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2007年9月 3日 (月)

シェナンドー

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


アメリカ民謡、日本語詞:津川主一

1 おおシェナンドー いとしい人
  川は流れる
  おおシェナンドー いとしい人
  ミズーリ川を 越えてゆくよ

2 おおシェナンドー よい娘
  いまはいずこに
  おおシェナンドー よい娘
  あの時から 七年(ななとせ)たつ

3 おおシェナンドー 船出だよ
  嵐をついて
  おおシェナンドー 船出だよ
  また会うまでは 忘れはせぬ

         Shenandoah

1. Oh, Shenandoah, I long to hear you
  Way hey, you rolling river.
  Oh, Shenandoah, I long to hear you
  Away, we're bound away
     'Cross the wide Missouri.
  Oh, Shenandoah, I love your daughter
  Wey hey, you rolling river.
  Oh Shenandoah, I love your daughter
  Away, we're bound away
     'Cross the wide Missouri.

2. Missouri she's a mighty river
  Wey hey, you rolling river.
  When she rolls down, her topsails shiver
  Away, we're bound away
     'Cross the wide Missouri.
  Seven years, I courted Sally
  Wey hey, you rolling river.
  Seven more, I longed to have her
  Away, we're bound away
     'Cross the wide Missouri.

   Farewell, my dear,
    I'm bound to leave you
  Wey hey, you rolling river.
  Oh, Shenandoah, I'll not deceive you
  Away, we're bound away
     'Cross the wide Missouri.

《蛇足》 この歌は、開拓時代の初期から、ミズーリ川一帯で舟人たちによって歌われた舟歌だといわれ、歌詞には、数多くのヴァリエーションがあります。

 シェナンドー(シェナンドーアとも)は、ヴァージニア州北西部に位置するブルーリッジ山脈とアレゲーニー山脈の間を流れる川です。この川の流域一帯は、国立公園になっています。
 シェナンドー川はポトマック川の支流の1つで、ポトマック川は首都ワシントンを貫流して、やがて大西洋に注ぎます。

 シェナンドーの語源にはさまざまな説があります。多くの人に最も好まれているのは、シェナンドー川の形成についてインディアンの間に伝わっていた伝説で、「星々の娘」を意味するという説です。
 そのほか、Iroquois族の勇猛な酋長Sherandoから来たという説、そのIroquois族によって絶滅させられた部族の名前Senedoに由来するという説、Iroquois族の言葉で大草原を意味するSkahentowaneに由来するとする説などが有力です。

 ジェームス・スチュワート主演の西部劇『シェナンドー』や、ジョン・デンバーのカントリーウェスタン『カントリーロード』は、このシェナンドー川のあたりを舞台としています。

 ところで、東部を流れるシェナンドー川は、中西部のミズーリ川とは遠く隔たっており、シェナンドー国立公園からミズーリ川流域の中心都市オマハまでは、直線距離で1400キロほどもあります。
 にもかかわらず、この歌にシェナンドーという言葉が出てくるのはなぜかと、私は長い間疑問に思っていました。

 あるとき地図を見ていて、偶然、アイオワ州南西部にシェナンドーという町があることを発見しました。この町は、ミズーリ川の支流、East Nishinabotna川(ニシナボトゥナと読むと思いますが、はっきりしません)に面しており、ミズーリ本流から川沿いで6,70キロほどしか離れていません。当然、ミズーリ川の往時の舟人たちも、East Nishinabotna川に入ってきていたでしょう。

 そこで、この町の歴史を少しばかり調べてみました。ヴァージニア州シェナンドー川周辺に居住していた開拓者たちは、希望の地を求めて西へ移動して行く途中、East Nishinabotnaの川縁に一時滞在しました。
 その際、景色が故地に似ているというので、シェナンドーと呼ぶようになったようです。この地を経て西へ移動していった開拓者には、モルモン教徒のグループが多かったといいます。

 ただし、この地に町が作られたのは、鉄道が開通した1870年のことで、それ以前は、簡単な宿駅程度のものしかなかったようです。

(二木紘三)

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コメント

こんばんは。なんと懐かしい!この曲は、ラジオ基礎英語の特別版で英語の歌のテープと歌詞本が出たことがあるのですが、その中に入っていました!基礎英語、といいつつ、その殆どが古い英語の歌を収録していて、ロッホローモンドやアニーローリーなども古いことばのままでした。
たしか、その本にはネイティブアメリカンの部族の娘に恋した男の話のような感じで書かれていたような・・・違っていたらすみません。

投稿: yumiyumi | 2011年3月21日 (月) 02時25分

アメリカの南北戦争の本を読んでいて、あのストーンウォール・ジャクソンのシェナンドアの戦いから、ふとこの歌を思い出し、忘れかけていた歌詞を確認するためにここにやってまいりました。
歌詞を書き出したあと、二木先生のご説明によりひとつ勉強になりました。以前私が最初にこの歌に出会ったとき、なんとなく、シェナンドア渓谷の歌になんでずいぶん離れているミズーリ川が出てくるんだろうと、ちょっとだけですが不思議に思ったことがありました。アイオワ州のミズーリ川の近くに、別のシェナンドアがあろうとは、まったく目からウロコです。ここに元シェナンドアの住民が拠点をおき、さらにこの地から、新たにミズーリ川を越えていったんですね。
(今回アメリカの地図を確認したおかげで、もう一つ、シェナンドアという町が、ペンシルバニア州の東部にあることも分かりました。)
ただ、もう一つ疑問が残ります。この歌詞ができたいきさつです。さあこれからミズーリ川を越えていくんだは分かります。2番になると、Sallyという女性の名前が出て来、歌う主人公はこのSallyに7年間も思いをかけ、もっと一緒に居たかったのに、と歌います。 あのクレメンタインの歌は、愛するクレメンタインの溺死事件が元になっていますが、このシェナンドアの歌詞にも、なにかSallyに関わる逸話があったのではないのだろうか、との思いが残ります。

さて、本場のシェナンドア渓谷です。ずっと昔になりますが、ニューヨークに居たころ、その地を訪ねて行ったことがあります。渓谷とはいえかなり広く感じますが、この地からブルーリッジにかけ、まあなんとも美しいとしか言いようもないところでした。まあ美しい、それしか言葉がありませんが。南の方に、ストーントン(Staunton,南部なまりでスタントン)という町があり、ウィルソン大統領の生家があります。この町も静かないいところです。
ただ、ここを訪ねたのは美しい所だからというわけではなく、あのストーンウォール・ジャクソンの戦跡を尋ねていったのです。この地は南北戦争の激戦の地です。
バージニアの地図を見ればわかりますが、シェナンドア渓谷からブルーリッジは戦略的要地であることがわかります。ブルーリッジを占めれば、南部の首都リッチモンド攻略も容易になりましょう。北部軍は1861年から62年にかけ、幾度も侵攻しますが、南部軍のストーンウォール・ジャクソンはシェナンドアの地を守りきったのです。
彼の軍は絶対に後ろに引きません。いかなる攻撃もただただはねかえします。彼自身もいかに劣勢の時でも、ひるむことなくガンと仁王立ちのまま。彼のことをストーンウォール(石の壁)・ジャクソンと呼ぶ所以です。
1863年ゲティスバーグの戦いの前、ジャクソンは味方の兵の誤射をうけ、左腕を切断することになります。医療施設の乏しい中、肺炎を併発して亡くなってしまいました。南部軍は大変な武人を失ったものです。リー将軍の、「彼は左腕を失ったが、私は右腕を失った」という有名な言葉が残っています。
彼は貧困の中に育ち、弱者に対して大変に情け深い人でした。戦前、黒人への教育は法で禁じられていましたが、彼は教会を通し、黒人(奴隷)に文字を教える学校を建てたりもしました。彼の家にも奴隷が5人ほどいたようですが、その奴隷たちも、どうせ買われるのならジャクソンに、と、つまり押しかけ奴隷だったとのことです。
気は優しくて武に強い、日本の金太郎さんみたいな人、アメリカ嫌いの私が、唯一、敬意を表するアメリカ人です。
(ちなみに、私の最も嫌いなアメリカ人は、同じジャクソンでも、マイケル・J...)

シェナンドア渓谷についてのいきがかり、この歌に関係のないことを長々述べてしまいました。

<蛇足>これまで私はシェナンドーではなくシェナンドアと書いてまいりました。日本ではシェナンドーが定着しているので、私は現地でもどこでも、ついついシェナンドーと言ってしまい、そのたびにシェナンドアだよと訂正されました。(もっとカナでは表せないところがありますが)
アメリカ人の英語発音には、いろいろありますが、Shenandoahを、シェナンドーと発音する人はいないように思います。 尤も、この歌の場合、シェナンドーといった方が歌いやすい気がしないでもありませんが。

投稿: 田主丸 | 2019年1月19日 (土) 20時33分

先日、あるテレビ局からリバイバル放映があり、録画してあった「シェナンドー河」(原題「Shenandoah」)を、再生・鑑賞しました。

二木先生の《蛇足》にもありますように、ジェームス・スチュアート主演の、’65年制作のアメリカ映画で、南北戦争中の、南部・ヴァージニア州のシェナンドー河畔が舞台でした。
いろいろなシーンで、「シェナンドー」の優しいメロディが流れていました。
戦争が、普通の生活を送っている農場の一家にもたらした悲劇に心痛める一方、河畔の、緑豊かで、美しい農場風景がとても印象的でした。

投稿: yasushi | 2019年11月10日 (日) 14時16分

高校の音楽で習いました。うろ覚えですが歌詞は

おお、シェンナド
その水は
はるかのあなたに
おお、シェンナド
連なるは
ああ、果てなく
広きミズーリ

でした。この方が原文に近いようです。

投稿: hurry | 2019年11月10日 (日) 14時43分

 難しいことはわかりませんが、先日のラグビー日本大会で「カントリーロード」を「ビクトリーロード」と言って歌っていたようです。優勝した南アフリカの人たちが歌っていたと思います。

投稿: 今でも青春 | 2019年11月12日 (火) 21時08分

 私の音楽のホーム・グラウンドはC&Wミュージックです。C&Wの名曲には地名・州名等をタイトルにしたワルツの名曲が数多くありまして、シェナンドーには「シェナンドー・ワルツ」(1940年代、クライド・ムーディ作・歌)があります。
 In the Shenandoah valley of Virginia
Live the girl who is waiting just for me
Many time we had waltzed in the moonlight
I know that her love is still true…

投稿: ジーン | 2024年2月 8日 (木) 20時18分

もう60年前になります。中学の合唱部担任に合唱部に強制入部されられ(いやではありませんでしたが)、このオーシェナンドーを歌いましたことを思い出しました。
当時、アメリカの地理に疎く意味がよく分からずにいましたが、アメリカ地図を見てた時、シェナンドー(川)とミズリー川は遠く離れているのが不思議に思いました。
歌詞(うろ覚えですが)
 オーシェナンドー 船出だよ いまはいづこに
 オーシェナンドー 船出だよ ミズリー川を越えてゆくよ

で、私の日本語歌詞の解釈ですが、
ミズリー川を下り(船出)、シェナンドー(恋人)に会いに行くよ

です。シェナンドー川は、ミズリー川と繋がらないので
この場合、シェナンドーは恋人の名前だと思います。

ちなみに、ジョンデンバーのカントリーロードに歌われる、楽園ウエストバージニアですが、ブルーリッジマウンテン、シェナンドーリバーは、ウエストバージニアではなく、バージニア州にあります。これも違和感がありますね。

投稿: オジイ | 2024年3月27日 (水) 11時39分

 この歌のメロディーが好きです。短い歌ですが、即興で作った(であろう)人が、目の前の自然の風景と郷愁を胸に溢れさせて口ずさんだ情景が浮かんでくるようです。いろんな歌手が歌っているのを10曲以上聴き比べました。どれもが美しいのですが、その中で一番ジーンとくるのは、マイケル・ランドンがユニゾンで歌っているシェナンドーです。そう「大草原の小さな家」のチャールズ・インガルス、または「ボナンザ」のカートライト兄弟の末っ子役で知られた俳優です。
 しかし、最近大好きなロック歌手のブルース・スプリングスティーンがなるべく原曲に近いものをという意図で歌っている「シェナンドー」を聴いて「なんでこんなに違うんだろう」と思いました。調べてみると原曲のメロディーは、開拓時代に安住の地を追われたネイティブアメリカンのスー族が、政府に定められた居留地を目指してゆく旅の途上で、故郷を懐かしんで口ずさんでいたのを、鹿などのハンターたちが聴いて歌詞をつけたものらしいのです。
 それまで西部の開拓者たちが流浪の旅の途中のロマンスを主題に歌っていたものかと思っていたのが、ガラリと変わりました。侵略者たちに故郷を追われていくネイティブアメリカンの「恨み節」的な要素もこの歌にはあるのではないか。そんな気がしています。いずれにしても、人が自らの故郷を想い懐かしむ心は万人に共通のものなのかもしれません。だからこそ人々の共感を得て永く歌い継がれているのでしょう。

投稿: デミアン | 2024年12月21日 (土) 10時04分

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