(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:ダグラス・クロス、作曲:ジョージ・コリー
日本語詞:三田恭次、唄:トニー・ベネット
想い出すのは あの日の夢 風に揺れて 散っていった 二人の儚(はかな)い 恋の姿よ 倖(しあわ)せいつ この胸に
想い出のサンフランシスコ あなたと二人して 堅く抱きあい 口づけした 悲しい別れの丘よ
想い出のサンフランシスコ あたしの心は 今日も一人寂しく あなたを恋い慕う
I left my Heart in San Francisco
The loveliness of Paris Seems somehow sadly gay The glory that was Rome Is of another day I've been terribly alone And forgotten in Manhattan I'm going home to my city by the bay.
I left my heart in San Francisco High on a hill, it calls to me. To be where little cable cars Climb halfway to the stars ! The morning fog may chill the air
I don't care ! My love waits there in San Francisco Above the blue and windy sea When I come home to you, San Francisco, Your golden sun will shine for me !
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《蛇足》 1954年に発表。スタンダードナンバーの1つ。日本では『霧のサンフランシスコ』という題名でも知られています。
写真はサンフランシスコ名物のケーブルカー、前方の島はいくつもの映画の舞台になったアルカトラズ島。
(二木紘三)
コメント
この曲の和訳歌詞を作成いたしましたので、ご覧ください。改善すべき点がございましたら、上記ブログの方へご投稿ください。2008・7・8 訳者記
投稿: Rosy-Tomorrow | 2008年7月 8日 (火) 07時12分
2回目の投稿です。外国のポピュラーも数曲あります。この歌は故江利チエミが歌っていましたね。ウクレレを弾く自分はハワイアン音楽をやりますが、ハワイアンは知っている人が多くいませんので、専ら童謡、唱歌、懐メロ等を老人ホーム等慰問のかたちで弾いています。最も単独の時もありますが、複数の人で演奏しますが、楽器はそれぞれが得意のものでやるので、混成のバンドです。石原裕次郎等が人気がありますね。それと園 まりが人気ですね。他は童謡ですね。何しろ老人施設が多いですから。
投稿: 高森宗光 | 2009年1月16日 (金) 18時04分
カラオケでよく歌う曲ですが、コメントが少ない様ですので書かせていただきます。
サンフランシスコは日本からも比較的近く、人気の観光地ですので訪れたことのある方も多いと思います。アメリカの代表的な風景としてTVなどにも頻繁に登場します。私が中高生の頃見た、『卒業』、『ブリット』などの映画にもサンフランシスコが登場していたのは後になって知りました。私が初めて降り立ったアメリカの地もサンフランシスコでした。その後も数え切れない程訪れていますので、私は国内の都市よりも余程土地勘があります。
『想い出のサンフランシスコ』の歌詞にはcable cars、hill、morning fogなどサンフランシスコの名物が登場していてわかりやすいですが、むしろ最初のNarrationの方が訳しにくいようです。Tony Bennett、Julie London、Connie Francisなどはこの部分を前奏として歌っています。以下に私訳を試みます。
愛らしいパリの華やかさも私には何だか悲しい
栄華を誇ったローマも今の私にはそぐわない
マンハッタンでは私は孤独でひどく淋しかった
私はあの湾に面した町へ帰ろう
第一行でgayは華やかなという意味でしょうか。因みに現在のサンフランシスコにはgay(同性愛者)が多いですがここでは関係ないでしょう。第二行は『ローマの栄光は過去のものだ』と訳したいところですが、another day は今日でない日(後日)という意味で、過去という意味はありません。
ご意見・ご批判があればご指摘下さい。
投稿: Yoshi | 2012年11月17日 (土) 20時50分
「想い出のサンフランシスコ」を聴くと、20年ほど前の秋、妻と二人で訪問したサンフランシスコ旅行を思い出します。定年前の休暇を利用しての約10日間のアメリカ旅行で、大胆にも、団体ツアに頼らず、個人旅行でした。最初にボストン、次いでワシントンDC、そして最後にサンフランシスコに立寄りました。
初日は、坂の上のユニオン・スクエアから、歌詞にも出てくる、かの有名なケーブル・カーに乗って、フィッシャーマンズ・ワーフ散策に出かけました。二日目は、フェリーで金門橋の対岸にわたり、サウサリート近辺を散策しました。三日目は、マイクロバスによる日帰りツアを申し込み、長躯して、ヨセミテ国立公園を観光しました。あっという間の三日間でしたが、幸い天気に恵まれ、サンフランシスコの思い出は鮮明に脳裏に残っています。
それにしても、”サンフランシスコ”って、何と美しい響き(語感)の地名なのだろうかと感心している昨今です。
投稿: yasushi | 2018年2月24日 (土) 14時44分
現役時代、サンフランシスコにビジネスの客がいてこの街をよく訪ねた。たまの休みにはあちこちの有名処を訪問し、また販売店の社長が持っていたヨットに便乗させていただき、サンフランシスコ湾を周遊する等、シスコには非常に愛着がある。この歌はトニーベネットはじめ、フランクシナトラ等、たくさんの有名歌手に歌われてきたが、私にとってはジュリーロンドンの歌が最高だ。「大恋愛の末、失恋の痛手からマンハッタンを逃げ出してきたわたし……でも、わたしには、この傷心を癒してくれる、わたしの愛するサンフランシスコが待っている。パリとかローマもこの街には遠く及ばない。そこにはきっとわたしの新しい恋が待っているはずよ」とプロローグを含め、こんな調子でジュリーが切々と歌う姿が堪らない。この歌は、その詩のオリジナルからすると、女性を主役にした方がピッタリするような気がする。
投稿: mike | 2020年7月 1日 (水) 21時28分
50年ほど前に、仕事で米・西海岸を回ったことがありました。サン・フランシスコでの観光としての思い出は、やはり金門橋だったしょうか…。それとは別に、仕事が終わった夕方にダウンタウンをを歩いておりましたら、ライブハウスがあり、当日はジャズ・ピアノ演奏者のビル・エヴァンスの出演でした。音楽畑違いでしたが思い出作りも含め、たっぷりと聞かせて貰いました…。
帰ってきてしばらくした後に、ジャズが好きな人にこの話をしたところ、「そりゃ凄いねえ…。日本でビルの生演奏を聴いた人なんて滅多にいないよ…」と言われたことを今でも覚えております…。
投稿: ジーン | 2024年7月22日 (月) 11時58分