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2007年8月 4日 (土)

出船

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:勝田香月、作曲:杉山長谷夫、唄:藤原義江 他

1 今宵(こよい)出船か お名残惜しや
  暗い波間に 雪が散る
  船は見えねど 別れの小唄に
  沖じゃ千鳥も 泣くぞいな

       (間奏)

2 今鳴る汽笛は 出船の合図
  無事で着いたら 便りをくりゃれ
  暗いさみしい 灯影(ほかげ)の下(もと)
  涙ながらに 読もうもの


《蛇足》
昭和3年
(1928)レコード発売。

 この年は、銀行の取り付け騒ぎが相次いだ前年に引き続いて、深刻な不景気風が吹きすさび、労働争議が頻発しました。
 また、大陸では関東軍が張作霖爆殺事件を引き起こすなど、日本は破局への道を突き進んでいました。そうした閉塞状況下にあった人びとの心情に、この歌の暗鬱なムードがマッチしためか、盛んに歌われました。

 勝田香月は明治32年(1899)、静岡県の沼津町(現在は市)に生まれました。
 18歳のとき、石川啄木を慕い北国に憧れて、北海道から秋田をめぐった際、秋田県の能代港や北海道の小樽港でこの詩の想を得たといわれています。
 この歌は、23歳のとき出版した詩集『心のほころび』に収録されました。歌碑が同市沼津港口公園に建っています。
 長い間奏があります。

(二木紘三)

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コメント

1928年にレコードが発売されていますが、この頃には世界の大不況の嵐が日本にも押し寄せました。ちょうど80年後の現在の状況とよく似ています。現役の藤原義江さんは1度聴いたことがあります。ドン・ホセの役柄のアリアでした。
曲としては暗いムードだけど、人の心を打つ何かがありますね。

投稿: 三瓶 | 2009年2月 6日 (金) 16時49分

出船・・・勉強になりました。時代背景を教えていただいたことで、この歌の浸透感が少し理解できました。
ありがとうございました。

投稿: 山野辺 修 | 2010年4月27日 (火) 01時15分

哀れっぽい歌もいろいろあるが、この歌は私には、哀れっぽさを感じる歌の最右翼の一つ。何をやってもうまく行かなかったり、明日のことを考えるとうんざりしてしまう時には、犬の散歩の間中、このメロディを口笛で歌っている。それにしても誰が誰に歌っているのか。女郎屋の女がなじみにだろうか?そう思うと多少艶っぽくなる。

投稿: 尾野豊 | 2016年4月17日 (日) 19時11分

18歳の作品とは驚きました。時代情景を映した名曲、ロマンを感じ大好きです。

投稿: 谷川 誠 | 2016年5月16日 (月) 03時50分

谷川様の「18歳の作品とは驚きました。」のコメントに同感しますが、歌詞の中身の感想は、尾野様のコメントに近いものをわたしも持っています。
 作詞者 勝田香月が18歳にあたる年は、大正6(1917)年です。世界情勢を見ると、第一次世界大戦の真っ最中で、その恩恵を受けた日本は、海運業を中心に大戦景気に沸いていました。しかし、農村部にこの好況の波は及びませんでした。とくに東北地方では、貧窮に喘ぐ農家が多く、追い詰められて娘を身売りするケースがかなりあったようです。こうした娘の売られた先の多くが、花柳界の遊女であったことは想像に難くありません。尾野様がコメントされているように、この歌は哀しい境遇にある遊女と、馴染みの客との悲しい別れ歌のように思いますが、着想は作詞者香月の実体験から得られたものか、想像の産物なのか、は分かりません。ただ、この歌から、救いようのない境遇に身を置く女性に寄せる、かれの温かい眼差しが感じられます。
 後年、かれは政治家に転身し、社会民衆党(社会党の系列)の町会議員(東京市中野町〈現在の中野区〉)として活躍したそうです。
 

投稿: ひろし | 2016年5月18日 (水) 10時33分

私は香月のひ孫にあたるものですが、こうして曽祖父の書いた詩が語り継がれていくのは嬉しいものです

投稿: 香貫山 | 2016年6月14日 (火) 22時08分

40年前になりますが、私は勝田香月氏が終焉を迎えた、世田谷区の自宅に下宿しておりました。
下宿の小父さんから「君は秋田か、では出船の歌を知っているね」と言われ、正直に「知りません」と返事をしました。

投稿: 加藤統義 | 2017年3月 8日 (水) 22時02分

還暦過ぎですが、この唄を幼い頃より時折、藤原義江さん
や倍賞千恵子さん声で知っていましたが歌劇調に歌われる
ので歌詞もあまり身近な印象がありませんでした。最近故
人の村上幸子さんが二十八年前ステージで歌われた動画を視聴し、彼女の歌の上手さか優しくハッキリ伝わる高音で
聴き、高貴な歌でなく、身近な社会模様を感じ、何度聴い
ても涙が込み上げ感動しています。詞の内容を思うと、夜
に出船する程社会的に隔離された地域の女性と一般の男性
の悲恋に思えます。

投稿: 三田博行 | 2017年6月22日 (木) 00時09分

 「出船」は、出生地能代市の者として、忘れることのできない素晴らしい歌だと思っています。
能代市内は、勝田花月の記念ポールが何カ所か建てられています。

 私の父が能代消防署の臨時職員として働いていた昭和24年2月20日未明に発生した「能代第一次大火」(被災世帯数は1,755世帯で、8,790人が被災)では消防署員として消火活動に走りました。自宅が、飛び火により全焼したことは午後になってから知ったようです。
 戦後の不景気と大火の類焼で大変な暮らしになったことに加え、復員兵が多くなった頃のことで馘首され、苦しい生活を余儀なくされていたことで高校進学は諦めて就職しました。その後、自営業となり、やはり高校だけはと26才で夜間定時制高校に入学し4年で卒業しました。
 その卒業記念の恩師と同級生とのお別れ会の食事の席で、勝田花月作詞の「出船」の能代市との縁を説明をし、唄わせていただいたことを懐かしく思います。

投稿: 浦田 芳明 | 2019年8月20日 (火) 18時03分

ついに、ふるさとに鉄道はこず、みなとに船も帰ってこなくなりました。20代失恋したとき書いたものです。

 海峡の波は荒く
 船乗りは辛うじてロープを握っていた
 エピローグの予示さながら
 航跡は暗夜に消えていった

 流れる歴史に留まるものがあるなら
 見つめる瞳のささやきかあるいは祈り

 壊れた約束と自ら誓う旅立ちと

 春陽に映された岬の灯台に白鳥が一羽舞っている

 顧みれば遠く
 再びは会わないであろう
 人の 懐かしい面影にも似ていた

投稿: 樹美 | 2019年8月21日 (水) 11時06分

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