故郷を離るる歌
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
ドイツ民謡、作詞:A. H. ホフマン・フォン・ファラースレーベン、
日本語詞:吉丸一昌
1 園の小百合 撫子(なでしこ) 垣根の千草 2 つくし摘みし岡辺よ 社(やしろ)の森よ 3 此処(ここ)に立ちて さらばと 別れを告げん Abschied von der Heimat 1. Thränen hab' ich viele, viele vergossen, 2. Lebet wohl, ihr meine Rosen im Garten 3. Lebet wohl, ihr grünen blumigen Felder, 4. Lebe wohl! so ruf' ich traurig hernieder, Der letzte Abend 1. Wenn ich an den letzten Abend gedenk, 2. Meine Mutter hat gesagt, 3. Großer Reichtum bringt uns keine Ehr, 4. Ich gedenke noch einmal reich zu werd'n, 5. Das ewige Leb'n, viel Glück und Seg'n |
《蛇足》『故郷を離るる歌』は、吉丸一昌がドイツ民謡のメロディに詞をつけ、『新作唱歌 第五集』(大正2年〈1913〉7月出版)に発表したもので、今でも広く愛唱されています。
原曲は"Der letzte Abend"(最後の夜)であるとされ、とくに異論がないまま、これが定説となっていました。
しかし、私はドイツ在住の鞍津輪隆さんの投稿を拝見し、いろいろ調べてみた結果、この定説は見直すべきだと考えるようになりました。
《Der letzte Abend》は、若者が故鄕を旅立つ日の前夜のことを思い出しているという設定で、「おっかさんは金持ちの娘と結婚するんだよ、というけど、ぼくは君と別れるぐらいなら、貧乏のままのほうがいい。少しだけお金があれば君と結婚できる。豊かさとは、お金やモノでなく、神が与えてくれる永遠の命だ」といった内容。
いっぽう、吉丸一昌の日本語詞は、思いを致すのは子どものころから慣れ親しんできた風物で、恋人は出てきません。テーマがまったく違います。
明治以降に発表された唱歌のなかには、欧米の曲にオリジナルの日本語詞をつけたものが非常に多く、テーマや内容が異なっているというだけでは、それが原詞ではないとはいえません。まして《Der letzte Abend》 と『故郷を離るる歌』 には、「若者が離郷する日の思い」という共通点が1つはあるわけですから。
しかし、《Der letzte Abend》と同じメロディで、テーマや情趣が『故郷を離るる歌』と高い類縁性をもつドイツ語詞が別にあったとしたらどうでしょう。こちらを原詞とすべきではないでしょうか。
私は知りませんでしたが、そういう歌詞があったのです。《Abschied von der Heimat》がそれで、日本語では『故郷との別れ』となります。
なお、ドイツ民謡については、正題のほか、歌詞の最初の1行を呼び名とする慣行があるようです。
《Der letzte Abend》は《Wenn ich an den letzten Abend gedenk》、《Abschied von der Heimat》は《Thränen hab' ich viele, viele vergossen》が呼び名です。
民謡のアーカイブでも、たいてい呼び名が見出し語になっています。
これは、同名異曲を識別しやすくするためでしょう。たとえば、ドイツ各地やスイス、オーストリアには《Abschied von der Heimat》の同名異曲がいくつかあります。
しかし、呼び名は長いので、本欄では正題で表記します。
『故郷を離るる歌』と《Abschied von der Heimat》との類縁性を指摘したのは、日本大学文理学部ドイツ文学科の教員、横山淳子さん。横山さんは、『日本におけるドイツ歌曲の受容ー歌詞翻訳の若干の実例についての考察(Die Rezeption deutscher Lieder in Japan―Betrachtung einiger Beispiele der Textübertragung 2010年)』という論文で、"Abschied von der Heimat"の歌詞を吉丸一昌の日本語詞と比較対照し、『故郷を離るる歌』の原詞はこちらである可能性が非常に高いとしています(下記注)。
この論文は、フライブルク大学の『歌と大衆文化:ドイツ民謡アーカイブ年鑑(Lied und populäre Kultur/Song and Popular Culture Jahrbuch des Deutschn Volksliedarchivs)』に掲載されています。
《Abschied von der Heimat》の存在は、ドイツではもちろん、日本でも当初から知られていたようです。
『故鄕を離るる歌』の初演は、大正2年(1913)7月5日(土)。場所は東京音楽学校(現・東京芸大音楽学部)の奏楽堂でした。吉丸一昌の歌詞が世に出たのは、このときです。
この演奏会についての批評記事が『早稲田文學』94号(大正2年9月号)に掲載されており、《故郷を離るる歌》に触れた箇所に《Abschied von der Heimat Volksweise》というタイトルが表記されています(下記注) 。演奏に先立って、吉丸一昌がこの曲に言及したのではないでしょうか。
また、昭和35年(1960)2月に著作権資料研究所(現在の著作権情報センター)が発行した『音楽作品便覧(上)』には、《故郷を離るる歌》の項に《Abschied von der Heimat》が併記されています(下記注) 。しかし、この曲の原詞は、いずれにも記載されていません
おそらく、《Abschied von der Heimat》 のタイトルだけ告知されて、歌詞が記載されなかったことが《Der letzte Abend》原詞説が流布した大きな原因でしょう。
鮎川哲也著『唱歌のふるさと・うみ』(音楽之友社 平成7年〈1995〉発行)
上笙一郎編『日本童謡事典』(東京堂出版 平成17年〈2005〉発行)
などいくつもの唱歌解説書が《Der letzte Abend》を原詞としていますが、これらの著者たちが《Abschied von der Heimat》の歌詞を知っていたならば、記述は違ったものになったはずです。
横山さんや鞍津輪さんによると、《Der letzte Abend》は、ドイツではほとんど忘れられているが、《Abschied von der Heimat》は知っている人がかなりいて、合唱祭などでもよく歌われるそうです。これは、作詞者や歌詞の制作年がはっきりしていることによるようです。
作詞者は、アウグスト・ハインリヒ・ホフマン・フォン・ファラースレーベン(August Heinrich Hoffmann von Fallersleben 1798-1874)。ドイツ学の大学教授であるとともに詩人で、政治的な詩から民謡、童謡まで非常に多くの作品を作っています。
のちにドイツ国歌になった《Das Lied der Deutschen(ドイツ人の歌)》の作詞者として、ドイツでは知らない者はいないほどだといいます。
彼が《Abschied von der Heimat》を作ったのは1842年。ホフマンによれば、シレジア(ドイツ語ではシュレージエン)地方の民謡のメロディに合わせて作ったといいます。
ミヒャエル・ザッハシャル(Michael Zachcial)編纂の『フォルクスリーダーアーカイブ』には、この曲について、「作曲者は不明だが、《Wenn ich an den letzten Abend gedenk》=《Der letzte Abend》のメロディに従ったもの」と書かれています。
ここで1つ謎が残ります。《Der letzte Abend》の発生地については、ベルクシュトラーセ説、オーデンヴァルト説などがありますが、両方ともドイツの西側に位置しています。いっぽう、シレジアはドイツの東縁に位置し、現在は大部分がポーランド領で、一部分がチェコ領です。両者は数百キロ離れています。
それほど離れた場所で、同じメロディの民謡が歌われていたのでしょうか。まあ、日本でも宮崎県の『刈干切り唄』と岩手県の『南部牛追唄』のように、遠く離れた場所で同じメロディで歌われているという例もあるので、ないとはいえませんが。
疑問は残りますが、本欄のテーマは歌詞なので、メロディについては迷路に入り込むのはやめにします。
さて歌詞の比較ですが、横山さんは表形式で左欄に《Abschied von der Heimat》の原詞、右欄に『故郷を離るる歌』のドイツ語訳をおいて、聯ごとに比較できるようにしています。
これに倣って、ここでは左欄に原詞の日本語訳、右欄に『故郷を離るる歌』の歌詞をおいて、類縁性を見てみることにしましょう。
故郷との別れ 1 涙が止めどなく流れた 2 ごきげんよう 君たち 庭の薔薇たちよ 3 ごきげんよう 君たち緑の花畑よ 4 さようなら 私は下に向かってそう悲しく叫ぶ |
故郷を離るる歌 1 園の小百合 撫子 垣根の千草 2 つくし摘みし岡辺よ 社の森よ 3 此処に立ちて さらばと別れを告げん (なし) |
どうでしょう。「故鄕を去る」というテーマ、慣れ親しんだ自然に涙しながら別れを告げるという情趣、そっくりじゃないでしょうか。
個別に見ても、「庭の薔薇」と「園の小百合」、「かわいい花々」と「撫子、千草」、「木々、森」と「社の森」、「君(故鄕)を見るのはこれが最後だ」と「今日は汝を眺むる最後の日なり」など、入っている場所は違っても、内容はよく似ています。
吉丸は、小鮒釣り、つくし摘み、社の森、柳の土手など、日本的な景物を付け加えて、児童がより親しみを感じるような歌詞にしたと思われます。
ただ、《Abschied von der Heimat》と『故郷を離るる歌』の歌詞には、1つ違う点があります。
『故郷を離るる歌』を覚えて以来、私はこの歌は「少年が一人で田舎から東京などに遊学するため旅立つ日の歌」だとずっと思っていました。明治・大正時代には、田舎から東京への遊学には、現在外国に留学するよりはるかに強い覚悟と不安、希望が入り混じった複雑な感懐があったはずで、それが涙としてあふれ出たのでしょう。
徒弟奉公/就職するためとか、一家そろっての離郷という解釈もあるとは思いますが、多くの人が私と同じ印象を抱いているのではないでしょうか。
いっぽう、《Abschied von der Heimat》 は、「何かの事情で一家そろって離郷することになった日の少年の感傷」というイメージです。
上記の『フォルクスリーダーアーカイブ』には、収録した歌ごとにテーマとか対象が表示されていますが、《Abschied von der Heimat》については、次のように書かれています。
歌のテーマ:別れの歌(Abschiedslieder)、移民・移住の歌(Auswandererlieder)、小学校5・6年生向け( Schule 5. und 6. Klasse)
一家そろっての移民・移住は、1番の「私たち(wir)」という言葉と符合します。少年をひとりで移民・移住させるというのは、あまり考えられません。
父親の仕事の都合とか生活上の理由で、ドイツ語圏のほかの土地に移住することになったのでしょうか。この時代、多くのドイツ人がアメリカに渡っているので、もしかしたらアメリカに移民するのかもしれません。いろいろ想像できる歌詞です。
《Der letzte Abend》についても触れておきましょう。
この歌の若者が、「どんなに貧乏でもいい、どうしても彼女と別れたくない」と思っていたのに、ひとり旅立たなくてはならなかったのはなぜでしょう。母親や本人の言葉から、彼の家はあまり豊かでないとわかります。となると、結婚するには生活を維持できるだけの力を身につけることが必要になります。
西欧では、中世から近世にかけて、ギルドという排他的な特権をもつ商工業者の組合が結成されました。イギリスやフランスでは、近世には衰えましたが、ドイツでは近代まで存在し、現代でもその名残が見られるといいます。
商業ギルドのシステムは、比較的緩やかでしたが、手工業ギルドでは、しっかりした決まりがありました。石工、大工、左官、鍛冶屋、陶芸家、指物師、仕立て屋、パン職人、醸造職人などをめざす者は、徒弟(Lehrling)から始め、ある程度技術を身につけたら、職人(Geselle)と呼ばれる位階に上がり、昇級試験にパスしてやっと親方=マイスター(Meister)になれるのです。
職人資格を得た者は、各地のマイスターを訪ねて、より高度の技術を学び、人格を磨くことが義務づけられていました。これが遍歴修業(Walze)です。この遍歴修業には、さまざまな厳しい決まりがあり、新しいマイスターを訪ねた際の挨拶の文言まで決められていたそうです。
《Der letzte Abend》の若者は、この遍歴修業に出るために、泣きの涙で恋人と別れたのでしょう。
『別れ(Muß i denn zum Städtele hinaus)』も遍歴修業に出る若者の歌ですが、こちらは、泣く恋人をなだめすかして、ルンルン気分で旅立ちます。
実際の遍歴修業は、かなり辛いものだったそうですが、本人の性格によってもかなり違ってくるのでしょうね。
[注]崎山輝一郎「故郷を離るる歌》原曲/元歌を探索する(1)通説と3つの情報の齟齬」より。
(二木紘三)
*2022年1月20日改稿
コメント
卒業、新学業、就職の季節です。今年もまた、それぞれの故郷を離れて、違う土地へと旅立たれる方も多いかと思います。前途に幸多かれとお祈り申し上げます。
*
昭和30年代半ば過ぎまで、私の田舎では昔の出征兵士を見送る遺風が残っていました。当時私は、山形の田舎町の母子寮にお世話になっている小学生でした。寮の先輩の多くは、中学を卒業して就職のため上京していきました。その見送りに私も、毎年のようにかり出されました。
地元の駅頭で、先輩は、見送りの者らと中学の応援団員らに囲まれて、応援団長のかけ声で始まる中学校の校歌や応援歌などに送られて、列車に乗って行ったものでした。
しかし私が就職のため首都圏へやってきた昭和43年には、もうそんなことも行われず、一人寂しく故郷を後にしました。気の会う級友らとは(高校)卒業式終了後、N市内のコーヒー店でお別れ会をし、親戚や知人には前日から当日に挨拶を済ませていましたし。
夜10時過ぎの上野行きの夜行列車だったと思います。駅の周辺には、雪がはだらに残っていました。汽車を待つ間、それまでの故郷での思い出のあれこれが、浮かんでは消えたり、ただボーっとしていたり。気になっていた、同じクラスだった女生徒の白い顔がパッと浮かんだり…。
でもそんなことよりも、これから先の未知の土地での生活の不安感の方が、圧倒的でした。逆説でもなんでもなく、まるで山形から首都圏への「都落ち」の心境でした。出来れば故郷を離れたくはなかった。いつまでも住み続けたかった…。
地元での就職の失敗が、そんなささやかな望みを打ち砕きました。歯車が狂い、故郷を押し出されるようにして、首都圏へ。
夜汽車に乗り込み、外は真っ暗ですからそのうちぐっすり寝込みました。あくる日の午前3時頃、ググッとブレーキをくれて停まり、それで目が覚めました。見ると宇都宮駅。しばらく停車していました。車窓の遠方に目をやると、宇都宮市街は、まだ未明の暗さの底に沈んでおりました。建て込んだ家並みの上空に、下弦の赤い月が大きく浮かんでいました。心細い身にはこたえる、異郷の不気味な光景でした。
『オレは、ホントに一人ぼっちなんだな。』
*
虫の夜故郷喪失して久し (拙句)
以来、首都圏何千万人かのうちの平凡な無名の一人として、悲喜交々をいっぱい(どちらかというと「悲」の方を多く)味わいながら生きてきました。
今でもあの時の赤い月が、ふっと甦ってくる時があります。たいがいはピンチの時です。ハッとなって思うのです。『何もなしでこっちに来たんじゃないか。失うものなんて何もないじゃないか。出来るだけのことは、やってみろよ。』すると、たいがいの窮地は切り抜けられます。
幾十星霜。覇気のなかった私も、この激動の時代の荒波を多少なりともかぶって、精神的に少しはタフになったのでしょう。
3月11日。今日が、私がこちらにやってきてから、40年目のちょうどその日です。
投稿: 大場光太郎 | 2008年3月11日 (火) 18時43分
大場様、40年目に懐かしい故郷を偲びながらお聴きになるこの曲
私にも懐かしい歌です。50数年以上も前、小学校6年生の音楽の
時間に3部合唱で歌ったのです。(当時は国民学校と呼ばれていました)
忘れることの多い現在ですのに、この歌は今でも全部口ずさむことが出来る程です。二木先生のおかげで、始めてこの歌が独逸
の歌だったと言うことを知りました。大場様の人生も、日本の戦後
の復興と共に歩まれたようですね。でも、そんな時代を知らないで
過ごすより、知っている私達のほうが喜び、幸せを感じることが
多いのでは?と思っています。
3月は色々なところでの別れの季節、この歌が身に染みますね。
投稿: れいこ | 2008年3月12日 (水) 08時19分
私は、この歌を誰かが「さらやドンブリバチ、皿やドンブリバチ、ドンブリバチさらば・・」と歌っていたことを懐かしく思い出します。
小学校の高学年か、中学校かの先輩だったような記憶があります。
子供の頃は、歌詞の意味が味わえないと、音からいろんな連想をして駄洒落のような遊びをするんでしょうか。
投稿: 春平太 | 2008年3月12日 (水) 13時07分
れいこ 様
『赤い靴』に引き続きまして、またご丁重なるおたよりをたまわり、まことにありがとうございます。
人間は年と共に、故郷が恋しくなるというのは本当です。私も20代、30代の頃は、郷里を思い出すことはあまりありませんでした。滅多に帰省もしませんでした。こちらでの日々の対応におおわらわで、それどころではなかったということもありますが。
しかし、40歳を過ぎた頃から、少しずつ望郷の想いがつのってまいりました。お一人お一人どなたにもある故郷。本当に、心の中で大切に守り、育んでいきたいものですね。
バスを待ち大路の春をうたがはず (石田波郷)
ようやく水温む季節となりました。れいこ様には、お体大切に、心はずむ春をお迎えくださいませ。
投稿: 大場光太郎 | 2008年3月12日 (水) 15時36分
はじめまして。芝居好きのふうと申します。
先日観たお芝居で使われていた劇中曲のことがどうしても知りたくて調べていたところ、こちらのブログにたどり着きました。mp3で曲を聴いたとたん、思わず小躍りしてしまいました。ありがとうございます!
勝手ながらリンクをはらせていただきましたので、ご報告申し上げます。
本当にありがとうございました。
投稿: ふう | 2008年7月11日 (金) 01時15分
この歌の独逸語のCDを独逸へ行くたびにレコード・ショップで探すのですが、全く見つかりません。ネットで探しても駄目です。さらには独逸人の何人かに聞いても全く此の歌を知りません。独逸ではすっかり忘れ去られたのでしょうか?
もしこの独逸語の原曲の、出来れば合唱曲のCDをお持ちでしたら、或いはCDの発売先をご存知の方がありましたらお教え下されば幸甚です。
投稿: 土屋國男 | 2009年8月19日 (水) 07時55分
いつも大変ありがとうございます。感謝しております。
投稿: 渡邊悦雄 | 2009年11月 6日 (金) 23時22分
この曲を聴くとかつて32歳の頃訪れた埼玉県民の合唱祭を思い出す。
同曲の日本離れしたアルプスの山やらローレライ渓谷に響くような垢抜けたメロディもさることながら、小生の後輩の属する合唱団の面々がこの曲を披露し、その見事なハーモニーに心を打たれたことを覚えている。
休み時間、ホールの外のベンチで小生と合唱団の制服に身を包んだ親しい後輩が偶然鉢合わせし、その「ツーショット」?を友人がビデオカメラに収めていたのが印象的だ、同時に「制服の後輩」がタクシーのイメージなら「小生自身」は「タクシーと並んだベンツ」に自分自身を見立てていた(そう、当方はクルマ狂なのです!この時乗ってきたのが当時既に十年落ちの「愛すべきポンコツベンツ」1992年式ベンツ260Eだったことも手伝って!)ナルシズムが我ながら今思えば恥ずかしい限りです(冷や汗)!
投稿: 真鍋清 | 2010年3月 5日 (金) 12時21分
二木先生;
初めて書き込みさせていただきます。
毎日このサイトを開いてはその日の好きな歌を選び、先生の解説(“蛇足”はご謙遜が過ぎます)を読みながら口ずさんでおります。素晴らしいサイトと演奏、本当にありがとうございます。先生の選曲はジャンルにとらわれることなく「いい歌」ばかりで、どれも私の好きな歌なので、とても癒されます。時には懐かしさのあまり胸が詰まって涙で歌えなくなることも…。(この歌がまさにそうです)
これからもいい歌をたくさん載せて頂けますよう、願っております。
投稿: 中嶋 毅 | 2010年5月10日 (月) 15時27分
いま読んでいる
鮎川哲也:唱歌のふるさと うみ(1995)
には
この歌は
ドイツのダルムシュタットからハイデルベルクをつなぐ
ベルクシュトラーセの民謡であるということが書かれてあります。
推理小説作家の鮎川哲也は、音楽にも造詣が深く
上記の本を書いたのでした。
ベルクシュトラーセは私もドイツ人に案内され通ったことがありますが
昔の街道ですね。私なら山辺の道といいたいところですが自動車で行くことができます。
今日ではユネスコの世界文化遺産に登録されています。
職人たちは、しばらく住み慣れた村をあとに、この街道を通って次の村へと修行時代をおくったのでしょう。
投稿: miyamoto | 2010年8月12日 (木) 18時00分
次男の兄は 大学受験の時「一浪も許さない」との両親の強い言いつけに 地元の大学農学部を泣く泣く諦め ある強い覚悟で津軽海峡を渡ったと聞きました。その次兄が大学の休みで帰省する度にドイツ語の歌を教えてくれました。「野ばら」とこの曲、どうしてもこの曲の名前が思い出せませんでした。終わりの方の Nun ade, ade, ade, nun ade, ade,ade,
Feinsliebchen lebe wohl !
Nun ade, ade, ade, nun ade, ade, ade,
Feinsliebchen lebe wohl !
ここだけは鮮明に覚えていました。ここで正確なドイツ語の歌詞見つけ、感激でした。
今は新潟にいる次兄は病気療養中とのこと。早く良くなって、一緒に歌いたい。
投稿: かっこやん | 2013年1月27日 (日) 20時16分
ドイツ民謡ですね。中学の頃学校の音楽の時間で覚えたと思います。
実に良い曲でしかも歌いやすい曲です。今もって小生のレパートリーの一曲です。実はウクレレを弾くのが趣味で過去投稿した曲も時々弾くことがあります。その他有名な曲でローレライがあります。ドイツ民謡は大好です。
投稿: 高森宗光 | 2013年3月 6日 (水) 10時03分
この歌はメロディーが綺麗で歌いやすく、私の大好きな歌のうちの一つです。
しかし残念ながら、ドイツ民謡’故郷を離るる歌’(Der letzte Abend)やアメリカのオードウェイが作曲した’旅愁’(Dreaming of Home and Mother)は、今ではすっかり忘れられているようで、ドイツの人に訊いても、アメリカの人に訊いても、これらの歌を知っている人に出会ったことがありません。
前置きが長くなりましたが、二木先生にお尋ねしたいことがあります。
題名の’故郷を離るる歌’は、’故郷(こきょう)を離るる歌’が正しいのでしょうか?それとも’故郷(ふるさと)を離るる歌’が正解なのでしょうか?
凡人の私には、歌詞の”さらばふるさと さらばふるさと ふるさとさらーば”から、’故郷(ふるさと)を離るる歌’の題名の方が正しいような気がするのです。
スコットランド民謡の’故郷(こきょう)の空’は、一番の歌詞”思えば遠し 故郷(こきょう)の空”、 二番の歌詞”思えば 似たり 故郷(こきょう)の野辺(のべ)” と題名と歌詞が一致しています。
また、唱歌 ’故郷(ふるさと)’も、一番の歌詞”忘れがたき故郷(ふるさと)”、 二番の歌詞”思いいずる故郷(ふるさと)”、 三番の歌詞”水は清き故郷(ふるさと)” というように題名と歌詞が一致しています。
二木先生はどう思いますか?
先生の見解を聞かせていただけたらありがたいです。
どうぞ宜しくお願いいたします。
投稿: お尋ねします | 2013年3月23日 (土) 22時37分
お尋ねします 様
JASRAC(日本音楽著作権協会)のデータベースでは「コキョウヲハナルルウタ」を正題としています。原詞は大正2年(1913)に敬文館から発行された『新作唱歌 第五集』に掲載されたものですが、JASRACの登録はこれに基づいていると思います。原本は国立国会図書館と国立音大付属図書館にあります。
今すぐには思い出せませんが、同じ単語の読みが表題と歌詞とで違っている歌はかなりあったと記憶しています。(二木紘三)
投稿: 管理人 | 2013年3月24日 (日) 00時12分
二木先生
’故郷を離るる歌’の題名について、日本音楽著作権協会のデータベースまで調べていただき、真にありがとうございます。
やっぱり歌の題名は、’故郷(こきょう)を離るる歌’が正題なんですね。
日本音楽著作権協会という名前は聞いたことがありますが、データベースを調べると文献の発行年、歌の正題やら原詩、作曲者名、作詞家名までも知ることができるんですね。 うゎ~知らなかった。とっても勉強になりました。
追記:吉丸一昌という人の書いた故郷(ふるさと)の郷愁を誘う叙情的な日本語の歌詞も素晴らしですね。
ところでこの吉丸一昌(1873-1916)って、’故郷を離るる歌’のほかに、あの有名な歌 ’早春賦’の作詞もしているんですね。 私、知りませんでした。
二木先生のおかげで、この歌について色々と知ることができました。重ねてお礼申しあげます。
投稿: お尋ねします | 2013年3月24日 (日) 22時33分
蛇足を拝読して、ヘッセン南の村Bergstraße辺りのズーズー弁を聴いている気がします。吉丸一昌の作詞は格調が高すぎる…。ド田舎のおっか-が息子に「金銀持ちの嫁さ、探せいの~、(ほんならワシも楽が出来るがね)」みたいな正直で素朴な歌詞と割り切って受け止めるとレアリズムすぎるでしょうか。
詩歌に限らず、一般に文語訳は綺麗で高尚で抒情に溢れすぎているような印象を受けます。文字通り「山路」の故郷をひととき離れるので、あの娘っ子が可愛ゆーて切のうてならん、、と言う歌だと思います。
メロディーが記録ファイルに鮮やかに収まっていて、大場光太郎さん出立や皆さんの話に音符があうように思います。なまの生き様はこの原語詩のように飾らない(飾れない)素直で裸ハダカしていると存じます。
投稿: minatoya | 2013年7月 3日 (水) 08時10分
こんばんわ 以前はセレナーデと言う名前でした。
今、この歌をそらで覚えようとしています。
なでしこの花を調べていましたら、この歌に出会いました。
悲しい歌なのですが、懐かしい思いがします。
アイルランド民謡「庭の千草」も気に入っています。
唱歌は、未来へ受け継がれていく大切な歌。
いつまでも純粋な心を忘れないようにしたいですね。
詳しく知ることができました。ありがとうございました。
投稿: さゆり | 2013年7月21日 (日) 21時37分
中学生の時、コーラス形式で歌った記憶があります。
さらばふるさと さらばふるさと ふるさとさらば~のラストの繰り返しは、心に残っています。ほんとうにいい歌です。
ですが・・吉丸一昌の詞は、どうですかね~??
「汝(なれ)をながむる」・・・えっ誰をながめるの?サユリ、ナデシコ、チグサ?普通は言わないでしょう、花に対して。そうとう乙女チックでなければ。もっともアル中の重症患者の場合、花によびかけることがあるそうですが・・
「おもえば涙膝をひたす」・・・ありえないでしょう。何時間泣いても、膝をひたすほどには涙は出ません。山田風太郎の忍法帳の世界ならありうるかな。特異体質の忍者がでてきますから。とにかく、大げさに言えば言うほど気持ちはひいてしまうんですよ、吉丸さん!
音楽の授業の劣等生であった私はそう思いながら、コーラスに参加していました。
今でも、ママさんコーラスなどでこの歌を聞けば、優等生の人たちが歌っているような気がします。優等生、私の定義では、まじめで、あまり疑問を持たない人のことです。
吉田一昌には「早春賦」もありますが、「葦はつのぐむ」というところがあります。皆さんわかっているんでしょうか?注釈をつけなければわからないような歌詞を作るな!と劣等生の私は思っていました。
こむずかしい文語調の歌詞は音楽と人々の距離を遠くへだてるのだと、整理できたのは高校生になってからです。
くりかえしますが、この曲、メロディーは大好きです。そしてコメントとはお遊びです。念のため。
投稿: 屋形船 | 2013年7月24日 (水) 00時35分
そうですか、屋形船さんのようにこの曲の歌詞に不満の方もおられるのですか!私は、逆に、「故郷を離るる歌」にしろ、「早春賦」にしろ、何と美しい日本語なのだろうかと感心して、大好きなのです。この歌のように原曲が外国曲であれ、早春賦のように日本のオリジナル曲であれ、明治から大正にかけてつくられた歌は歌詞が美しい。昭和の、とくに最近の歌は言文一致で分かりやすい言葉で書かれているかもしれませんが、歌詞の美しさという点で明治大正期の歌に遠く及ばない(と思います)。「故郷(ふるさと)」、「おぼろ月夜」、「浜辺の歌」、「赤とんぼ」は、「故郷を離るる歌」、「早春賦」と同様、すべて大正期に作曲され、文語で書かれた歌ですが、屋形船さんはこれらの歌の歌詞にご不満なのだろうか?
投稿: KeiichiKoda | 2013年7月24日 (水) 19時57分
「男子志を立て郷関を出ず 学若し成らずんば死すとも帰らず」の意気を持って故郷を後にするのですから、庭の花々も、再び見ることはないかも知れないと思う青年の心情が今の青年には理解できないのでしょうか。膝に溢れるほどの涙が心に満ちている心情、明治、大正の時代の青年が目に浮かびます。膝を浸すほどの涙、実際に泣いているわけではありません。漫画だったら溢れる涙を描くでしょうが、男は涙を見せ無い時代の人です。「葦は角ぐむ」早春の川岸に小さな尖った葦の芽がツクツクと出始めた情景、中学生ぐらいになれば何となく思い浮かびませんか。昔の人は心で情景を思い浮かべる事ができました。テレビや漫画は想像力を人間から奪った様に思います。お遊びにしても驚いてしまいました。
投稿: ハコベの花 | 2013年7月24日 (水) 23時32分
KeiichiKoda様
そうですね。文語調の歌を愛される年配の方の中には、違和感を持たれた方もいるだろうなと拝察いたします。
ですが、「故郷」「赤とんぼ」など文語調の歌のすべてに対して不満をもっているのではないのです。そんな不遜なことなどいたしません。
私は「葦はつのぐむ」の歌詞についてのあなた様の具体的なご意見が聞きたかったです。
肯定もあるでしょう。例えば「つのぐむ」けっこう。難しい表現だけれど、勉強して、豊かな日本語の世界を知る入り口になるのではないか。それもひとつの答えでしょう。
しかし、私は、孫にこの歌を伝える時に、孫は理解しづらいだろうなと思うのです。説明に苦労するだるうなと思うのです。
最近の、シンガーソングライターと自称する人たちの歌は、耳を覆っている私です。砕けた言い方ならよしなどとは、これっぽっちも思っておりません、口語調の歌であろうと、文語調の歌であろうが、良いものは良いとして、見極めていきたいと思っています。
別の言い方をすると、歌の生命の長さをいいたかったのです。たとえ文語調でも平明に書かれたものが、長く愛唱されるだろうということです。
たとえば、福沢諭吉の「福翁自伝」や勝海舟の「氷川清話」など平明に書かれたものは 今でも読みつがれ、版を重ねています。言葉は平明であれ,分かり易くあれという私の希望です。
ついでながら、一高寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」の中に「栄華の巷低く見てて」というエリート意識フンプンたるところがあります。当時の文語調、漢語調の表現にの中におしなべて、エリートの胡散臭さを私が感じすぎるのかもしれません。、
投稿: 屋形船 | 2013年7月25日 (木) 00時20分
本州北の端から東京に行くのに、数日かかり旅費も莫大、左様な蒸気機関車時代の情感を、二木さんが描写されています。今では朝に札幌を発ち、新宿で打ち合わせをして、夕方にすすきの飲み屋で一杯やれます。
ジャガタラさんの時、平戸-ロッテルダムは片道少なくとも半年以上、普通1.5年。福沢諭吉は数ヵ月、昭和天皇・皇太子時代、大正10年の初外遊は戦艦で真っ直ぐ、一月余かかりました。21世紀、正味14時間で私は知人葬儀にでて、錦小路でスグキお得箱を求め、再び14時間でライン河畔田舎に帰ってきます。
この肌の時間感覚が文語の人情と美しさを、そして現代の言わば`反抒情`を作っているのでは…。現代若者に想像力が欠けていると思われないのです。
しかしドイツ歌詞と吉丸歌詞との感覚落差は大きい。吉丸は大仰な別世界を創造した…。それが誠に心地よい流麗なる調べと呼応して、日本人の阿吽(アウン)に切々と響く。
とは言え、屋形船さん仰るように、文語の格調が何時まで生き続けるでしょうね。だから素朴ストレートなヘッセン人情を‘美しい現代語`に移す作業が未来に為されるように希望します。埃をかぶるには、素晴らしすぎるメロディーと思います。
投稿: minatoya | 2013年7月25日 (木) 09時10分
屋形船さま
ディベートの達人に、あえて申し上げることでもありませんが、「つのぐむ」は「涙ぐむ」「芽ぐむ」と同種の言葉ではありませんか? 特に難しくはないと思う私は古いのでしょうね。私はKeiichiKodaさんと同じように思います。
お話は変わりますが昔から歌われている「サラスポンダ」という歌をご存知ですか? オランダ民謡とも言われますが、詳細は不明で歌詞の意味もわかっていません。このような歌についてはどう思われますか?
投稿: 匿名 | 2013年7月25日 (木) 11時04分
「栄華の巷低く見て」は権力を握って華やかな暮らしをしている人たちを低くみてという意味ですから屋形船さんの解釈とは反対の意味になりますね。北大の寮歌の歌詞にあるように「人の世の清き国ぞと憧れぬ」に近い意味ではないでしょうか。青年はかくあるべきだと思うのは古いのでしょうか。変わることのない永遠の理想だと私は思っています。
投稿: ハコベの花 | 2013年7月25日 (木) 23時40分
屋形船さまの言い分が、数十年前から音楽関係の教育者たちの意見として、現代の子供たち向けの音楽に、昔の文語調の美しい日本語歌詞の歌を排除してきました。その意味で、屋形船さまの言い分は、実はむしろ大勢を占めているのかもしれません。
しかし、私の周囲の人たちは口を揃えてそれは間違いだと言います。日本人の教養として、文語による日本の抒情性を感じとることができる人々が多数を占める社会、それこそが世界から尊敬される日本人像を維持することになるのではないでしょうか。自分がわからないものは駄目だと言ったら、深いところまで昇華できないと思います。
投稿: ginnji | 2013年7月26日 (金) 22時09分
つたない問いかけに、いろいろなをコメントをありがとうございます。
「ああ玉杯に花うけて」の件ですが、解説書にはどうあるのか知りませんが、栄華の巷は、奢侈を極める支配階級とともに、くびきにつながれた庶民も含まれているのではないでしょうか。(巷は支配者ばかりでは成りたたないと思います)
それらの人々を 目醒めさせ、社会を変革したいという一高生の意気でしょうね。
しかし、当時、人口の1%にも満たないエリートのたわ言としかきこえません。いい気なもんです。一高を卒業したほとんどの人が、支配階級の既得権に浴したのではないのでしょうか。若い時だけ、そんなことを口走っただけだと思います。
私のいう胡散臭さとはそういう意味です。
「葦は角ぐむ」は知っていますよという方が、多くいらっしゃるのは、このブログの愛好者が、教養ある年配者だからでしょう。そして幼年期・少年期に自然の中で育った人には、受け入れやすい歌詞だろうと考えます。
私は都会育ちですので、桐の花、ネコヤナギ。桑の実などを目にしたのも40代でした。
ですから童謡「故郷」の「ウサギ追いし」も、おおげさな、縄文時代じゃあるまいし、ウサギをたまに見るならわかるけど、追いかけるまで言うと、よほどの山奥か、ほらふきだと思っていました。
サラスポンダの件、楽しく歌いました。しかしとくに言う事もございません。これから勉強します。すみません。
現代人のスピード生活、ゆったりとした時間の感覚の喪失、いやあ、全くその通りです。
幕末のころ 桜田門外の変などを伝えるのに薩摩に6日ほかかっています。また人を送って手配するのにそれ以上、かかったでしょう。しかし当時のリーダーは的確な判断をしましたね。西郷も大久保も木戸も勝も 的確すぎるほど的確な判断をしています。ゆっくり歩きながら考える、これがいいんでしょうね。ケータイもネットも使える今の政治家が情けない判断力です。情報の速さ、量と判断力は別ですね。
投稿: 屋形船 | 2013年7月26日 (金) 22時31分
ginngiさま
ご意見ありがとうございます。
私、文語大好き人間のつもりです。漢詩も好きですよ。
ただ極端な、思い込みの強い一部の文語調の歌詞は,伝承に無理があるという考えです。
化石のような文語調の歌詞は、実際教える先生も大変でしょう。
じゃあどれが思い込みの強い歌詞か、そうでないか、いろいろモメるでしょうね。
そこは話し合って・・です。難しい問題があるでしょうね。でも話し合って・・です。民主主義ですから。
ですから、文語調の歌詞は一律追放みたいな人々とは、敵対関係ですよ。(笑)
投稿: 屋形船 | 2013年7月26日 (金) 23時15分
屋形船さま
お返事ありがとうございます。
歌によっては時代により、いくつもの訳詞、日本語詞が作られています。
しかしこの歌のように、ひとつの日本語詞のみが残っている歌もあります。それはなぜなのでしょうね。
時代の流れで、学校で教えなくなる歌があったとしても、美しいものは古典として保存されるように望みます。
人の好みは様々で身近に自然があったとしても、関心がなければ見ていないものです。
昔の同級生に、その方の故郷ではある野の花が何月に咲いたかを訪ねたことがありました。その人は、「えっ……花なんて、気にしたこともなかった…」と言いました。医師になったその人はその頃勉強に忙しく、植物に関心がなかったのでしょう。
都会育ち……遠足には行きませんでしたか? 公園は街路樹はありませんでしたか?
私は野生のウサギを追いかけたこともなく、川で魚を釣ったこともありません。
桐の花、桑の実も、まだ見たことがありません。
しかしある程度、想像することはできます。身近にないからこそ自然に憧れるのです。
現実には悩み苦しむことが多い……だからこそ美しい歌に憧れるのです。
「サラスポンダ」についてはお忘れください。失礼いたしました。
投稿: 匿名 | 2013年7月27日 (土) 13時07分
屋形船さま
この歌は鎮魂歌です。「汝をながむる」の汝とは、亡くなった前妻ユキのこと。「おもえば涙膝をひたす」は、ユキとの思い出の故郷臼杵との縁が切れてしまい、これを最後に故郷を捨ててしまうことになるからです。吉丸にはこのときすでに両親が亡くなっていません。故郷に錦を飾るという志を果たせず、故郷の土地も売り払う。つまり故郷を捨てる自責に念にかられてこの歌を書いたのです。歌いだしに草花が出てくるのは、前妻ユキへのたむけで、とても美しい情景が浮かびます。
投稿: kingetsureikou | 2014年8月24日 (日) 21時49分
屋形船さま
「兎追いし」というのは戦前は都会の人でもあったようです。「関東旅行クラブ」で国会図書館サーチ検索をすると昭和6年1月の新宿発「兎狩」ツアーが出てきます。楽しそうです。「兎追いし」は、だれもが共通して故郷をイメージでき唱和できるよう教科書用歌詞として作られていますので、鎮魂歌である故郷を離るる歌とは一線を画しているのです。
投稿: kingetsureikou | 2014年8月24日 (日) 22時54分
kingetsureikouさま
いやあ、またまた、お恥ずかしい限りです。
一度口にした言葉は、取り消せないといいますが、
ここでは、未熟なコメントが残っていますからねえ~。
一年前、何であんなに勢い込んだコメントをしたのかな、
と考えてしまいます。ははは。
訳詞家吉丸一昌の生い立ちや境遇を詳細に調べて、その背景を考えながら、歌詞を味わうという方法。
<うーむ、なるほど>です。
また、昭和6年の「新宿発・兎狩ツアー」も、心底<へえ~、そうだったの>です。
ご教示、ありがとうございます。
吉丸一昌は、大分・臼杵の人で、たいへん苦学生思いの人だったようですね。
私財を投じて、生徒を助けています。そのため、自分も困窮生活に。
少し勉強して、以前よりも彼に好感をもちました。
学識豊かな人が読者に多いこのブログ、心してコメントしなくてはとおもいました。
しかし、また勢いに任せてやってしまうかも。
おっちょこちょいは、直らないみたいですから・・
投稿: 屋形船 | 2014年8月25日 (月) 15時33分
童謡に出てくる景色を覚えている最後の年代の人間です。(中学生の時に参加した兎狩りの思い出です)生徒は横一列になり声をあげて頂上を目指します。頂上には目の粗いネットが張られていました。そこに兎が引っかけるのだと思うのですが、かなりな網で、捕獲は到底無理と話し合ったことを覚えています。当然ながら兎は姿すら見えませんでした。50年代の終わりごろだと記憶します。歌詞は時代を追うごとに現実から離れ意味が分からなくなっていきます。しかし歌われるかどうかは別問題。中味が濃い、大切なメッセージがこもっているなどと力説しても消えるモノは消える。それが文化です。
投稿: gunju | 2018年3月 5日 (月) 15時31分
二木オーケストラによる名演奏を聴きながら、投稿された方々のコメントを拝読しました。
「故郷を離るる歌」は、歌詞、メロディとも素晴らしく、子どもの頃からの愛唱歌です。出だしの、♪園の小百合 撫子…♪の部分など、メロディと歌詞の間の親和性というか、馴染み具合について、多少、はてな?と感じるとしても、この歌の良さを、決して損なうものではないと思います。
さて、歌詞1番の、今日で眺め納めとなる”汝(なれ)”が何を指すのかについて、確かに、気になるところですが、私は、”小百合”、”撫子”、”千草”であろうと思います。
歌詞1番から3番までの情景を俯瞰して、ズーム・レンズ付きのカメラを通して眺めているとして、歌詞1番では、ズームで拡大して、家の周りの身近な小さいもの、つまり、草、花を視野に入れ、歌詞2番では、ズームを中ほどに戻して視野を拡大して、もっと大きなもの、つまり、”岡辺”、”森”、”小川”、”土手”を視野に入れ、歌詞3番では、更にズームを戻して視野を拡大して、”故郷(ふるさと)”全を視野に入れて、各番共通の、”さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば”と別れを告げているのではなかろうかと思うのです。
歌詞を通して眺めての私の受け取り方であり、あくまでも、私見です。
投稿: yasushi | 2018年12月13日 (木) 10時43分
二木様の解説及びすべてのコメントを読ませていただき、ここに以下のリンクを投稿することにいたしました。
私はドイツ在住の鞍津輪(くらつわ)隆(たかし)と申します。
ここ一年ほどドイツ人のチームとYouTubeを作り遊んでいます。2021年7月の最初のチームミーティングで、以下のプロジェクトを提案しました。ドイツの「Der letzte Abend」という民謡は「故郷を離るる歌」というタイトルで日本ではよく知られていますが、ドイツ語の歌詞で歌われている動画は見つからない、又ドイツでは忘れ去られているというのが定説になっているので、自分たちでドイツ語版の動画を作ると言うものでした。
詳しい事情は以下のリンクで読むことが出来ます。
https://www.siegfriedmarxandfriends.de/ja/gedanken#1931047257
以下のリンクにあるドイツ語版ビデオはほぼ半年かけて作ったものです。
https://youtu.be/_ZsfGX2GUTA
また、メンバーのヨハンナさんが日本語を学んでいることもあり、彼女の歌とフルートで日本語版のビデオも収録することができました。
(ヨハンナさんは吉丸一昌の亡き妻ユキの亡霊として一瞬このビデオに出てきます。)
https://youtu.be/TKlHhMSFqyw
ドイツ語版をヨハンナさんと一緒に歌って貰って、この歌を広めていただけるように、ドイツ語版サブタイトル付きのビデオも作りました。
サブタイトル付きビデオのリンクは
https://youtu.be/1Nfd2jW3azY
ドイツ語版の写真はドイツで撮った物です、半分は私の住んでいるEppstein市、フランクフルトの近く、の写真です。
日本語版の写真はほとんど宮崎県えびの市で撮った物です。
二木様のうた物語にあります”故郷を離るる歌”のコメントのすべては以下の
kiichirou_sakiyama氏の記事が記載される前に書かれた物で、なかには誤りと思われる記述もあります。ドイツ語版と日本語版の違いにご興味をお持ちの方は一読をお勧めいたします。
http://blog.livedoor.jp/kiichirou_sakiyama/archives/cat_1274947.html
この記事の結論として;
《故郷を離るる歌》の原曲はドイツ民謡《Der Letzten Abend》=《Wenn ich an den letzten Abend gedenk》とみられる。これは1822年または1826年に採譜されたようである。《故郷を離るる歌》の元歌(吉丸一昌が作詞するに際して参照した)はアウグスト・ハインリッヒ・ホフマン・フォン・ファラースレーベン作詞《Abschied von der Heimat》=《Tränen hab ich viele viele vergossen》で、1842年作とみられる。この歌のもともとの曲は《Der Letzten Abend》とみられる。
本来なら《Abschied von der Heimat》の方のビデオを作るべきだったかもしれませんが、上記記事の発見が遅くすでに《Der Letzten Abend》の録音がほとんど終わっていたという事情がありました。一方で我々の間でドイツ語版をなんとかドイツと日本で復活できないかという希望がありまり、そして復活させるなら原曲の方となりました。
もし皆様のご友人の方で、ドイツ民謡に興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ともこのリンクを送っていただき、ドイツ語版の復活に力を貸していただけるようお願いいたします
投稿: 鞍津輪 隆 | 2022年1月 7日 (金) 06時57分
『故郷を離るる歌』は、歌詞もメロディも素晴らしく、大好きな唱歌です。主に、女声合唱による歌声で聴いております。
さて、鞍津輪様には、祖国を遠く離れた異国の地・ドイツにおいて、当地では忘れ去られているとされる 『故郷を離るる歌』の、ドイツ語版動画の制作に取り組んでおられる由。この歌の生誕地に於ける、復活に向けての、鞍津輪様の熱意、苦労を思うとき、ただただ敬意を覚えます。
この素晴らしい歌が、ドイツで忘れられているとは知りませんでした。
それなのに、どうして、遠く離れた東洋の国・日本で、愛され、脈々と歌い継がれているのでしょう。
あれこれ思い巡らせますと、独断・偏見かも知れませんが、我が国の学校音楽に、その一つの答えを見いだせるように思うのです。
つまり、美しいメロディの外国曲に、原詩に捉われずに、学校教育に沿うように、詩情あふれる歌詞をつけ、唱歌として、感受性豊かな子供たちに教えたことが挙げられましょう。
『故郷を離るる歌』の原詩は、恋人との別れを惜しむ歌のようですが、日本語歌詞は、単に故郷との別れを謳った歌と読み取れます。
類似例として、直ぐに、次の歌を思い浮かべます。
『冬の星座』(堀内敬三 作詞、ヘイズ作曲)
※原曲は、『Molly Darling』(愛しのモリー)という米国の歌曲(ラブソング)
『故郷の空』(大和田建樹 作詞、スコットランド民謡)
※原曲は、『Comin’ Though the Rye』(麦畑)というスコットランド民謡(ラブソング)
いずれも、原詩はラブソングですが、学校で習った日本語歌詞は、美しいメロディと相まって、今も多くの人に愛され、歌い継がれていると言えましょう。
投稿: yasushi | 2022年1月16日 (日) 16時07分
yasushi様
コメント頂き有り難うございます。『冬の星座』と『故郷の空』を懐かしく聴きました。
本当に学校で習った日本語の歌詞は特に海外生活の長い私のような者には美しく聞こえます。『故郷を離るる歌』の歌詞は吉丸一昌による物ですが、若い頃に故郷を離れた私にとってはとても郷愁を誘う物になっております。この歌の原曲(Der letzte Abend、最後の夜)は恋人との別れを惜しむ歌ですが、吉丸が当時参照したと思われる、アウグスト・ハインリッヒ・ホフマン・フォン・ファラースレーベン作詞《Abschied von der Heimat、故郷を離れる歌》は故郷との別れを歌っています。確かにこの元歌の歌詞と吉丸の歌詞を比較するとカメラをズームインしているような感じがよく似ています。以下のリンクの終わりに両方の歌詞があります。
https://www.siegfriedmarxandfriends.de/ja/gedanken
しかし吉丸の「今日は汝をながむる 最終の日なり」の汝とは故郷ではなく吉丸の亡くなった妻のユキのことだという説もあります。
http://asahi-lirio.org/chorus/zatsu/zatsu140.pdf
どちらかというと故郷だと思いますが、ユキ説には哀愁が有り、日本語版ではその場所で、歌っているヨハンナさんにユキの亡霊として、現れて貰いました。
投稿: 鞍津輪隆 | 2022年1月19日 (水) 07時36分
鞍津輪様からのお便り(’22-1-19)を、興味深く拝読しました。
大変勉強になりました。有難うございました。
お便りの中に、
”吉丸が当時参照したと思われる、アウグスト・ハインリッヒ・ホフマン・フォン・ファラースレーベン作詞《Abschied von der Heimat、故郷を離れる歌》は故郷との別れを歌っています。確かにこの元歌の歌詞と吉丸の歌詞を比較するとカメラをズームインしているような感じがよく似ています。 ”
とありますが、改めて、《Abschied von der Heimat、故郷を離れる歌》の原詩(和訳したもの)を眺めますと、ご説のとおりであると、理解できます。
つまり、歌詞2番では、
♪さらば、庭の薔薇たちよ そして、小さな花のおまえたちよ…♪
と、まず、身近な小さい花たちに別れをつげ、
ついで、歌詞3番で、
♪さらば、緑の花畑よ ここで沢山の花束を作った
さらば、藪、木立、森たちよ… ♪
と、もう少し離れた大きいもの(畑、木立、森など)に別れをつげ、
続く、歌詞4番で、
♪さらば 私は下に向かって呼びかける
山から谷に向かって悲しく叫ぶ …♪
と、さらに離れて、故郷全体の山、谷に別れを告げるさまを読み取ることができます。
投稿: yasushi | 2022年1月19日 (水) 13時31分
yasushi様
ご確認いただき有り難うございます。これにより『故郷を離るる歌』の歌詞は吉丸一昌が《Abschied von der Heimat、故郷を離れる歌》を参照しながら5音節、7音節の言葉を多用して、優雅がな日本語歌詞に仕上げていったと結論付けられると思います。
上記リンクの「思い」に書きましたようにDer Letzte Abendがドイツで忘れられていると気付いたのは2年前でした。当時はkiichirou_sakiyama氏の記事「《故郷を離るる歌》原曲/元歌を探索する」がまだ公開されておらず、原曲に言及するYouTubeや記事はほとんど全部Der letzte Abendがこの歌のオリジナルだと書いていました。去年7月にこのプロジェクトを始めたときにドイツ人もいろいろ調べたのですが、Der letzte Abendがオリジナルであるとしました。11月頃に上記記事を発見して、吉丸が参照したのはDer letzte AbendではなくAbschied von der Heimatだと分かったときプロジェクトはほとんど終わりかけていたので、ビックリするとともにどうしようか悩みました。しかし氏の結論は原曲はDer letzte Abendだったので予定通りこれを発表することとなりました。Abschied von der Heimatの方もYouTubeも又今歌われている形跡もありません。
投稿: 鞍津輪 隆 | 2022年1月20日 (木) 07時16分
最後の繰り返しで、
「さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば」
と「さらば故郷」が何度も歌われ、ずいぶんと切ない歌のように感じますが、わたしにはこのメロディーはちょっと明るく、希望の持てる歌のように感じます。
18歳のときに、故郷を離れ、当時の旅行時間で12時間以上かかった地に赴いたときのことを思い出します。
ブログ・ハーモニカ演奏の伴奏に使わせていただきました。ありがとうございました。
投稿: ゆるりと | 2022年5月24日 (火) 06時09分