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2007年9月 3日 (月)

人生劇場


作詞:佐藤惣之助、作曲:古賀政男、唄:楠木繁夫

1 やると思えば どこまでやるさ
  それが男の 魂じゃないか
  義理がすたれば この世は闇だ
  なまじとめるな 夜の雨

2 あんな女に 未練はないが
  なぜか涙が 流れてならぬ
  男ごころは 男でなけりゃ
  わかるものかと 諦めた

3 時世時節(ときよじせつ)は 変ろとままよ
  吉良の仁吉(きらのにきち)は 男じゃないか
  おれも生きたや 仁吉のように
  義理と人情の この世界

  (セリフ)
   ああ夢の世や 夢の世や
   今は三歳(みとせ)のその昔
   十有余年がその間
   いと懐かしき父母(ちちはは)
   朝夕眺めし山や川
   春は花咲き夏繁り
   秋は紅葉の錦織
   冬は雪降るふるさとの
   由緒正しき郷士(ごうし)にて
   一人男子(おのこ)と生まれける
   その運命のいたずらか
   はかなき恋の戯れか
   浮き立つ雲に誘われて
   一人旅立つ東京の
   学びの庭は早稲田なり

4 端(はした)役者の 俺ではあるが
  早稲田に学んで 波風受けて
  行くぞ男の この花道を
  人生劇場 いざ序幕

《蛇足》 尾崎士郎の同名の小説を下敷きにして作られた歌で、昭和13年(1938)発表。

 義に篤く、利にはうとく、信ずることのためには損得を考えずに突き進むという早稲田マンのイメージは、この小説と歌によって作られたといっても過言ではありません。
 残念ながら、私はまだそういうタイプの早稲田出身者に会ったことがありませんが、きっとどこかにはいるのでしょう。

 小説は、昭和8年(1933)から足かけ11年間、『都新聞』『東京新聞』に連載されました。さらに戦後、雑誌『小説と読物』『オール読物』『小説新潮』と書き継がれ、昭和34年(1959)に完結しました。
 『青春篇』『愛慾篇』『残侠篇』『風雲篇』『離愁篇』『夢現篇』『望郷篇』『蕩子篇』の各篇から成り、任侠の世界を描いた『残侠篇』を除いて、作者の自伝的小説とされています。

 昭和10年(1935)に『青春篇』が刊行され、川端康成が絶賛してベストセラーになりました。
 『青春篇』は、三州(さんしゅう)吉良(愛知県吉良町)に生まれた青成瓢吉(あおなり・ひょうきち)が、青雲の志を抱いて早稲田に学び、放埒(ほうらつ)な青春を送り、学校騒動で主役を演じ、料亭の娘お袖と恋仲になるが、やがて学校も女も捨てる、という物語です。
 非常に日本的な成長小説(Bildungsroman)と見ることができます。

 『青春篇』は、刊行の翌年、内田吐夢監督によって日活で映画化され、映画史上に残る名作となりました。戦後も何度か映画化されましたが、なかでも脇役にスポットライトを当てた内田の『人生劇場――飛車角と吉良常(きらつね)(写真)や、加藤泰監督『人生劇場――青春・愛慾・残侠篇』がよく知られています。

 塩澤実信『昭和歌謡100名曲』によると、上の『人生劇場』は、佐藤惣之助が内田監督の『人生劇場・青春篇』に感動して作詞し、それに古賀政男が曲をつけたもので、映画のために作られたものではないとのことです。
 ただし、昭和13年(1938)7月公開の日活映画『人生劇場・残侠篇』(千葉泰樹監督)の主題歌としして使われ、レコードがテイチクから発売されました。

 歌に出てくる吉良の仁吉は、幕末期の実在の侠客。慶応2年(1866)4月8日、伊勢国鈴鹿郡(ごおり)の荒神山(こうじんやま)で起こった穴太(あのう)の徳次郎vs.神戸(かんべ)の長吉(ながきち)+吉良の仁吉+清水次郎長の子分たちの大喧嘩(おおでいり)で命を落としました。
 この小説では、仁吉の血筋を引くという吉良常が重要な役割を演じています。

 セリフと4番は、早大生・OBの間で自然発生的に作られたもののようです。セリフは、いくつかヴァリエーションがあるようですが、上に掲載した語りは、サイレント映画時代の活弁のようで、実に快調ですね。

(二木紘三)

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コメント

私は、中途視覚障害者でかろうじて左目で文字がぼんやりと解読できます。
人生なかばで(55歳)で早期退職をしました。
現在、この歌をかろうじて選曲でき聴くことができました。私にとって、うれしい限りです。
曲のスタート・マークを探し出し、クリックするのが困難です。
できれば、ワードでの選択方法があると、弱視者・全盲者にもアクセスできるのですがね。

投稿: 益子   良夫 | 2007年9月 3日 (月) 10時32分

私も早稲田OBです。クラス会の飲み会などがあると、誰かが必ずこの歌を歌いますね。ところで、この6月、一人娘が結婚しました。披露宴で花婿(早稲田OB)と共に、人生劇場を歌いました・・・

投稿: 五十嵐岳男 | 2007年9月 8日 (土) 19時43分

五十嵐岳男さま
コメントを拝見して、思わず書き込ませていただいています。
おそらく、私は五十嵐様の数年後輩です。
私にも一人娘がおりまして、今大学一年生です。
残念ながら早稲田には行ってくれませんでしたが、でも娘に合ったところに入ってくれました。
いつか披露宴でこの歌を花婿と歌えたりしたら、私はきっと泣いてしまいます。

投稿: 品川の早稲田マン | 2007年9月22日 (土) 00時54分

二木さんのサイトをやっと探しだしました。
懐かしい人生劇場のセリフに暫し思い出に浸りました。
いろいろなバージョンがあったのでしょうが私たちのはこうでした。

 ああ夢の世や 夢の世や
 今は三歳(みとせ)のその昔
 十有余年がその間
 いと懐かしき父母(ちちはは)と
 朝な夕なに眺めし山や川

 春は花咲き夏繁り
 秋は紅葉の錦織
 冬は雪降るふるさとの
 生まれ正しき郷士にて
 一人男(おのこ)と生まれける
 その運命のいたずらか
 はかなき恋のいたずらか

 浮き立つ雲に誘われて
 一人旅立つ東京の
 学びの庭は早稲田なり

(我ながらよく覚えていました。)

投稿: 私の娘の婿殿も早稲田 | 2007年9月25日 (火) 12時58分

「私の娘の婿殿も早稲田」様
 おもしろいですね。長すぎて、間奏の間に語りきれないかもしれませんが、こちらに差し替えました。
 ただし、5行目の「朝な夕なに眺めし」は、ここだけ語調が崩れていますので、「朝夕眺めし」に変えました。

投稿: 管理人 | 2007年9月25日 (火) 18時20分

管理人さん、差し替えていただいて恐縮です。
私が学生の頃はカラオケがまだ普及しておらず
アカペラでしたのでセリフはいくら長くてもいいですし
四番を歌っても差し支えなかったのですね。

その後カラオケで歌う時は苦労しました。
三番までしかないので二番の伴奏をバックにセリフをのんびりと語り
三番の伴奏で四番を歌ったりしました。
それも随分昔のことです。

娘の婿殿は酒も飲まず人生劇場も歌いません。
少しつまらないですね。

投稿: 私の娘の婿殿も早稲田 | 2007年9月26日 (水) 10時43分

早大卒の私の先輩や同僚の中にこの歌が大好きな者が何人もいて、サラリーマン時代には飲み会でよく一緒に歌いました。別名「早稲田民族主義」の歌といった感じですね。
早稲田マンには(ウーマンもいますが)、義理人情や恩義に篤い人がけっこういます。そういう人たちと手を取り合って、残り少ない人生を歩んでいければと思います。吉良の仁吉のような人は、少なからずいると思いますよ。

投稿: 矢嶋武弘 | 2007年12月22日 (土) 17時35分

矢嶋武弘さま

歳をとって病気をすると涙もろくなっていけません。

この唄を聴きながらコメントを拝見し、一生懸命生きてる奴は、(まことに勝手ながら)みんな早稲田の仲間だと思って勝手に泣いちゃいました。

投稿: 端役者 | 2007年12月22日 (土) 19時31分

以前にも戦前の曲を聴かせて頂いてコメントしたことが
ありますが、この曲は早稲田マンとして涙がでる程懐かしい曲です。昭和22年9月早稲田大学理工学部応用化学科を卒業して社会人となり、今でも現役ですが、二木先生の「蛇足」と「編曲」は素晴らしい。そんじょそこらで売つている「懐かしのメロデイー CD版」とは比べものになりません。
損得を考えずに突き進む早稲田マンはいませんか? ここにいますよ(笑) 先生も頑張つて下さい。

投稿: 田原 弘 | 2010年6月18日 (金) 20時26分

高校の英語の先生
 早稲田の出で
 この時代の同世代だったんでしょうか
  杖をつきながら
 教えていただきましたが
  馬鹿な生徒には
  とどいてなかったか
 残念無念 よくききゃよかった・・・と

投稿: 二宮 | 2010年6月18日 (金) 21時01分

>義に篤く、利にはうとく……私はまだそういうタイプの早稲田出身者に会ったことがありませんが、きっとどこかにはいるのでしょう。<
→ここにおります。私です。義に篤く、利にはうといあまり、ずっとビンボーです。

投稿: ソーダイOB | 2012年6月27日 (水) 16時14分

端役者様
小生も、このサイト開くたび、、涙がでます。ご自愛ください。小生も、毎日薬をかかせない状態ですが、、人生劇場を聞くと元気になります。強く正しく長く生きようと、、思います。元気なうちに高田馬場に→→→家内と一緒に行こうと思っています。
高田馬場の駅に着いたとたん きっと、、泣きます。

投稿: 端役者2 | 2012年8月21日 (火) 20時55分

入学して初めてのコンパで先輩から聞いたのが、この歌でした。「早稲田に来た」との実感がわいてきました。一年生とはいえ、私はこの年22歳。浪人をしていたわけではありませんが、高校卒業のとき父親から進学を反対され、父親の事業を手伝ってから3年後に「進学する」と宣言したら、「1年限りで、勉強して早稲田だったら許してやる」といわれ、無謀にもチャレンジすることにしました。父親はあきらめることを期待していたようですが、それでも合格した時は喜んでくれました。親不孝を許してくれた親に今も感謝しています。「人生劇場のセリフ」はその意味でもとても響きます。

投稿: 如海 | 2014年11月 3日 (月) 12時42分

はじめまして。
仕事でいろいろな流行歌の「原詩」を調べておりましたところこのサイトに辿り着きまして、セリフと4番の歌詞に驚愕いたしました。
いろいろ調べなおしましたところ、どうやら後年に早稲田の学生が作ったようですね。しかも、今では5番も作られていて、14代総長だった奥島孝康氏が歌われているそうです。
 早稲田なりゃこそ 一目でわかる  
 辛い浮き世も 楽しく生きる
 バカな奴だと 笑わば笑え
 人にゃいえない こころいき
「早稲田大学第二校歌」とありました。 

投稿: nana-million | 2016年9月26日 (月) 15時45分

 高校のころこの歌が流行りました。同じ寮にいろいろ高校生や大学生がいた団体の設立した寮だったので、友人がこの歌をクリスマス会で歌ったのです。もう50年以上も前のことです。面白いなあと思いながら聞いていました。
 早稲田のことは意識していませんでしたが、「義理」という言葉に惹かれた思いがあります。

投稿: 今でも青春 | 2016年9月26日 (月) 17時39分

私は早稲田出身ではありませんが、高校時代に、友達の兄貴が早稲田出身で兄貴から教わったと言って「早稲田小唄」を教えてくれました。いい歌だなと思ったので今でも覚えています。それはこうでした。

稲は稲でも早稲田の稲はヨイヨイ 自治と自由のアチョイト味がするヨイヨイ リャリャスコリャンリャン

腰の手ぬぐい伊達には下げぬヨイヨイ 魔よけ垢よけアチョイト女寄せヨイヨイ リャリャスコリャンリャン

向こう女子大こちらは早稲田ヨイヨイ 仲を取り持つアチョイト千登勢橋ヨイヨイ リャリャスコリャンリャン

おいらの親父は大隈さんだヨイヨイ 自由を唱えたアチョイト偉い人ヨイヨイ リャリャスコリャンリャン

以上です。ところが最近ネット「早稲田小唄」を探したら在りました。それはこうでした。


作詞・作曲不詳

<稲は稲でも早稲田の稲はヨイヨイ
 進取と自由のチョイト味がするヨイヨイ>
ジャジャンコジャンジャン ジャジャンコジャンジャン
<腰の手拭伊達にはさげぬヨイヨイ 
 魔除け虫除けチョイト女寄せヨイヨイ>
ジャジャンコジャンジャン ジャジャンコジャンジャン
<向こうは女子大こちらは早稲田ヨイヨイ
 仲を取り持つチョイトひとめ橋ヨイヨイ>
ジャジャンコジャンジャン ジャジャンコジャンジャン
<早稲田の学生に惚れない奴はヨイヨイ
 顔に自信のチョイトない娘ヨイヨイ>
ジャジャンコジャンジャン ジャジャンコジャンジャン
<おいらの親父は大隈さんだヨイヨイ 
 自由唱えたチョイト偉い人ヨイヨイ>
ジャジャンコジャンジャン ジャジャンコジャンジャン

少し違うけど、大体合ってますね。多分ネットの方が正しいとは思いますが、但し、3番の「仲を取り持つチョイトひと目橋」というのは、私が覚えている「千登勢橋」が絶対正しいと思います。私は早稲田や千登勢橋の近くに住んでいましたが「ひと目橋」なんて聞いたことがありませんから。

「人生劇場」から外れて早稲田のコメントが多かったので、つい私も外れてしまいました。すみません。

投稿: 吟二 | 2018年8月19日 (日) 13時59分

「早稲田大学応援部」に色んな歌がまとめてありますね。
 http://www.w-ouen.com/songs/
甥っ子が早稲田でした。

私の母校、高校の応援歌は「旧制一高寮歌」の替え歌、
体育祭で歌っていました。
♪若き乙女よ若人よ 花咲き匂う窓あけて・・

投稿: なち | 2018年8月19日 (日) 15時49分

早稲田が反権力の側に立っているようなことをききますが、私はいまだそんな早稲田マンに会ったことがない。義理と人情の世界同様、実は無いのだが、あるかのような話ではないでしょうか。一つの大学を出たから反権力の性根を持った人物が続々輩出されるなんて、そんなアホな・・。
ただし杉原千畝は早稲田でしたね。ユダヤ人をはじめ多くの難民にビザを発給した彼こそ反権力の手本です。ですが、彼個人の個性によるものでしょう。

投稿: 越村 南 | 2018年8月20日 (月) 01時27分

身内の者の病気見舞いで3日ほど東京を留守にし、帰ってから投稿欄を見てビックリしました。江戸ふうりんさんのコメントには、不毛の論議や、あまり愉快ではないコメントを誘発する魔力があるようで、このままではいけないと思い、その元になった同氏のコメントとそれに関連したコメントを削除しました。とくに問題のないコメントは残してあります。
皆様、悪しからず。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2018年8月24日 (金) 01時05分

 長崎のsitaruです。この曲は、長い間、村田英雄さんの持ち歌とばかり思っていました。村田さんと言えば、「王将」がまず頭に浮かびます。子供の頃、よくラジオから流れているのを聞いていました。
 ところで、私は、歌唱曲を聴く時は、メロディーを重視する方で、メロディーが印象的であれば、歌詞はさほど気にならないという聴き方をずっとしてきました。近年、ようやく歌詞にも興味が沸いて来で、以前にもコメントさせていただきましたが、歌詞の言葉に注目するようになりました。
 この「人生劇」にも、言葉の問題として気になる点があります。それは一番の歌詞の最初の、
  やると思えば どこまでやるさ
の「どこまで」の使い方です。長いこと気がつかなかったのですが、「どこまで」は疑問詞で、通常は疑問文で使われますが、ここでは疑問文になっていません。文法が気になる者にとっては、
  やると思えば どこまでもやるさ
とあるべきです。これは、全体のリズムが七七七調になっている(最終連のみ七五)ために、あえて「も」を付けなかったもののようです。しかし、メロディーが付いて、曲となった時、なぜだか不自然さをあまり感じずに聴いてしまうようです。
 このような、疑問文であるべきところが平叙文になっている例を他に探すと、有名曲では、フォークグループの「グレープ」の「精霊流し」があります。この曲は長崎に縁が深い曲なので、若い頃からよく聴いていましたが、やはり不自然な部分があることに気がつかないままでした。それは、二番の、
  いつのまにさびついた糸で 薬指を切りました
の「いつの間に」の用法です。これも、文法的には、
  いつの間にかさびついた糸で 薬指を切りました
とあるべきで、ここは七五調とはなっていませんが、その前半部分が、一番も二番も十三音になっていますので、やはりリズムを考慮したもののようです。

投稿: sitaru | 2020年10月 5日 (月) 16時15分

いい唄ですね、義理を貫く一途な男の歌、昭和の名曲です。この曲も私の持ち歌ですが、村田英雄さんバージョンなのでセリフは入りません。

投稿: Jurian Prabhujee | 2020年10月20日 (火) 20時15分

母がとても好んで楽しんでいた大正琴は、哀愁に満ちた音色ながら日本の歌に又大衆に合ったのでしょう。特に古賀メロディの音色は何か一筋強い意志の様なものを感じさせます。主人は人生劇場の尾崎士郎の青成瓢吉にあこがれたみたいです。無法松の一生や股旅ものが大好きで良く弾きます。義父が大工の棟梁だったので明治気質や根性は理解できます。

投稿: 細川 和代 | 2022年11月12日 (土) 07時41分

 sitaru様のご感想にほぼ同意します。同じような議論のあったのが、先ごろ亡くなった松平直樹さん歌うマヒナスターズの超ヒット曲「お座敷小唄」の1番「雪に変わりはないじゃなし」。歌詞の場合にこういうのは許されているようです。でも、やっぱり気にはなります。もっとも「負けず嫌い」という慣用句も何度か不審を抱かれながら長くつかわれていますけれども。

 なおこの『人生劇場』と五木寛之氏の『青春の門』とは関係があるのでしょうか。後者は前者のパクリないしは影響下に生まれたのではないかと疑い続けているのですが。ただしどちらも読んだことはなく当て推量で言っております。

投稿: 半畳亭 | 2022年11月14日 (月) 05時38分

亡くなった私の父が好きだった歌です。特に2番の歌詞が良いと話していました。真面目一方の人生でしたが、何か思い出でもあったのかと訝っています。
半畳亭様が書かれていますが、五木寛之の『青春の門』はパクリと言うのは失礼ですが、青春の志を持って早稲田に入学している点や、任侠に生きる者たちとの関りが描かれている点など、設定が良く似ています。この小説が『人生劇場』をモチーフに書かれたことは確かだと思います。
私が高校生の頃、非常にもてはやされた作家に庄司薫がいます。彼の芥川賞受賞作『赤ずきんちゃん気を付けて』は、後になって読んでみると、サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』とストーリーが良く似ていると思いました。
これらはいわゆる模倣に当たりますが、芸術の分野では一般的で、批判の対象にはならないようです。

投稿: Yoshi | 2023年4月 7日 (金) 10時53分

やると思えば どこまでやるさ
それが男の 魂じゃないか
村田英雄の渋い声が今も響いてきます。
歌われているのは尾崎士郎の小説に出てくる青成瓢吉や内田吐夢の映画に出てくる吉良常です。また血煙荒神山で知られた吉良の仁吉など。古すぎる話過ぎて、昭和24年生まれの私にはよくわかりませんでしたが、この出だしのこの歌詞はいいですね。元気が出ます、また佐藤惣之助の実力を感じます。

あんな女に 未練はないが
なぜか涙が 流れてならぬ
男ごころは 男でなけりゃ
わかるものかと 諦めた
これもわかるような気がする。この世には男道と女道のふたつがあって、似ているところもあるが結局は別の道なのだ、というのが私の拙い経験上の感想です。

前に早稲田の卒業生のことを批判めいた口調で言いましたが、お詫びして訂正します。
職場で9年間一緒にいたKさんが早稲田でした。全然その事を口にせず、私も意識してなかったのです。彼は上司の意見に対しおかしいと思えば口にして、どこまでもひるまず、反対しました。私などにもたえず意見を聞いてくれました。自分の意見が正しいかどうかをつねに考えていたのです。ゆっくりとみんなをまとめていくリーダーでした。ある時、私が生活上、本当に困ったことがありましたが、その時、Kさんは奥さんと喧嘩してまでも200万円を私に貸してくれました。それは1年半ほどで返しましたが、考えてみると彼は本当に私の命の恩人です。そんな人を早稲田の卒業生と思わなかったのは私の大ボケでした。
今年の春、日本に帰ったら15年ぶりの再会を果たし、もう一度心の底からお礼を言いたいです。死ぬ前に人として礼を尽くしたいっという私の思いです。


投稿: 越村 南 | 2024年2月 8日 (木) 16時29分

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