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2007年9月 3日 (月)

十九の春

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


沖縄俗謡、補作詞:本竹裕助

(女) 私があなたにほれたのは
    ちょうど十九の春でした
    いまさら離縁と云うならば
    もとの十九にしておくれ

(男) もとの十九にするならば
    庭の枯木を見てごらん
    枯木に花が咲いたなら
    十九にするのもやすけれど

(女) みすて心があるならば
    早くお知らせ下さいね
    年も若くあるうちに
    思い残すな明日の花

(男) 一銭二銭の葉書さえ
    千里万里と旅をする
    同じ那覇市に住みながら
    逢えぬ我が身のせつなさよ

(女) (ぬし)さん主さんと呼んだとて
    主さんにゃ立派な方がある
    いくら主さんと呼んだとて
    一生添えない片想い

(男女) 奥山住まいのウグイスは
    梅の小枝で昼寝して
    春が来るような夢をみて
    ホケキョホケキョと鳴いていた

《蛇足》 沖縄の古い俗謡です。

 歌詞が七五調のヤマトグチ(本土の言葉)で、ウチナーグチ(沖縄方言)ではないこと、メロディが沖縄音階とは違うことから、本土のはやり歌が持ち込まれたものと言われています。

 沖縄音階は、レとラのないのが特徴です。上のmp3では、最初の間奏と後奏が沖縄音階ですが、これは、田端義夫が昭和50年(1975)に歌った際に入れられたもののようです。

 沖縄に持ち込まれた年代はわかりませんが、メロディの感じから、本土で添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)などの壮士演歌がはやっていた大正年間だと推測されています。
 大正時代、那覇の遊郭にヴァイオリンを弾きながら本土のはやり歌を歌うのが得意な遊女がいたそうです。本土から来た何者かが彼女に元歌を教え、そこから沖縄各地に広まったのでしょう。

 『与論小唄』『吉原小唄』 『ジュリグヮー小唄』など、沖縄の地域ごとに数多くのヴァリアントがあります。
 この件についての詳しい論考は、『琉歌
(りゅうか)幻視行:島うたの世界』(竹中労著・田畑書店)にあります。

 田端義夫が歌った歌詞では、4番の那覇市がコザ市となっています。
 IIMANさんが『与論小唄』の歌詞を調べてくださったので、掲載しておきます。

       与論小唄(作詞:秋山紅葉)

1 枯葉みたいな我がさだめ 何の楽しみ無いものを
  好きなあなたがあればこそ いやなこの世も好きとなる

2 あなたあなたと焦がれても あなたにや立派な人がいる
  今更私が焦がれても 磯の浜辺で泣くばかり

3 一年待て待て 二年待て 三年待つのはよいけれど
  庭の草木を見てごらん 時節変われば色変わる

4 磯の浜辺の波静か 二人手に手を取りかわす
  死んだらあなたの妻ですと 女心の悲しさよ

(写真は勲四等瑞宝章受章時のもの)。

(二木紘三)

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コメント

 65歳です。現役の頃、音痴の上にカラオケ嫌いの小生の十八番はこの「十九の春」のみでした。歌は好きですので、外野で口ずさみはしました。
 翻って、今はカラオケ(ナツメロ)好きに。同郷のフランク永井カバー曲CD[上海ブルース」「夜霧のブルース」(記念館訪問時購入)24曲のお気に入り、①長崎物語、②熱き泪を、③裏町人生が入っていないのは残念!④の高原列車は行く、⑤かえり船、⑥妻恋道中、はありました。

投稿: 千坂孝夫 | 2009年12月13日 (日) 00時38分

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