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2007年9月12日 (水)

波浮(はぶ)の港

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:野口雨情、作曲:中山晋平、唄:佐藤千夜子

1 磯の鵜(う)の鳥ゃ 日暮れにゃかえる
  波浮の港にゃ 夕焼け小焼け
  あすのひよりは
  ヤレホンニサ なぎるやら

2 船もせかれりゃ 出船のしたく
  島の娘たちゃ 御神火(ごじんか)ぐらし
  なじょな心で
  ヤレホンニサ いるのやら

3 島で暮らすにゃ とぼしゅうてならぬ
  伊豆の伊東とは 郵便だより
  下田港(しもだみなと)とは
  ヤレホンニサ 風だより

4 風は潮風 御神火おろし
  島の娘たちゃ 出船のときにゃ
  船のともづな
  ヤレホンニサ 泣いて解く

《蛇足》 昭和3年(1928)リリース。

 波浮の港(写真)は、火口の跡に水がたまった火口湖でしたが、のちに大津波で海とつながり、湾となったものです。

 野口雨情は、大島に行ったことがなく、故郷・北茨城の平潟港から想を得て詩を書いたものといわれます。そのため、実際とは異なる点がいくつかあります。
 たとえば、大島に鵜はいないし、「なじょな」は大島弁ではなく、「どんな」の意の北茨城弁だそうです。

 波浮の港は東を向いているので、「夕焼け小焼け」はおかしいと指摘する人もいます。これについては、夕日は見えなくても、空一面に夕焼けしたようなときには見えることもあるので、かならずしもまちがいとはいえません。

 御神火は、火山を神聖なものとしてあがめ、その噴火を表現したもの。

 佐藤千夜子は、山形の天童出身。東京音楽学校を中退後、『波浮の港』によって日本の国産レコード歌手第一号となりました。その後、『東京行進曲』『紅屋の娘』など、続けてヒットを飛ばしました。
 しかし、当時の音楽界ではランクが低かった歌謡曲歌手を嫌って、オペラにこだわり続けたために、収入が細り、晩年は不遇でした。

 高橋通郎さんからの情報で、この歌には5番があることがわかりました。mp3を作り直すのは少々面倒なので、歌詞のみ紹介します。

5 磯の鵜の鳥ゃ 沖から磯へ
  泣いて送らりゃ 出船もにぶる
  明日も日和で
  ヤレホンニサ なぎるやら

(二木紘三)

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コメント

確かにこの地は港ですが、行ってみれば入り江のようにうつります。唄がこの地を有名にしたのか。この地が唄を呼んだのか、細かいことはどうでも良い。この唄のおかげで日本中
に波浮の港が知れ渡ったのですから。

投稿: 海道 | 2008年10月29日 (水) 07時35分

「細かいことはどうでも良い」と申しておきながら、細かくてローカルなコメントを書かせて頂きます。それは
3番の今は無い「伊豆の伊東とは郵便だより」の部分ですが、これは最初に大島~伊東航路が出来たとの事です。

投稿: 海道 | 2011年9月26日 (月) 20時32分

二木紘三様
 猛暑の候ご健勝のことと拝察いたします。
 最近「波浮の港」を佐藤千夜子の歌で聴いていて、5番のあるの知りました。
≪ 磯の鵜の鳥ゃ沖から磯へ 泣いて送らにゃ出船もにぶる 
  明日も日和で ヤレホンニサなぎるやら ≫
という歌詞です。昔の歌手が歌っているのでオリジナルと思いますが・・・。

投稿: 高橋通郎 | 2015年8月22日 (土) 21時51分

 5番まであることが分かった「波浮の港」ですが、最近また気づいたことがあります。
 1番の歌詞で
   磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃかえる 
   波浮の港は・・・
と歌っているものがありました。「にゃ」と「は」の違いですが、原詩はおそらく「にゃ」でしょうが、小生としては「は」のほうが意味もすっきりとし、また歌いやすいので、僭越ながら「は」で歌いたい気分でいます。
 皆様はいかがでしょう。

投稿: 高橋通郎 | 2015年12月 4日 (金) 13時31分

「波浮の港」この唄が醸し出す切ないメロディは、何度聴いても私の心の中に深く染みてきます!

風は潮風 御神火おろし
島の娘たちゃ 出船のときにゃ
船のともづな
ヤレホンニサ 泣いてとく

昔、美空ひばりの世界というアルバムで、上記の詩をみながらこの唄を聞いているとき、何故か思わず目頭が熱くなったことがありました。

野口雨情がこの詩を書いたのは、5年前の大正12年で、雑誌「婦人世界」に頼まれて絵葉書をみながら作ったそうです。中山晋平に「何か詩はないか」と言われてこの詩を渡したのが、この曲のできるきっかけでした。(精選盤・昭和の流行歌・保田武宏氏解説)

野口雨情の素晴らしい詩の中でも、特に2番の歌詞にある「なじょな心で」の響きが何とも言えず私は好きです。
ここで二木先生が奏でる素晴らしいメロディを聴いてると、改めて二人の作者の偉大さを感じます。

投稿: 芳勝 | 2019年4月 9日 (火) 17時33分

Wikipedia の「波浮の港」の歌詞が「伊豆のいとこは 郵便だより 下田港は ヤレホンニサ 風だより」となっています。二木先生がお書きの通り「伊豆の伊東とは」「下田港とは」だと思います。「いとこ」が登場するのは(いとこの話は他に一切無いのですから)はあまりに唐突です。海道様がお書きのように、伊東が登場するのは理由があることと思います。ここで Wikipedia を頼りにするのはおかしいですが、Wikipedia の「伊豆大島」の項の「歴史」に「1897年(明治30年)には相陽汽船が伊東(現・静岡県伊東市)との間で航路を開き、翌年には同航路で実業家・杉本が和船の運航を始めた。1900年(明治33年)に逓信省は杉本と契約し、郵便輸送を開始した」とありますので、「郵便だより」が納得されます。Wikipedia は影響力があり、この名曲を誤って覚える人があるといけません。私は Wikipedia を訂正する能力がないのですが、どなたか歌詞を訂正してくださると有り難いです。

投稿: kazu | 2020年4月21日 (火) 04時54分

Wikipedia の歌詞を自力で訂正することに成功しました。愛してやまない名曲についての Wikipedia なので緊張しました。私の勘違いではないと信じていますが、何かまずいことがありましたら皆様お教えください。

投稿: kazu | 2020年5月 1日 (金) 06時30分

『波浮の港』は母が良く歌っていました。伊豆大島へは小学校入学前に家族旅行で行った記憶がありますが、わずかに三原山と元町港の風景を覚えているだけです。
伊豆大島は東京都に属していますが、色々と疑問がわきます。先ず、地理。私は良く鎌倉へ滞在しますが、天気が良ければ相模湾のどこからでも大島が近くに見えます。『佐渡おけさ』では佐渡と柏崎とは竿さしゃ届くと謳われていますが、それと同じ様に近くに見えます。地図で見ると相模湾の南にあるのに、何故東京都なのか。どう見ても静岡県か神奈川県でしょう。そして定期航路。歌にある様に伊東港か下田港が最も近いはずですが、定期航路は東京竹芝桟橋と元町港の間を結んでいます。
先日も夜間に羽田へ向かう飛行機が大島上空を飛んだので、上から眺めましたが、灯りが集中しているのは西側の元町港で、波浮の港は良くわかりませんでした。今はさびれているのでしょう。
色々考えているうちに気付いたのは、波浮の港がかつて栄えた漁港だったということです。歌詞の4番で、島の娘が出船の時に船の艫綱を泣いて解くのは、恋人の漁師が出港する風景を謳っているのだと気付いたのです。そうすると、歌詞が謳っているものが見えて来ます。1番で、凪にこだわるのは、翌日の漁船の出航の安全を祈っているのでしょう。3番で、漁に出た恋人からの手紙は伊東から届くのでしょう。下田に寄っているのなら、風の噂が聞こえて来るくらいに近く感じるのでしょう。
野口雨情の詩は、漁港として栄えた頃の波浮の港を謳っていたのだと思います。

投稿: Yoshi | 2022年1月12日 (水) 11時06分

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