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2007年9月12日 (水)

果てもなき荒野原

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


ロシア民謡、作詞:I. スーリコフ、日本語詞:井上頼豊

1 果てもなき荒野原
  息絶ゆる馭者(ぎょしゃ)あわれ
  息絶ゆる馭者あわれ

2 うるむ眼に馬見つめ
  言い残すその言葉
  言い残すその言葉

3 我が友よ いざさらば
  ここ荒野に我眠らん
  ここ荒野に我眠らん

4 我が馬よ 運びゆけ
  我が想いを父母(ちちはは)
  我が想いを父母に

5 伝えてよ 我が妻に
  永久(とわ)の別れ この指輪
  永久の別れ この指輪

6 悲しみにおぼれずに
  縁(えにし)あらば家をもてや
  縁あらば家をもてや

7 荒野にて凍(こご)ゆるも
  汝(な)が面影抱(いだ)きゆく
  汝が面影抱きゆく

Степь да степь кругом

Степь да степь кругом,
Путь далек лежит,
В той степи глухой
Умирал ямщик.

Умирая, он,
Чуя смертный час,
Он товарищу
Отдавал наказ:

"Ты, товарищ мой,
Не попомни зла,
Здесь, в степи глухой,
Схорони меня!

Ты лошадушек
Сведи к батюшке,
Передай поклон
Родной матушке.

А жене скажи
Слово прощальное,
Передай кольцо
Обручальное.

Да скажи ты ей -
Пусть не печалится,
Пусть с другим она
Обвенчается.

Про меня скажи,
Что в степи замерз,
А любовь ее
Я с собой унес".

Степь да степь кругом,
Путь далек лежит,
В той степи глухой
Умирал ямщик.

《蛇足》 ロシアの古いメロディにスーリコフが詞をつけました。

 5~7番に妻への深い愛情が感じられますね。
 これは蛇足中の蛇足ですが、6番は、「悲しみに負けないで、いい人がいたら再婚しなさい」という意味です。「新しい住宅を買いなさい」という意味ではありません。若い人が勘違いするといけないので、念のため。

 エスペラント訳が見つかりましたので、掲載しておきます。日本語版、エスペラント版とも、原詞の主旨をよく活かした詞になっています。日本語版は1聯少なくなっています。

                STEPO( tradukita de K.Gusev)

1. Stepo, sola step',
   vasta neĝa ter'...
   En la fora step'
   mortas la koĉer'.

2. Kaj sentante jam
   froston pli kaj pli,
   diras al kompan'
   lastajn vortojn li:

3. "Do, kunulo, nun
   venas mia fin'.
   En la neĝa step'
   entombigu min.

4. Restu al la patr'
   ĉevaltri' kun sled',
   mia lasta klin'
   restu al panjet'.
5. Kaj al la edzin'
   ringo de la am'...
   Diru al ŝi, ke
   mi ne venos jam.

6. Ke, pasinte for
   en la frosta hor',
   mian amon mi
   ankaŭ portis for.

7. Bela, juna ŝi
   ne turmentu sin
   por amonta ŝin
   iĝu la edzin' ".

8. Stepo, sola step',
   vasta neĝa ter'...
   Tiel en la step'
   mortis la koĉer'.

(二木紘三)

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コメント

私は樺太(サハリン)生まれの樺太育ち。中学2年で予科練を志願し合格、家族と最後の別れに中学のあった豊原(ユジュヌイ・サハリンスク)から汽車で東海岸を北上、樺太を東から家族の住む西海岸の炭鉱の村までスキー行軍を企てました。学校は丁度冬休みで雪の降る頃です。宿で寝る頃に大吹雪になり、宿屋の亭主がスキーで横断など自殺行為でもっての外、馬橇を雇って行きなさいと、もの凄い剣幕。結局、馬橇を雇うことにして寝に就きましたが、翌朝は快晴。しかし、馬橇を雇ったのは正解でした。雪が積もって慣れた者でなければ、道に迷ってしまうのです。北緯50度の国境沿いに一日がかりで東から西に横断しました。この歌を歌う都度、あの時のことを思い出します。途中、猟師の家が1軒あるのみでした。熊こそ冬眠して出てきませんが、狼、狐、野犬がうろうろしていただろうと思います。この歌を知っている方は多くないようですが、私にとっては非常に思い出となる歌です。

投稿: 大門坊 | 2009年5月10日 (日) 23時59分

冬の樺太国境を横断した有名人に女優の岡田嘉子がいる。彼女は恋人の杉本良吉と共に1938年1月3日地吹雪の舞う国境を越えたところを直ちにGPUに捕らえられた。二人は別々に収容され、その後再び会うことなく、杉本はスパイ罪で翌年銃殺刑。岡田は10年近くを刑務所で過ごした後、日本に一時帰国、柴又の寅サン映画などにも出演した。しかし、結局はモスクワに帰って死去。岡田について、詳しくはウイキペディアを参照されたい。小生がモスクワでお世話になった日本人に寺島儀蔵氏がいる。寺島氏は北海道自治講習所修了後、日本共産党に入党。3.15事件で逮捕、数年の入獄生活の後、20才代の頃に樺太国境を越えてソ連に亡命。しかし、ソ連でも再び監獄とラーゲリ強制労働。日本に一時帰国出来たのは85才になってからだった。中公文庫から「長い旅の記録」と題する同氏の著書が出ている。樺太国境を越えた日本人には悲惨な結末が待っていたようだ。

投稿: 大門坊 | 2009年5月15日 (金) 00時09分

何とも悲しい物語ですね。極寒のシベリアではこのような悲惨な出来事があったのでしょう。
メロデイはその割には明るいですね。諦めの心境かもしれません。

投稿: 三瓶 | 2016年3月12日 (土) 17時26分

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