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2007年9月19日 (水)

テネシー・ワルツ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:P. W. キング・R. スチュワート
日本語詞:和田寿三、唄:江利チエミ

去りにし夢 あのテネシー・ワルツ
なつかし愛の唄
面影しのんで 今宵も歌う
うるわしテネシー・ワルツ

思い出なつかし あのテネシー・ワルツ
今宵も流れ来る
別れたあの娘(こ)よ 今はいずこ
呼べど帰らない

  The Tennessee Waltz

I was dancin' with my darlin'
To the Tennessee Waltz
When an old friend I happened to see
I introduced her to my loved one
And while they were dancin'
My friend stole my sweetheart from me.

I remember the night and the Tennessee Waltz
Now I know just how much I have lost
Yes, I lost my little darlin'
The night they were playing
The beautiful Tennessee Waltz.

《蛇足》 1948年にレッド・スチュワートとピー・ウィー・キングによって作られました。

 1950年にパティ・ペイジが歌って、同年12月から翌年2月まで全米ヒットチャート1位を独走し、レコードはミリオンセラーになりました。
 日本では、江利チエミが14歳でデビューしたとき、この歌を歌って、やはり大ヒットしました。

 1956年には、テネシー州の州歌になりました。素朴で伸びやかなメロディーは、確かに州歌にふさわしいと思いますが、歌詞はどうでしょうか。
 「恋人とテネシー・ワルツを踊っていた。たまたま出会った旧友を恋人に紹介したら、恋人を盗られてしまった。私はあの夜とテネシー・ワルツを忘れることができない……」という歌詞は、ポピュラーソングとしては味わいがあっても、州歌
(State song)にふさわしいとは思えません。

 州歌にするにあたって、たとえば『カントリーロード』のような歌詞を作ろうとは思わなかったのでしょうか。テネシー人の考え方はよくわかりません。
 ……などと考えていたら、あとで、この曲はテネシー州が決めた13の州歌のうち4番目の州歌だとわかりました。州歌は、公式行事では原則として演奏だけで、歌わないようです。
それなら、ポピュラーソングの歌詞のままでもいいかなという気がします。

 州歌のうち、州の成立に関わる歴史的な歌はState anthemと呼ばれます。テネシー州の場合は、"My Homeland, Tennessee"がそれ。

 なお、ジョン・デンヴァーの"Rocky Mountain High"はコロラドの、"Take Me Home, Country Road"はウェスト・ヴァージニアの州歌になっています。

(二木紘三)

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コメント

文句なしに良い歌です。二木先生の演奏、やわらかくて、私のこの歌のイメージにぴったりです。お勧めの名曲です。

投稿: 大場光太郎 | 2008年4月 5日 (土) 19時42分

私の好きな曲のベスト3に入ります。先日パティーペイジの歌を初めて聴いたのですが感動しました。すばらしいの一言です。  二木先生の演奏は愛があります。聴いていると
色んなイメージが湧いてきます。

投稿: 白川賀博 | 2008年6月22日 (日) 01時47分

この歌を聴くと江利チエミさんを思い出します。
映画”ぽっぽや”でBGMとして使われていました。
健さんのチエミさんへの愛情を感じました。
チエミさんの早すぎる死に、健さんとの悲しみが
極まったような気がしたものでした。

投稿: sunday | 2008年7月22日 (火) 20時31分

江利チエミがこの歌を唄ったのは14歳の時でしたか・・・
 タドタドシイ日本語なまり英語で、ハッキリした発音の歌声は今でも思い出すことが出来ます。美空ひばり、雪村いづみらと三人娘で売り出し、のちに高倉健と結婚。
 高倉健は私の住んでる所の隣町の出身で、当時、江梨チエミもたびたびこの地を訪れたと聞いております。
 パティ・ペイジの甘い歌声は、いまでもCDで時折聞いていますが、なつかしい青春の思い出の歌です。
 ここで改めて聴いてみて、感傷に浸っています。
 

投稿: Hikoさん | 2008年8月 2日 (土) 06時15分

今年古稀を迎えた小生がこの曲を始めて聞いたのは江梨チエミでした。パティ・ペイジの原曲もいいが、女性コーラスのマックガイヤ シスターズも良い。もっと良いのがカナダの歌手アン・マレーのもの。男性のフィーリングで歌うのが気に入った。パティのはあまったれているように思う、人は好き好きだが。作家の常盤新平さんもアン・マレーヴァージョンが好きだと何かの新聞広告で語っていた。

投稿: レフティ しげ | 2008年12月 5日 (金) 00時37分

テネシー・ワルツ、パティ・ペイジが大好きなもので毎日一回は聞いております。でももっとボクの気に入りの歌は、パティの歌っている「なみだのワルツ」です。

単身赴任の時、これを聞いて泣いたこともありましたね。遠い昔の思い出です。

投稿: 庵主 | 2009年1月18日 (日) 10時08分

’テネシーワルツ’はメロディーも歌詞(日本語・英語どちらも)も美しく大好きな曲です。
私1950年代後半の生まれなので、この歌が流行っていた当時はまだ小さな子供だったと思います。

そして私が思春期を迎えた頃には、伊藤咲子が歌う 
’乙女のワルツ’という歌が流行っていました。

’テネシーワルツ’と’乙女のワルツ’は流行った時代が違うのですが、自分のもとを去ってしまった愛するひとへの切なさ歌った名曲だと思います。

投稿: カイ | 2011年4月20日 (水) 18時51分

江利チエミの歌う歌詞は日本語部分と英語(オリジナル)の部分の二つからなっていますが、この二つの部分が整合的ではないのではないでしょうか?日本語の部分は、「別れたあの娘はいまいずこ」と、男の立場から昔を振り返ることになっています。しかし、英語の部分は、女の立場から、自分の古い友人(女)を自分の恋人に紹介したら、恋人をその友人に盗られてしまったと、その悲しみを歌っています。女の江利チェミがなぜ男の立場にたって歌う必要があるのでしょう?日本語の部分と英語の部分を一貫させ、男の立場から歌うのだったら、I introduced him to my loved oneとherの部分をhimに変えておくべきだったのではないでしょうか?パティ・ペイジが歌うテネシーワルツは女の立場から歌って一貫しています。

投稿: KeiichiKoda | 2012年3月 1日 (木) 08時12分

上(↑)のコメントに対する追記です。テネシー・ワルツのオリジナルはPee Wee KingとRed Stuwartによる作詞・作曲で、男が自分の友人(男)を彼女に紹介したら、友人に彼女を盗られてしまった、という話です。(Red Stuwartが歌うこの曲のオリジナルをYouTubeで聴くことができます)。したがって、当然にI introduced him to my loved one. (この友人に自分の彼女を紹介した)と歌っています。大ヒットしたパティ・ページの曲では、男と女の役割を逆にして女が自分の彼氏を失う話に変わっています。(パティ・ページは女性ですから、当然の変更で、アメリカでは歌い手が女性であるか、男性であるかによって歌詞を変更するのが普通です。)よく考えてみると、江利チエミは、パティページの歌の内容をベースにして、最初のほうで、自分の元の彼女の旧友と出来てしまった男の立場にたって元彼女を回想して歌い、二番(英語)のほうでは、女(男の元彼女)の立場にたって、あのとき(テネシーワルツが流れる恋人を失った晩)を回想するという筋立てになっているのですね!したがって、I introduced him to my loved one.とherをhimに変えてしまうと、1番と2番がまったく別の話になってしまうので、そのように変えることはできない、ということなのでしょうね。このように考えると、なぜherをhimに変えていないのかわかる気がします。

投稿: KeiichiKoda | 2012年3月 1日 (木) 10時06分

3年程住んだミズーリ州セントルイスの、1年に1度の日本祭りの会場で、ある年、妙齢のご夫婦と同席になりました。現地の日本料理店が会場にカラオケを持ち込んで参加者に勧め、皆思い思いに日本語の歌、英語の歌を唄いました。私も勧められて、興に乗ってご婦人と一緒に唄ったのがこの曲です。
テネシーには何度か訪れましたが、緑の丘陵が続く美しい州です。州都ナッシュビルは、カントリーミュージックのメッカで、バンジョーの響きが聞こえてきそうな町です。またメンフィスはエルビス=プレスリーの故郷ということで、音楽とは縁の深い州です。

投稿: Yoshi | 2012年3月 1日 (木) 11時59分

New York Timesはこの歌を大ヒットさせたパティ・ページが亡くなったことを伝えています(↓)。享年85歳。1951年の発売以来彼女の歌ったTennessee Waltzは1000万枚のレコードが売れた由。私は彼女の歌う歌が大好きでした。彼女のような声を持つシンガーは日本人のシンガーにはいませんね!同様な声の持ち主を探すとすれば、カーペンターズのカレンでしょうか?
http://www.nytimes.com/2013/01/03/arts/music/patti-page-singer-dies-at-85.html?hpw

投稿: KeiichiKoda | 2013年1月 3日 (木) 09時17分

パティ・ペイジが85歳で天国に召されました。

私が中学生のころでした、戦後5~6年。
その頃よく耳にした「面影しのんで 今宵も歌う♪~」  江利チエミのオハコでしたね。

本物のパティ・ペイジの歌は5歳上の兄の組立てたラジオで、いわゆる進駐軍放送(FNN?)で聴いたものでした。戦後混乱期の最中でした。その兄も5年前に亡くなりました。

如何にせん時はながれ懐かしい思い出がひとつひとつ消えていく74才の今日この頃です。


投稿: オールドボーイ | 2013年1月 4日 (金) 17時15分

この歌詞は、歌う人により色々違います。「dancing」が「waltzing」であったり、「now I know 」が「only you know」になったりです。 
江利チエミさんの初盤では、「waltzing」と「only you know」で歌っています。 本家の R.Steward はどうかというと、その時々で全てのパターンで歌っていましたね。 あるテレビ番組では、「I was waltzing」と「while they were dancing」とも歌っていました。
本家がそうなのだから、色々あっていいのでしょう。  

投稿: 寒崎 秀一 | 2014年3月23日 (日) 00時58分

パティー・ペイジが歌うテネシー・ワルツはここ(↓)

https://www.youtube.com/watch?v=75AKlsFBJi4

ですが、これを聴くと、パティー・ペイジは"I introduced her to my loved one."はIを省略して、"Introduced her to my loved one."と歌っていますね。それはそれとして、introduceという言葉はわれわれ日本人にとっては意外と使い方が難しい言葉なんですね。辞書を引くと、introduce A to Bで「AをBに紹介する」と書いてあるのですが、たとえば、「妻をあなたに紹介したい」とき、英語で何と言うか、英語がネイティブの友人に聞いてみると、"I'd like to introduce you to my wife."であって、"I'd like to introuce my wife to you." とは決して言わない、と言うんです。新しく入ってきた転校生花子を先生が教室でほかの生徒たちに紹介するときも、"I'll introduce you to Hanako."(皆さんに花子さんを紹介します」)というのが普通で、"I'll introduce Hanako to you."ではないんですね。すると、このテネシーワルツの歌のこの部分も、「私は彼女(私の昔の友人)に私の恋人を紹介した」と言っているのか、「私は彼女を私の恋人に紹介した」と言っているのか、微妙な問題には違いないですが、ちょっと問題になるところです。

投稿: KeiichiKoda | 2014年9月13日 (土) 08時34分

 この歌はいつのころからか耳に入っていて、英語の歌詞を見ることが出来たので、あるとき英語教師に意味を尋ねたところ、「難しいんです。」といいながらを概略教えて下さいました。大体のところ、「身近なひとを紹介したらその人を奪われてしまった」というようなことだったと理解しています。
 貴兄のおっしゃるように英語の専門家から見たらいろいろ矛盾点があるのかもわかりません。
 いずれにしても、忘れられない歌の一つです。英語の歌詞を覚えようと思ったこともあります。

投稿: 今でも青春 | 2014年9月13日 (土) 09時42分

今でも青春様

その英語教師はなにを難しいといわれたのでしょうか?パティー・ペイジが歌うテネシーワルツの英語はとくに難しいとは思えませんが。。(中学生だったら、ちょっと難しいでしょうが。)内容は二木先生が解説しておられる通りです。私(女性)が恋人(もちろん男性)とダンスをしているとき(ダンス会場でしょうか?)、昔の友人(女性)に出会い、その友人をダンス相手の恋人に紹介したら、その友人が私の恋人と踊っている間に、私の恋人を奪ってしまった、という話です。この歌の歌詞にはとくに矛盾があるとは思えません。矛盾があるとすれば、江利チエミが歌うテネシーワルツの歌詞で、1番の英語の歌詞と2番の日本語の歌詞からなっていますが、2つの間に矛盾があるのではないかという話を以前のコメント(2012/3/1投稿)で書きました。

投稿: KeiichiKoda | 2014年9月13日 (土) 18時35分

今でも青春様
地域にもよりましょうがこの歌が流行ったころ、小学校唱歌「灯台守」の歌詞に、「愛」という字を見つけた級友が、恥じたような、困ったような反応を示しておりました。私自身もストレートに恋愛を口にするのは気が引けました。
きっとその先生は、生徒に直訳を伝えて良いものかと
躊躇されたのではないでしょうか。
それが「難しい」の表現になって、オブラートに包んだ訳詞を提供してくれたのでは・・・。
「赤ちゃんはどこから」に近いと言ったら、言い過ぎかもしれませんが。

投稿: 山ちゃん | 2014年9月14日 (日) 22時12分

先日「空飛ぶタイヤ」のDVDを見ていたらこの曲がエンディングソングに用いられておりとても懐かしく思った、昔明石駅前の劇場に江利チエミが公演に来られ身近に彼女の肉声に接したのは学生時代だった、「you belong to me」を私が会場からリクエストしたら、「ご免なさい、楽譜がないのよ」と私を見てニッコリ謝られたのを今も良く憶えている。小さい劇場だったんだ^^。今から60年も前のことだ。彼女が亡くなってもう30年位なるのかなあ。

投稿: 岡本良英 | 2014年10月13日 (月) 14時00分

ギターの練習をしています。
テネシーワルツ。
なかなかうまくいかなくて困ってました。
その時高倉健さんが亡くなったというニュース。

これはどうしても完成しなくては、と思いました。

投稿: 小板しゅんじ | 2014年11月23日 (日) 00時08分

テネシー・ワルツを最初に録音したのは、カウボーイ・コーパスというカントリー歌手で、1947年でした。作詞・作曲者のピー・ウィー・キング&レッド・スチュワート盤は翌1948年のことです。
 パティ・ページはオクラホマ時代はカントリー・バンドの歌手で、シカゴのマーキュリー専属になってポップス歌手に転向しました。1950年に、新作クリスマス・ソング「ブギ・ウギ・サンタクロース」を吹き込むことになった際、B面が決まらず、A&Rマンが「君の好きな歌でいいよ」と言ったので、2年前にカントリー畑でヒットした「テネシー・ワルツ」を歌ったのでした。
 レコードを発売したもののA面は全く売れず、B面が売れ出しました。そこで会社はB面をA面にし、B面は「ロング・ロング・アゴー」を新たにB面にして再発売し、世界的な
大ヒットとなったおはご案内のとおりです。
 私もいろんな「テネシー・ワルツ」を聞いてきましたが、最も好きなのはアン・マレー盤(2回録音していますが、1回目の録音の方です)で、ハリのある声でストレートに歌い上げた絶品だと思います。

投稿: ジーン | 2017年6月27日 (火) 17時08分

「テネシー・ワルツ」は名曲で、歌い手として、やはり、まず、パティ・ペイジさん、江利チエミさんを思い浮かべます。
 このたび、ジーン様の投稿に触発されて、YouTubeでアン・マレーさんの歌う「テネシー・ワルツ」を初めて聴きました。素直な艶のある歌声に好感が持てました。合わせて、同じアン・マレーさんが英語で歌う「バイヤ・コン・ディオス」も聴き、これも気に入りました。
 日頃、HDDジューク・ボックス(S社製)で音楽を楽しんでおりますが、最近、米国生まれの女性歌手レイシー・ダルトンさんが歌う「テネシー・ワルツ」も加わりました。カントリー・ミュージックとして、なかなか魅力的だと思っています。

投稿: yasushi | 2017年6月29日 (木) 11時50分

「テネシー・ワルツ」は、大好きなアメリカ名歌です。

日頃、民放BSテレビのコーラス番組を、好んで聴いておりますが、この十日位の間に、2回、コーラスによる「テネシー・ワルツ」を視聴しました。 
一つは、6名による女声コーラス(2/4)、もう一つは、15名による女声コーラス(2/13)でした。いずれも、ピアノ伴奏で、和田寿三さん訳詞による日本語歌詞と原語(英語)歌詞が混じった歌声でした。
勿論、編曲は、それぞれに、工夫を凝らされたもので、ハーモニーは美しく、聴きごたえあるものでした。

このように、短期間の間に、立て続けに、「テネシー・ワルツ」の歌声に出会えたのは、この歌が、多くの人々に愛される名曲である所以であろうと、思うのです。
  

投稿: yasushi | 2019年2月14日 (木) 13時32分

私もこの♪テネシーワルツ♪が大好きです。
 若い頃 駐留軍放送・WVTR-トウキョウ で、ジャズやウェスタンミュージックの一端に触れて来た年代です。
 ◆(何時変わったかは不明ですが後のFEN---Far east network、、その後又も変ってAFN?)
 私は寒崎様のご指摘のように、”now I know just”ではなく、”only you know ”で覚えました。
 音階もハ長調で言うと ラシ I ドソ ミ I ラソミ I レ ではなく、 ドレ I ドミソ ミ I ラソミ I レ  と、少々違っていましたね。
 でも当時社交ダンスに嵌って居たけれど、このウェスタンではテンポが早過ぎるので、ラジオで聴くだけでした。

 当時のラジオってご存知ですか??
 スーパーヘテロダインとか42プッシュプルとか懐かしい言葉を思い出しました。
 ステレオなど未だ無く勿論テレビも無いけど良い時代でしたね。

  ★☆★☆ そこに♪♪♪ パティ・ペイジ ♪♪♪
    好いですね♪ 海の彼方の恋人! 素敵でしたねぇ・・・
 お姉さま的な憧れを持って、この曲でワルツを踊りました♪♪♪
 
 正に I was dancin' with my darlin' To the Tennessee Waltz!!!です・・・・・
 
 そんな十代の頃、ダンスホールに行った時の事、可愛い女学生のゆみ子さんと知り合って踊りました♪
 3時間ほど踊り狂って、踊り疲れたそのあと,尚3キロも歩いて彼女の家まで送って行きました。
 電車以外の移動手段はバスか自転車か、自家用の「テクシー」しかない時代です。
 彼女の家の方が見える引き込み線の鉄道線路の土手に座り、子供みたいな淡い口づけを交わしたことを思い出しながら・・・・・・・
その帰り、又3キロ弱を歩いて家に辿り着く直前に、何とお巡りさんの不審尋問に遭ってしまいました。
    夜中の12時に学生がウロウロしていれば当然でしょうね。
 
 それから70年ほど経った今日この頃、カラオケボックスや居酒屋では先ず 『The Tennessee Waltz』です。

 80才後半の けいちゃん、改め 「けい」です。

PS: ★WVTR が何の略語か、どなたかご存知の方が有りましたらご教示下さい。
 

投稿: けい。 | 2019年11月 5日 (火) 19時32分

> ★WVTR が何の略語か、どなたかご存知の方が有りましたらご教示下さい。

けい様へ: WVTRは占領下アメリカの日本での放送局のコールサインです。

WVTRに関する成り立ち等の関連資料は 《うた物語交流掲示板》に
投稿しましたので (2023/4/18) 必要に応じ御覧ねがいます。

(テネシー・ワルツとは直接の関連性が無いので《うた物語交流掲示板》に投稿)

投稿: 津山 | 2023年4月20日 (木) 23時14分

念願の十勝、タウシュベツ橋梁跡に行って来ました。旧士幌線のコンクリート橋、糠平ダム湖に出没する崩れかけた橋梁、費用のせいか川の大きな石を骨材にして崩れるさまがはっきり見えます。あと10年は保つでしょうか。それはさておき、ツアーでは健さんのポッポ屋ロケ地幾寅駅(幌舞)にも行きました。四半世紀を経てなおセットが残っています。帰ってきて今夜BSでポッポ屋を放送していました。健さんのご逝去から10年近く絶えない人気を感じます。改めて見ていると作中何度も「テネシーワルツ」が流れます。「?」と思ってこの曲のコメントを遡ると2008年にSUNDAY様が健さんのチエミさんへの愛情を・・という記述を見て大いに納得しました。有難うございました。   チエミさんがこの歌を歌い始めたのは朝鮮戦争の最中、日本にアメリカの軍人があふれていたころでしょうか。その後昭和30年代には日本人にとってもスタンダードになりました。おそらく昭和の33年か34年、夕暮れの芦屋の業平橋の上で「テネシーワルツて知ってる?」と彼女に聞かれたことを傘寿を過ぎても忘れません。当時のグループ交際でしたが、きっかけは彼女の付き合っていた先輩の紹介でした。この歌の内容は結構理解されていたのだったと今になって思います。蛇足のテネシー州歌のくだりは面白く拝見しました。


投稿: しょうちゃん | 2023年6月 5日 (月) 22時41分

幼心にとても懐かしい素敵な曲だと思いました。
夜勤で帰ってきた姉が、枕もとで化粧を落としていたとき
まどろみから覚めた私が なにかテネシーワルツはいいよねと言ったら 私その歌嫌いよと突き放されてしましましたのを覚えています。後年失恋の歌と知り 当時の姉の気持ちが不憫でなりませんでした。

投稿: さっちゃん | 2023年10月 5日 (木) 20時01分

今日図書館へ行った。
本棚で「テネシーワルツ」という本を見つけ、取り出して拾い読みしてみたが、この歌とは全然関係がなかった。 

でも即、この歌を思い出していた。
昔、中学校に入って英語を習うようになったが、担当のМ先生が言われるには、外国語を身につけるには原語の歌を覚えるのが一番ということで、一年の半ば過ぎ頃から、教科書を離れ、アメリカの「谷間のともしび」「コロラドの月」「リパブリック賛歌」などを教わるようになった。 発音に注意されながら。 (フォスターという人の歌があるとも聞かされたが、これは変調英語とかであまり授業では教わらなかった)

二年になった時、最初に出てきたのがこの「テネシーワルツ」だった。 上記のような堅い歌ではなくて、流行歌風でびっくりしたが、メロディーが美しくて皆な喜んで覚えたものでした。
(今、ここの<蛇足>で、パティ・ペイジがこれを世に出したのが1950年とのこと、私の中学2年というのは1951年、一体このМ先生、どうしてそんなに早くこの歌を聞き知ったのかと思う)

しかし歌いなれてくると、ほんとにいい歌だなあとつくづく思います。 のちに耳にすることになったパティ・ペイジの歌唱がまことに快かった。
パティ・ペイジのもう一つの歌「Changing Partners」とともに、ずっと気持ちよく歌っていきたいと思う。

投稿: 田主丸 | 2023年11月11日 (土) 21時30分

「テネシー・ワルツ」今も昔も洋楽にはめっきり疎い私なのですが、それでも唯一フルコーラスを横文字で(発音の方はデタラメ)今も時折口遊んでいるのがこの曲です!

幼いころより私はこのメロディが無性に好きで、今も時折このページを開いては昔を懐かしんでいます。当時洋楽好きな我が家の長兄がいつもこの曲のレコードをかけていたので、私はいつしかこの歌を覚えていました。
パティ・ペイジの魅力的な歌声には、1950年版と1963年版がありますが、今も時折youtubeにて双方の歌声を聴き比べたりする中で、私にはやはり1950年版のパティ・ペイジ20代の歌声の方が、現在でもどちらかと云えば好みです。多分それは幼いころに我が家で聴いていた当時のレコードの歌声が私の耳に馴染んでいるのと、62歳の若さで亡くなった長兄が元気だったころの姿を想い出すからだと思います。

「テネシー・ワルツ」私が中学生のころ、長兄は知人宅の間借りした二階の小さな教室で、趣味と実益をかねて一時期日曜日のみ週一でダンス講師をしていましたが、ワルツの練習時には好んでこの曲を使用していた、私にはそんな記憶も残っています。

投稿: 芳勝 | 2023年11月13日 (月) 17時14分

 書き忘れたエピソードを思い出しましたので投稿しました。カントリー音楽のジャンルに「ブルーグラス・ミュージック」というものあります。要は、5弦バンジョー、フィドル、マンドリン、ギターといった電気楽器を使わないスタイルで、アパラチア地方から全米に広まったものです。
 
 同音楽を確立させたとされるのが、ケンタッキー出身のビル・モンローという歌手兼演奏者(マンドリン)で、1948年に「ケンタッキー・ワルツ」というC&W史上に残る名曲を世に出しました。同曲に刺激されたのが、テネシー州ナッシュヴィルで毎週土曜夜に開かれる全米最大のC&Wショウ、”グランド・オル・オプリー”の主要メンバーであったピー・ウィー・キング(リーダー兼アコーディオニスト)とレッド・スチュワート(歌とフィドル)でした。
 
 二人はタイトルや歌詞が決まっていないメロディだけのワルツ曲を持っており、ケンタッキーに対抗?してテネシー州をイメージした歌詞を加えて新曲を作り出しました。これを最初に録音したのが、同バンドにも在籍したことがあるカウボーイ・コーパスというC&W歌手で、レーベルはシンシナティにあったキング社でした。
 
 因みに、本家・本元のP・W・キングとR・スチュワートによる録音は、私の記憶が正しければ1948年にRCAビクターで行われています。因みに、前出の「ケンタッキー・ワルツ」はP・W・キングによる録音もあり、私はオリジナルよりも、こちらのヴァージョンを気に入っております…。

投稿: ジーン | 2023年11月17日 (金) 11時00分

 テネシー州はケンタッキー州に南接する州で、雰囲気は良く似ています。
 しかし南北戦争ではテネシーは南軍(奴隷州)、ケンタッキーは北軍(自由州)に属して激しい戦いを演じました。南部の州を車で走ると、今でも南軍の旗を掲げている家などがあり、何となく戦争の遺恨を感じさせます。
 ケンタッキーと言えば、バーボンウィスキーの産地ですが、バーボンはあくまでケンタッキー産のウイスキーを指し、有名なジャック=ダニエルはテネシー産のため、厳密にはバーボンウィスキーではありません。
 ジーン様のコメントにあったBlue Grassはカントリーミュージックの一分野ですが、語源は牧草です。この牧草はKentucky Blue Grassとして、我が国でも西洋芝の種としても売られています。

投稿: Yoshi | 2023年11月17日 (金) 17時26分

昨日、整理が苦手な小生は、棚に収納してあるLP盤の中から聞きたいものを探しておりました。お目当ての盤が見つからない代わりに、'72年に日本ビクターから発売された、「テネシー・ワルツ」を世に出したピー・ウィー・キングの全盛時代の録音を集めたLP盤が見つかりました。
 
 実は、同盤のライナー・ノーツ(日本語解説)を書いたのが小生だったんです…。とうの昔に忘れておりました…。まだまだ資料の少ない時代で、それなりの苦労をしたのを思い出しました…。

 レコード会社のディレクターに小生を紹介してくれた仲間がいたことに感謝するばかりです。音楽の仲間に悪い人はいません…。
  

投稿: ジーン | 2023年11月18日 (土) 10時19分

「テネシー・ワルツ」この曲でメジャーデビューを果たした江利チエミのレコードは累計23万枚が売れたと云います、当時はまだテレビ時代ではなかったことを考えると、この曲そのもの自体が、如何に当時の大衆に支持されていたのかが、この私にも容易に想像できます!

『・・・ポリドールとテイチクのテストに落ちて、キングのオーディションを受けに来たチエミが、自分の希望で歌ったのがこの曲です。聞いていた和田寿三デレクターが、チエミの唄にうまさとフィーリングとリズム感があるのにビックリして早速採用し、大ヒットとなりました。これがきっかけで、各社日本人歌手によるポピュラーソングを競って発売し、流行歌をしのぐヒットが続出しました。』(昭和の流行歌・保田武宏氏解説より)

私は、江利チエミ・メジャーデビュー版・のこの曲を、今も時折youtube視聴したりしますが、当時中学生だったにもかかわらず、その横文字の発音はさすがだとその都度私に思わせます。
某資料によれば、メジャーデビュー前のチエミさんは、進駐軍のキャンプまわりの仕事をこなしていくうちに、進駐軍のアイドルになったとも云われています。今思えばチエミさん持ち前のフィーリングとリズム感の良さは、そのあたりにあったのではないかと私は思います。

私にとって、江利チエミさんと云えば、昔いつも我が家で楽しく見ていた『テレビドラマ・ササエさんシリーズ』の一こまを想い出します。

投稿: 芳勝 | 2023年11月21日 (火) 17時41分

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