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2007年9月13日 (木)

フランチェスカの鐘

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:菊田一夫、作曲:古関裕而、唄:二葉あき子

1 ああ あの人と 別れた夜は
  ただなんとなく めんどうくさくて
  さようならバイバイ 言っただけなのに
  フランチェスカの 鐘の音が
  チンカラカンと 鳴り渡りゃ
  胸はせつない 涙がこぼれる
  なぜか知れない この悲しみよ

2 ああ 再びは かえらぬ人か
  ただひとめだけ 逢いたいのよ
  愛しているわ 愛しているのよ
  フランチェスカの 鐘の音が
  チンカラカンと 鳴り渡りゃ
  声をかぎりに あなたと呼べど
  人はかえらず こだまがかえる

  フランチェスカの 鐘の音よ
  チンカラカンの 鐘の音よ
  心も狂う 未練の言葉
  せめて一度は 伝えておくれ

《蛇足》 昭和23年(1948)リリース。

 菊田・古関コンビの作品にはドラマや映画の主題歌が多いのですが、これは独立した曲として作られました。
 ただし、ヒットしたので、翌年、松竹が同名の映画を作りました。映画は養護施設を舞台としたもので、この歌の歌詞とはかなり内容が違います。

(二木紘三)

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コメント

出会いと別れ、、。人生とは、数限りない出会いと別れなのでしょうか?
一会の人生、、、、悔いなく送りたいものです。

投稿: 柾木 忍 | 2007年9月13日 (木) 04時14分

この曲は大変な名曲です。
曲中「フン、なんでもないわ、
あんなひと、修道院に入るなんて、バカね・・・云々」
の台詞ありませんでした?

投稿: 吟遊詩人 | 2007年9月18日 (火) 14時22分

加藤登紀子さんのCDに入っていた曲の検索で
このサイトを発見できました。
いろいろな曲を聞くのが楽しみです。
ありがとうございます!

投稿: masako | 2008年5月31日 (土) 21時06分

「さよならバイバイ」と言ってしまって、一生懸命後悔
している女性がひとり。綺麗な詞だからなお寂しい。

投稿: M.U | 2008年6月 8日 (日) 15時33分

バッサ・バサバサ
ばさけんでがす。
マイド。

あっしゃ、餓鬼の頃から気になつて仕方がなかつたのでやんすが、
この”フランチェスカの鐘”つうのは、いつてえ、何処にあるのでがすか。

そんから、韓国の李承晩大統領のヨメハンの名前(なめえ)がフランチェスカだつたのでがすが、
時代背景から言つて、何か関係があるのでがすか。
いへ、もしこれが”チャスラフスカの鐘”だつたら、そこには絶対にメツセエヂ性がある訳でやんして、
やつぱ、気になる、つうたら、気になるのでがす。

どなたかおせえてくだせえやし。

でわ、
バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけに、バサケンケーン

投稿: ばっさ・ばさけん | 2010年7月21日 (水) 20時05分

ばっさ・ばさけん 様
フランチェスカは女性の名前で、男性の場合はフランチェスコとなります。英語やフランス語等ではフランシスコと呼ばれます。
キリスト教にはフランチェスコ(フランシスコ)という名前のとくに有名な聖人が二人います。一人はアッシジのフランチェスコ、もう一人はフランシスコ・デ・ザビエルで、この名前を冠した教会が各地にあります。
 フランチェスカという女性の聖人もいるようで、ローマにはサンタ・フランチェスカ・ロマーナという教会があります。たぶんほかにもあるでしょう。
「フランチェスカの鐘」はこうした教会の鐘の音で、「李承晩大統領のヨメハン」は関係ないと思いますよ。この歌は失恋の歌ですから。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2010年7月22日 (木) 00時23分

管理人様

拝復

また頭の中でガンガラガンとフランチェスカの鐘の音が鳴り始めましたので、このお座敷に立ち寄らせていただきやした。

なんと、管理人様からのアンゲリオンをいただいてゐるではありやせんか。

あっしゃ、偽加刀力信者なのでがす。
小鳥に説法をなさつたアツシ寺の聖人のことは存じてをりやすが、Santa Francesca Romanaつうecclesiaのことは存じやせんでした。
でも、フランチェスカの鐘の音は、屹度ここから聞こえてくるのでせう。
そして、この唄は娼婦の唄でせう。
さう、娼婦マグダレーナでがす。
あっしゃ、偽者でがすので、想像はここで止(と)めてをきやす。

管理人様にも神様のご加護がありやすやうに。

でわ、
バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン

ばっさ・ばさけん 頓首

投稿: ばっさ・ばさけん | 2010年8月10日 (火) 09時52分

 この歌は二葉あき子が、巡業の途中から、ヒロシマへの鎮魂歌を意識して終生大事にしていった歌といわれています。
「長崎の鐘」のように、最初から作られた被爆者への鎮魂歌ではなく、ある意味、ふしぎな因縁のある歌です。
昭和20年8月6日、8時すぎ広島駅から汽車に乗った二葉あき子は、約5キロ離れたトンネルの中で原爆の衝撃を受けました。幸いにも一命をとりとめたものの、広島の多くの友人、知人を失いました。後にステージで歌っている時、なくなった方の亡霊が観客席の後方で一列に並んでいるの彼女が見たという話も伝わっています。それは彼女がこの歌を鎮魂歌にしていこうと心に決めていく過程であります。

さて、題名のフランチェスカはどこをさすのかですが、作詞した菊田一夫は、*1)フランチェスカという音の響きがよかったから使っただけと言っています。(人生まじめに考えていたら、時に馬鹿を見ますね)

1番と2番の間にセリフがありましたが、途中で廃止になります。二葉あき子が嫌っていたという説や映画化された時、セリフが映画の内容となじまなかったからという説などがあります。
*2)セリフは、
「フン、何でもないわ あんな人 好きじゃなかったんだもの
修道院へ入るなんて 馬鹿ねえあの人
だけどなんだってこの胸がこんなに やっぱりあの人を・・・・
そんなことないわ そんなこと ハハハ ハハハ・・・」
(このセリフは鎮魂歌向きではありませんねー。というよりこのセリフがあるかぎり鎮魂歌にはなりません)

ここで疑問ですが、もし男が修道院にはいったのなら、ふつうはフランチェスコ修道院でしょう。
フランチェスカなら修道尼のいるところであり、セリフをしゃべっている蓮っ葉な女自身が、入らなきゃ話が合わないのですが・・。
これも菊田一夫の思い付きから出た、つじつまの合わないところかなと思います。

 詩人や作詞家が、異国情緒やモダンな雰囲気を求めて教会のなにごとかを扱っても、宗教上の決まりごとの厳格さは、勉強不足の素人の侵入を許すほど甘くはないーーそんなことを、思わず知らず学んだ次第でありました。

*1)*2)などの詳細については下記へ。
www.norari.net/bar/063011.php のらリ

投稿: 越村 南 | 2013年6月22日 (土) 03時51分

越村 南さま

拝啓

あつしは瞑目時に感動すると、あり得ない夢を見ますので、幽霊のところは理解できやす。

幽霊どもは一列になつてフランチエスカの鐘の音がガンガラガンと響き渡るのを聴いてゐたのでせう。

さうなりや、ちつとも怖くない。
生きてゐることと死んで体がなくなることとの間になんにも壁はねえのでがす。
さうか、この唄は元気をくれるのだ。

越村さまにも何度か神様のご加護があつたことと信じてをりやす。

ありがたうごぜえやした。

バッサ・バサバサ・バサケンケーン
もしとつおまけにバサケンケーン

ばっさ・ばさけん 頓首

投稿: ばっさ ばさけん | 2016年4月25日 (月) 12時59分

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