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2007年9月 6日 (木)

恋の町札幌

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:浜口庫之助、唄:石原裕次郎

1 時計台の 下で逢って
  わたしの恋は はじまりました
  だまってあなたに ついてくだけで
  私はとても 幸せだった
  夢のような 恋のはじめ
  忘れはしない 恋の町札幌

2 はじめて恋を 知ったわたし
  やさしい空を 見上げて泣いたの
  女になる日 だれかの愛が
  見知らぬ夜の 扉を開く
  私だけの 心の町
  アカシヤも散った 恋の町札幌

3 淋しい時 むなしい時
  私はいつも この町に来るの
  どこかちがうの この町だけは
  なぜか私に やさしくするの
  恋人なのね 故里なのね
  ありがとう私の 恋の町札幌

《蛇足》 昭和47年(1972)のヒット曲。

 この年、アジアで初めての冬季オリンピック第11回大会が札幌で開かれました。それを盛り上げるために、札幌を舞台とした歌がいくつか作られましたが、これもその1つです。
 この年はまた、横井庄一元軍曹がグアム島から「恥ずかしながら」帰還し、凄惨な連合赤軍事件が起こり、沖縄が返還された年でもありました。

 「だまってあなたについてくだけで……幸せだった」というような女性は、まだ存在するのでしょうか。

(二木紘三)

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コメント

懐かしさがあふれて・・・・

投稿: 稲継久嘉 | 2007年9月 9日 (日) 21時37分

札幌冬季五輪と言えばこの歌と、フィギュアスケートのジャネット・リンちゃんがダブって思い起こされます。敬虔なキリスト教徒でもあった彼女が口にしていた『Love and Peace』。あれから35年の今でも世界中から殺戮と悲嘆は絶えないにしても・・・。

投稿: 乙女座男 | 2008年1月 6日 (日) 14時12分

北海道にいました。10年余り。このメロディーには懐かしさが湧いてきます。多分、「札幌」(さっぽろ)と言う語感が音感(メロディー)を美しくしているのではないでしょうか。札幌の街を訪れて感じました。

投稿: 波路 | 2008年1月 6日 (日) 17時05分

2番の 「女になる日 だれかの愛が 見知らぬ夜の 扉
を開く」これ以上は無いと思えるくらい上品な詞ですね。

投稿: M.U | 2008年5月27日 (火) 13時04分

札幌、苫小牧、釧路、稚ヶ内、洞爺湖。
これらは元々アイヌ語のような気がしますが、解っておられる方教えて下さい。

投稿: M.U | 2008年9月 5日 (金) 17時10分

M.U 様

お尋ねの地名の件について、参考になるサイトがございますので、ご紹介いたします。
http://kam-r.sub.jp/ainu/
札幌の由来はアイヌ語のサッポロベツで、サッ・ポロ・ベッ(乾燥する・大きい・川)叉はサリ・ポロ・ベッ(芦原・広大な・川)などの説がありますがはっきりとは分かっていません。

苫小牧はアイヌ語のトマコマイで、ト・マコマイ(沼の・マコマイ川)に由来します。

釧路の由来はアイヌ語のクスリ(温泉)ともクシルで、クシ・ル(越す・道)など諸説がありはっきりとは分かっていません。

稚内の語源はアイヌ語のヤムワッカナイから来ておりヤム・ワッカ・ナイ(冷たい・飲み水・沢)という意味です。

洞爺湖の語源はアイヌ語のトー(湖)・ヤ(岸)でトーヤと和人が命名したもので、アイヌは「キンム(山の)トー(湖)」と呼んでいたとのことです。

投稿: 巴茶寮 | 2008年9月 6日 (土) 22時53分

新世界・釜ケ崎などで遊んでいた頃
ニュ-ハ-フの人達が多い街で
私が歌う歌を聴いてこう言う歌を
歌ったら…と言う歌がこの曲でした。
二木先生がおっしゃるように
「黙ってあなたについてくだけで。。。」
そんな女性がいるのでしょうか?
なんですが。。。。
ニュ-ハ-フの私よりダイブ年上の方々
にとっては20歳そこそこの私が
そんな女でなければならないと
意外と真面目に考えてくれたのかな?
と今になったら微笑ましい想い出です。

投稿: sunday | 2008年9月 7日 (日) 14時57分

巴茶寮様

早速のご返事有難う御座いました。世の中には色んな事を
知っておられる方が多いのですね。

投稿: M.U | 2008年9月 7日 (日) 15時09分

北海道の市町村名のうち、約8割がアイヌ語に由来すると言われています。
横綱級難読地名といわれる「重蘭窮」が釧路町にあります。さて、何と読むでしょう。
「ちぷらんけうし」と、読むのだそうです。舟をおろす(進水)場所を意味しているそうです。

アイヌに関しての認識不足は甚だしく、北海道に住む者としてこの度、チト勉強いたしました。
北海道遺産は全部で52件が認定されていますが、その中には・アイヌ口承文芸、・アイヌ文様、そして・アイヌ語地名が含まれています。
ユネスコの無形文化遺産にアイヌ古式舞踊が登録されたそうです。


投稿: 高木ひろ子 | 2008年9月10日 (水) 16時35分

浜口庫之助と石原裕次郎の黄金コンビの四作目で、石原裕次郎の初めての「女唄(おんなうた)」です。歌謡曲、特に演歌では男性歌手が女性の世界を歌った曲がヒットするケースが多く、業界では「女唄」と呼んでいるそうです。―――中島賢治「石原裕次郎 過ぎ去りし日々」(角川文庫)より

投稿: 前期高齢者 | 2009年9月 5日 (土) 14時17分

上記のM.Uさんの感想と全く同感で、2番のフレーズは特に素晴らしいですね。「女になる日」とは文字通り初めて結ばれる日のことですよね。それが、最後の「アカシヤも散った」につながっているのだと思います(深読みすぎるかな?)

投稿: SK2 | 2011年8月 2日 (火) 21時27分

3番の歌詞なんですが、「どこかちがうの」となってるんですけど、
曲を聴くと、「どこがちがうの」になっています。
色んな歌手のカバーを聞いても、どっちつかずですし、ネットで調べても、どっちが正しいのか分かりません。
ご意見お待ち申し上げます。

投稿: 奥田FC会員の1人 | 2018年1月 2日 (火) 23時11分

確かに「どこが」と聞こえます。

ところで1番では具体的な一人の男と逢ったのに2番では誰かの愛、とぼやけて来て3番では札幌の町自体が対象になっています。一寸奇妙ですね。

投稿: hurry | 2018年1月 3日 (水) 07時51分

レコードの歌詞は「が」です。
歌も「が」と聞こえます。
歌碑があるようですが、ネットで見ると「が」のようですね。

投稿: なち | 2018年1月 3日 (水) 09時58分

「どこか、ちがうの」をとりたいですね。歌詞を私なりの解釈をしてみました。

1 思っているだけでドキドキして、うれしくて、もどかしくて、哀しくてという初めての恋を味わい、ぜったい離れたくない、あなたのうしろからついていくだけで、幸せで身体がふるえてしまう。そんな想いをした札幌の町。

2 こいこがれる恋を知った私。あなたに抱かれたい、でもあなたは私の気持ちを知らない。陽射しのやさしい青い空を見上げて切なさに、泪が溢れてくる私の初恋。この札幌は、初恋の切なさを知った町。・・・・・
  愛する人のいない私もいつか大人の愛を知り、赤い糸で結ばれた男性(ひと)とアカシアが散る頃、私は女になる。札幌の町は私の恋や愛を知っている。

3 心のさみしさを慰めてくれる札幌の町。札幌の町は私の恋愛を知っている。ほかの町と違って、札幌の町は私の心を知っている。町は何も語りかけたりしない。それでも私は黙って札幌の町を歩く。風がやさしく私を包み込んでくれる。佇むだけで、こんなに癒される町は他にはない。ありがとう、私の恋の町、そして愛の町札幌。

以上ですが、浜口庫之助の優しさを感じます。これほど温暖化が進み、異常気象での札幌は私は知りませんが、昭和40年前後に夏と冬に行った事があります。夏は爽やかででした。また当時、ファッションは東京と同時発信だと聞いていました。洒落た恋の町としてもいいですね。 

投稿: konoha | 2018年1月 3日 (水) 10時52分

私はこの歌を知りませんが、歌詞だけ読むと「どこがちがう」のは迷いがありますね「どこかちがう」のは自分の意思がはっきりしていてこの町の思い出が、自分の思い出の町になっていると思います。歌う人が歌詞の意味をしっかり把握してから歌ってほしいですね。若い歌手に詩心の無い人が多くなっているのが残念です。

投稿: ハコベの花 | 2018年1月 3日 (水) 10時59分

歌手が「が」と歌ったので、レコードジャケットにはそう書かれ、歌碑にもそう刻まれたのでしょう。
 歌手が間違って歌い、それが定着してしまった例は、過去いくつもあります(『侍ニッポン』の「しんのう」、『旅の夜風』の「染みわたる」、『草山に』の「小窓」など)。

「どこがちがうの この町だけは……」では意味が通じないことは、だれの目(耳)にも明らかです。
レコード・プロデューサーは歌い直しさせるべきでしたが、そうしなかったのはプロデューサーが語感に鈍感だったか、裕次郎に歌い直しさせるなど恐れ多くてできなかったか、発売までのスケジュール上時間がなかったかのいずれかでしょう。

ついでながら、1番から2番、3番へと進む過程で、テーマが恋から札幌讃歌へとずれていくのは、この歌が札幌冬季オリンピックのパブリシティとして制作されたことによると思われます。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2018年1月 3日 (水) 11時03分

管理人様のご指摘で安心しました。
私は次のような例文で考えていました。

どこかちがうの Aさんは・・・・(これは良い)
どこかちがうの Aさんだけは・・(これも良い)

どこがちがうの Aさんは・・・・(これも良い)
どこがちがうの Aさんだけは・・(なんだか変)

文法的か論理的に誤りが説明できるのではないかと考えていたのですができませんでした。

投稿: yoko | 2018年1月 3日 (水) 12時16分

素敵な情景が浮かんできます。
雪国住まいなのでよくわかります。

二木先生の名解説に心打たれました。
「どこか違うの」
恋の歌から札幌讃歌へと移行などなど。

投稿: りんご | 2018年1月 3日 (水) 14時46分

リリースからこの45年間、裕次郎は「どこかちがうの」と唄っているものと思っていました。そういえば、70年代はTVの歌番組など観てなかったですねぇ… フォーク、ニューミージック、歌謡曲、すべて耳だけで覚えたような気がします。  札幌オリンピックも恵庭岳のダウンヒルとジャンプの「日の丸飛行隊」、ジャネット・リンのフィギュアスケート位しか生中継は観なかったですものねぇ。 ジャンプのフライングフォームはあの頃の板を揃えたもののほうが好きです。
 この歌に出てくる女性は1番、2番、3番それぞれ別人と捉えています。

投稿: かせい | 2018年1月 3日 (水) 15時28分

管理人様、皆様、ありがとうございました。
これでスッキリしました。
また何かありましたら教えてください。

投稿: 奥田FC会員の1人 | 2018年1月25日 (木) 15時07分

小生が九州を出て、札幌の水商売で働いている時、この歌に出会いました。裕次郎さんは何を歌ってもムードが有り上手いですね。札幌と言えば、当時冬季オリンピックでもりあがってました。現在は、あそこ?豊平三条八丁目の陸橋も取壊されて郵便ポストが当時のままグーグルによると残ってました。この曲は懐かしい。不眠症で陸橋の上で、缶ビール片手に嘆いていましたよ。時がたつのは早いものです。そういえば、裕次郎さんの「白い街」が昭和45年、「アカシアは枯れた」が昭和47年だったでしょう。いい曲です。「雪国の街」も最高です。是非どうぞ。

投稿: なんとかなるさ | 2019年1月14日 (月) 15時03分

 札幌は行った事があります。函館はありません。この前の大河ドラマで戊辰戦争の終わりが函館戦争だったと知りました。札幌は連泊で「少年よ大志を抱け」の現北大の札幌農学校のクラーク博士の銅像のある公園に行きました。茂岩山にも行き、市街地を一望しました。北海道は一度行ったらもう一度行きたくなるところですね。何しろ遠くで行けないことが多いのが現実ですが。

投稿: 今でも青春 | 2019年1月15日 (火) 21時43分

「恋の町札幌」長年にわたり愛聴してきたこの曲ですが、この歌の詩をみながら切なさが漂うこのメロディを聴いていると、とても淋しく辛い経験をしてきたであろう主人公のこの女性は、きっともの静かで心優しく、それでいて芯のある強い女性だったのではないのかと思わせてくれます!

作者浜口庫之助のその風貌からは想像できないほどの素敵な楽曲で、今改めてこの作者のセンスの高さと、そしてその力量の凄さを感じさせます。
昭和34・35年ごろにラジオで聴いていた「僕はないちっち」「黄色いさくらんぼ」「有難や節」などのヒット曲とはまるで違った作風で、この曲を聴いていると、昭和42年ごろのヒット曲「花とおじさん」のような優しい歌を想い出させます。
1972年と云えば札幌で開催された冬季オリンピックの女子フィギアスケートで、尻もちをついても微笑んで銅メダルに輝いた、赤いコスチュームの愛らしいジャネット・リン選手のことを想い出します。
私はテレビで観たその彼女の大ファンになり、彼女の特集本や写真集をたくさん集めました。そしてその年に買ったばかりの大切なその白いギターのボディに大きく「Janet・Lynn」と、大きな文字を黒のマジックで書いていた18才のころの自分を懐かしく想い出します。

3・淋しい時 むなしい時 私はいつもこの町にくるの

どこかちがうのこの町だけは なぜか私にやさしくするの

恋人なのね 故郷なのね ありがとう私の 恋の町札幌

上記の詩を観ていて、先日10月24日に88才で亡くなられた大女優の八千草薫さんが何故だか浮かんできました。幼いころから映像で観てきたどこまでも美しく、それでいて凛とした彼女の面影を、私はこの歌の主人公にふと一瞬重ねたのかも知れません。

「恋の町札幌」女性の淋しい恋の物語を歌ったヒット曲はこれまでにも数えきれないほどありますが、私は裕ちゃんが女性の黄昏を実に愛深く、そして心込めるように歌ったこの歌が最も好きな歌で、本当に素晴らしい作品だと思います。

投稿: 芳勝 | 2019年11月 4日 (月) 12時25分

札幌の語源はアイヌ語だと言う。歌になる響きですね。町割りは京都を真似たのだそうです。だから何とも言えない風格がありますね。在職中仕事で数回訪れた事があります。時計台は写真などで見るよりずっと小さく見えました。そのたもとに妙齢の女性が佇んでいたら男なら誰だって声をかけるでしょう。私の場合は集団のおばさんばかりでした。「恋人なのね 古里なのね ありがとう私の 恋の町札幌」いい歌なので歌で我慢しました。
ある時は工場長、部長(北大)と三人で出張でした。工場長は支店長に挨拶。部長は羊ヶ丘のジンギスカンで工場長の慰労。私は仕事でした。毎日の気苦労を癒してやるための部長の計らいだったと思います。

投稿: 海道 | 2021年6月 6日 (日) 11時30分

ルール違反と知りつつ3個目のコメントをお許し下さい。この歌は札幌を見事に歌い上げた名曲ですが「ハマクラ」のもう一曲は「粋な別れ」だと思います。裕次郎の低温を上手く引き出したこれも名曲ですね。何故これらの名手が早く亡くなるのでしょう。

投稿: 海道 | 2023年3月24日 (金) 08時53分

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