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2007年8月 7日 (火)

なごり雪

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:伊勢正三、唄:イルカ

1 汽車を待つ君の 横で僕は
  時計を 気にしてる
  季節はずれの 雪が降ってる
  東京で見る雪は これが最後ねと
  さみしそうに 君がつぶやく
  なごり雪も 降るときを知り
  ふざけすぎた 季節のあとで
  今春が来て 君はきれいになった
  去年よりずっと きれいになった

2 動き始めた汽車の窓に 顔をつけて
  君は何か 言おうとしている
  君のくちびるが さようならと
  動くことがこわくて 下をむいてた
  時がゆけば 幼ない君も
  大人になると 気づかないまま
  今春が来て 君はきれいになった
  去年よりずっと きれいになった

  君が去った ホームにのこり
  落ちてはとける 雪を見ていた
  今春が来て君は きれいになった
  去年よりずっと きれいになった
  去年よりずっと きれいになった

《蛇足》 昭和49年(1974)3月リリース。

 作詞・作曲はかぐや姫のメンバーだった伊勢正三。かぐや姫も歌いましたが、今はイルカの歌として定着しています。イルカのシングルが発売されたのは、昭和50年(1975)11月。
 70年代フォークのなかでは、最も幅広い年齢層に好まれている歌の1つです。
 平成14年(2002)に大林宣彦監督により、大分県臼杵(うすき)を舞台として映画化されました。

 私は信州出身なので、この歌を聞くと、新宿駅の早春のプラットフォームが浮かんできますが、西のほうの出身者は東京駅のホームを、北のほうの出身者は上野駅のホームを思い浮かべることでしょう。
 「ホームに残り、落ちてはとける雪を見ていた」というような場面が、茫漠たる記憶の彼方にあったような、なかったような……。

(二木紘三)

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コメント

正やんは叙情派フォークの天才だと思います。正やんの作った、なごり雪を女性のイルカさんが歌い、22歳の別れを男性の風が歌って、どちらも大ヒット。男女逆ですが、何の違和感もないところもたいしたものだと思います。学生時代を京都で過ごした私は、「京都で見る雪はこれが最後ねと....」と、よく鼻歌を歌っていました。

投稿: 本田雅生 | 2007年9月 7日 (金) 22時41分

先日、イルカのこころねコンサートに行ってきました。
ジーパン姿のイルカは未だに可愛い少女です。
なごり雪は二曲目に歌ったのでコンサートはこれで終わりかと
思ったら、持ち歌が沢山出てきて、最後にもう一度みんなで
なごり雪を合唱しました。
あの有名な保険会社のテーマソング「みんな同じ生きているから、、、
1人にひとつずつたいせつないのち、、、」もイルカの
唄だったんです。
コンサートの最後に握手しようと思ったら長蛇の列・・・・!
団塊の世代のおじさん(私)は涙が出て止まりませんでした。

投稿: ゆうちゃん | 2007年12月11日 (火) 22時46分

   今春が来て君はきれいになった
   去年よりずっときれいになった
 本当に、そう感じる瞬間ってあるんですよね。男性諸氏。どなたも経験おありでしょう。若い頃、一度や二度は。
 そしてそう感じると決まって、その後間もなく、この歌のような別れが待っていませんでしたか?
  「雪国は嫌なの」明治通りにて   (昭和57年早春の思い出ー拙句)

  

投稿: 大場光太郎 | 2008年4月11日 (金) 19時14分

「なごり雪」、いつ聴いてももよい曲ですね。
青春時代はもう記憶に古いほどの年齢となった私ですががこの曲はいつ聴いても常に新鮮な響きを伝えてくれています。
二木さん、ありがとう、素晴らしいサイトですね。

投稿: ちょじ | 2009年5月 5日 (火) 10時54分

36年前、就職したての頃、1か月間の研修生活で将来の不安と期待に心乱れていたある夜の慰安会で、仲良くなった友人がしみじみと歌っていたのを昨日のことのように思い出します。歌詞が素晴らしく、特に「君のくちびるがさようならと動くことがこわくて下をむいてた」に共感します。でも1点だけ、けちをつけるつもりは毛頭ありませんが、後年、この歌をテレビなどで聞くたびに、「ふざけすぎた季節」ってどんな季節なんだろうと違和感を覚えます。そして自分ならどんな歌詞にしたいかと自問自答するのですがいい歌詞が浮かびません。もし、正三さんに出会えたら尋ねてみたいですね。

投稿: SK2 | 2011年7月11日 (月) 20時31分

先日、BSでイルカさんのデビュー40周年記念コンサートを見ました。お約束のように、南こうせつさんと伊勢正三さんがゲストでした。冬馬さんを映像で見ることができたのは初めてでした。とにかく心が洗われました。。。。

投稿: 本田雅生 | 2011年8月24日 (水) 23時14分

私も68歳ですが、イルカのなごり雪を良く歌います。200回ほど歌いましたが、満足できません。奥の深い曲です。
 女性のイルカが歌う事に違和感を感じますが、皆さん如何ですか?

投稿: セレナ | 2017年6月14日 (水) 15時53分

フォークソングが出始めて日本の歌が悪くなったと思っていました。歌詞のひどいものが多かったですね。メロディに抑揚が無くつまらない歌ばかりと思っていました。かなり年数が経ってからイルカが歌ったこの歌を聴いてなんて素敵な歌だと思いました。「今 春がきて 君はきれいなった」この一節で気持ちが明るくなったのです。もし男性にそう言われたら、女性は絶対にきれいになると思います。17,8から22,3歳ぐらいの女性は肌がきれいになります。一番美しく輝く時ですね。もう一度戻りたいです。鏡を見るのが楽しみでした。今は鏡を暗い所で見ます。欠点が隠れて少し若く見えます。淋しい事です。

投稿: ハコベの花 | 2018年2月24日 (土) 20時11分

この歌が歌われていたころ私は27才で地下鉄丸ノ内線の東高円寺に住んでいました。駅を出て通りに面した小料理屋に夜私は一皿のおかずをつまみによく通っていました。店ではたぶん二十歳くらいであったであろう娘さんが客の相手をしていました。話好きで明るくて可愛らしい娘さんでした。私は話しかけるきっかけもこれと言った話題も切り出せず、他の客たちと彼女のはずんだ会話を聞いているだけでした。

そのうち私は引っ越してその店に行くこともなくなったのですが、いまだに彼女の姿を思い浮かべることができます。
数年前懐かしくなって東高円寺を訪れてみたのですが通りの様相も変わりそのお店の場所はもう思い出せませんでした。40年以上も経ってしまいましたから・・・

ひょっとしたら彼女も僕と話したかったのかもしれないなぁ、て思うこともあります。思い過ごしかなぁ~

今、ふっと彼女と出会えたら・・・
~いま春が来て、君はきれいになった~と言ってみたいですね。

投稿: yoko | 2018年2月25日 (日) 22時07分

連投で失礼します。”なごり雪”のメロディで古い思い出が浮かび上がってきました。それを書きたくて。

その日、私は朝早く夜行列車で大阪に到着しました。大学入試の合格発表を見に来たのです。

しかし不合格となるであろうことは前年の夏頃からすでに私にはわかっていました。わざわざ夜行で大阪まで合格発表を見に来たのは、家族に少しでも期待を持たせ、失望させたくないという私の歪んだ見せかけでしかなかったのです。

合格発表までにはまだ時間があり通りをブラブラと歩いていたとき、ある女性が話しかけてこられました。「学生さんですか?」それで少し受け答えしていたら、「コーヒー飲みませんか?」と誘われて喫茶店に入りました。入試の合格発表を見に来たことなど話していたら、名前と電話番号のメモを渡され、「合格してたら電話してくださいね」と言われて別れました。

試験に不合格であろうことはかねてから確信していたことであり、そのことに一点の曇りも感じていなかったのに、ここにきて”合格したい”と言う強い思いと後悔の念が生じました。

彼女のメモはそれからの1年間、財布の中に挟んでおきました。

次の年、入試に合格し、最初の連絡は彼女へでした。電話を受けた会社の方が彼女は結婚され、退職されていることを話されました。

残念なことにもう彼女のメモは失ってしまいましたし彼女の姿も思い出せません。ただ、綺麗な人だったなぁ、僕の好きなタイプの人だったなぁ、という覚えがあります。

”なごり雪”は彼女のことをしんみりと思い出させてくれます。

~今、春が来て君はきれいになった~
~去年よりずっときれいになった~

投稿: yoko | 2018年3月 2日 (金) 00時32分

素晴らしい思い出羨ましいです。
 私にも途中まで似た思い出があります。途中までというのはその後で苦いというか不快な思い出になってしまったからです。もう半世紀も前の話です。私も合格発表を見に行きました。レベルの低い大学だったので何とか合格しましたが近くの喫茶店から電話で親に合格報告をし、飲みなれないコーヒーを注文して椅子に座っていた時です。同世代に見える美しい女性が来て「すみませんが同席していいですか」と聞きました。無粋醜男の私でも若い女性に同席してもらうのは胸がときめきました。一応合格の後でもあり東京っていいところと思いました。学校のこと出身地のこと趣味のこと等楽しく雑談をしたあと大学学部名や名前と連絡先を聞かれ教えました。そしてその後一寸友達が来るから見てくると言って彼女は席を立ちました。さらに美しい女性が登場すると期待して待ちました。代わりに体育会系のようなむくつけき野郎が二人来ました。言ったのはある宗教団体に入れとのことです。その団体名は地方の私は知りませんでしたが明らかに怪しい気がしました。それから汽車の時間まで延々口説かれました。私も防戦一方でしたが何とか逃げ切りました。彼女は二度と現れませんでした。後から考えてよく逃げ切ったと思います。私が無粋醜男だったのが良かったのではないかと今は思っています。

投稿: 林 滋 | 2018年3月 2日 (金) 08時32分

林様のお話で私も少し目が覚めた思いがします。
田舎出の青年に突然道で声をかけてくるなど少し怪しい匂いもしますね。お~、くわばらくわばら・・・だったのかもしれません。途中までの良い思い出だけで幸いだったのかのしれません。

当時は宗教団体の勧誘が盛んでしたね。数年前大学のクラス会に出席した時当時私を勧誘していたA君も出席されていていてにこやかに私に近づいてこられました。善人の彼には申し訳ないのだけれどやはりゾッとした思いがぶり返しました。

投稿: yoko | 2018年3月 2日 (金) 09時46分

再三のしつこいコメントで失礼します。
この肌寒い三月に、大学の合格発表を待って、朝早く大阪の街を望みもなくうろついていた自分を思い出します。
そのとき出会った彼女には何も不審な点を感じませんでした。

なごり雪はもうとっくに溶けて消えてしまっているのに、もう終わってしまったことなのに、はるか昔のことなのに、
まだ性懲りもなくあきらめもつかず思い出してしまいます。

陰鬱な高校時代を抜け出してきた僕にとっては太陽のような優しいお姉さんに感じました。きっと好意をもってくれたのだと思うのですが、思っていたのですが、(勘違いかなぁ・・・)
もう一度会いたいです。

投稿: yoko | 2018年3月 7日 (水) 08時33分

 三日連続の投稿になります。

 この歌は高校の頃、寮の先輩に教えてもらったギターを弾きながら歌いました。この歌と神田川、22才の別れはまだ弾けるんじゃないかなァ・・・。

 なごり雪にはこんな思い出も・・・。

 昭和50年、地元の大学に行くのが嫌で、大した技量もないのに推薦入学(体育会系)で東京の私大に入学しました。
しかし、待っていたのは怪我、そして挫折・・・退学を申し入れたのですが学校には残るようにと諭され寮(合宿所)を出て学部近くの下宿屋へ・・・。

 2回生になると競技連盟の事務要員として連盟事務所に行くことに・・・競技加盟大学から1名ずつ、約10名ほどが集まって競技大会運営に係る事務をおこなうのですが、授業が終わって集まり事務をするので、帰る時間が遅くなる日もあり門限のある下宿を払ってボロアパートへ・・・そこからは、自由な時間が手に入ると・・・酒とマージャンとパチンコに(汗)・・・

 けっこう乱れた生活でしたがなんとか4年で卒業できる単位は取得、4年前とは逆に今度は東京にはいたくなくて地元に帰ることに・・・。

 昭和54年2月某日、卒業証書は郵送で受け取る手続きをしていたので、卒業式を待たずに地元に帰る前日・・・3年間お世話になった競技連盟事務所の後輩たちと別れの盃を交わして、深夜、地下鉄後楽園駅近くから当時住んでいた国鉄(JR)飯田橋近くのボロアパートへ歩いて帰る道すがら、真っ暗な空から雪がチラホラ・・・止まって空を見上げているうちにどんどん数が増えて落ちてくる・・・風がまったくない中を今まで見たことのない大きさのボタン雪が・・・あっという間に辺りは真っ白、大量のボタン雪が吸音するのか辺りが静まり返って・・・「なごり雪」・・・去ってゆく僕に名残を惜しんでくれるのは・・・「東京」・・・僕は「東京」に恋をし、あこがれて「東京」に来ていたんだ・・・その時、初めてわかりました・・・ボタン雪に負けないくらい涙が次から次に溢れだしました・・・

 東京で見る雪はあれが最後の雪でした・・・。

投稿: まこ | 2018年8月31日 (金) 17時18分

 この歌が流れると、退職後に弾いていたギターの曲が耳についてきます。伊勢正三という名前もこの時から覚えました。「イルカ」の歌と思っていましたが、その後いきさつを知りました。東京は何度かしか行ったことはなく、いい歌です。

投稿: 今でも青春 | 2018年9月 2日 (日) 10時32分

以前、ユーチューブ・YouTubeでこの歌を聴いていたら、投稿欄にすばらしい文章がありました。筆者は「よしおか ともかず」さんと言いますが、それを読んでいたら何度も泣いてしまったのです。少し長いですが、引用させてください。

「今から二十数年前の春、故郷での就職を選び帰郷する彼女を東京駅まで見送りに行きました。 動き始めた新幹線の窓の向こうから泣き笑いで手を振る彼女の顔を今でも覚えています。
『東京に残れ』と言いたかったけれど、まだ若かった私にはそれがどうしても言えませんでした・・・彼女の人生をすべて背負ってしまうようで怖くて・・・。大好きだった笑顔が 大学生活の思い出を連れて早春の鉄路の向こうに去ってゆきました。
あの時、勇気を振り絞って引き留めていたら、どんな人生が待っていたのだろう、そんなことを考えることもあります。
『動き始めた汽車の窓に顔をつけて 君は何か言おうとしている  君の唇がさようならと動くことが怖くて下を向いてた』・・・ この歌詞を聴くといつも涙腺が崩壊します。 永遠の名曲です。」

大昔ですが、自分も好きだった女子大生と卒業式で別れる時、彼女の人生をすべて背負ってしまうようで怖くて・・・が本音です。

投稿: 矢嶋武弘 | 2019年12月25日 (水) 10時10分

「なごり雪」私が二十歳のころに買ったLPレコード「かぐや姫・三階建ての詩」に、この曲が収録されていました!

このレコードを買ったころは、まさに私がフォークギターに最も夢中だったころで、大ヒットした「神田川」を聴いて、フォークグループのかぐや姫に強く興味を持った私が、唯一買った一枚切りのLPレコードアルバムです。
そのアルバムに収録されていた「なごり雪」伊勢正三の歌声を初めて聴いた瞬間、私は思わず、何て素敵な歌だろうと感激し、その日は歌詞カードを見ながら、この曲だけを何度も繰り返し聴いたことを憶えています。そして、そのLPレコードのアルバムには「22歳の別れ」や「赤ちょうちん」なども収録されています。
某コラムによれば、大分県津久見出身の伊勢正三は、インタビューで『・・詞の設定は東京から出て南へ向かうブルートレイン・・』と語っています。また、津久見駅には「なごり雪」の記念碑が建てられているそうです。

これまで長年愛聴してきたこの曲ですが、2聯の『・・時がゆけば 幼い君も 大人になると 気づかないまま 今春が来て 君はきれいになった・・』という、男性目線で捉えたこのフレーズの歌詞表現は実に見事だと思います。

「なごり雪」暦の上では春になりましたが、私の住む此方東三河地方では、まだまだ肌寒い日が続いています。そしてまた、3月は卒業式・送別会・等、何かとお別れの多い時期ででもあります。不思議ですが肌寒さの残るこの時期に、私が今でも必ず聴きたくなるのは、やはり思い出の詰まった懐かしいこの歌です。

投稿: 芳勝 | 2022年3月 6日 (日) 22時17分

芳勝さまの投稿を見てすぐ演歌の花道でこの歌を聞きました。若い女性歌手でしたが残念ながらイルカさんと比べると今一でした。男歌ですが、知床旅情が加藤さんでヒットしたようにイルカさんでないとどうもですね。季節は丁度この歌の時期になりました。東京駅からブルートレインで故郷に帰る彼女を見送るラブソングだということですが、長年私は舞台は中央沿線のキャンパスの多い立川か八王子と想像していましたのでちょっとショックでした。二木先生の仰る新宿では無くもうちょっと鄙びた屋根のない部分のあるホームで春の陽光の中、まこさまの言われるぼたん雪が静かに降りてくる、カラオケの画面がそうであったような無いような。それにしても49年当時は日豊本線にもSLが走っていたのでしょうが、汽車という言葉が消えるのはいつでしょうか。

投稿: しょうちゃん | 2022年3月 8日 (火) 09時24分

しょうちゃんさんの投稿に刺激されての久しぶりの書き込みです(笑)。

数年前に久しぶりに行った東京からの帰りの飛行機の機内番組で、70年代フォーク特集?をやっていて、案内役はなんとイルカさん(笑)。
その時に聞いたのは「なごり雪」ではなくて「雨の物語」で、これもイルカさんが歌った曲でしたが、作詞作曲が伊勢正三さんだとこの時初めて知りました(汗)。
その後カラオケやYouTubeで聞いててふと思ったこと・・・
「なごり雪」「22才の別れ」「雨の物語」は三部作なんじゃないかなと・・・
詩の中の二人は同じ男女で、その心情を男歌をイルカさんが、女歌を伊勢正三さんが表しているような気がするんですよね・・・。
74年「なごり雪」75年「22才の別れ」77年「雨の物語」・・・高齢者と呼ばれる年齢になりましたが忘れられない70年代、良い歌がたくさんありました(涙)・・・。


投稿: まこ | 2022年3月 8日 (火) 19時14分

この「名残り雪」という歌は、若い季節のナイーブに揺れ動く恋心をふるさとの匂いをバックに歌い上げた名曲だなあと私も思っています。

この歌はもちろん良いですが、同じような曲名で同じような時期(?)に出た谷村新司の「22歳」という曲を皆さまご存じでしょうか。「当たり前だ、知ってるよ」という方も多いと思いますが、22歳と言えば伊勢正三が作ってイルカが歌ったこの曲ばかり紹介されるので私はちょっと不満です。わたしはカラオケで「22歳」のほうをよく唄います。

投稿: 吟二 | 2022年3月 9日 (水) 20時17分

先日東京でも雪が降りましたね正に名残雪です。卒業就職と年度替わりで送別のこの時期毎年繰り返される別れと出会い人生の一つの節目でもあります。三寒四温を繰り返し待ちに待った桜の花の春本番となるわけです。名残雪は毎年この時期に弾き語りをしたくなります。乙女から美しい女性に変化して行く様子が手に取る様に素晴らしい歌詞です。孫も中学1年生です後数年もすればこのなごりゆきの歌詞の様に(^^♪奇麗になったに成るのですね。

投稿: kazuyo | 2024年3月19日 (火) 16時31分

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