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2007年9月19日 (水)

小さいグミの木

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


ウクライナ民謡、日本語詞:楽団カチューシャ

1 なぜか揺れる 細きグミよ
  かしらうなだれ 思いこめて
  かしらうなだれ 思いこめて

2 広き川の 岸をへだて
  高き樫(かし)の木 ひとり立てり
  高き樫の木 ひとり立てり

3 グミの想い 樫に伝えん
  わが身ふるわせ 語るときに
  わが身ふるわせ 語るときに

4 細き枝を 君によせて
  日ごとささやく 若葉のこえ
  日ごとささやく 若葉のこえ

5 グミの心 とどかざれど
  永遠(とわ)の願いは やがて結ばん
  永遠の願いは やがて結ばん

  Тонкая рябина

1. Что стоишь, качаясь,
    Тонкая рябина,
    Головой склоняясь
     До самого тына.

2. А через дорогу,
    За рекой широкой
    Так же одиноко
    Дуб стоит высокий.

3. Как бы мне, рябине,
    К дубу перебраться.
   Я б тогда не стала
   Гнуться и качаться.

4. Тонкими ветвями
    Я б к нему прижалась
    И с его листами
    День и ночь шепталась.

5. Но нельзя рябине
    К дубу перебраться,
    Знать, ей, сиротине,
    Век одной качаться

《蛇足》 一時期ロシア民謡とされていましたが、正確にはウクライナ民謡。

 女の人はあなたの心がついに届かなかった人のことを、男の人はわかっていながらその気持ちに応えられなかった人のことを、それぞれ思いながら歌ってください。そういう人がいればですが。

 原題は『Тонкая рябина(トーンカィヤ リャビーナ)』で、リャビーナはナナカマドのこと。
 ナナカマド
(女性名詞)は女性、樫(男性名詞)は男性の象徴として歌われています。 グミ(女性名詞)もロシア民謡(歌謡)では女性の象徴としてよく使われるので、音数を合わせる必要もあって、日本語詞ではグミとしたのでしょう。

 テオ・アンゲロプロス監督2004年の大作『エレニの旅』のなかで、このメロディが2度流れます。メロディは上記のものとは少し違っています。

 ウクライナのオデッサに住んでいたギリシア系ロシア人たちが革命の争乱を逃れて、ギリシア・テッサロニカの郊外に村を作ります。
 村のリーダーに育てられた1人の少女が、相次ぐ政変や戦争のなかで苦難の生活を送るという「女の一生」の物語です。

 エスペラント訳が見つかったので掲載します。


MALDIKA SORPO
trad. Ivan Lubianovskij

1. Kial, sorp' amara,
   Tremas vi ĉe vojo,
    (*)Kial klinas, kara,
       Branĉojn en malĝojo?

2. Kaj ĉe kamp' tritika
   Ĉe river' najbara
   (*)Staras kverk' fortika,
      Ankaŭ la senpara.

3. Ho, se mi sukcesus
   Al la kverk' transiri,
   (*)Mi por ĉiam ĉesus
      Tremi kaj sopiri.

4. Mi per branĉoj miaj
   Brakus lin impete,
   (*)Kun folioj liaj
      Flustrus mi diskrete.

5. Sed ne povas sorpo
   Kun la kverko esti,
   (*)Do eterne orfo
      Devas sola resti.

 (*)繰り返す。

(二木紘三)

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コメント

二木先生;

 いつもありがとうございます。猛暑続きのこの頃ですが、日々このサイトで好きな曲を選んでは歌い、先生の解説や皆さんのコメントを読んで、癒されたり励まされたりしています。

 二十歳前後の頃、仲の良かった友人たちとよく通った歌声喫茶でたくさんの歌をおぼえました。この「ちいさいグミの木」もそのうちの一つです。当時は特にどうということもなく歌っていたのですが、半世紀近く経った今、先生の解説を読みながら一人口ずさんでいると、胸に迫るものがあります。たとえ問われたとて人に語るほどのこともないわが人生でも“わかっていながらその気持ちに応えられなかった人”はいます。正確には“応えようとしたけれども応えることが叶わなかった”と言うべきか…。往時茫々、今残るのは良き思い出だけです。
 それにしても、短詩形の歌にはどうしてこうも人の心に沁みる美しい曲が多いのでしょうか。「ふるさとの」、「平城山」そしてこの歌…。
 

投稿: 中嶋 毅 | 2010年8月21日 (土) 10時49分

猛残暑お見舞い申し上げます。盆も過ぎても、本土は沖縄より連日高温ですね。
この曲はロシア(ウクライナ)民謡らしい哀歓が感じられます。樫が男性名詞で、グミが女性名詞とは勉強になりました。
さて先日当地であったコンサートで、某バリトン歌手が歌った「さびしいカシの木」作詩・やなせたかし、作曲木下牧子の3番の歌詞をご紹介します。
  山の上の1本の 寂しい寂しいカシの木は
  今ではとっても年をとり 微笑みながら立っ
  ている
  寂しいことに 慣れてしまった
  寂しいことに 慣れてしまった
この歌をご存知の方も多いと思いますが、「小さいグミの木」と似たような面もあり、後期高齢者の私にとっては、身につまされる思いがいたしました。

投稿: 三瓶 | 2010年8月24日 (火) 16時01分

 お元気そうで良かったです。それがとても気がかりでした。あれから、 まるでドラマのような大変な人生の中、あっという間に経ってしまった30年。
 心は、あの頃のままなのに、思い出に変わってしまった、懐かしさに涙がこぼれます。
時間の余裕が得られ「グミの木」育てようと調べていて、このサイトにつきました。
あの頃は、曲があるのは知りませんでしたが、何かしらの本に載っていた「詩」として大切に書き写した記憶があります。
 もう一度、逢いたかった。 ほんとうは…。
 人間の造った虚像ない空の下に居れたら…。
携帯電話やパソコンの時代。
すぐ、そこに居るようなのに、何処にいるのか、わからない。
  もう、すでに数年が過ぎてしまい、以降どんな様子なのかも知れない。
 いつか必ず、きっと逢える、そう思ってきたのに…。      
      
     
 投稿:junko/2017年2月19日 日 11時45分

投稿: junko | 2017年2月19日 (日) 12時46分

junko 様 美しい恋心を拝読し胸が痛みました。切ない歌ですね。私が愛したかたもjunkoというお名前でした。40年近くたっても、電車の隣の車両に彼女が乗っているような気が突然して、見に行ってしまう事があります。そんなことあるはずないのに。再会をお祈り申し上げます。

投稿: kazu | 2017年2月20日 (月) 06時34分

kazu様。
 ありがとうがざいます。遅くなりましたが、実は次の日から送信出来ない状態になり、いつ回復するかはわからない状況にあります。このコメントもひとにお願いして出して頂きました。 
             
 グミの実がたわわになっているようすが浮かびます。まだ、ずっと先のことですが…。土地に合わなかったり、虫がついたり、実がつかなかったりもするそうです。上手く育ちますように…。   
 ありがとうございました。

投稿: junko | 2017年2月23日 (木) 17時43分

  こんなに暖かい陽に包まれているのに、何もかもが滲んでみえます。それでもこの枝の濃い芽吹きと少しづつふくらむ実を見ずにはいられないのです。深い緑の山やまと
その頂きに、ところどころの残雪と雲を纏い、頭上には青さと雲が混ざり合う初夏の空。鳥たちは囀りを始めると、それぞれの混ざった声は昔を思い起こさせます。楽しく、尊い響きです。・・ほんの一時のなつかしさの出来事でした。
                          
  " I'II be seeing you ”            Joni James
 YOuTub 

投稿: junko | 2017年5月18日 (木) 16時46分

遠い懐かしい思い出が美しいメロディとともに蘇ってくるようです。
しかし過ぎ去った日々はもう二度と帰ってこない。
もう一度会いたい、という哀しみがありますね。

投稿: yoko | 2017年5月19日 (金) 14時18分

二木 先生

久し振りにP/Cを開き、胸に迫り来る懐かしいメロデイーに耳を傾けながら感傷に浸っています。
青春時代 名古屋御園座の近くにあった歌声喫茶「コーラス」に、グリーンエコー(合唱団)の仲間数人と練習の帰りに寄り道しては「心さわぐ青春の歌」「ちいさなグミの木」「アムール河の波」「エルベ河」等を思い切り歌ったことが懐かしく思い出されます。
当時、失恋の痛手に落ち込みそうになった私のことを、数人の親しい仲間達が誘っては励ましてくれたことも、今となっては忘れられない青春時代の貴重な財産です。これらの歌に寄せられる皆様のコメントや二木先生の「蛇足」も、今の私にとっては癒しの治療薬です。
ありがとうございます。

投稿: あこがれ | 2017年5月19日 (金) 21時59分

あんなに大勢の人の中から見つけて下さって、うれしかった。  それなのに・・・            あんなに逢いたかったのに。  それなのに・・・   30年という時を超えても、その流れを感じさせることもなく、昔と変わらず堂々としていらっしゃる姿に感動しました。夢をみているのか、現実なのか。あまりの突然の出来事に戸惑いました。 でも今となっては後悔しています。自分でも何故だかわからない行動に・・・   半年という月日が流れ、今頃になってこの文を書いている私もふしぎな人ですね。   もし再び出逢えるならば、声が聴きたいです。おおよそ1300万程の人のなかから、まためぐり逢えた奇跡は大切にしたいと思います。

投稿: junko | 2017年11月21日 (火) 23時55分

 お元気ですか。                  
今年もまた緑濃い新芽と小さく白い可憐な花が生き生きと生まれています。ほんとうにかわいいです。昨年は、200
以上の実をつけました。こんな小さな木に・・・と逞しさを感じさせられます。さて、急ですが、今度の土日、14日15日ですが、国連大学前中庭にてCaffee fes があります。11:00~17:00 私は14日に行きます。お会い出来たらうれしいです。天候がいまひとつかも知れません。無理なさらないでください。              

投稿: junko | 2018年4月11日 (水) 23時11分

トレモロの調べが美しいですね。うっとりとして聴いてしまいます。

もうかれこれ15年以上も昔のことになります。ある大学の文化祭にフラフラとまぎれこんで楽しませていただきました。私はギターはできませんが、ギター部の演奏を聴きに行きました。私の隣で二人の女学生が聴いていらして「先生ですか?」と声をかけられました。私は「いえ、違います」と答えたのですが・・・。

もう一度学生に戻れるとしたら、ギター部に入るのもいいなぁ、女学生の奏でるトレモロ、まじかに聴いてみたいですし、また一緒に演奏してみたいですね。お知り合いになれる夢のような機会もあったかも・・・。

投稿: yoko | 2018年4月13日 (金) 00時38分

こんばんは。

就職したての頃。
右も左もわからない私を、隣の部署の先輩が優しくしてくださいました。

その先輩に誘われ、先輩率いる(?)、ミニコーラス部に入部。
その時最初に覚えた曲がこの曲「小さいぐみの木」です。
何となく物悲しい曲ですが、二木先生の解説に納得^^

二木先生のお陰で、「青春時代」を思い出しております。
ありがとうございます。

投稿: 香音 | 2018年5月11日 (金) 21時39分

8月はビリー·ヴォ―ン楽団の
「真珠貝の歌」を聴いたり歌ったりしていました。そんな時に
思い出しました。夏の朝早く 成田まで送ってもらったことを。 二人共若かったね。
私が超ミニスカ―ト丈だったことを覚えています。
お元気ですか。 お変わりありませんか。 心配です。 傍には辿りつけなかったけれど、変わらない思いは置いてきぼりにされたようにそのまま・・ でも そうやって過ごす日々は嬉しかった
ずっと思い出をたどっていられるから。50年思い続けられたら
本望。あと数年でその時はやってくる。またいつの世か出逢いたい。 そう願っています。
そして一人ぽっちにしないでね
さよならは云ってないし、これからも言わない。
いつもありがとうございます

短い命の花が咲き初めました。
精いっぱいの香りで心を奪います。 勿論この花もかわいらしく咲いていましたよ。

投稿: junko | 2022年10月 1日 (土) 01時01分

「頭うなだれ思いははるか」の部分の歌詞、旋律とも心ひかれ、いつ出会ったのか思い出せませんが、この歌が好きです。
 二木先生は、長音をバラライカかマンドリンのトレモロで表現されていますが、ウクライナの民謡ですからバンドゥーラで1音ずつ演奏するというのはどうでしょう。歌なら、声と重ねず、歌のあいだにバンドゥーラの澄んだ音が静かに鳴るというのも良いか、などと思います。

 二木先生に挑発されて。 
私が就職してしばらく経ったころ、地域のサークルで一緒だった女性が、200㎞も離れた京都から突然訪ねてきてくれたことがありました。仕事から帰り下宿の部屋へ入ると、掃除をしてくれて、部屋の真ん中に座っている彼女。夕食を食べに街へ出て、握手だけして別れました。背の高い、すてきな人でしたが、彼女も私のことを思ってくれていたのでしょうか。junkoさんのような深い思いまでは決して望みませんが。

投稿: Kirigirisu | 2022年10月 3日 (月) 22時34分

握手ではありませんが手をつないで歩いたことはあります。7月7日 そろそろ季節も終ろうとする クチナシの花は夕やみの中でポツリ、ポツリと咲いていました。 7月7日という日は良い天候ではないことの方が多いこともこんな自分に重ねて いつも納得していました。「電車の音のする方に行けばいいんだよ」今ではもうそこがどの辺りだったのか細かいことはわからなくなりました。嬉しいことがいっぱいの頃のことです。
kirigirisuさんへ junkoさんと呼ばれたのは久しくなかったので何だか若返ったようで嬉しいです。ありがとうございます。

投稿: junko | 2022年11月 2日 (水) 00時02分

「小さいグミの木」五年前、ここで私はこの唄を初めて知りましたが、そのあまりにも淋しさ極まるこのメロディを聴いた瞬間、何故か私の脳裏には19歳のときのある日の光景が一気に蘇り、思わず目頭が熱くなったことがあります!

三聯の詩の中の

『・・・わが身ふるわせ 語るときに・・・』

この一行のフレーズを眼にした時、人は万感胸に迫るとき、言葉を失ってしまう・・・そんな若かりしころの私の体験をふと想い出したのです。
19歳の時、私は将来の夢や希望を語り合うほど相性の良かったガールフレンドと、突然のやむおえない事情ができてしまい、辛い別れをしたことがあります。彼女が九州の実家へ帰る日の朝、見送りの駅のホームのベンチで、私は彼女を励ます言葉が見つからぬまま、ただ時間だけが過ぎて行き、ただお互いを見つめ合い、ただ手を握りしめ合うだけの、言葉のないそんな切ない別れでした。

「小さいグミの木」もうあれから50年の月日が経とうとしていますが、長年が経った今、ここで静かにこのメロディを聴いているとき、私の脳裏を過るのは、楽しかった彼女との想い出とともに、別れる日の、列車が発車する直前の、彼女が瞳に浮かべていたその綺麗な涙です。

投稿: 芳勝 | 2022年12月27日 (火) 17時46分

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