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2007年9月13日 (木)

ふるさと(五木ひろし)

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:山口洋子、作曲:平尾昌晃、唄:五木ひろし

1 祭りも近いと 汽笛は呼ぶが
  洗いざらしの Gパンひとつ
  白い花咲く 故郷(ふるさと)
  日暮れりゃ恋しく なるばかり

2 小川のせせらぎ 帰りの道で
  妹ととりあった 赤い野苺(のいちご)
  緑の谷間 なだらかに
  仔馬は集い 鳥はなく
  ああ 誰にも故郷がある
  故郷がある

3 お嫁にゆかずに あなたのことを
  待っていますと 優しい便り
  隣の村でも いまごろは
  杏(あんず)の花の まっさかり

4 赤いネオンの 空見上げれば
  月の光が はるかに遠い
  風に吹かれりゃ しみじみと
  想い出します 囲炉裏(いろり)ばた
  ああ 誰にも故郷がある
  故郷がある

《蛇足》 昭和48年(1973)リリース。
 歌詞は思い切りふるさと演歌ですが、曲はちょっとフォーク調。

 杏といえば長野県の善光寺平が名産地で、春になると、里の至るところが白い花でおおわれます。作詞にあたっては、そのあたりがイメージされたのでしょう。山口洋子は『千曲川』も作詞しているので、この想像はあながち的外れではないと思います。

(二木紘三)

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コメント

杏の花咲く、善光寺平の美しい風景が蘇ります。
故郷があり、思い出があり、郷里に還られる人は幸せですね。

投稿: 柾木 忍 | 2007年9月13日 (木) 03時58分

この歌が流行った頃、小学校高学年でした。東京生まれ東京育ちの私には、この歌の風景がとてもあこがれで、ラジオの番組にリクエストをして愛川欽也さんに伝言を読まれた事があります。私にとってはこの「ふるさと」と「千曲川」は小学校時代にタイムスリップする懐かし曲です。今でもこんなふるさとが欲しいと思います。

投稿: くり2ママ | 2007年10月30日 (火) 12時54分

恥ずかしながら、NHKの“ちりとてちん”で初めてこの曲を知った20代です f^_^;
「いい曲だなぁ」なんてかる~く考えて検索してみたら、なんとまぁ地元を歌った曲ではありませんか!!
あまりにも驚き、運命を感じて(笑)コメントさせていただきました。

♪ああ 誰にも故郷がある 故郷がある♪

悲しいときつらいとき、雪に埋もれたただただ白い故郷を思い出します。
寒々しい光景のはずなのに、私にとってそれは、心をあたためてくれるホッカイロみたいに。
故郷がある。
本当に幸せなことです。

投稿: ももいろこぶた | 2007年12月16日 (日) 00時34分

NHKの”ちりとてちん”で久し振りに聴いて、昔を思い出しています。曲・詩ともなかなか味わいある歌だと再認識しました。忘年会のカラオケこれに決めました。
曲があればのことですが。

投稿: 平ちゃん | 2007年12月26日 (水) 10時27分

私もNHKの朝ドラちりとてちんでこの曲を聞き、なんともいえないノスタルジーな感傷にふけりました。前から聞いてはいたのですが改めて歌詞をしっかり聴き曲を聴いている内に遠い昔、高校生だった私は関西からはほど遠い宮城県の田尻という田舎の親戚の家まで一人旅をし、ひと夏、農家の生活したことを思い起こします。
田舎の生活は初めての都会暮らし、見るもの聞くもの新鮮でどんなに心を癒されたことか、ここが故郷だったらどんなに良いだろかと思ったことでした。それ以後、この曲を聴くとまるでふるさとへ帰ったような気がするのです。

投稿: 雄琴のけいぼう | 2007年12月31日 (月) 19時17分

田舎を捨てざるを得なかった者にとっては、辛い歌です。今では祖霊舎にご先祖様を祭り炊きたての御飯とお茶を供えるのが毎日の日課です。子供の頃の故郷が頭に残像として残っているだけでも故郷が無い人に比べれば幸せなのでしょうね。

投稿: 海道 | 2012年9月25日 (火) 05時53分

二木先生 うた物語フアンの皆さん!
明けましておめでとうございます。
今朝、夢の中でこの曲が流れ・・・目が覚めました。
早速、二木オーケストラの名演奏を数度聴き返しました。
しっとりとした中に心地よいテンポに心が癒される思いでした。
思い返せば、この曲が世に出た昭和48年に結婚したことを想い出しています。
今でも、五木ひろしの熱唱が耳元に残っています。
私の故郷は、生まれは東京ですが、昭和20年終戦と同時に両親の故郷である佐賀に住むようになり現在に至っています。
佐賀は田園都市でもあり、特に昨年は、佐賀市では3回目の「佐賀熱気球世界選手権大会」が開催され、世界から多くの選手が参加し、連日、大空でのバルーンショーが展開され、各地からの大勢の見物人を魅了したところです。


投稿: 一章 | 2017年1月 3日 (火) 10時58分

 「ああ 誰にも故郷がある 故郷がある」
 終戦後、東京日本橋堀留にある生地問屋の2階に住んでいました。問屋は大きな警察署の前にあって、よく進駐軍のジープが行き来しているのを見ていました。兄たちはおまじないと思って「I am hungry」と米兵に寄っていったと言っていました。母は妹をだっこして外にいたら、すごく大きい黒人兵が寄って来たので、とても怖かったと言っていました。妹にチョコレートを渡したそうです。

 日本橋から豊島区へ昭和25年、私が小学校に入学する前に引っ越してきました。麦畑あり、肥だめあり友達が落っこちました。私ではありません。オニヤンマ、ギンヤンマ、しおからとんぼを兄たちは「とりもち」を竿の先につけ、振り回してとんぼとりをして、私は妹とイトトンボを追いかけていました。

 金銀のとかげ、池にはおたまじゃくしの卵、原っぱの草を結んで「こっちにおいでよ」と呼んで、友達の足を引っ掛ける遊びをしたり、隣りの家の垣根ごしの木いちごをつまんで食べたり、群生したコスモスの尺取り虫を眺めたりしました。夕方にはコウモリが飛んできて、夕焼け空に遠く小さな富士山が見えました。

「ああ 誰にも故郷がある 故郷がある」

でも・・・でもですが「朧月夜」は私の心の故郷の情景です。風が薫り、静かな春の宵、菜の花畑、かえるが鳴いています。・・・菜の花のお浸しが大好きです。茹でる前に一輪とって花瓶に挿します。因みにこんにゃくは海のものとばかりと思っていました。

投稿: knoha | 2017年3月 7日 (火) 11時14分

 案外若い人のコメントが多いと感じました。若い人だけでなく、日本人に故郷は必要なんだと思います。
 昭和25年は私も小学校入学です。同年の方のコメントに心揺さぶられる思いがしました。「こんにゃく」の話は面白いですね。

投稿: 今でも青春 | 2017年9月19日 (火) 20時19分

 けんさまの「故郷」コメントを拝読して、こちらに来ました。唱歌「故郷」は世界中の人々の原風景が異なっても胸に響くものがあるのではと信じています。五木ひろしが歌う「ふるさと」はとても具体的な故郷への思いだと思っています。

 2017.3.7にコメントしましたが、これが私の故郷です。
 子供達が成長している時期に池袋サンシャインが建ちました。小学高学年になっていた息子やその友達に「故郷というと何が浮かぶの?」と聞いたことがありました。すると「サンシャインかな」と言ったのです。

 すでにその時代は住宅街でも野っ原などなく都会の風景です。「遊んでいて夕方になるとサンシャインが見えるから」と言いました。子供達が遊んでいる路地からはサンシャインは西の方角になります。夕日を背にしたサンシャインが輝いて見えます。子供達の気持ちの中で故郷の風景は夕日に輝くサンシャインなのです。

 自然回帰的なふるさとの絵ではなく、子供達が育った景色がふるさとなのです。全く「目からウロコ」でした。

投稿: konoha | 2020年6月14日 (日) 12時48分

konohaさんの2017.3.7のコメント 楽しく拝見しました。板橋生れ・東村山育ちの友人から1950年(昭和25年)頃の故郷中山道沿いの板橋の話を何度も聞きました。梅雨時の石神井川には蛍が乱舞し、水田にいるタニシをとって、湯掻いてたべたことなどを・・・。貧乏だったが笑顔はあった。

 2番・4番の
   ああ 誰にも故郷がある
   故郷がある ♬

            の歌詞 いいですね。

投稿: けん | 2020年6月14日 (日) 15時53分

2007年のNHK朝ドラ「ちりとてちん」を思い出します。ヒロイン貫地谷しほりさん、母親役和久井映見さん、父親役松重豊さんたちも懐かしく思い出します。
五木ひろしさんのふるさとは福井県美浜町とのことですが、若狭湾に面した三方五湖へも2度ほど行きました。高地から眺める湖となっていて眺望が素晴らしかったです。
ブログ・ハーモニカ演奏の伴奏に使わせていただきました。ありがとうございました。

投稿: ゆるりと | 2022年10月28日 (金) 11時34分

「ふるさと」この曲がヒットしていたのは、私が故郷を離れて4年が経った頃で、私は19歳の勤労学生でした!

その当時はこの曲を聴く度に、田舎のいつも眺めていた田畑だらけの景色や、そこで過ごしていたころの光景が思わず浮かんできたものです。あれから長年が経ちましたが、私は今でもここでこのメロディを聴いていると、いつも少年の頃に過ごした故郷のことを想い出します。

『・・・当初、この曲のタイトルは「ホームシック」といったが、発売時に「ふるさと」と改題されました。山口は、生まれた場所はあっても帰るべき故郷がないので、必要以上にふるさとを恋う気持ちはたしかに心のどこかにひそんでいると述べています。まぼろしのふるさとに対する憧憬を。五木ひろしは見事に、そして実に優しく歌っています。』(昭和の流行歌・長田暁二氏解説より)

聴けば思わず故郷が恋しくなってしまうような、この「ふるさと」の詩を書いた山口洋子は、この二年後に信濃の雄大な景色が浮かんでくるような「千曲川」の詩を書いていますが、彼女は千曲川に行ったことはなく、ロードマップ片手にこの詩を書いたといいます。
この二曲には、いつも郷愁を誘われそして私は胸を打たれます。作詞家:山口洋子のその見事なまでの表現力は、やはり彼女の才能の為せる業ではないでしょうか。

「ふるさと」この曲が流行っていたころは私が最もフォークギターに夢中になっていたころですが、ふるさと演歌でもあるこの曲はフォーク調でもあり、当時の私はフォークギターでこの唄の弾き語りをよくしていました。

投稿: 芳勝 | 2022年10月29日 (土) 15時14分

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