ネオン川
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:横井 弘、作曲:佐伯としを、唄:バーブ佐竹
1 誰が名づけた川なのか 2 義理に死んでく人もある 3 泥にまみれた川だって |
《蛇足》 バーブ佐竹はクラブ歌手を経て、昭和39年(1964)、キングレコードからデビュー、『女心の唄』が大ヒットし、日本レコード大賞新人賞を獲得しました。
ソフトな低音と語りかけるような歌唱法で人気を得ました。
『ネオン川』は昭和41年(1966)のヒット曲です。
(二木紘三)
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:横井 弘、作曲:佐伯としを、唄:バーブ佐竹
1 誰が名づけた川なのか 2 義理に死んでく人もある 3 泥にまみれた川だって |
《蛇足》 バーブ佐竹はクラブ歌手を経て、昭和39年(1964)、キングレコードからデビュー、『女心の唄』が大ヒットし、日本レコード大賞新人賞を獲得しました。
ソフトな低音と語りかけるような歌唱法で人気を得ました。
『ネオン川』は昭和41年(1966)のヒット曲です。
(二木紘三)
コメント
バーブ佐竹は若くして亡くなられと思いますが、(ご存命ならすいません)独特の歌唱方で女心を唄い全国のバーの女性をとりこにした様に思います。
投稿: M.U | 2008年6月22日 (日) 08時40分
犀川といえば金沢ですが、実は信州にもあるのですよ。この
川は川中島の戦いにチラッと出てくるだけで無名に近い川に
成っています。改名して梓川はどうでしょう、反発を覚悟の
うえです。(故郷を捨てた男)
投稿: 海道 | 2008年12月11日 (木) 16時46分
横井弘の数あるヒット作の中でも「あざみの歌」と並んで味のある詞だと思います。ネオン街で働く女性達に日を当てた名作だと思います。
投稿: 海道 | 2012年11月 9日 (金) 19時37分
今、この曲を聴きながらその当時のことを懐かしく想い出しています。
20代前半の独身時代、仕事帰りに街中の居酒屋に一人で飲みに行くのが何よりの楽しみでした。
50歳代前半のママさんでしたが、なかなかのキップの良さで常連のお客さんからは抜群の人気がありました。
人気の秘訣は、仕事のことや若者の悩みなどの愚痴を快く聴いてもらえたことを想い出されます。
当時は、カラオケもなくカウンターの隅っこにあったポータブルプレイヤーからこの曲が流れていました。
投稿: 一章 | 2016年10月17日 (月) 20時37分
男がモテるにもTPOがあると思います。バーブ佐竹が証明しています。水商売の女性にモテたそうですが、むべなるかなと思います。
水商売の女性にもいろいろな方がいますから、もちろん全員とは言えませんが、おおむね何か影があって、すなわち深い人生経験を経てこの商売をやられている方が多いと思います。すなわち、姿かたちが良いイケメンより、ある意味ではチャラい女には人気のない誠実な、そして私が守ってあげたいような、そんな少しブスな男に惹かれるのではないでしょうか。内面重視、決め手はややブス男ですね。
そんな意味で、佐竹が水商売の女性たちにモテたのだと思います。あの分厚い唇もセクシーだったのじゃないかと思います。以上、私があのころバーブ佐竹に感じた直感ですが、皆さんはどう思われますか。
投稿: 吟二 | 2016年10月17日 (月) 21時02分
懐かしさの余り、続けてのコメントをご容赦ください。
早速ユーチューブで聴いてみました。
直前までイケメンの舟木一夫を見ていたのですが~。
バーブ佐竹はなぜに水商売の女に人気があったか?
酒場女の境涯を歌っているからではないでしょうか。
水商売に生きる女性は歌に自己投影したのでは?
バーブ佐竹~イケメンではないが
なかなかイケボです。イケボもモテる要素の一つと思います。@ご存知とは思いますが~イケボ~ボイス~魅力的な声の持ち主と注釈させてください。
容貌も渥美清に通じる愛嬌と哀愁があり女心をくすぐったとも言えそうですね。
ついでに「女心の歌」も聴いてみました。
社会に出てすぐの歓迎会で歌のうまい先輩社員が歌いました。一章さまおっしゃるようにカラオケもない時代でした。とにかく懐かしい。余談ですが~懐かしいの感情は自律神経を整え長命に結びつくそうです。
ラジオ深夜便 ないとエッセイー 小林弘幸氏
(順天堂大学医学部教授)あなたの知らない自立神経の話~より
投稿: りんご | 2016年10月17日 (月) 22時26分
りんご様 早速の「懐かしい感情」についてのコメントありがとうございました。
これからも、昔の出来事や想い出を大切に蓄えなしながら明日への希望・夢を持ち続けたいと思います。
ありがとうございました。
投稿: 一章 | 2016年10月17日 (月) 22時58分
バーブ佐竹の本名は佐武豊(さたけゆたか)と言い、佐武を「さぶ」と読み間違えられることが多かったため、芸名は「武」の代わりに「竹」を充て、竹の英訳バンブーをもじってバーブとしたそうです(Wikipedia)。
やさしい顔つきや幼な顔の草食系男子(10~30代)が目立つ今日この頃ですが、昭和20~30年代はオッサンみたいなごっつい青年が多かったものです。どちらかと言えば“バーブ佐竹系”の顔つきの戦争末期年寄りから言わせれば、バーブ佐竹は顔も歌声も地味ながら味があります。
投稿: 焼酎百代 | 2016年10月18日 (火) 11時59分
大学卒業後、会社の寮に入りました。寮の管理人さんは、奥様とご一緒に、一階で喫茶店を経営しておられました。若いウエイトレスの女性が勤めておられました。年の頃は二十歳前後だったでしょうか。私はそのとき二十三才。彼女と話す機会はあまりなかったのですが、いまでも若き日の彼女の姿が思い浮かべられます。あるとき、好きな芸能人は?、という話になった時、彼女は「渥美清が好き」と言いました。私は内心僕じゃだめか・・、と思いました。それから三年後、私は転職し、しばらくしてその会社もその寮もなくなりました。彼女の人生に暖かい風は吹いただろうか、渥美清のような暖かくて優しい彼氏と出会うことができただろうか。彼女の姿が思い浮かびます。彼女にも管理人さんご夫婦にももう一度あいたいなぁ、懐かしいです。
投稿: yoko | 2016年10月20日 (木) 11時12分
横井弘は藤浦洸に師事したためか詞に愛情がありますね。「あざみの歌」「川は流れる」「下町の太陽」・・・「ネオン川」と。どの曲も詞が綺麗で内容に意味があった。最初の5文字を聞くと後を聞きたくなるような。
「誰が名づけた 川なのか 女泣かせのネオン川 好きで来たのじゃないけれど・・・・晴れて素顔に戻る日を抱いているのさあたしでも。」私が素顔にして上げると言っても誰も信じないよね貴方達。
投稿: 海道 | 2021年5月15日 (土) 16時02分
いやあ、知りませんでした、この歌の歌詞を横井弘が作ったとは・・この歌が出た時「バーブ佐竹、ああ、またあの水商売の歌か、もうええわ」で、チャンネルを変えていた高校生の私でした。どうせ「女心の唄」と同じだろう、という気持ちで。「ネオン川」の歌詞すら見ていなかった。
ファンの方には申し訳ないですが、当時「女心の唄」が苦手で「あなただけはと信じつつ 恋におぼれてしまったの」という1番の出だし、「どうせ私をだますなら だまし続けて欲しかった」の2番の出だしが、どうにもならんほどイヤでした。男女のドロドロしたものを見るようで・・。
今回、初めて歌詞をていねいに見ると、やはり横井弘ならでは、の思いがあります。「人生の希望」がちゃんとあります。「やがて着くだろ 青い海」のところです。青い海はみんなが行き着く「希望の地」です。また「泥にまみれた川だって」は水商売の人だけを指すのではなく、すべてこの世にうまれてきた人全部のように思います。ここにも「川は流れる」と同じ横井弘の精神を感じます。またとくに「義理に死んでく人もある 金に負けてく人もある」は個人的に特に好きなところ、今時の人に味わってもらいたいでが、ま、無理かな。
この歌を教えてくださった海道さんに、大いに感謝です。
投稿: 越村 南 | 2021年5月16日 (日) 20時12分
「ネオン川」この曲を聴く度に、ネオン街で巡り逢い、そして何かと私を支えてくださった、女性経営者の方たちのことを想い出します!
今冷静に自分の過去を振り返れば、私は幼いころからの媚びりついた垢が抜けないままに大人になった青年でした。学生時代にも友と呼べる仲間もなく、成人になってからも人を信用することはありませんでした。そんな私が失業をして何かと心が腐っていたある日、前職場の先輩がそんな私を元気づけようと、あるスナックに誘ってくれました。
そのスナックの店内に入った私は、ただ黙ったままでしたが、そこのママさんが、私の顔を見るなりお客さん貴方いい眼つきをしてるわネと言いました。ただの客あしらいの言葉だとは思いましたが、その時私はなぜか悪い気がしなかったのです。
そのママさんの顔を真直で見た瞬間、そのときの眼つきが私にはとてもやさしそうに見えたのです。アホかと思われてしまうかも知れませんが・・・本当に私にはそう思えたのです。その時私の脳裏を過ったのは、人は本能で瞬間に人を判断をすることが出来るのかも知れないという、都合の良い考えでもありました。そしてそれは私が長年にわたり観念することとなる、その考えの始まりでもありました。
私はこれまで長年、商いの道に携わってきました。無学で人望のなかった私は、重要なことは、男性経営者ではなく、すべてネオン街で働く女性経営者の方たちに相談してきました。冷静に振り返ってみても、不思議ですがそれは十中八九私の中では正解でした。順風満帆な道ではなく修羅場を潜りながら乗り越えてきた性根の座った女性経営者の話には、これまで私はいつも説得力を感じてきました。
ご自身の昔の体験を交えながら、信念を強く持つことの重要さを、また経営者の中にはホステス時代にまるで2番の歌詞をなぞるような体験された方もおられました。それらのことを事細かく語りながら親身になって、適切なアドバイスしてくださったネオン街の方たちに、私は今も感謝するばかりです。
「ネオン川」今もギターの弾き語りで歌うこの曲ですが、ここでこのメロディを聴いていると、私の媚びりついていた長年の垢を、少しづつ落としていってくださったと実感してやまない、ネオン街で出逢ったママさんやホステスさんたちの、そのお一人お一人のお顔が私の脳裏には浮かんできます。
投稿: 芳勝 | 2021年10月30日 (土) 18時07分
いいお話ですね。失業で落ち込み苦しんでいらっしゃる芳勝さんを前職場の先輩がスナックを案内された。そのスナックの女性経営者との良い出会いが芳勝さんの苦境を救い、次の良いご縁に発展してゆく。
『縁尋機妙 多蓬聖因』の言葉を思い出しました。
(えんじゅきみょう たほうしょういん)
⇒ まずいい人にあってゆくこと。そして、「気」のいい場所に出向くこと。それがいい機会をうむ。
よきものに出会い、よき人に出会い、よき音楽に出会う。
よきものとの良縁を重ね、発展していく人生の妙!
私もある先輩からこの言葉を教わり、不思議な人生の縁の重なり・発展を感じています。
投稿: けん | 2021年10月30日 (土) 21時09分