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2007年9月24日 (月)

舟唄

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:阿久 悠、作曲:浜 圭介、唄:八代亜紀

1 お酒はぬるめの 燗(かん)がいい
  肴(さかな)はあぶった イカでいい
  女は無口な ひとがいい
  灯(あか)りはぼんやり ともりゃいい
  しみじみ飲めば しみじみと
  想い出だけが 行き過ぎる
  涙がポロリと こぼれたら
  歌い出すのさ 舟唄を

  沖のかもめに 深酒させてヨ
  いとしあの娘(こ)とヨ
  朝寝する ダンチョネ

2 店には飾りが ないがいい
  窓から港が 見えりゃいい
  はやりの歌など なくていい
  ときどき霧笛が 鳴ればいい
  ほろほろ飲めば ほろほろと
  心がすすり 泣いている
  あの頃あの娘を 思ったら
  歌い出すのさ 舟唄を

  ぽつぽつ飲めば ぽつぽつと
  未練が胸に 舞い戻る
  夜ふけてさびしく なったなら
  歌い出すのさ 舟唄を

  ルルルルルル……

《蛇足》 昭和54年(1979)のヒット曲。
 先頃亡くなった阿久悠の傑作で、「酒は静かに飲むべかりけり(若山牧水)」といった大人の飲酒哲学を詞にしたものと見ることができます。

 1番の終わりの「沖のかもめに……」は、神奈川県の三浦半島あたりで歌われていた民謡の『ダンチョネ節』が元歌。
 元歌は「三浦三崎でどんと打つ波はヨ 可愛い男のネ 度胸だめし ダンチョネ」といった船乗りの歌ですが、太平洋戦争が始まるころから、海軍航空隊の隊員の間で替え歌が歌われ始めました。
 「沖の鴎と飛行機乗りはヨ どこで散るやらネ はてるやら ダンチョネ/俺が死ぬときゃハンカチふってヨ 友よ彼女よネ さようなら ダンチョネ」といった歌詞で、『特攻隊節』と呼ばれていました。

(二木紘三)

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コメント

阿久悠が亡くなって、日本の歌謡界は大きなものを失ったと言われていますが私もそのとおりだと思います。

  沖のかもめに 深酒させてヨ
  いとしあの娘とヨ
  朝寝する ダンチョネ

の部分ですが、私は幕末の志士高杉晋作の都々逸

  三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい

をモチーフにしているのではないかと考えております。晋作のこの唄の意味には色々解釈があるようですが、この場合は朝に喧しい烏を鳴きやませて二人で朝寝がしたいという文字通りの意味に解釈して、烏をかもめに置き換えたのではないかと思うのですがいかがでしょう。

投稿: Yoshi | 2011年4月23日 (土) 16時25分

「駅 STATION」は、日本映画のベスト3に入るような作品だと思いますが、あのスナックでの会話のときバックに流れていた「舟唄」は、高倉健が好きな曲ということで入ったみたいですね。今日BS3の「昭和の歌人 阿久悠」に出演した八代亜紀が言っていました。

投稿: nemukin | 2012年1月29日 (日) 21時03分

兵隊節でしたか。

沖のかもめと飛行機乗りはどこで散るやらネ果てるやらダンチョウネ...。

この唄をもう47年前になりますが私が社会人になりたての23歳の時、上司が招待した取引先の代理店社長一行とゴルフ帰りに立ち寄った小料理屋の一室で聞きました。
大変生真面目な方たちでこの様な事もこれっきりだったと思います。
場所は玉川新地、東京世田谷の二子玉川を渡った先の多摩川土手に面した玉川新地、まだ風情のある料亭が残っていた時代です。

大変堅い社長で歌を唄うような人ではありませんでしたのでとても印象深く記憶が残っています。
低い声でした。 ゆっくりとしたテンポで唄われました。

この八代亜紀の舟歌を聞くと、そしてこの一節に来るとあの夜を、多分実戦帰りのあの方たち一行を思い出します。
あの方たちはもう90も半ば、ご健在でしょうか。

あの玉川新地は、あの風情は もう影も形もありません。

投稿: 浜のぼくちゃん | 2015年2月 1日 (日) 17時58分

浜のぼくちゃん様
50年近くも昔の出来度とを良く鮮明に想い出され感服致しております。その時の様子が目に浮かぶようです。 
 皆さん、これまでの長い人生の中で楽しかったこと・悲しかったこと・嬉しかったことなどそれぞれの想い出があると思います。
 でもその中で歌の想い出は特に印象に残っているものです。
 私が27歳の頃だったと思いますが、同じ職場の先輩とよく居酒屋に飲みに行きました。まだカラオケがなかった時代ですが、必ずと言っていいほど、田端義夫の名曲「かえり船」それも「セリフ」で唄われました。
お酒も入り、今でもその名調子が耳元に残っています。
 浜のぼくちゃん様ありがうございました。

投稿: あきら | 2015年2月 1日 (日) 21時19分

「・・・でいい」とは謙虚ないいまわしですが・・。
よく読んでみると、ぜいたくというか、結構な注文です。
「女は無口なひとがいい」いないんですね~、そんなひと。希少価値です。
「流行の歌などなくていい」同感です。酔った客のカラオケの声など論外。
「窓から港が見えりゃいい」そんな立地条件をみたした店は、めったにない。
「時々、汽笛がなればいい」究極のぜいたくではないでしょうか。
 
 昔、天草下島の牛深港から鹿児島の蔵の元へ渡った時、待ち時間が長かったので、飲み屋へ入りました。
その店のたたずまいが、上の写真の店に似ていました。まあ、記憶があいまいで、そう思い込んでいるだけかもしれませんが・・
フェリーの発着のたびに鳴る汽笛が、店にいる私に聞こえました。
この写真は魚河岸のようですが、私には、むこうに海(天草灘)が広がっているように見えます。
よい写真とは、見るものに何かを語りかけるものだと、高名な写真家が言ってましたが、私にとってこの写真がそうです。

投稿: 音乃(おとの) | 2015年2月 9日 (月) 14時14分

皆々様、konohaコメントがしつこく続きすみません。
 音乃さま無口な女もいますよ。男も女もほどほどがいい(歌詞のごとく言えば)(笑)。今日の東京は最高気温が14か15度で午後から雨で寒い一日でした。寒い日にはお酒は熱燗がいい、イカはたしかにあぶっただけでいい、美味しいですね。男は無口がいい。いえいえ私はあまりにも無口だと「う」とか「い」とか言わせてみせたくなります。でもお酒はしみじみ飲み、二木楽団の演奏を聴きながらしみじみ思い出に耽ります。八代亜紀の舟歌は大好きな歌です。

投稿: konoha | 2018年5月 8日 (火) 20時02分

「舟唄」この唄の魅力の真骨頂と云えば、ダンチョネ節を取り入れたところにあると思いますが、浜圭介の秀逸とも云えるそのメロディは、八代亜紀の唄声にピタリとはまっており、この唄を眼を閉じて聴いていると、その情景がぼんやりと浮かんできます!

私も酒を嗜む者の一人ですが、寒いこの時期の燗酒は何にも増して一日の疲れを癒してくれます。それに、この歌詞にある酒の肴にあぶったイカなんて、まさに絶品ではないでしょうか。
現役のころは、行きつけの小料理屋に私が顔を見せると、お酒の時には女将さんがイカ好きの私に、先ずは手作りの塩辛かあたりめを必ず出してくれました。この曲を聴く度にそのころのことが想い出されます。

「舟唄」この曲が大ヒットした成功の要因は、ダンチョネ節のフレーズをスローテンポにしたこと、そしてこの唄を、当時、男唄を歌わせれば抜群の人気を博していた、八代亜紀に歌わせたことで魅力が倍増したのではないかと、私なりに思っています。
また、この唄は昭和の名曲と言っても、けして過言ではないと思えるほどの、私の愛曲でもあります。

投稿: 芳勝 | 2020年2月 2日 (日) 18時26分

  八代亜紀の歌は多く知りませんが、中でもこの舟歌が大好きで気持ちを誘って(いざなって)くれます。八代亜紀がデビューした頃、青江三奈がいましたね。二人からは被るような印象を受け、これから青江三奈は大変だろうなと思ったことを思い出します。

ーーー
 
 歌詞の場面にふと自分を重ねたくなり、そう、いい女でね、そして無口でね。・・・ みなさん、女独りだと失恋の哀しさをまとう風情になるのでしょうか。男独りだと失恋より人生を背中に漂わせるのでしょうか。・・・

 歌詞の雰囲気のお店は美味しいお酒に湯豆腐か、柚子の効いた塩辛に香り付けに一滴のお醤油加えたものか、刻みネギがたっふり入った鯵のたたきで、TV深夜食堂の小林薫のオヤジのような店主の佇まいを肴して、盃を傾けるのもいい。

投稿: konoha | 2024年1月10日 (水) 22時35分

1月9日の午後・悲惨さを極めたこの度の能登半島震災のニュースをテレビで見ていた最中、その画面に突然表示された、予期もしない、八代亜紀訃報の知らせに、私は驚きのあまり思わずエッと絶句してしまいました!

思えば、私の新婚時代、彼女が歌った「愛の終着駅」を車内のラジオ放送で聴いた時、私は彼女の歌の上手さ、そして何よりも、私は彼女の歌に『心』を感じた記憶があります。
そして、後の私が長年の八代亜紀ファンとなっていった極めつけの曲となったのは、紛れもなくこの「舟唄」でした。

昨日は、私が所有している八代亜紀のレコードを久しぶりに木製ボックスから取り出してはデスクに並べ、レコードジャケットを彩る彼女の写真をじっくりと眺めながら彼女の歌声を心行くまで堪能しました。

八代亜紀さん、長年にわたり素晴らしい歌声を本当に有難う御座いました。心よりご冥福をお祈り申し上げます!

投稿: 芳勝 | 2024年1月11日 (木) 16時46分

去年の12月から今年の1月にかけて色々なことがありました。イスラエル軍のガザ攻撃や自民党の裏金問題さらに能登半島の地震災害など。そういう中で12月30日に八代亜紀さんが亡くなったと聞き、びっくり。いつも明るくて元気そうな人でしたから、とても驚きました。歌手としてよりも、人柄がよさそうな雰囲気でしたから、惜しいなあもっと歌ってほしかったと思いました。73歳なんて若すぎる。本人が100歳まで歌いたいと言っているのを見ましたから。
彼女の歌は「雨の慕情」「愛の終着駅」そしてこの「舟歌」くらいしか知らないが、ハスキーな声で演歌の女王とよばれていたことなどを思い出す。周りの人を大切にしなさいという父の教えを大切に守ったという。絵も上手な彼女ですが、これも父から教えてもらったとか。そういうお父さんっ子というところが私は好きでした。

投稿: 越村 南 | 2024年1月14日 (日) 01時33分

先日「舟歌」というこのページを開け歌詞を見て、アレこの歌知ってる、八代亜紀という人が歌うお酒は気持ちよく飲みたいという歌じゃないか、ふうん題は「舟歌」っていうのかと知った。

この歌を始めて聞いたのがいつの事かは忘れたが、私はお酒はこんな雰囲気でといつも思っていたので、ああ、いい歌だなあとそのまま覚えたのでした。
(歌の題が何かは気にしなかった)

それにしても八代亜紀の低めの声が魅力的だし、歌う節まわしが醸し出す雰囲気がいいですね。 聞いていたら飲んでるお酒がますますおいしくなってくるような。
「八代」というからには、熊本、ヤッチロのご出身だろうけれど、九州人だから亜紀さんもやはりいける方だったのだろうか。 ご婦人が静かにお酒を嗜んでる姿は魅力的ですもんね。

お酒はやはり静かに快く飲みたい。
<蛇足>で言われている通り、
  
  白玉の歯にしみとほる秋の夜の
        酒はしづかにのむべかりけり  (牧水)


尤も静かでなくて、陽気に賑やかに飲んでもいいときもありますね。

  みーずはとてもおいし、が、
  酒飲めば ほい ぼくうれし、
  ばーんざい おお かーんぱい、
  よーろの酒がのーみたい、
  もしなければ スットコドッコイ、
  は 酒飲め酒飲めよォ
  (音符は書けません)

ただし乱れちゃいけませんね。

<蛇足>
亜紀さんは先の年末にお亡くなりになりましたね。
いい方がどうして早く身罷れるのだろう。 合掌。


   

   

投稿: 田主丸 | 2024年1月24日 (水) 14時01分

この「舟唄」の阿久悠の歌詞はもともと美空ひばりのために作られたものだったとウィキペディア(Wikipedia)に書いている。なるほど「悲しい酒」の歌い手であり、お酒が大好きだった美空ひばりなら、この歌はぴったりだったように思う。しかしレコード会社が反対したので、ひばりには、歌がまわってこず、阿久悠は大憤慨したそうだ。会社がなぜ反対したのかまではわからない。
その後、あまりふるわず起死回生を狙っていた浜圭介の作曲の力もあって「舟唄」は大ヒットした。
いやあ、ヒット曲というのは偶然の末に生まれるものですね。私は美空ひばりでもヒットしたように思います。ひばりは「柔」「悲しい酒」など男歌の名人ですから。

また八代亜紀は美空ひばりや石原裕次郎にとても愛されたらしい。ひばりの家に深夜呼ばれてカラオケを歌ったり、裕次郎のハワイの別荘に招かれたりして家族ぐるみの歓迎を受けたそうだ。
人気のある芸能人の日程は我々のようなものではなく、何か月も先まで詰まっているはず。深夜ひばりの家に呼ばれたのも時間がなかったからです。まして人を知るのに、いろいろ話合って人柄を知り、だんだん好きになるなんてことはない。5分間ほどの態度、表情、話の内容でぱっと決めると思う。いやそれよりも、ひばりや裕次郎は毎日何十人何百人と対面しているんですから、人を見て一瞬で正しい判断ができたと思います。そういう能力はだんだん培(つちか)われてくるものです。
八代亜紀は運転免許も持たず、アイフォンも知らないとある番組で答えていた。そんな天衣無縫な、田舎娘的なところが彼らに愛されたのではなかろうか。
酒好きだった私は、お酒が好きで好きで、そのために身を滅ぼしたともいえる美空ひばり、石原裕次郎がなぜ八代亜紀を愛したか、なんとなくわかるような気がしています。

投稿: 越村 南 | 2024年2月15日 (木) 11時40分

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