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作詞・作曲:とまりれん、唄:佳山明生/日野美歌
1 飲ませて下さい もう少し 今夜は帰らない 帰りたくない 誰が待つと言うの あの部屋で そうよ 誰もいないわ 今では 唄わないで下さい その歌は 別れたあの人を 想い出すから 飲めばやけに 涙もろくなる こんなあたし許して 下さい 外は冬の雨 まだやまぬ この胸を 濡らすように 傘がないわけじゃ ないけれど 帰りたくない もっと酔うほどに飲んで あの人を 忘れたいから
2 私を捨てた あの人を 今更悔んでも 仕方ないけど 未練ごころ消せぬ こんな夜 女ひとり飲む酒 侘しい 酔ってなんかいないわ 泣いてない タバコの煙り 目にしみただけなの 私酔えば 家に帰ります あなた そんな心配 しないで 外は冬の雨 まだやまぬ この胸を 濡らすように 傘がないわけじゃ ないけれど 帰りたくない もっと酔う程に飲んで あの人を 忘れたいから 忘れたいから |
《蛇足》 とまりれんの最高傑作。昭和52年(1977)に日本コロムビアから佳山明生盤が、昭和57年(1982)にテイチクから日野美歌盤が発売されました。
昭和58年(1983)、佳山明生盤が第25回日本レコード大賞のロングセラー賞を受賞しました。
(二木紘三)
コメント
二木紘三先生
有難う御座います
いいですね
ゆっくり休めます
どうかこれからも
長く続けて下さい
投稿: たちばなしんすけ | 2009年2月 6日 (金) 16時25分
昭和三十年の頃でしたか、北海道小樽の大学で勉強していた兄が茶色の本を一冊買ってきてくれました。僕は十歳でした。秋田雨雀『先生のお墓』、そして作者はもう忘れましたが『氷雨降る日』というものがあったのを覚えております。ロンドンらしいのですが、古書肆の息子のサミュエルは老いた父の手助けそっちのけで、売り物の本をむさぼり読むのが日課でした。それは氷雨の降る日で、老父は「サミュエルや...」と呟き、本の仕入れに下町へと杖をつきつつ歩みだす...、ただそれだけの筋書きでした。淡色の絵が挿入されておりました。そうそう、挿絵画家の名は深田紅子または深田虹子であったと思います。サミュエルはSamuel Johonsonのことであったのかな、とふっと思い至りました。小学生向けに書かれたものなのに。
投稿: イサコフスキー | 2011年2月20日 (日) 05時55分
深沢紅子ではないでしょうか。
たちばなしんすけさん
>挿絵画家の名は深田紅子または深田虹子であったと思います。
洋画家深沢紅子は童話の挿絵なども多く手がけた。
「深沢紅子野の花美術館」は盛岡にあります。
投稿: みやもと | 2011年2月20日 (日) 21時58分
みやもと様 貴重な情報をいただき、感謝申し上げます。この秋帰省の折に、盛岡の深沢紅子美術館と黒石の秋田雨雀記念館を訪れてみたいものです。投稿で触れました本は、作品全てが児童向けのものでしたが、「氷雨降る日」と「先生のお墓」が、内容と挿絵の二つで、今尚強い印象を与えております。といっても、本自体は小学五年のころに流行した学級文庫整備運動に動員されたまま、行方不明となっております。それにも拘らず、文章の一節、挿絵の一幅、ともにありありと思い出せます。「うたものがたり」で歌の旋律に耳を傾け、挿絵を眺めるたびに、あの本を読んだ五十数年前の感動を思い起こすのは、両者に共通したなにかがあるのでしょう。秋田雨雀は盲目のロシア人詩人のエロシェンコと親交があったと聞きましたが、最近訪問したウクライナの”黒い山”と呼ばれる田舎で、同地の日本学者―樺太落合出身―と知り合いになりました。彼の口からアキタウジャクとヤロシェンコの名が出たのには、感動しました。ヤロシェンコЯрошенкоとはロシア語でのエロシェンコの呼び方です。
投稿: イサコフスキー | 2011年2月22日 (火) 04時02分
たまたま「合本 俳句歳時記 新版」 角川書店 1974年 を見ていたら 氷雨 は 夏の季語とか。「新明解国語辞典」 三省堂 1997年 には 1 [雅]あられ。雹。 2 [秋の]冷たい雨。と。
「冬の雨」ではないのか、と思いました。
投稿: Hurry | 2017年2月 2日 (木) 19時03分
Hurry様
夏の氷雨は「ひょう」で冬の氷雨は「みぞれ」との事この歌が流行った関係で夏の季語が今では夏、冬兼用の季語になったと聞いています。
投稿: 海道 | 2017年2月 4日 (土) 16時52分
海道さま
ご教示ありがとうございます。
仰るようにこの歌の後で「冬の雨」という意味が市民権を得たとするならばよいのですが、ネット上で、もともと「冬の雨」という意味があったという説を見つけました。そうだとすれば、私のコメントは全くの的外れということになります。もう少し調べてみます。
投稿: Hurry | 2017年2月 5日 (日) 15時19分
もう30年くらい前のことです。同僚が「氷雨」が好きで、カラオケだったと思います。この歌をなんども歌っていました。
私はあまり関心がありませんでしたが、歌を聞いて思い出しました。
投稿: 今でも青春 | 2018年9月 7日 (金) 12時12分
「氷雨」佳山明生が歌っていたこの曲には、当時私が名古屋市栄に勤めていたころの忘れられない想い出があります!
そのころ勤務先の近くにあったスナックでのことですが、当時はまだカラオケ設備のない店も多くその店も音楽は専ら有線でした。そしてそこで私が初めて有線リクエストしたのがこの「氷雨」でした。確かリクエスト一曲につき当時10円だったと思います。
それからは私が顔を出すと、黙っていてもしばらくはママさんが必ずこの曲を有線リクエストしてくれました。
それから数か月を過ぎたころ私は休日だったこともあり、その日はいつもより早めの時間にその店に顔を出すと、業者がカラオケ設備の取り付け作業を終えたばかりなのと言って、ママさんからカラオケ機最初の試曲にリクエストされて私が歌ったのもこの「氷雨」でした。
そして数年後仕事の都合で私が名古屋を離れることになり、お別れの挨拶に行った最後の日に歌ったのも、やはりママさんからリクエストされたこの曲でした。
名古屋を離れて40年以上が過ぎましたが、現在は当時学生さんで時々お店を手伝っておられた、一人娘のお嬢さんがママさんの後をお継ぎになり、今は引退されておられるそうです。私はあれ以来毎年欠かさず歳の瀬になるとママさんのご無事を祈りながら年賀状を書きますが、今年も元旦に届いた待望のママさんからの年賀状で、お元気なご様子が伺えてとても嬉しく思いました。
「氷雨」・『蛇足』に記された>とまりれんの最高傑作です。まさにそのとおりで、そしてこの唄は私にとっては想い出のつまった大切な一曲でもあります。
投稿: 芳勝 | 2021年1月14日 (木) 18時41分
「氷雨」と言えば一般的には日野美歌の歌と思われる方が多いのではないでしょうか。1977年に佳山がデビュー曲として歌い、長年地味に買われ続けていましたが、5年後に日野が少しテイストを変えて発売し大ヒットとなり、ついに紅白にまで出場しました。佳山としては庇を貸して母屋を取られたようですが、二人が仲良くデュエットしている動画もありますし、本心はわかりませんが世間で言われるように仲が悪いということは無いようですね。この曲は、佳山が「曲の発想は自分」と言っていることもあり、また佳山と日野、それ以外に箱崎晋一郎も歌っていますが、合計150万枚のレコードの売り上げの内、佳山が80万枚売り上げ「日本レコード大賞ロングセラー賞」も受賞していることもあり、矜持の余裕があるのでしょうね。
日野に歌わせたディレクターは「この曲は女性が歌った方が良い」と直感したそうですが、私もそう思います。でも、佳山の歌もいいと思います。結局名曲なんですね。
投稿: 吟二 | 2022年12月10日 (土) 21時34分