小樽のひとよ
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:池田充男、作曲:鶴岡雅義、
唄:三条正人〈東京ロマンチカ〉
唄:三条正人〈東京ロマンチカ〉
1 逢いたい気持ちが ままならぬ 2 二人で歩いた 塩谷(しおや)の浜辺 3 小樽は寒かろ 東京も |
《蛇足》 昭和42年(1967)9月リリース。
三条正人のファルセットと鶴岡雅義が弾くレキント・ギターの澄んだ音色の魅力で大ヒットしました。
レキント・ギターのレキントとは、スペイン語でrequinto「5度高い」という意味です。通常のギターより5度高く調弦されたこのギターは、メキシコのトリオ・ロス・パンチョスが用いて世界に広まりました。主旋律や装飾的演奏に適したギターです。
2番の「古代の文字」は、小樽郊外の手宮洞窟で発見されたナゾの文字。漢字が渡来する以前に日本で使われていた文字と主張する人びとがいますが、学問的には何も証明されていません。
(二木紘三)
コメント
レキント・ギターの澄んだ音色に魅せられました。昭和30年代に帯広に
住んでいましたので、小樽の冬の景色が偲ばれます。名曲を繰り返して聴いています。二木紘三先生ありがとうございました。波路。
投稿: 波路 | 2007年11月22日 (木) 21時00分
三条正人の大フアンです。
最近はテレビで観ることが少なくなり
残念です。
投稿: 山下早苗 | 2008年6月12日 (木) 13時47分
この歌はのっぺらぼうに歌ってしまうと、それなりですが、三条正人の裏声の魅力でファンを獲得したのではないでしょうか。
投稿: M.U | 2008年7月 9日 (水) 16時12分
この歌は大好きな歌で、今でも、毎日車の中でMDでかけています。東京に住んでた頃ショーを観て、それから、常に聞いています。
投稿: 羽田光利 | 2008年11月 5日 (水) 22時30分
鶴岡雅義のギターはレキントというのですか。
石原裕次郎のミリオンセラー「二人の世界」も彼の作曲だと思いますが、手先が不器用な私などから見ると神様のような彼の指捌きと美しい音色に魅了されたものです。
投稿: 周坊 | 2008年11月 6日 (木) 14時55分
この歌を聞くと、入社して間もなく新潟に1年間ほど工事出張した事を思い出します。今と違って昭和43年頃の新潟市内は50cm位の積雪があり、九州生まれの私は一面の雪に驚きました。寒さに震えながら工事をしたことが懐かしく思い出されます。なお、この歌には「粉雪のラブレター」というタイトルの原曲?があったことを最近知りました。ローカル色があってそちらも好きです。
投稿: 江口利彦 | 2009年1月22日 (木) 15時57分
いつも、この「二木紘三の歌物語」に心を癒されています。
二木先生の《蛇足》には、作品の深い歴史が分かりやすく解説されていて新たな発見があります。
また投稿者の方々の人生、時代背景と薀蓄ある内容が時には涙を誘います。
なんと素晴らしいサイトでしょう。
ずっと続けていただきたいと思います。
この前、と言ってももう3年程前になりますか....。
三条正人〈東京ロマンチカ)のコンサートを聴き懐かしい名曲に浸るひと時を過ごしました。
「小樽のひとよ」は鶴岡雅義さんのレキントギターの美しい音色と三条正人さんの歌声が絶妙で本当に心に沁みる名曲ですね。
コンサートでは、他に三条正人さんの「一本刀土俵入り」の大熱唱もまた違った趣で印象深く残っています。
投稿: 赤い寒天 | 2009年4月19日 (日) 20時32分
元・テイチク・レコードの石原裕次郎のアシスタント・ディレクターで、東京ロマンチカのディレクターであつた高柳六郎氏による、この歌の誕生秘話をご紹介します。
当初「粉雪のラブレター」というタイトルでレコーディングしたが、テイチクの北海道営業所長から、タイトルに小樽の地名を入れさえすれば、先ず北海道で大ヒットさせてやると大見得を切られ(実は、北海道の大手レコード店がバックにいた)、結局押し切られてタイトルは「小樽の人」に一旦決定。が、S40に北島三郎の「函館の女(ひと)」が大ヒットし、クラウンレコードが"女(ひと)"シリーズで売りまくっていたため、作詞家と相談し"よ"を付けて「小樽のひとよ」にし、詞も最後のフレーズを書き換えたため、なぜか三条が音程を外していた問題のフレーズも解消。S43の紅白歌合戦に初出場を果たす。
・・・・高柳六郎「石原裕次郎 歌伝説」(現代教養文庫)p27~より
投稿: 考古学者 | 2009年8月16日 (日) 16時30分
初めまして、北海道在住者です。
この歌が大好きでここに収録されているのを知って
拝聴しています。
ありがとうございます。
この頃TVで三条正人を見ることも少なくなって
YouTubeで拝見したり、CDで聴いております。
こちらで歌無しのメロディーを拝聴するのも楽しみの一つになりました。
リクエストをお聞き頂ければ「君は心の妻だから」をお願いできたらと思います。
よろしくお願い申し上げます。
投稿: おばさま@北海道 | 2010年11月16日 (火) 12時53分
君は心の妻だから ともにこの歌を聴くたびに今でも67歳の心が青春時代に戻ります
投稿: パウロ | 2011年4月 5日 (火) 23時13分
徳光和夫さんが「『小樽のひとよ』には三部作ある」とか言ってましたが、続編の『旅路のひとよ』は解るんですが、最終編の『星空のひとよ』は知らないんですねこれが
投稿: 強竜再燃・低空飛行 | 2015年7月 1日 (水) 05時08分
三条正人・香山美子夫妻を最近テレビで見る機会が有りましたが、三条さんは案外、尻に敷かれているタイプでは無さそうですよ(笑)
投稿: 強竜再燃・低空飛行 | 2015年7月 1日 (水) 05時12分
この歌を聞くと逢瀬のままならなかった遠距離交際時代が切なく蘇ります。「逢いたい気持ちがままならぬ 米沢の街は冷たく遠い」と地名を変えて曲をなぞったものです。車社会の今からは考えられない時代でした。最終列車で勤務地に戻る彼とのホームでの別れ。今なら車で1時間.遠距離ともいえないほど近くなりました。久しぶりにこの曲を聴いて胸が熱くなり目頭を押さえました。もうどんなに願っても適わない遠いところに旅立って6年。
しかしこの曲を聴きながら目を閉じると青年だった亡夫の姿が蘇ります。楽しかった思い出のあれこれが蘇ります。
二木先生のこのサイトは心のオアシスです。
投稿: りんご | 2015年7月 1日 (水) 11時33分
三条正人の妻は香山美子ですが、昭和50年代に観た香山美子主演映画「淫獣」(江戸川乱歩原作)の肢体は生唾ものでした(カミサンにこの話をしたら顔をしかめてましたが)。
それはともかく、ムードコーラスギターの名手・鶴岡雅義作曲のヒット曲といえば、この『小樽のひとよ』の他に、『泣かせるぜ』(すがりつくあの娘の 長いまつげが濡れている)、『二人の世界』、『青い滑走路』(あゝ青い滑走路 俺をうらんで旅立つお前)(以上3曲・石原裕次郎)あたりが想い浮かびます。
『小樽のひとよ』は、当時の小樽のレコード販売店社長が「小樽をもっと前面に出してもらいたい」とテイチクに注文を出した結果、作詞者が元の題名『粉雪のラブレター』を『小樽のひとよ』に変更したという制作裏話があるそうです(ユーキャン・ムード歌謡コレクション歌詞集・曲目解説(長田暁二氏)から抜粋)。
投稿: 焼酎百代 | 2015年7月 1日 (水) 20時45分
数年前、小樽を訪ねました。裕次郎記念館?にも行きました。写真をメールに添付したら、「どこですか、」と聞かれ自慢げに「小樽港」と返信しました。小樽は裕次郎とゆかりが深いとあとで知りました。最近は存続をどうするかで懸案事項になっていると聞きました。いい所です。
投稿: 今でも青春 | 2015年12月14日 (月) 17時09分
本曲の特に前奏と間奏は、『泣かせるぜ』『二人の世界』…などヒットを飛ばした“鶴岡雅義ワールド”曲調と相まって、PC使用でなくレキント・ギター演奏でないかと錯覚を起こすくらい実に見事です。
たまにカミさんに隠れて昼間っから安焼酎など飲みながら“レキント・ギター風”演奏の本曲を聴くと、高級焼酎を飲んでるような気分です。
投稿: 焼酎百代 | 2016年7月13日 (水) 18時11分
梅雨空のうっとうしさを
忘れさせてくれる二木先生の演奏。
思わず聴き入ってしまいます。
琴線に触れる名曲です。
小樽というだけで涙が込み上げます。
亡夫の辞書に「妻に対するノーという言葉」はありませんでした。14年まえの夏、客船飛鳥の一泊のみのクルーズに参加。キャンセルが出たのでと直前に誘われての参加。「いいよ、行っておいで」と快諾しれくれた優しい表情が甦ります。秋田港から乗船、小樽港で下船。(秋田~苫小牧の航路)。札幌の一泊、帰路は空路利用。
ゆで立てのとうきびの甘さに感動の記憶もしょっぱい涙になります。旧青山別邸(本宅は山形県遊佐町)の鰊御殿の
贅を凝らした造りも記憶に残っています。
いつか一緒に行ける日もかなわぬ願いとなりました。
過去のよそ見の罪状を責める私に「俺ほど優しい夫はいないと人は言う。どんな要望も受け入れて来たのに。お前と結婚したじゃないか。お前を選んだではないか。俺は一体どうすれいいのだ」左様に困らせていた悪妻でした。
失ってどれほど尊い存在であったか身にします。
ある意味、この歌は鎮魂の歌です。
投稿: りんご | 2016年7月14日 (木) 07時50分
小樽と言えば、寿司が有名です。数年前、札幌への出張の折に小樽にも行ってみました。休日ということもあり、昼食時には寿司屋を物色する観光客が右往左往していました。また京都や鎌倉で営業する人力車の会社が小樽にも進出したらしく、人力車に揺られて観光する客も散見されました。更に大型バスで大勢の中国人が降りて来たのには驚かされました。小樽には学生時代に訪れているはずですが、寿司が美味しいという評判はなかったと記憶していますし、外国人観光客などには会いませんでした。
昨今のこの町は観光客誘致に成功しているようです。しかし宿泊客は少ないようで、昼の喧騒とは対照的に観光客もまばらとなった夕刻は、さびれた雰囲気のこの町に一層の寂寥感を与えていました。
投稿: Yoshi | 2016年7月15日 (金) 14時37分
小樽のひとよを聞くといつもなんだか泣けてくるのです。若いときに小樽の遠い親戚の子と仲良くなってちょっとお付き合いしたのですが遠く離れていたのでしょっちゅう会うわけにいかなくてそれっきりになってしましまいました。まだ青函連絡船のころですからか簡単には会えなかったのは無理もありません。この歌の最初の題名が「粉雪のラブレター」だったと聞きさもありなんと納得しました。
投稿: 中野吉隆 | 2017年3月27日 (月) 12時36分
東京ロマンチカ・三条正人が今日冥途に旅立ったそうですが、平均寿命が延びた昨今では74歳は若過ぎるような?死去です。滋賀県大津出身で女優香山美子とオシドリ夫婦で、誰に対しても優しく気さくな人柄だったそうです(レコード関係者、Yahooニュースから抜粋)。合掌
なお、あくまで音楽ド素人の感想ですが、下記動画の“本家本元”鶴岡雅義レキントギター演奏より二木楽団の演奏のほうが(特に前奏と間奏)お世辞抜きで上回っているんではないかと思う今日この頃です。
(動画)http://www.youtube.com/watch?v=u3KOzcINmUM
投稿: 焼酎 | 2017年10月 5日 (木) 19時18分