(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞・作曲:Henry Himmel、日本語詞:不詳
小雨けむる 夜の街に ともしび消え われ一人 胸はふるえ 心みだれ むなし望みを いだきつつ いかに嵐 吹きすさぶとも 今宵こそはと きみを待つ 耳に慣れた あの足音 夜のちまたに たたずみて
心までぬれそぼち 切なさあふれ 面影を偲びては 涙さしぐむ
小雨けむる 夜の街に ともしび消え われ一人 胸はふるえ 心みだれ むなし望みを いだきつつ いかに嵐 吹きすさぶとも 今宵こそはと きみを待つ 耳に慣れた あの足音 夜のちまたに たたずみて
Il Pleut sur la Route
Il pleut un peu partout Dans un ciel de boue Mais l’amour se rie de tout Elle a pris ce soir Pour le recevoir Chez moi tout chante l’espoir
Il pleut sur la route Le cœur en déroute Dans la nuit j’écoute Le bruit de ses pas Mais rien ne raisonne Tout mon corps frissonne L’espoir s’envole déjà Ne viendra-t-il pas ?
Dehors le vent, la pluie Pour peu que tu m’aimes Tu viendras quand même Cette nuit Il pleut sur la route Dans la nuit j’écoute A chaque bruit mon cœur bat Ne viendras-tu pas ?
Dehors le vent, la pluie Tout seul si tu m’aimes Tu viendras quand même Cette nuit Il pleut sur la route Dans la nuit j’écoute A chaque bruit mon cœur bat Il ne viendra pas !
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《蛇足》 ドイツ人のヘンリー・ヒンメル(Henry Himmel)によって作られたコンチネンタル・タンゴの代表曲の1つ。レコード発売は1935年。ドイツ人なのに、Henryという英語名になっているいきさつは不明。
アルフレッド・ハウゼ楽団の演奏によって世界的に有名になりました。
のちにロベール・マリーノ(Robert Marino)やユージン・J・ゴアン(Eugene J. Gohin)によってフランス語詞が作られ、シャンソンとして歌われました。
日本語詞としては、坂口淳や薩摩忠版がありますが、昭和30年代後半に歌声喫茶に通った私の記憶には、上記の作詞者不詳版が刻み込まれているので、それを載せました。
(二木紘三)
コメント
甘くせつないコンチネンタル・タンゴの調べは日本人にむいているかもしれませんね。
こういう曲を聴きますと(老いることはまたたのしからずや・・・)という言葉を思います。
投稿: オキヨ | 2008年8月21日 (木) 00時31分
知らない曲だったので。。。
おキヨさんが聞いておられるのだな。。。。と
ご一緒させて頂きました。
外国の曲はすっきりして。。。独立した弧を思わす
聞いていると映像が浮かんでくるような
不思議な感覚です。
投稿: sunday | 2008年8月21日 (木) 06時21分
数年前、私は楽器のキーボードを習っていました。1年に1回の発表会の曲として、私の頭に浮かんだのは「そぼ降る雨 涙の雨…」というタンゴの曲でした。でも、メロディーは浮かぶのですが、曲名も「小雨降る丘」だったか「小雨降る道」だったかあやふやでした。レコード店に行って楽譜を買おうと思いましたが、それらの曲名で見当たりませんでした。
当時、このサイトを見ていれば、もっと探し方があったのにと残念です。でも、日本人好みのメロディーで、大好きです。ありがとうございます。
投稿: 吟二 | 2008年9月 3日 (水) 21時27分
74才の男性です。コンチネンタルタンゴの名曲、
アルフレッド・ハウゼの演奏で有名ですね。
アルゼンチンタンゴは何か難しい感じがするので、もい一歩というところです。しかしアルゼンチンタンゴの専門バンドでも結構この曲は演奏しますね。
有り難うございました。自分は一にハワイアン音楽、次いでコンチネンタルタンゴが大好きです。
投稿: 高森宗光 | 2009年2月18日 (水) 11時17分
本当に良い曲ですね!
40数年前だったか・・・大阪キタの歌声喫茶『こだま』でタンゴというリズムと共に覚えました。
8年前に立ち上げた「みんなで700曲歌おう会・さくら草」のレパートリーにも入れております。
一般的にタンゴ=「ラ・クンパルシータ」といわれていた時期もありましたが、「碧空」「夜のタンゴ」「カミニート」「真珠採り」「月下の蘭」「リベルタンゴ」等すばらしい曲が他にも沢山有れども、まずこの曲に惹かれるのは、“心までぬれそぼち~涙さしむ”という失望的なメロディが全体を引き締めていて、そして青春時代の自分のひとこまのシーンでもあるようでタンゴの中では癒しの№1です。
いい歌に出会えてつくづく<しあわせ>をかみ締めています。
投稿: 尾谷 光紀 | 2010年8月13日 (金) 11時40分
二木紘三先生
お元気にしておられますか
今年は特に暑く
秋は来るのでしょうか
小雨降る路
いい曲聴きながら
9月の雨を待っています。
投稿: 立花伸介 | 2010年9月10日 (金) 21時56分
「いかに嵐 吹きすさぶとも 今宵こそはと きみを待つ」は求不得苦が胸をあつくします。まことに狂おしいですね。ところがどの歌手も「いつの日にかまた相みむとあふれくるは涙」としか歌ってくれません。まことに切ない気持です。
以下のような文章を「フェブマガジン プロメテウス」に掲載したのですが、よろしいでしょうか。
「いかに嵐 吹きすさぶとも 今宵こそはと きみを待つ」という歌をつい口ずさんでいた。はて、この歌は何という曲だっただろう。それで「二木紘三のうた物語」サイトに「小雨降る路」の歌詞で出ていた。それでyoutubeで聴こうと思ったが、それが歌詞がまるで違うのだ。
どれも「静かな雨、並木の雨」でありさわりは「いつの日にかまた相みむとあふれくるは涙」になっている。菅原洋一も淡谷のり子も金子由香利もである。やはり私は「いかに嵐ふきずさぶとも今宵こそはと君を待つ」でないと納得出来ない。どなたか見つけてください。
できればこのブログに載っている歌詞全体は転載できればと思いますが、それは無理でしょうね。
投稿: やすいゆたか | 2015年1月24日 (土) 18時25分
今気付いた素朴な疑問ですが、「小雨降る路」ではなく、「小雨降る径」ではないでしょうか。
投稿: 吟二 | 2015年1月25日 (日) 21時17分
シャンソンを習って9年になりますが、楽譜には♪小雨降る径 となっています。若い時は淡谷のり子さんの 静かな雨
・・・の出だしの歌詞を覚えていますが!?シャンソンでタンゴは♪恋心 とこの曲ぐらいしか知りません。
投稿: 畠中 雄介 | 2016年4月 6日 (水) 12時34分
小雨降る径といえば、なんといってもティノ・ロッシです。 是非一度お聴きになってみてください。
60年前、学生時代に入っていた合唱団で初めてこの唄を歌って以来、私の愛唱歌になっています。
歌詞は「小雨けむる夜の街に ともしび消えわれ一人・・・」でした。
2017年12月5日(火)
投稿: 酒井 雍憲 | 2017年12月 5日 (火) 21時24分
「静かな雨」で始まる歌詞では「心までぬれそぼち...」に相当する部分に歌詞がなく、間奏扱いになっていますがこの部分のメロディを変えてしまった編曲や演奏が見られます。
投稿: sk | 2019年6月 9日 (日) 16時25分
今日の様な雨の日、こんな悲しい歌が口をついて出てきます。
最も私が歌えるのは「夜のちまたに たたずみて」だけです。でもこの詩の哀しみは胸にせまります。昨夜高校時代に書いた小説を読み直しました。先日、高校の同級生が改めて読んだと、電話をくれました。初恋の彼の事を書いてから62年が経っています。下手で恥ずかしくて、私は途中で読むのをやめました。恋した人が帰省する日をいつも待ち焦がれていました。「今宵こそはと君を待つ 耳になれた あの足音」遠い日の夢が今夜の事のように胸に迫って、喜びと哀しみが同時に胸にあふれてきました。
投稿: ハコベの花 | 2019年6月10日 (月) 16時25分
もう今は昔、大阪はキタの梅田新道すぐ傍にあった封切館、日活国際劇場で映画上映の幕間にこの歌を聞きました。当時はあちこちの映画館で、休憩タイムに覆面歌手と言って、男女とも目元をマスクで隠しささやかなショーをやってくれました。
どんな映画だったか、もう思い出せませんが、歌っていた女性のひたむきな想いが、特に「いかに嵐吹き荒ぶとも」の1節がタンゴの曲に乗って切々とつたわってきて、半世紀過ぎた今も、時折口ずさんでおります。
投稿: Sukannpo | 2021年2月10日 (水) 11時56分
小雨の降る夜の町よ 君を慕い悩む我 我が心は千々に乱れ 空し望みを胸に抱く 耳そばだて聞く足音よ 今宵
こそは来まさん 小雨の降る夜の町よ 空し望みを胸に抱く 昭和21年代にラジオで聞いて覚えた歌です。歌手の名前は憶えていません。
投稿: 三原敬介 | 2021年9月 8日 (水) 21時51分
時は昭和30年代前半の日曜日の昼下がり。会社の独身寮の食堂で、かつては社長室の備品だったと思しき豪華で壊れかけた電蓄から流れてきて、聞くともなしに聞いたのがティノ・ロッシの小雨降る径との出会いだった。
ポンコツの電蓄だったから余程耳を澄まさないと聞こえない。
けれど、受信機のその性能の悪さが却ってかすかな歌声を甲走って、あえかに響かせこころを揺さぶらせた。
当時は、朝鮮戦争に沸き立った特需も終わりを告げ、その反動で不景気の真っ只中。
寮の仲間も暗い顔が目立ち眼ばかりが異様に輝いていた。
しかしお互いに若いだけに環境に順応するのも、それなりの愉しみを見つけ出すのも早い。
ある者は、飲み代を安く上げるため最寄りの駅の近くの縄のれんで腹ごしらえをした後、炭酸で割った焼酎に生醤油を数滴垂らして一気に呷り,寮までの約500M強を全速力で走り切って寮の玄関に辿り着いた途端、バッタリ。
途中に我々が心臓破りの丘と呼んでいた小高い坂の上り下りもあって、私も一度真似をして見たがこれは相当に酷かった。
悪酔いだろうが生酔いだろうが現実逃避には酔いが必要だった。
また、ある朝食堂に行ってみると、中央にバス停留所の案内標識(上部に行く先などが書いてある円板を取り付けたポールが円形のコンクリートで固定された例のヤツ)が安置されていたこともあった。
バス通りまでは相当距離があったはずで担いできたのか、転がしてきたのか?
一人では到底不可能な仕業で、数人の麗しい共同作業の成果を誇示したかった? 真意は不明。
管理人(こちらの二木管理人ではありません)が、近所の農家から借りたリヤカーに乗せて、黙々と元の場所に戻しに行ってくれました。
また、ある者は預けてあった米穀通帳を管理人に無理矢理頼み込んで一時的に返して貰い、それを質草として幾許かの金を調達、夜行日帰りの山行を挙行したなんてのもいました。
電蓄、リヤカー、米穀通帳
いまや、死語どころか現物を見たことも、聞いたことも、触ったこともない人たちが大半を占める世の中になりました。
かく申すやつがれも、半分生きて半分訳の分からないところをさまよっている朦朧体の横山大観気分です。
それでも自分でも気づかぬまま我知らず口ずさんでいるのはティノ・ロッシの小雨降る径。
三つ子の魂百までとでもいうのでしょうか?
投稿: yanagibashi tokusaburou | 2021年9月11日 (土) 13時49分