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2007年9月12日 (水)

釜山港(プサンハン)へ帰れ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:ファン・ソンウ、訳詞:三佳令二、唄:チョー・ヨンピル/渥美二郎

1 椿咲く春なのに
  あなたは帰らない
  たたずむ釜山港(プサンハン)
  涙の雨が降る
  あついその胸に 顔うずめて
  も一度幸せ 噛みしめたいのよ
  トラワヨ プサンハンへ
  逢いたい あなた

2 行きたくてたまらない
  あなたのいる街へ
  さまよう釜山港は
  霧笛が胸を刺す
  きっと伝えてよ カモメさん
  いまも信じて 耐えてるあたしを
  トラワヨ プサンハンへ
  逢いたい あなた

      돌아와요  부산항에

 꽃피는 동백섬에 봄이 왔건만
   형제 떠난 부산항에 갈매기만 슬피 우네
   오륙도 돌아가는 연락선마다
   목메여 불러봐도 대답 없는  형제여
   돌아와요 부산항에 그리운  형제여

2 가고파 목이 메여 부르던  거리는
   그리워서 헤매이던 긴긴 날의 꿈이었지
   언제나 말이 없는  물결들도 
   부딪쳐 슬퍼하며 가는 길을 막았었지
   돌아왔다 부산항에 그리운  형제여

《蛇足》 韓国の国民歌手・チョー・ヨンピルが1972年に歌って大ヒットしました。ブームは日本に及び、昭和58年(1983)には三佳令二の訳詞で渥美二郎が歌い、大ヒット。
 この1曲によって、韓国歌謡ファンの裾野が一挙に広がりました。

 ファン・ソンウの詞については、歌手キム・ソンスルが1970年に発表した『忠武港へ帰れ』の盗作ということで、裁判で決着がついています。

 釜山は韓国の南東端にあり、人口ではソウルに次ぐ第二の都市。天然の良港があり、韓国の水産業と貿易の中心地。古来、日本とはさまざまな関わりがあります。写真は雨の釜山港。

(二木紘三)

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コメント

ここでも又コメントさせて頂きます。
昨年、韓国を訪れました時、紹介された女性に一日付き合って頂き、最終日の夜は彼女が「荒城の月」が唄いたいということでカラオケに行きました。
彼女は戦前、日本の教育を受けた方で女学校時代の歌は良く知っています。朧月夜・からたちの花など・・・
でも、行ったカラオケ屋には昔の歌はありませんでしたが、この「釜山港へ帰れ」はあって皆(5人)で唄いました。共通の歌があることは楽しくて盛り上がります。
私は帰宅して韓国ソナタのCDを買って、此の歌「釜山港へ帰れ」を韓国語で覚えました。
時々、こちらにお邪魔しては二木先生の曲で歌わせてもらっています。
またお邪魔させて頂きますので宜しくお願い致します。

投稿: 香西 千鶴 | 2008年5月11日 (日) 00時13分

今晩は。お邪魔してハングルの二番を写させていただきました。
ハングルを習い始めて3ヶ月経ちました。
ハングルの歌詞も読めるようになりましたが、何の意味だか解りませんが先生の所にお邪魔して日本語の歌詞もありますので助かっています。
お陰様で一番は完全にハングルで歌えます。
有難うございました。

投稿: 香西 千鶴 | 2008年6月29日 (日) 00時52分

私は韓国語を勉強しています。歌にも興味があって、色々な韓国の歌を日本語に翻訳してみました。勉強のためにも…。

「釜山港へ帰れ」(トラワヨ プサンハンヘ」を直訳するとこうなります。

1.花咲く椿島へ 春が来たけれど
  兄弟はなれた釜山港に カモメだけ哀しく鳴く
  五六島へ帰っていく 連絡船ごとに
  のどを詰まらせ呼んでみても 返事のない私の兄弟よ
  帰って来いよ釜山港へ 懐かしい(恋しい)私の兄弟よ

2.「行きたい!」のどを詰まらせ 呼んだこの街は
  恋しくてさ迷った 永い永い日の夢だった
  いつも物言わぬ あの波たちも
  砕け悲しみながら 行く道をさえぎった
  帰ってきた釜山港へ 懐かしい私の兄弟よ

韓国と日本の文化の違いで、兄弟愛を歌った韓国語歌詞では日本人には受けないと、日本語版では恋人との別れに代えたと聞いています。

でも、二木(ふたつぎ)先生のコメントでは、ファン・ソンウの歌詞がすでに恋人との別れになっているようです。それは知らなかったです。教えていただいてありがとうございます。私は、日本語訳詞した三佳令二が、兄弟愛だった原詞を日本人に合うように意訳したとばかり思っていましたので。  

投稿: 吟二 | 2008年9月14日 (日) 22時04分

急ぎのお願いですが、2月19日に韓国の方が来福され、わが地域に来られます。「釜山港へ帰れ」のハングル歌詞で日本語訳(カタカナ読み)で教えて頂けないでしょうか?
何卒宜しくお願い致します。

投稿: やすパパ | 2010年2月 8日 (月) 18時37分

トラワヨ ブサンハンエ

1.コッピヌン トンベクソメ ポミ ワッコンマン
  ヒョンジェトナン ブサンハンエ カルメギマン スルピ  ウネ
  オリュクト トラガヌン ヨルラクソンマダ 
  モンメヨ ブロパド テダプオムヌン ネヒョンジェヨ
  トラワヨ ブサンハンエ クリウンネ ヒョンジェヨ 
  
2.カゴパ モギメヨ ブルドン イゴリヌン
  クリヲソ ヘメイドン キンギンナレ クミオッチ
  オンジェナ マリオムヌン チョムルギョルドウルド
 ブディッチョ スルッポハミョ カヌンギルル マガソッチ
  トラワッタ ブサンハンエ クリウンネ ヒョンジェヨ
    
やすパパ様
 ハングル歌詞の発音をカタカナでルビをふると、こうなります。この意味でよろしいですか? 日本語訳は上記の私の訳をご参照ください。

投稿: 吟二 | 2010年2月 8日 (月) 22時32分

今晩は。お邪魔いたします。
二木先生、随分永いことご無沙汰していました。
確か2007年頃から此方にお邪魔して思い出の曲に乗って懐かしく色々と唄わせて頂き癒された日を送る事ができました。有難う御座いました。

この「釜山港へ帰れ」の歌も韓国語を習いながら唄わせて頂いていました。
韓国語も一年間学びましたが、とる年には勝てずに小さい字が見えなくなって止めてしまいました。
でも、今晩お邪魔してハングルを見ながら一番だけ唄うことが出来ました。一年間の韓国語の勉強は少し効果があったようです。
二番のハングルを写させて頂き、記憶を辿りながら投稿されています吟二様のカタカナルビを参考にさせて頂き、復習の意味でハングルを学びます。

私はここ2・3年毎日の様に絵を画いています。
今晩は油彩画F30号を完成させて一息つき、思い出して此方にお邪魔させていただきました。懐かしいです。
また、宜しくお願い致します。

投稿: 香西 千鶴 | 2010年2月21日 (日) 21時49分

 とくに韓国音楽ファンというわけではありませんが、この「釜山港へかえれ」や「カスマプゲ」「木浦(モッポ)の涙」などをきいていると、その旋律に100パーセント日本の演歌を感じます。日本と朝鮮、両国の民族の感性が、きわめて近いことを思います。
 中学生の頃、「ともしび」や「トロイカ」をきいて、ソ連は社会主義国で得体のしれない不気味な国だけど、ロシア民族はなんとすばらしい歌をもっているのだと思いました。そして国家の思惑・謀略と民衆の感情・思いとは別なのだと、わかったような気がしました。
 今、この歌を聴いていると、国家間の思惑から離れて、直接、朝鮮民族の魂にふれているような気がします。嫌韓、反韓といわれる風潮が高まっているといわれる今、なぜかしょっちゅうきいています。

投稿: 越村 南 | 2013年12月14日 (土) 22時59分

私は平成4年に東海地区のテナントの集まりで、3泊4日の韓国視察旅行に参加しました!
釜山にある金海国際空港に着き、タラップに出た瞬間、空気の匂いが、日本とは違っていたのが印象に残っています。そして迎えに来ていた観光バスの車内では、出発するまで「釜山港へ帰れの」のミュージックが流れていて、バスが動きだすと、日本語がペラペラで、冗談も言えるベテランガイドさんの案内が目的地まで続きました。
あと歩行者天国を歩いていた時、大勢のパレードの集団がやってきたのですが、色とりどりの綺麗な衣装を着た若い女性たちが、踊りながら行進し、元気に笑顔を振りまき、一生懸命、観光客に向かって手を振る姿に、何か日本には無い、韓国のパワーを感じました。

初日の業務を終えて夜になり、初めての韓国で何も知らない私は、一行の宿泊先ルネッサンスホテルで知り合った、韓国通の方に誘われ、カラオケのあるパブに行った時、奥にある個室に案内されましたが、そこはすべて歌詞のテロップが、ハングルの文字しか出ないモニターだったので、弱った私は、思い切って、以前好きな曲でレコードを買って、歌詞をすべて覚えていた、美川憲一の「カスマプゲ」を、ハングルのテロップを観ず、日本の歌詞のまま3番まで歌いました。
少し驚いたのは、私がステージで歌う時、横で腕を組んでいた、ずいぶん若い新米風のホステスさんが、この歌で何かを思い出してしまったのか、2番が終わった間奏の時、途中から涙を流しながらシクシク泣いていました。

今、テレビ愛知では「宮廷女官チャングムの誓い」の再放送を毎日放送していますが、私はこの番組が大好きで、前編・後編・特別編の本も持っていますが、「チャングム」と「ハン尚宮」の̪師弟関係が好きな私は、何度も見て、ストーリーは解っているのに、弟一話から毎日かかすことなく、飽きもせずこの番組を見てしまいます。ただ、あと少しで「ハン尚宮」が無念の死をむかえるのが残念です。


投稿: 芳勝 | 2018年4月27日 (金) 01時44分

芳勝 様

納沙布岬 /唄 李成愛(イ・ソンエ)
1977年・第19回日本レコード大賞の企画賞 受賞曲です。
あまり知名度のない曲ですが、とても情感に溢れた名曲でカラオケでよく歌って、皆さんから"初めて聞いたけど、いい歌だね~"と、喜ばれました。
初めは、日本語でずっと歌い、途中から韓国語でナレーション風に語りをいれるところと、最後の聯を韓国語で歌いますが、なんとも哀愁に満ちたメロデイーと、切々と胸に迫ってくる歌詞が素晴らしく、大好きな曲です。

もし、ご存じでなければ、一度聞いてみて下さい。

投稿: あこがれ | 2018年4月27日 (金) 11時10分

あこがれ様

早速「季成愛」の納沙布岬を何度も聴きました!
とても良い曲ですね。改めてこの方の歌唱力を実感しました。
「カスマプゲ」に於いても、彼女は素晴らしいものがありますね。日本での引退公演も視聴しましたが、ファンが多かったのも納得しました。
私は1976年に日本で発売された、朴椿石の「カスマプゲ」の曲を気に入った作詞家星野哲郎が作詞し、美川憲一が歌う「カスマプゲ」が好きで、このレコードを買いましたが、その時はあまりヒットせず、翌年1977年に1番と3番を訳詞し、2番にハングルの歌詞を残し、「季成愛」が歌った「カスマプゲ」がヒットしました。

カスマプゲ 星野哲郎作詞 美川憲一歌唱

涙拭けても このハンカチで 恋のみれんはぬぐえない
夕陽こぼれる 対馬をみれば
カスマプゲ カスマプゲ とてもせつないの
逢いたさに 逢いたさに泣けてくる

だれがひいたか 水平線の 波にかくれた国境
おさえつければ なおさらつのる
カスマプゲ カスマプゲ 辛いこのきもち
かもめにも かもめにもわからない

とべる翼を もたない私 海をみつめて泣くばかり
鴎 伝えて 釜山の空へ
カスマプゲ カスマプゲ 胸がせつないの
とめどなく とめどなくでる涙

今思うと上記の歌詞で「美川憲一」が歌ったカスマプゲは、この歌を淡々と歌唱しており、「季成愛」はしっとりと切なく哀愁を漂わせながら歌唱したことで、日本の韓国ブームにも乗り、ヒットして行ったような、そんな感じがします。

あこがれ様のおかげで、久しぶりに韓国ムードを味わいました。ありがとうございました。

投稿: 芳勝 | 2018年4月27日 (金) 16時31分

私は韓国語を22年習っています。最初は55歳の時、定年後に外国へロングステイをしたいと思い、どこがいいかと考えた結果、総合的に韓国が良いと思い習い始めました。その時の理由をその時考えたら11個ありましたが、中でも一番の理由は物価が安いし食べ物がおいしいということでした。最初はパルパルオリンピック(1988年)の時でした。その後去年までで14回渡韓しました。

現在、安かった物価は日本とあまり変わらなくなり、メリットがあまりなくなりました。毎年教室のみんなと年1回韓国へ行っていますが、本心はもう飽きたって感じです。近年の文在寅政権の親北路線は悲願の祖国統一を目指すということで、韓国国民も面だった反対はしにくいという点はありますが、韓国の人々の本心は経済難民の北の人々の大量入国により自分たちが経済的に厳しくなるという点で、アンビバレンツ(愛情と僧悪、独立と依存というように、まったく正反対の感情を同時に持つ心理状態のこと)の心理状況にあると思います。最近、退役軍人の昔トップ級の人たちが後輩たちに文政権を倒せと後押ししていますから、今年あたり軍事クーデターが起こるかもしれないと私は思っています。こんな時、両国民に愛されている歌手のチョ・ヨンピル氏が興奮を冷ます存在になってくれるかもしれないと私は密かに思っています。政治がらみのことを書いて申し訳ありませんが、私はどちらに味方しているわけでもありません。

投稿: 吟二 | 2019年2月27日 (水) 22時16分

ピアノの巨匠として日本のみならず韓国でも、圧倒的な人気を誇る倉本裕基。日韓交流の先駆者となった。私は【冬のソナタ】の挿入歌を弾きたくて覚えました。名曲です。
霧のレイクルイーズも癒し系でゆったりとして大好きな曲です。北の国からの倉本聰さんと間違えそうです。
初めてドラマ「冬のソナタ」歌も素敵ですね。涙を誘います。

投稿: 細川 和代 | 2023年2月21日 (火) 08時47分

2008年9月14日の吟二さんのこの歌の原詞のほうが良いと思います。「お兄ちゃん早く釜山に帰ってきて」あるいは「弟よ釜山港に帰れ」という方が多くの人の心にぴたっとするように思います。釜山は日本の博多や下関にすぐ近く、仕事を求めて多くの韓国朝鮮の人々が渡ってきた。親や兄弟が日本に行ったので、早く帰ってきてねと家族が強く祈るのは当然で、自然な気持ちです。歌を男女の気持ちにするのは、何か気持ちを限定しているようで、面白くない。恋愛にあまり興味がなくなった私だけの思いかもしれないですが。
富山県に親不知(おやしらず)、子不知(こしらず)という海岸沿いの小さな難路がある。山が海に迫って、その波打ちぎわの悪路を渡る時、懸命に足場を確保しようとして、つい子は親のことを忘れ、親は子のことを考える余裕がなかったという素晴らし地名だ。今年行ってみたが全くその通りで、あらためてその地名に感心した。家族の気持ちといのは男女の気持ちににひけをとらないものだ。

投稿: 越村 南 | 2023年6月16日 (金) 21時40分

 越村さん、同感です。日本のレコード会社は「兄弟愛」よりも「男女愛」の方が日本に受けると思い、訳詞家にそう注文を付けたのだろうと思いますし、一般の日本人も同感だったろうと思います。でも、かの国の「家族愛」は日本人よりも全然強いです。これは大国(当時の中国、モンゴル、ソ連など)の間でほんろうされてきた歴史を持つ朝鮮の方々にとって、信じられるのは家族だけ」という経験がそうさせているのだと思います。朝鮮半島(韓国・北朝鮮)の方が金属製の器や箸を使うのも、いざという時壊れないものを持って逃げられるためじゃないかと私は考えています。

投稿: 吟二 | 2023年6月17日 (土) 20時00分

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