌ったものです。後に森山良子さんの歌であることを知りました。

投稿: 昔の少女 | 2008年6月 1日 (日) 21時47分

オカリナの楽譜集を買ったら、知らない歌が沢山あって、検索していた所、ここに来ました。私は昭和39年の早生まれですが、多分、中学校の卒業式で歌いました。(北海道の田舎町です)とても好きで、鼻歌でも時々歌うのですが、2番のさようならあたりで悲しくなってしまいます。当時、卒業式にこの歌を歌うのは、大人にとっては斬新だったのですね。森山良子さんの歌だったとは知りませんでした。私も今度カラオケで歌ってみます。でも、きっと泣いちゃうな。

投稿: 埼玉のエリザベス | 2008年7月18日 (金) 00時30分

当時学生運動の方たちもよく歌っていたようで。。。学生運動の香りがする歌と言う風に捉えておりました。
矢嶋さん。。。こんな所でお会いするとは。
矢嶋さんのあったかい仲間意識が私は好きです。
蛇足で金子さんと言う才能豊かな方の事を知った訳ですが。。。こういう愛情豊かな方は都知事などには向かなかったでしょうねぇ。


投稿: sunday | 2008年7月18日 (金) 07時10分

sundayさん、お久しぶりです。
この歌は歌詞もメロディーも大らかで良いですね。友愛や仲間意識が感じられて、歌っていてほのぼのとした気持になります。 この前は、カラオケで歌って916点などと恥ずかしいことを言ってしまいましたが、これからも歌っていきたいです。
sundayさんのコメントを読んで、つい一言述べてしまいました。どうぞ、お元気で。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年7月18日 (金) 10時32分

この歌に思い出があります。
私は青森八戸出身ですが、今から30年前、東京在住の人達の為に東京お茶の水東京會舘で同窓会が開かれました。そのとき高校時代憧れの音楽教師と20数年ぶりにお逢いする事が出来ました。同窓会の終わりに唄ってくださったのがこの〔今日の日はさようなら〕です。去年帰郷したとき父母の墓参りに出かけ、父母の墓の近くに先生おの墓があることを嫂に聞いてお亡くなりになったことを知りました。大変美しい声の先生でした。

投稿: おキヨ | 2008年7月18日 (金) 23時38分

いつの頃からか、卒業式のお別れの歌に「蛍の光」や「仰げば尊し」が歌われなくたって、「きょうの日はさようなら」などの今の子供にわかる歌詞の歌に変わってきていると何かで読みました。

あんな良い歌をそんな理由で、嘆かわしいと思いましたが、6年前にこの歌を聞いて「いい歌だな」と認識を改めました。

この曲は埼玉県の「いきがい大学」(老人大学)の本日の授業が終わったとき、起立して皆で合唱するときの歌になっています。ちなみに、授業が始まるときは「四季の歌」です。もう、殆ど校歌ですね。よそでも、このような例はいっぱいあるのではないでしょうか。

投稿: 吟二 | 2008年11月16日 (日) 14時52分

好きな曲の一つです。
だから、とても気にかかるところがあります。
2番の ♪空を飛ぶ鳥のように 自由に生きる♪
ですが、鳥は本当に自由なのでしょうか?
鳥は生息環境に適合しないところでは生きていけません。
森に縛られる鳥 海に縛られる鳥 気候(季節)に縛られる鳥・・・
やはり人間が一番自由?
快適さを求めて、時間に追われる不自由な生活。

 

投稿: コーデリア | 2009年3月 2日 (月) 22時26分

高等部の卒業式の後の謝恩会でこの歌を高等部全員で合唱しました。
私たち、卒業生は泣きジャクリながら、歌いました。
あれから28年。
当時の事を懐かしく思い出しています。

投稿: C,M | 2009年9月 8日 (火) 19時49分

私がこの歌を覚えたのは前期高齢者になってからです。

それまで「いい歌だな・・」と思いましたが この歌は「仲良しの若い女性が手を取り合って歌うきれいな歌」で
音痴の私には「聞くだけの歌」と思っていました。

65歳定年後 就活でハローワークに行っても、「あなたの年齢では求人はほとんどありません」と言われ、一生懸命書いた私の履歴書をみたハローワークの職員は 「このようにビッシリ書いたら 会社の若い人事担当者にプレッシャーをかけるだけで読んでもらいませんよ。」と書き直しを勧められました。
   結局 3回書き直しました・・。

その頃「人生に定年はない」を信条としていた私は ①お金がかからない ②家族の理解を得られる ③人のためになる ④好きである 4つの条件を満たしてくれるものを並行して探していました。
 
 66歳を超えて思いがけものに出逢いました。
それは プロの脚本家がボランティアで立ち上げた「素人芝居」でした。
  
  ・ 人生は芝居である。生き方が芝居に出る。
  ・ 演劇はひとの個性の表現である。日常の生活に表現力が生かされる。
などを学びながら 素人芝居に取りつかれました。

約2時間ぐらいの芝居のフィナーレで全員がお客様の前で歌う歌が「今日の日はさようなら」でした。

約10か月間の稽古では 演出家は私に「訛りがある、芝居を壊すのか、相手のセリフを聞いて喋れ、こちらがセリフを忘れると 相手役が可哀そうだ」、「音程がおかしいそこは口パクで・・」とダメ出しの連続でした。

私はくじけそうになりながら「人間修養、人間修養・・」と言い聞かせながら稽古をし公演日を迎えました。

満員のお客様を前に
   信じあう喜びをたいせつにしよう
    今日の日はさようなら
   また会う日まで   また会う日まで ♪♪  

みんなと歌っているうちに最初は達成感で笑顔で歌っていました。
しかし「信じあう喜びを大切にしよう・・」あたりから涙が止まらなくなりました。「また 会う日まで」を歌い終わり 沢山の拍手に・・感謝をしました。


投稿: けん | 2016年10月10日 (月) 15時49分

この歌を知ったのは、こどものキャンプファイヤーに付いて行った時だったように思います。詞も、メロディも優しく唄いやすいので、すぐみんなで歌えるようになった記憶があります。
 作詞をした金子詔一の「『今日の日はさようなら』はどのようにして生まれてきたのか」(ネットで検索)を読むと、この歌は、昭和30年代後半の過激な学生デモやフォークゲリラに加わる勇気のなかったかれの、せめてもの意思表示だったようです。かれのことばを借りると、「臆病者で柔弱な戦争反対論」を歌で表現したということでしょうか。この歌を作った直接的契機は、1963(昭和38)年に、当時、冷戦状態の西ドイツに行き、ベルリンにある“東西の壁”の悲劇を実感したところから生まれたようです。「自由」を求め、この壁を乗り越えようとして生命を落とした人々、政治的、思想的な対立から相互不信に陥って、どうしても仲良しの友だちになれない現実の人間。その醜い人間どもの争いをよそに、上空を飛ぶハトは「自由」に“東西の壁”を越えている。なんともハトが羨ましい、そんなかれの想い(願い)が、この歌には込められているように思います。
 そういう視点からみると、この歌は反戦歌、プロテスト・ソングと見られなくもない、のですが、金子詔一も言っているように、この歌はもうかれの手を離れて「みんなのものになっている」ようですから、人それぞれの「出会い」と、それを大切にした「お別れ」ソングとして唄われても一向にかまわないのでしょう。「日本の歌百選」(文化庁・日本PTA全国協議会主催 2007年)にも入っているそうです。
 当初、金子詔一が関係していたサークルで唄った時の歌詞は、1~3番まで終わりの2行は「今日の日はさようなら また会う日まで」で共通していましたが、The Froggiesというフォーク・バンドが上掲の歌詞に変更するように申し出て、そのようになったとのことです。

投稿: ひろし | 2016年10月12日 (水) 13時59分

なつかしい曲です
 
キャンプの しめ の曲でしたね
 
昔々の キャンプの情景が思い出されてきます

作詞された金子詔一氏の 心の流れなど全く知らず歌っておりました  また ひろしさまのコメントで意味を知ることができました  有り難うございます

 今日は 高校時代の親友と話しておりました 内容は とるにたらないことだったのですが ほんと気持ちよく笑いあっておりました  同級生で 利害がなく 長くつきあえる  もちろん縁 相性 運不運 など いろんな要素があるのでしょうがーー  これってほんとうに有り難いことだなぁ とつくづくと再認識したところです
  
 国会中継をみてても 都議会のニュースをみても腹立たしいことばかり  また 情報発信が自由になりすぎて
 仕事で苦しみぬいて自死された方にまで鞭打つような発言もなされる始末  ほんとうに この国はどうなってしまったのか  まだまだ異常な方向にすすむのか

 月光仮面 必殺仕事人 の登場を切望している 今日この頃です   人まかせにせず 段階の世代のあのありあまるほどのエネルギーを 皆どうしてしまったのだろうとも感じています 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年10月12日 (水) 22時44分

ひろし様同様、子供のキャンプファイヤーで唱和しました。懐かしくて涙がこみ上げてきます。
「少年自然の家」に地区の子ども会単位で毎年行きました。持ち回りの役員で不満たらたらだったが今では良い思い出になっております。

能勢の赤ひげ様にも共感いたします。
たったいま読了した磯田道史の著書
「無私の日本人」を日本の政治家全員に読ませたいものです。「武士の家計簿」「殿利息でござる」の原作者です。
取り上げた人物同様に著者自身にも清廉の血が流れていることを実感。時として磯田氏のような素晴らしい方が現れるのですね。

投稿: りんご | 2016年10月13日 (木) 17時42分

 この歌は中学時代に学校の夏のキャンプのとき、キャンプファイアの最後に歌ったのが最初で、それから何回か参加したキャンプで歌い、それっきりでした。
 それが今年の夏、小5になる孫が「この歌知ってる?」と訊いてきました。キャンプで歌ったとのこと、まさに半世紀以上経ってから孫と歌いました。彼は好きな歌と言っていました。驚くやら嬉しいやらでした。

けんさま
 2016.10.10のけんさまコメントの中で「66歳をこえて思いがけないものに出逢いました。それはプロの脚本家がボランティアで立ち上げた素人芝居でした。」
 もしやそれは埼玉の彩の国での、演出家はあの有名な蜷川幸雄氏でしたか?
もしそうでしたら、さぞかし稽古は容赦ないものでしたでしょうね。それだけに達成感はすごかったと思います。蜷川さんではなくても10ヶ月に及ぶ稽古での晴れ舞台のこの歌のコーラスはむねの熱くなる思い出でしょうね。

投稿: konoha | 2017年12月 4日 (月) 19時21分

konohaさま

本日も 寒い一日でしたが近くの城北中央公園で午前中 草笛の練習をしました。「今日の日はさようなら」は心にジーンとくる歌です。お孫さんいい歌に出会われましたね

幼稚園児などには「小さな世界、ハッピーバースディ」、野球をしている少年たちには「鐘の鳴る丘、栄冠は君に輝く」、シニアの方には「故郷、今日の日はさようなら」などを意識して吹きました。二木先生の素晴らしい演奏を参考にしています。二木先生の説明される作曲の背景は抜群です。
最初 つつじの葉で吹いていましたが、スパティフィラムやベンジャミンの葉がいい音色が出ると聞きましたので、後半はそれに変えました。

蜷川幸雄さんの劇団に入りたかったのですが、「蜷川さんより上手な劇団にする」という主宰者の熱意、意気込みに感動して他のアマチュア劇団のオーディションを受けました。
60名以上の応募者の中から30名ぐらい合格。毎週 日曜日、休日は稽古に明け暮れました。1ヶ月後には20名位に減少し追加募集も何度かありました。
かってTVの人気ドラマを書いていた人が脚本・演出をしました。
1年後 2日間の舞台公演をしますが10数名しか出演できません。途中から入団する人、エキストラ・再現ドラマで映画・TVに出演している人、歌や踊りの上手い人もいて出演するにはいくつもハードルがありました。

毎回、毎回の稽古に全力でぶつかりました。まさに「今日の日はさようなら」の言葉通りでした。「時々 蜷川劇団はもっと厳しい」と激を飛ばされました。
 運よく毎年出演できました。
公演後 中村雅敏さんや秋野大作さん、鎌田敏夫さんからお褒めの言葉をかけられたこともあります。人生修行でした。現在は演劇・ミュージカルなど「団体」で行うものより草笛・詩吟など「個人」でできるものにシフトしています。・・一緒にやろうという声もかかりますが・・

投稿: けん | 2017年12月 4日 (月) 21時17分

 すごいですね。熱気を覚えてしまいます。何人もの人達が次から次へと脱落していく中で、毎年出演しているなんて、けんさんはもう俳優なのですね。そして今度は個人で、とはすごいエネルギーです。いいですね。陰ながら応援しています。

投稿: konoha | 2017年12月 4日 (月) 21時33分

1960年の安保デモの際、国会前から銀座まで移動し、銀座の大通りいっぱいに広がって手をつないで歩いたことがありますが、その時最後に歌っていたのがこの歌だったと記憶しています。森山良子の歌唱で発表された時期より7年も前なので記憶違いかと思っていましたが、実際にはその数年前からうたわれていたと言うことを知ってホッとしました。それまで我々はインターナショナルの格調高い歌詞とメロディーに酔っていましたが、あの銀座通りいっぱいに広がってこの歌を歌ったときの感動はそれ以上でした。森山良子のイメージが強すぎて、作詞・作曲者の金子詔一氏が無視されているのが残念です。

投稿: 関口益照 | 2023年9月17日 (日) 22時50分

 管理人さんが「ただし、曲は昭和30年代後半にはできていたようです。」
と書かれているのは私がメールして追加されました。

 昭和38年に高校を卒業しました。
「仰げば尊し」を練習している時、出来立てのほやほやの歌です」と
♪今日の日はさようなら」を習いました。
「今年は♪仰げば尊し ですが来年からは♪今日の日はさようなら になります」
 “出来立てのほやほやの歌”と言うことは38年の2月迄です。
  (公立は3月1日が卒業式で、2月はそれ迄お休みがありました)
 
  作者のプロフィールをみていたら1963年の西ドイツの旅がきっかけとか。
“帰国して、しばらくして 『今日の日はさようなら』 は生まれたのだった−−−。”
歌碑建立委員会の方に尋ねると、本人に訊いても「正確に覚えていない」とか。
それから7年間気になっていました。
 でも関口さんのコメント、やはり早くに作られていたのですね。

投稿: なち | 2023年9月18日 (月) 14時56分

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