(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:アンリ・バシス、作曲:ジョゼフ・コズマ
日本語詞:中原淳一、唄:ジュリエット・グレコ
1 友よ 聞きたまえ この愛の歌 とわの幸せを かなでる歌を パリ 君こそ我が 心の友よ 喜びもうれいも 君とともに
2 青い光あび パリの街角 恋の心の なぜにときめく パリ 君こそ我が 心の友よ 喜びもうれいも 君とともに
悲しみもさちも ふたりの胸に 秘めて歌う歌 パリのロマンス
Romance
1 Ces mots chargés de romance, Comme un matin qui sou rit, C'est un amour qui commence Dans le printemps de Paris Paris, qui n'est à personne, Est à toi si tu le veux. Mon amie je te le donne Ce cadeau c'est pour nous deux.
2 Ces mots chargés de romance, Comme un matin qui sou rit, C'est un amour qui commence Dans le printemps de Paris Veuxtu les rues de ma ville, Traînant autour des cafés, Où les jours passent tranquilles Et les filles décoiffées.
3 Ces mots chargés de romance, Comme un matin qui sou rit, C'est un amour qui commence Dans le printemps de Paris Les amoureux se promènent, Ils se regardent ravis, "Mon amie, c'est toi que j'aime Le bonheur c'est pour la vie!"
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《蛇足》 1952年にシャンソンの女王、ジュリエット・グレコが歌い、大ヒットしました。日本では高英男が歌い、やはりヒットしました。
曲は日本語詞に合わせてあります。原詞で歌う場合は、1番と同じメロディを3番まで繰り返すことになります。
私はこの歌を昭和38年(1963)7月にM君(現在ポーランド在住のジャーナリスト)から教わりましたが、彼がそのことを覚えているかどうかはわかりません。
……昭和38年の夏は、目くるめく夏でした。
(二木紘三)
コメント
こんばんは
この曲が流れていたのは私も青春真っ只中の時代でした。洋画という洋画を片っ端から観て、ポピュラー音楽に漬かった日々でした。
投稿: おキヨ | 2008年7月 5日 (土) 23時41分
この歌を聴いたのは昭和32,3年ごろ、友人はパリに憧れ、私は『アルト ハイデルベルグ』を読んでハイデルベルグに憧れ、絶対に行こうと話し合っていました。友人はパリを見る事もなく若くして亡くなり、私は生まれ育った所から出る事もなく、テレビでハイデルベルグが映ると行ったつもりになって満足しています。
二木先生は38年が輝いた夏でしたか。私は37年の夏が人生、最良の夏でした。この歌には青春のロマンが詰まっております。まさに私には「秘めて歌う歌」なのです。
投稿: ハコベの花 | 2009年8月20日 (木) 14時17分
この訳詞は中原淳一さんです。菅美沙緒さんではありません。
投稿: よしだゆきお | 2013年6月10日 (月) 15時16分
よしだゆきお様
ありがとうございました。早速修正しました。
楽譜に菅美沙緒とあったので、それを鵜呑みにしたのですが、当てにならない楽譜ですね。(二木紘三)
投稿: 管理人 | 2013年6月10日 (月) 18時27分
そうですね。菅美紗緒訳詩は、
訪れしロマンス永久に麗(うる)わし 微笑の光街に溢るる
パリひそやかに恋を語りぬ 熱き思い知るや愛しの君
みなさんはどちらがお好み?
生涯独身、中原淳一訳詩の初期~中期(後期は殆どフランス語でした。)の歌に悩み憧れた帰り来ぬ青春の日々・・・ありがとう!
‘92年にはシャンソンを普及させた功績でフランスから芸術文化勲章シュバリエを贈られました。
投稿: 尾谷光紀 | 2013年6月16日 (日) 22時26分
何故か甘やかな感傷に浸りたくてこの歌を聴いています。心も身体も全くの自由だった日々、朝,8時に起きて家事を少し手伝い、本を読んだり、友人と街ブラをしたり、音楽会や講演会に行ったり、映画を観たり、18歳から22歳までの4年間、自由で気ままな生活を楽しみました。将来への不安はありましたが、家庭を持って、いかにあの青春の日常が豊かだったか思い知らされました。この歌はその時代に戻れる歌なのです。
兄嫁との確執もあり、大学への道は閉ざされても私は自分の生活を呑気に頑固に守り続けていました。人生の中で一番良い時間を過ごしたと思います。何より自分と似たり寄ったりの友人たちに恵まれていたのが良かったと思います。結婚相手が全く嫌いなタイプだったのが余計に青春時代が輝いて見えるのかもしれません。感傷もロマンも全く持ち合わせていない夫と絶望と我慢で51年が過ぎました。嗚呼・・・ロマンス!
投稿: ハコベの花 | 2015年9月 9日 (水) 22時01分
雨続きで心までジメジメしてきます。今朝ふっとこの歌がうかんできました。気持ちが青春に戻っていきました。あの頃は雨だって楽しかったのです。愛してくれた人、話を聞いてくれた友人たち、皆、輝いていました。窓から雨を見ながらその向こうに七色の虹があるような気がします。パリのロマンス、虹色ですね。一瞬の青春の色です。虹の向こうに愛しい人が住んでいます。昭和37年、虹色の夢の様な青春。貴方は覚えていてくれるでしょうか。あの街を貴方ともう一度歩いてみたくなりました。
投稿: ハコベの花 | 2019年7月16日 (火) 15時23分
ロマンスというタイトルに惹かれてページを開きました。この歌を私は知りませんでした。でも中原淳一の歌詞はとても好きです。こちらのサイトで美しい曲や歌詞を、それにまつわる蛇足という名の名文をいつも堪能させていただいております。
少しだけ輝いた私の青春時代は会社に勤めながら定時制高校に通っていました。その会社で忘れ得ぬ人に出会い、何ものにも代え難い思い出が残りました。
1年遅れで定時制高校に入学したので二十歳に卒業と共に退職した私に同じ課だった思わぬ男性から手紙が届き、その人が作ったと思われる詩が同封されていて驚きました。立原道造の詩のような3行が4聯の12行詩でした。その人は達筆で詩を書くような感性豊かな人だったこと、温和で物静かな人柄を知っていたので喜びを感じました。半世紀50年以上も昔のセピアに色褪せた手紙が今も私の手もとにあります。
わが髪を美しと愛で詩に編みて給いしふみは宝石のごと
人生の黄昏に立ち止まって今また昔の恋を懐かしんでいます。どんなに年を重ねてもロマンスに憧れます。そして若い頃、巴里に憧れていた私は20数年後に巴里の土を踏んだのでした。パリ 君こそ我が心の友よ歓びもうれいも君とともに。
ハコベの花様のおっしゃるように、甘やかな感傷に浸りたい時にこの歌を聴きたくなります。
投稿: 夢見る薔薇 | 2020年9月21日 (月) 22時26分
亡くなった姉は、どうして?と思うくらいにいろんな歌を知って歌っておりました。 この曲はその中でも最も夢と淡い希望の漂う美しい曲の一つでした。 母を連れてハイデルベルク、ベニス、ウィーン、そしてパリにも行くことができましたが、それぞれに良い思い出があります。 素晴らしいサイトありがとうございます。
投稿: ハタ ハイドリヒ | 2021年9月25日 (土) 19時34分