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2007年9月15日 (土)

暗い日曜日

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:Javor Laszlo、作曲:Seress Rezső
フランス語詞:J.Mareze & F.E.Gonda、唄:Damia

(日本語詞1:岩谷時子
1 腕に赤い花を抱いて
  吹きすさぶ木枯らしのなか
  疲れはてて帰る私
  もういないあなただもの
  恋の嘆きつぶやいては
  ただ一人むせび泣く
  暗い日曜日

2 ローソクの揺らめく炎
  愛も今は燃え尽くして
  夢うつつあなたを思う
  この世では逢えないけど
  あたしの瞳がいうだろう
  命より愛したことを
  暗い日曜日


(日本語詞2:清野 協
1 花を部屋に君を待てど
  もはや我を訪ねまさず
  ただ独りむなしく待てり
  過ぎし幸を偲びつつ
  帰らぬ昔くり返し
  吾がまなこに涙溢る
  暗き日曜

2 憂いに閉ざさるる心
  今はすべて絶えし望み
  吾が心むなしくさめて
  遠き空の彼方想い
  夕暮れの小暗き部屋の
  窓にさす夕日を嘆く
  暗き日曜


          Sombre Dimanche

1. Sombre dimanche...
   Les bras tout chargés de fleurs
   Je suis entré
   Dans notre chambre le cœur las
   Car je savais déjà
   Que tu ne viendrais pas
   Et j'ai chanté des mots d'amour
   Et de douleur
   Je suis resté tout seul
   Et j'ai pleuré tout bas
   En écoutant hurler la plainte des frimas ...
   Sombre dimanche...

2. Je mourrai un dimanche
   Où j'aurai trop souffert
   Alors tu reviendras,
   Mais je serai parti
   Des cierges brûleront
   Comme un ardent espoir
   Et pour toi, sans effort,
   Mes yeux seront ouverts
   N'aie pas peur, mon amour,
   S'ils ne peuvent te voir
   Ils te diront que je t'aimais plus que ma vie
   Sombre dimanche.

《蛇足》 1933年にハンガリーで生まれた伝説の「自殺ソング」です。
 ハンガリーでは、この歌を聴きながら、あるいは聴いたあとで自殺する者が続出したので、販売・放送が禁止されました。

 作詞はヤーヴォル・ラースロー、作曲セレシュ・レジェー。ハンガリーの姓名表記は日本と同じく苗字→名前の順なので、作曲者の苗字はセレシュです。
 ヤヴォールは、ハンガリーの首都ブダペストのレストラン「キシュピパ
(小さなパイプ)」の経営者で、セレシュはそこのピアノ弾きでした。この店は、今も営業しています(写真)

 発表から3年後の1936年、『暗い日曜日』は、フランスでシャンソンとしてヒットしました。作詞はジャン・マレーズとフランソワ・E・ゴンダで、実力派シャンソン歌手のダミアがロシアン・コーラスをバックに歌いました。ダミアについては『人の気も知らないで』の蛇足をご覧ください。

 フランスでも、やはり自殺が続発しましたが、フランス政府は発禁にはしませんでした。日本では、同じ年に淡谷のり子が日本語詞で吹き込みましたが、厭世ムードを助長するという理由で発売禁止となりました。

 曲は、前打音付きの四分音符と二分音符の繰り返しで始まり、これがまず不安感をかき立てます。主旋律はすべて三連符で成り立っており、しかも同じようなメロディの繰り返しです。これが単調で陰鬱な効果を醸し出します。確かに暗い曲です。

 しかし、自殺者の続出は、歌自体の魔力によるものというよりも、時代の閉塞状況が主因と見るべきでしょう。
 1929年10月24日のニューヨーク市場株価大暴落に始まった世界大恐慌は深刻化するばかりでした。ことに資本主義的基盤が脆弱だったハンガリーなど東欧諸国では、社会が疲弊し、混乱が高まっていました。

 歌が発表された1933年1月には、ヒトラーがドイツの首相となり、翌年には総統兼首相となりました。ハンガリーの隣国オーストリアでも、ナチズムが猖獗を極めていました。
 フランスでこの歌が発表された1936年には、ナチス・ドイツが、第一次世界大戦の敗戦で連合国側の統治下にあったラインラントに進駐、新たな大戦の足音が刻々と近づいていました。

 この歌にまつわるドラマは、まだ終わりません。1968年、作曲者のセレシュが投身自殺したのです。いつまでも「自殺」から逃れられない悲運の名曲というべきでしょう。

 私はこの歌を高校のとき、淡谷のり子の歌で初めて聴いて、なんて暗鬱な歌だろうと衝撃を受けたものです。その歌詞が見つからずにいたところ、「槃独の呟き」さんのお知らせで歌詞が、「なち」さんのお知らせで訳詞者がわかり、当時の記憶を甦らせることができました。上記の日本語詞2がその歌詞です。

(二木紘三)

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コメント

 淡谷のり子の録音から起こした歌詞をご参考までに綴ります。新仮名遣いです。
1.花を部屋に君を待てど最早我を訪ねまさず
  ただ独り空しく待てり過ぎし幸を偲びつつ
  帰らぬ昔くり返し吾がまなこに涙溢る
  暗き日曜
2.憂いに閉ざさるる心今は総て絶えし望み
  吾が心空しくさめて遠き空の彼方想い
  夕暮れの小暗き部屋の窓にさす夕日を嘆く
  暗き日曜

投稿: 槃独の呟き | 2010年11月28日 (日) 22時04分

槃独の呟き様
ありがとうございます。探していた歌詞でした。
のちほど上の歌詞欄に追加させていただきます。
もしわかったら訳詞者もお知らせいただけないでしょうか。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2010年11月29日 (月) 01時30分

「暗い日曜日」 淡谷のり子さんの歌は、
作詞 清野協 とか書いてあります。
http://www.youtube.com/watch?v=YZUlk4Pgu0o

投稿: なち | 2010年11月29日 (月) 04時27分

この歌の訳詞家・歌手・レコード会社等にもそれなりの事情があるのか、淡谷のり子の昭和14年1月発売のLP(Columbia)では「帰らぬ昔ふりかえり」となっており、そして金子由香利の1982年のLP(PHILIPS;パリ、テルフィーヌ・スタジオで録音:野上彰訳詞)では、清野協の「今は総て絶えし望み」→「すでにたえし我が望み」と、「吾が心空しくさめて」→「我が心空しくくれて」と、それぞれの終わりの「暗き日曜」が「暗い日曜」になっており題名も「い」で他は同じでした。
 
しかし、それらの云々より極めて詳細なこの歌の背景や歴史を《蛇足》で知り、当時と比べ今の平和な日本に改めて感謝して政府への批判を少し抑えるようにします。

投稿: 尾谷光紀 | 2012年1月12日 (木) 23時30分

 曲のタイトルが気になり、開いたら重たく沈んでいくようなメロディーで『蛇足』を読んだら本当だったんだと思いました。
「聴いたら自殺したくなる曲があるんですって」私は「うそだー、冗談でしょう」と言っていたことを思い出しました。曲にまつわる解説で世界が広がります。いつもありがとうございます。

投稿: konoha | 2017年2月26日 (日) 19時04分

 私は次の歌詞で覚えていました。訳詩菅美沙緒。

 暗い日曜日
くらきへやにはなをもちて
ただひとりむなしくかえる
いまはさめしきみがこころ
われはうたうこいのなげき
くらきへやにむせびなけば
くろきかげのすでにさだめ
ソンブルディマンシュ・・・

 創学社「シャンソンアルバム第3輯」という楽譜ですが、この訳詩でのレコードは知りません。2番は訳詩がなく、フランス語だけです。
 作曲者が投身自殺していたとは驚きました。このアルバムの解説には、作曲者が「私はこの曲に私の人生のあらゆる失望を呼び入れた」と言っているとありますが、当人の自殺には触れていないので、奥付を見ると昭和26年、ということは投身自殺より17年も前の出版ですね、書かれるわけがありませんでした。
 また、その解説には、暗い理由として「短調で作られている上に、ショパンの葬送行進曲の一部がアダプトされて用いられているから」とあるのですが、どこがどう用いられているのか、私の粗雑な耳では聴き分けられません。どなたかご説明いただければありがたく存じます。

投稿: dorule | 2017年2月27日 (月) 21時19分

 この曲はホラーですね。偶然見つけて、初めて聴きましたが、心底不気味です。ホラーゲームはわりと好きですが、音楽のホラーは、きついです、大の苦手です。
間断なく押し寄せてくる暗い調べ、(無間地獄と言う言葉がありますが、いやなものが間断なく繰り返すこと自体が地獄です)いやあ、まいりました。「朝はどこから来るかしら・・」という歌を気分直しに聴きました。

 自殺を誘発した曲だったといいますが、<蛇足>にあるとおり、底流に時代の閉塞状況があったと思います。最近は七輪を持ち込んで自殺を図るというのをよく聞きますが、レコードを聴きながら、あるいは聞き終えて自殺をするという行為には、数段上の優雅さを感じます。禁じられた優雅さですが。
 自殺者が出ても、この曲を発禁にはしなかったフランス政府、さすがはフランスですね。死ぬ、生きるは基本的に自分で決めるもので、薄汚い政治家や政府に指図されたくないです。

投稿: 越村 南 | 2018年10月16日 (火) 02時55分

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