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2007年9月13日 (木)

ふるさとのはなしをしよう

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:伊野上のぼる、作曲:キダ・タロー、唄:北原謙二

1 砂山に さわぐ潮風
  かつお舟 はいる浜辺の
  夕焼けが 海をいろどる
  きみの知らない ぼくのふるさと
  ふるさとの はなしをしよう

2 鳴る花火 ならぶ夜店に
  縁日の まちのともしび
  下町の 夜が匂うよ
  きみが生まれた きみのふるさと
  ふるさとの はなしをしよう

3 今頃は 丘の畑に
  桃の実が 赤くなるころ
  遠い日の 夢の数々
  ぼくは知りたい きみのふるさと
  ふるさとの はなしをしよう

《蛇足》 昭和40年(1965)のヒット曲。平成16年(2004)に山本譲二がカバーしています。

 北原謙二(本名:謙太郎)は、昭和14年(1939)大阪生まれ。ジャズ喫茶で歌っているところをスカウトされ、昭和36年(1961)にレコード・デビューしました。
 平成3年
(1991)3月、脳内出血で倒れましたが、左半身マヒと闘いながらリハビリを重ね、3年後に復帰しました。

 平成17年(2005)1月26日、虚血性心疾患により死去。享年65歳。代表曲は、この歌と昭和37年(1962)にヒットした『若いふたり』。

 キダ・タローは、独特の語り口と親しみやすい人柄で「浪花のモーツァルト」として関西圏にファンの多い作曲家です。数多くの放送番組テーマ曲やCM曲、企業社歌を手がけています。
 歌謡曲も作っていますが、本人によると「『ふるさとのはなしをしよう』が唯一の大ヒット」だそうです。

YouTube=https://youtu.be/Xl46Pntr0Sc

(二木紘三)

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コメント

秋の夜半、虫の音を聞きながらこの曲を聴いています。
幼い日の、夢の数々が浮かび消えてゆく、、。
二度と帰らない、遠い遠いその日の思い出が、、、静かに。

投稿: 篠崎信夫 | 2007年9月13日 (木) 03時44分

一人で散歩するとき、自然と口ずさんでいます。
心が洗われるような曲です・・・

投稿: 五十嵐岳男 | 2007年9月13日 (木) 11時04分

キダタロ-さんの作曲とは知りませんでした。
後年北原さんの頑張っていらっしゃる映像と共により鮮明に思い出せる曲となりました。
人の生き様とは良い時ばかりが感銘を与える物ではないと言う事だと思いました。

投稿: sunday | 2008年4月23日 (水) 06時04分

結婚もせず、五十四にもなりました。そんな私が一度だけ恋をした人に、久しぶりに町で会いました。可愛いお孫さんを乳母車に乗せて、とても幸せそうでした。この歌のような素敵な時間が、私にもあったことを思い出しました。

投稿: 中村恵寿 | 2008年6月21日 (土) 00時25分

北原謙二さんが1963 年に唄った [星を搜そう]の歌詩あれば教えてください

投稿: Dean T.su | 2009年8月29日 (土) 04時31分

 「ふるさとの歌」の持つ不思議な力に加えて、今時の歌が失ってしまったスローテンポの心地よいメロディ。二木先生の素晴らしい演奏。秋の夜長にじっくり聴いていて深く癒されます。あくまで私事(わたくしごと)ながら、「マイベストソング」の一曲として赤丸急上昇中です(笑)。

投稿: Lemuria | 2009年9月 6日 (日) 00時11分

この曲を聴く時、うたう時、懐かしく青春時代を思い出し、涙がこみ上げてくる。
 突然、故郷から懐かしい初恋の人から、嬉しい絵ハガキが届いた。この曲を聴きながら、喜び勇んで返事を書いた。元気でいる事に感謝。感動で何も考えたくない。昔の事、今の事などを、思い出として語り合えたらどんなに楽しいだろう。残りの時間を大切にしたい。

投稿: ナツメロ太郎 | 2010年10月26日 (火) 23時43分

昔、鹿児島の天文館に「Haven」というスナックがあった。そこのママのみーちゃんの持ち歌が「ふるさとの話をしよう」だった。種子島の出身とか聞いていたけど、彼女と太めの可愛い女の子は今ごろどうしているのかと気がかりです。個人的なことばかりで失礼しました。二木さんにアップしていただきありがとうございます。

投稿: 江尻 | 2011年12月21日 (水) 21時43分

先頃亡くなられた、落語の談志師匠がこの「ふるさとのはなしをしよう」をオハコ愛唱歌としていたそうです。唄っていた、北原謙次さんを「謙ボー、謙ボー」と親しく呼んでたとのこと。作曲家のキダタローさんに、「あなたは、この歌をつくっただけでも、生まれて来た価値があったんだょ」と告げたとか。芸は最高に上手かったとはいえ、あの歯に衣着せぬ毒舌に、わたしは幾分引き気味でした。 この「ふるさとの、、」は、私の大愛唱歌でもありますので、これから唄うたびに師匠を身近に感じる事になるかも……。良い曲、良い詞ですものね。
   

投稿: かせい | 2011年12月29日 (木) 00時47分

半世紀ほど前の懐かしい想い出。古びた学生寮に文通をしていたペンフレンドが訪ねてきてくれた。アジサイの花が、咲いていたのを今でも覚えている。故郷を離れ就職で大阪に来ていた彼女。その時、偶然、流れていた曲が「悲しみは星影と共に」あの人は、今でも、遠い日の事を覚えてくれているだろうか? 昭和の庶民史を語る会12・09・20

学生寮で、彼女と抱き合いながら聞いた曲。映画の内容は忘れたが、流れていた「悲しみは星影と共に」だけは、今でもわすれていない。嬉しいにつけ、悲しいにつけ想いだすのは「ふるさとのはなしをしよう」とこの曲。苦労の多い人生を何とか、生きてこられたのも、青春時代の想い出のお陰かも、有難う! 昭和の庶民史を語る会12・09・20


投稿:  昭和の庶民史を語る会 | 2012年9月20日 (木) 13時05分

懐かしいメロデイにたどりつきました。
3年程前から詩吟の稽古に参加しています。
何回か舞台にたちますが、いまだに震えがとまりません。古稀を過ぎていまさらと思いながら6月にカラオケ発表会があるので、この曲をうたいます。初恋の頃を思い出いながら。

投稿: 河嶋 忠雄 | 2014年5月19日 (月) 20時17分

北原健二の歌声には故郷の香りを感じます。大好きな歌手であり、大好きな歌です。

投稿: yoko | 2014年8月 6日 (水) 10時07分

 以前ラジオで聞いたこの歌を聞いたとき「どのくらいの人がわかるだろうか」と思いましたが、案外多いんですね。
 私の就職は昭和42年ですから、まだ家にいた頃の歌なのですね。

投稿: 今でも青春 | 2014年9月 4日 (木) 18時46分

ふるさとへの思いは尽きません。
家の裏は砂浜で、すぐ海でしたから、朝に夕に潮風にあたり、波の音を聞いていました。秋には、夜の静けさの中、イカ釣り船の漁火が海一面にきらきらと輝いて、童話の世界のようでした。お祭りの日、先生からは、「50円以上お小遣いを使ってはいけません。」、という注意がありました。そんなルールは守らない生徒もいましたが、当時のことですから、お小遣いをもらえない貧しい家の級友もいました。歌謡曲(はやり歌)を歌ってはいけません、とか、お小遣いの制限、とか、当時の小学校は、”質実剛健”の精神を子供たちに伝えようとしていたのでしょうね。私は10円玉五つを握りしめて家を飛び出し、祭りのお店を巡りました。金魚すくいも、綿あめも10円だったのでしょうね。50円で十分でした。丘の畑には桃の木が一本ありました。母が私の背よりも低い、おそらく植えて間もない木を指差して、「これは桃の木だよ」と教えてくれました。残念なことにその後、赤い実を付けたとか、それを食べたとかいう記憶はありません。家の庭や丘の畑には実のなる木がありました。あんず、ビワ、すもも、いちぢく、柿、栗、がありました。スイカや瓜、イチゴの栽培もしました。祖母はスイカの種を新聞紙にくるんで胸に抱いて眠りました。翌朝、種から小さな白い芽がが覗いていました。その種を畑に埋めるのを私も手伝いました。

私の妻は都会育ちで田舎が嫌いです。かといって、自分が生まれ育った地域や学校への思い入れもありません。ですから、私はこの歌のように彼女とお互いの故郷について語り合うようなことはありませんでした。なんだか、満たされないですね。東京に出ている故郷の同級生に電話してみようかなぁ、なんて思います。彼女となら故郷の話がはずむかもなぁ、なんて思います。

投稿: yoko | 2014年9月12日 (金) 20時08分

仕事が縁で出版社の編集部員と知り合いになりました。
もう30年以上前のことです。彼は土佐高知の出身で奥さんが東京の下町だとかで、この「ふるさとのはなしをしょう」が彼ら夫婦にとって愛着の湧く歌だと言ってました。
カラオケに行ったら必ず熱唱するそうです。カツオ船、干し網、汐風、夕焼けに染まる海、涙ハラハラになるそうです。
 3番の「丘の畑に桃の実が赤くなるころ」、高知だったらこの桃の実は「ヤマモモ」のことかもしれないなぁ‥‥、と思ったりします。 縁日の様子も夜店の形態も変わりつつありますね。
今の子供たちにも日本の「原風景」らしきものを残せたらいいなぁと思っているのです‥‥。そしてこの歌もいつまでも‥。

投稿: かせい | 2014年9月12日 (金) 22時05分

北原謙二は鼻にかかったような声が独特でしたが、「ふるさと」は人それぞれです。北関東の某県在住ン十年ですが、春夏の高校野球は在住県(地区)代表より出身県代表の試合に力が入る今日この頃です。
北原謙二と言えば御当地ソング『あこがれのエコーライン』があります(西平守功・西條八十補作詞、米山正夫作曲:〽空があるあるあるすぐそこに 雲が飛ぶ飛ぶ飛ぶすぐそこに(大幅に中略)あゝ蔵王エコーラインよ)。出身県宮城と山形を結ぶ蔵王連峰観光山岳道路のCMソングです。
www.youtube.com/watch?v=kkc1h7REulQ

投稿: 焼酎百代 | 2016年3月 5日 (土) 19時07分

平成16年に、「山本譲二」がカバーしてシングルリリースをしていますが、あまり「ヒット」というか、評判にはならなかったようですね。声質が合ってないというのか、イメージが違っているような気がするのです。
 私としては「新沼謙治」に是非カバーリリースをしてもらいたいと願っているのですが…。 変な『小節』を入れて欲しくないのです。実現しないかなぁ…。パブリシティ次第かなー?

投稿: かせい | 2016年3月 6日 (日) 00時58分

 『ふるさとのはなしをしよう』は私の愛唱歌のひとつです。
数少ない5・7調の歌でもあります。 なのに、確保をし忘れていました。ご報告をいただいたhurry様に感謝です。 これで5・7調の歌、8曲見つけました。 面白いことに、8曲のうち3曲、タイトルに「ふるさとの・・」と入っています。

 『ふるさとのはなしをしよう』は、大阪のラジオ局の音楽番組「ABCホームソング」の中で生まれました。 近畿出身の人たちにはより馴染み深い歌かもしれません。 伊野上のぼるの素朴で簡明な詞、キダ・タローの抑揚感にあふれた旋律に私は魅了されました。
 そして、その詞・曲に北原謙二の歌唱が見事にマッチしました。
 北原謙二の歌唱の特徴は、やや鼻にかかったハイトーンの声と、ノンビブラートの唱法です。 誇示するかのようにビブラートを多用するプロ歌手のなかで、北原謙二のノンビブラートはとても新鮮に私には聞こえたのです。 「飾り気のない純朴な田舎のお兄さんの歌声」という感じでした。  ほかにノンビブラートで唄う歌手は西田佐知子でしょうか。 彼女の場合は、それがアンニュイ感みたいなものを産み出しているように感じるのです。
 農村・町なか・漁村、生まれ育った地は違っても、『ふるさと』は誰にとっても、夫々の心の中に在り続ける原点なのでしょうか…。

投稿: かせい | 2018年10月14日 (日) 11時26分

ABCホームソングは、昭和39年8月放送で「ふるさとの話をしよう」
レコードは40年1月で「ふるさとのはなしをしよう」前奏が全然違います。
ユニオンレコードのを買ったら、編曲でしゃくった変な歌い方でした。

♪きみの知らない ぼくのふるさと 
♪きみが生まれた きみのふるさと
♪ぼくは知りたい きみのふるさと

倒れられた時、ラジオの「北原謙二の熱血トーク」で、
「この番組は録音で放送しています」が何回も入ったこと。
復帰されると家族の写真入りで新聞に載っていたこと等を思い出しながら、
買っていた北原治子さんの本を本棚から引っ張り出して読んでいました。

投稿: なち | 2019年8月 7日 (水) 21時57分

この歌を聞くたび「私のふるさと」って、一体どこなんだろう?と、しみじみ思います。

幼くして家や町をこなごなに破壊され、生活の為とはいえ 兄や姉達とは引き離され、母と二人の妹達四人で流転の人生を歩んできた私にとってのふるさとは、頼りにしたい兄姉達とは遠く離れた寄る辺ない小さな田舎だったのかも知れない。

思い出すのは、標高300mにも満たないであろう蓮華山であり鞍掛山の麓に流れる水無川や国鉄岩徳線の小さな駅舎、一面に広がる田んぼや林の風景です。
“ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの・・・”

北原謙二でこの曲を聞いていると、どうにも涙がとまらない・・・。

投稿: あこがれ | 2019年8月 8日 (木) 18時04分

詞も曲も北原謙二も、演奏もすべて素晴らしいです。
前奏が始まるやいなや故郷を懐かしく思い出します。

私は昭和24年生まれなので戦争を知りません。故郷の野山、街並みにも戦争の痕跡をみることなく育ちました。母は同じ村の小学校の級友40人のうち男の子が20人でその内の半数が戦地から帰らなかったと話していました。

時々早く田舎に帰らなければ・・・。懐かしい人たちに会えなくなってしまう、とあせります。

投稿: yoko | 2019年8月 8日 (木) 23時33分

「ふるさとのはなしをしよう」このメロディが流れてくると、不思議なことに私には一瞬で幼いころに過ごした故郷の景色が蘇ってきます!

この歌が流行っていたころまでは、地方のあちこちに今では見れなくなった自然のままの日本の景色が数多く残っていたような気がします。

そして今でも時々アルバムで聴く、北原謙二の独特な歌声はまた格別なものを感じます。

私が北原謙二のヒット曲を初めて知ったのはラジオで聴いた「若い二人」でした。その後ヒットした若い明日・若い君若い僕(谷由美子)・若い太陽・と、遠藤実が作曲したこのシリーズはすべて今でも憶えていますが、私の一番好きな歌というと「忘れないさ」という曲になります。この歌はスナックのカラオケでも何度となく歌ってきました。
どれも幼いころから聴いてきた好きな曲の数々ですが、今でも何気なく口ずさんでいる好きな歌に、「石狩列車」「わかれみち」という曲もあります。

2;鳴る花火ならぶ夜店に 縁日のまちのともしび

  下町の夜が匂うよ きみが生まれたきみのふるさと

  ふるさとのはなしをしよう ♪♪♪

故郷に住んでいた幼いころ、毎年秋になると隣町のくんち祭りに出かけるのが楽しみの一つでした。当時は夜店で何かを買うことは叶いませんでしたが、それでもチラチラする灯りの中、わた菓子・焼きとうきび・焼きイカ・たこ焼きなどの匂いのする中をゆっくりと歩きながら眺めていたヨーヨー風船釣り・金魚すくい・輪投げなど、祭り独特のその雰囲気が楽しくてしかたありませんでした。

「ふるさとのはなしをしよう」今でも故郷を偲びたい時にはYouTube動画等で時々この歌を聴くことがあります。思い起こせば、橋・舟木・西郷・当時の歌手御三家のような華やかさこそありませんでしたが、幼いころから私は北原謙二の歌声が大好きでした。


投稿: 芳勝 | 2019年8月10日 (土) 15時23分

成人式を二年前に済ませた当時幼稚園児の孫と縁側で合唱
した秋の夕暮れを思い出しています。
真赤な夕焼雲と共になんか甘酸っぱいようなおもいでの曲です。

投稿: 松田清 | 2020年10月19日 (月) 18時50分

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