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2007年9月27日 (木)

母さんたずねて

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:斎藤信夫、作曲:海沼実、唄:川田正子

1 まいごのまいごの こすずめは
  おせどのやぶで
  母さんたずねて よんだけど
  サラサラつめたい かぜばかり
  かぜばかり

2 まいごのまいごの こすずめは
  お寺のやねで
  母さんどこよと きいたけど
  ポクポク木魚の 音ばかり
  音ばかり

3 まいごのまいごの こすずめは
  お山のかげで
  母さんさがして ないたけど
  キラキラ夕日の かげばかり
  かげばかり

《蛇足》 昭和21年(1946)に『ばあやたずねて』の好評を受けて制作され、NHKで放送されました。

 この前年の4月中旬、海沼実は、荒川区尾久の借家を空襲で失ったため、芝区(現在は港区)南佐久間町(当時)の川田家に寄宿していました。また、斎藤信夫は、戦争中軍国教育に加担した反省から、昭和21年4月に国民学校(小学校)の教師を辞し、川田正子・孝子姉妹の家庭教師をしていました。
 人気童謡歌手となった姉妹は、ラジオ出演が多くなって1週間の半分は学校を欠席していたのです。

 作詞家・作曲家・歌手が同じ家にいる機会が多くなったうえに、川田家がNHKから近かったことから、NHKは重宝がって、次々と新作を依頼したといいます。

 川田姉妹の父親は別宅に入り浸って、ほとんど家に帰りませんでした。昭和17年(1942)に川田姉妹が音羽ゆりかご会に入会したあと、姉妹の母親と海沼実の距離が近くなり、やがて事実婚状態となりました。戦後、時期は違いますが、それぞれ離婚してから、2人は正式に結婚しました。

(二木紘三)

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コメント

この歌に出会い遠い昔を想いおこしながら歌っていました。
わたしが小学校3年生のとき学芸会で踊った曲で
今でも歌詞も忘れず覚えています。
懐かしい。四年生のときは一休さんだったなぁ~と・・・・
時々訪れては昔を懐かしんでいます。

投稿: みお | 2007年10月23日 (火) 18時29分

この童謡は,海沼實-斎藤信夫作品の中で抒情的には最高傑作と思います。また歌手の川田正子(故人)の音程にもピッタリ合っていました。歌詞も特に3番「キラキラ夕日の かげばかり」が,夕日の残光までが無情に照らしているという感覚を見事にまで表現していると思います。なにやら親子の哲学的な関係すら感じられ,他の斎藤作品の「里の秋」「蛙の笛」と並んで私の世代(60代後半)には忘れがたい曲です。

投稿: nobuchan | 2009年7月20日 (月) 00時01分

この曲、聞いているうちに、昔ラジオで聞いた微かな記憶がよみがえってきました。川田三姉妹のうち私は美智子と同い年ですが、そういえば前から彼女だけ少し違った顔立ちだなあと思っていました。姉達の父親は家族を捨て、あの海沼実氏が実のお父さんだなんてそんな事情があったとは・・・

投稿: Bianca | 2009年7月20日 (月) 23時26分

「みかんの花咲く丘」からこちらに来ました。
3行目の「母さんたずねて」以降を歌うと、おもわず涙があふれてきました。生前の母と私は似た者同士で親しい関係になれませんでしたが、今はあの世にいる母をたずねていきたいような気持なのでしょうか。

投稿: Bianca | 2014年10月18日 (土) 11時34分

浜千鳥 と この 母さんたずねて を聞くと 涙腺がゆるんできます。亡き畏友と時々 カラオケに行き 2人で飲みながら よくうたいました。叙情歌が主で楽しい思い出です。実母を3歳で死に別れ 私も 歌のように 母親を探しまわり 泣いていたのかも 覚えがありません。

でも姉 結婚後は義母 妻が母親の役目もしてくれ嬉しかったです。新婚当時は妻に抱きついて寝ていました。自然とそのようなスタイルになったのです、妻はあたかも 我が子を抱くようにしてくれました。
感謝 感謝です、今はお互いにくたれ口の舌戦です。この舌戦を楽しんでいます。(*^-^)

投稿: 青果 | 2014年10月25日 (土) 21時50分

この歌を覚えたのは確か5~6歳のころで、ラジオでも流れたのでしょうし、母が歌って聞かせてくれたのも、よく覚えています。
幼い子どもにとっては、この上なく悲しい気持になる歌詞で、母とはぐれる夢、母が死んでしまった夢を度々見て、枕を涙で濡らして目覚めたものでした。
どうしてこんな寂しい歌が、幼い子供のためにあるのか、その後もずっと不思議に思っていました。
あるいは「人は本来孤独なものだ」「いつかは親の元をを離れて一人で生きるのだ」と、幼い時から、それとなく教えているのでしょうか…。

投稿: nobara | 2018年6月 6日 (水) 22時54分

「母さんたずねて」私がこの唄を初めて知ったのは、1995年に購入した「蘇る童謡スター大全集」の中に収録されていた川田正子(原盤)の歌声を聴いた時でした!

その中には「赤ちゃんのお耳」・「とんがり帽子」・「みかんの花咲く丘」・「母さんたずねて」・「夢のお馬車」・「里の秋」・「夢のお橇」・「汽車ポッポ」・「蛙の笛」・「ばあや訪ねて」・の10曲が収録されていますが、私は少女期の川田正子の素朴な歌声が無性に聴きたくなり、今でも時々そのCDアルバムを取り出しては聴くことがあります。

2018年6月6日nobara様ご投稿

>「・・・母とはぐれる夢、母が死んでしまった夢を度々見て、枕を濡らして目が覚めたものでした。」

上記のコメントを拝読した時にハットしたのですが、私も幼いころにそれとよく似たような体験をしたことを想い出しました。
それでもこの歌詞には長閑な情景とこすずめを主人公にしている分だけ、幾分の寂しさが和らいできます。

「母をたづねて」母が亡くなって久しくなりましたが、私はこの歳になった今でもこの唄を聴くと無性に母に逢いたくなってしまいます。

投稿: 芳勝 | 2020年9月26日 (土) 18時17分

 >「母をたづねて」母が亡くなって久しくなりましたが、私はこの歳になった今でもこの唄を聴くと無性に母に逢いたくなってしまいます。

 私も母が亡くなって1年を過ぎました。 
時々 母の大好きなおせんべいや甘いお菓子を持ち母の元に行きたくなります。施設に入所した母をもう少し訪ねていればと思います。この唄を聴くと芳勝様と同じように母に逢いたくなってしまいます。
 母は 私の心の支えでした。
 

投稿: けん | 2020年9月26日 (土) 19時40分

♪母さんが夜なべをして^手袋編んでくれた♪の様にこの歌も。今日お買い物に出かける車の中で、母が手作りの袋を主人に見せると中を覗いてなんや俺のハンカチやないか確かに目にしたことが有りました。袋の裏に懐かしい主人のハンカチを無駄なく丁寧に縫っていました。急に母を思い出して涙がこぼれ落ちました。京都の織元の布をうまく袋物にそして倹約に裏地にハンカチを。戦後生まれの私と違って活用方に母の性格がしみじみと滲み出ていて胸が一杯に成りました。すずめさんでさえお母さんを思い鳴くのかなと思いますこの歌で。年の暮れにお母さん本当にありがとう。

投稿: Kazuyo | 2023年12月13日 (水) 12時44分

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