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2007年10月 9日 (火)

お月さん今晩は

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:松村又一、作曲:遠藤 実、唄:藤島桓夫

1 こんな淋しい 田舎の村で
  若い心を 燃やしてきたに
  可愛いあの娘(こ)
  俺(おら)を見捨てて
  都へ行っちゃった
  リンゴ畑のお月さん 今晩は
  噂をきいたら 教えておくれよなァ

2 憎い女と 恨んでみたが
  忘れられない 心のよわさ
  いとしのあの娘は
  どこにいるやら
  逢いたくなっちゃった
  リンゴ畑のお月さん 今晩は
  噂を聞いたら 教えておくれよなァ

3 祭りばやしを 二人できいて
  語りあかした あの夜が恋し
  あの娘(こ)想えば
  俺(おら)も何んだか
  泣きたくなっちゃった
  リンゴ畑のお月さん 今晩は
  噂をきいたら 教えておくれよなァ

《蛇足》 昭和32年(1957)のヒット曲。藤島桓夫(たけお)は大阪出身で、あまくソフトな歌声が特徴でした。

 昭和30年前後の歌謡曲の特徴は、マドロスもの(または港もの)とふるさと演歌が多かったことです。藤島桓夫も、『初めて来た港』『「かえりの港』『さよなら港』など、マドロスもので次々とヒットを飛ばしていました。
 その藤島が初めて歌ったふるさと演歌がこの『お月さん今晩は』で、大ヒットとなりました。

 ふるさと演歌には、東京からふるさとを懐かしむものと、東京へ行ってしまった恋人や家族をふるさとで偲ぶものの2タイプがあります。『お月さん今晩は』は、三橋美智也の『リンゴ村から』などと並んで、後者のタイプの代表曲です。

 昭和31年(1956)の経済白書は、「もはや戦後ではない」と、敗戦からの復興を高らかに宣言しました。実際、昭和30年代初めに高度経済成長が始まっています。
 好景気を反映して、東京は次々と地方から労働力を吸収し、巨大化・過密化を続けました。昭和32年8月1日、東京の人口は約852万人に達し、ついにロンドンを抜いて、世界一の大都市となりました。
 ふるさと演歌流行の背景には、こうした社会情勢がありました。

 なお、2004年の都市別人口ランキングでは、1位は上海で、東京は12位でした。

(二木紘三)

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コメント

本日、ここのサイトを開きましたら、
『お月さん今晩は』が掲載されていました。
嬉しくなってしまいました。
何回聴いていても良い曲ですよね。
思わず聞き惚れていますよー。

この場を借りて、厚く御礼申し上げたいです。
二木先生、本当に有難うございましたm(_ _)m

投稿: たかポン | 2007年10月 9日 (火) 22時31分

藤島恒夫
 といえば
  月の法善寺横町です。
30年前に 行ったような気がします。

投稿: 二宮 博 | 2007年10月11日 (木) 04時09分

一般的に女性は手が届く範囲において置かないと(こまめな
メンテナンスの為)だんだんそえんになるらしい。
遠くの彼氏より近場の彼氏に寄りかかっても不思議では有りません。

投稿: M.U | 2008年7月 5日 (土) 13時24分

「淋しい」と書いて、「さみしい」と歌う場合と「さびしい」と歌う場合が有りますが、これは詞人の感性なのでしょうか。
私を「わたし」と歌うのは知的でアクティブな女性で、
「あたし」と歌うのは捨てられ女と思えば良いのでしょうか。

投稿: 海道 | 2008年12月26日 (金) 18時40分

藤島桓夫がまだ健在だった頃、私もまだ若くて、会社の宴会で藤島桓夫を真似て、鼻をつまんで鼻声で歌い、喝采を浴びたものでした。その後、この歌を歌うたびに、そんな歌い方をしてふざけていました。

でも、実は今でもこの歌が好きで、今はふざけないでまじめに歌っています。台詞がまたいいですね。

投稿: 吟二 | 2009年2月24日 (火) 23時34分

73才の男性です。初めてこのウエブに巡り合えました。唄はとても好きです。特に戦前のものがいいですね。小さい頃、旧満州にいたことがあり、和田春子の幌馬車の唄は何となく肌に合うようです。是非この唄を聞けるようにしてください。二木先生のますますのご健勝を祈っております。

投稿: 桃太郎 | 2009年2月28日 (土) 20時54分

はじめまして、シニアネット同好会で、教えて、いただき
 すごいな~って思います。
 歌は、世につれ人につれと、申しますが、歌詞の、歴史
 や、エピソードを、知ることは、また深く心に残るので
 は、ないかとおもいます。
 楽しみありがとう!!

    ヽ(´▽`)/  

投稿: 菊川澄子 | 2011年8月10日 (水) 18時00分

遠藤実の作曲年譜を見ると、この『お月さん今晩は』や『ソーラン渡り鳥』等(昭和30年代)と、『くちなしの花』『すきま風』等(昭和40~50年代)とでは、同じ作曲家かと思うくらい曲風がガラッと変わっているのではないかと(作曲年代が違うから当然だと言われればそれまですが)・・・。
渡久地政信についても、『踊子』『東京アンナ』等(昭和30年代)と、『池袋の夜』『長崎ブルース』等(昭和40年代)とでは、やはり同じ作曲家かと思うくらい曲風が激変?しているのではないかと・・・。
何を言いたいかといえば、当たり前のことながら一流の作曲家は、歌手、作詞家、時代・・・に合わせて曲風を自由自在に変えることができるということになりますか。

投稿: 焼酎百代 | 2014年12月28日 (日) 17時55分

リンゴ栽培の田舎の村が“舞台”の歌で、1~3番の歌詞に「都へ行っちゃった(○○ちゃった)」という東京弁?のような言葉が出てきますが、ひょっとしたら作詞家(松村又一)が“コミカル性”を狙ったのではないか…と独断と偏見で想像するのも一興です。
この歌の“舞台”を何れのリンゴ栽培県(①青森、②長野、③岩手…)に想定したのか、作詞の松村又一(故人、奈良県出身)に聞くのが手っ取り早いわけですが、仮に青森とした場合、青森のリンゴ村方言が「都へ行っちゃった」でないことは明白です。しかし“コミカル性”を狙うなら「都へ行っちゃった」でもいいわけです。
一方、北関東在住者としては、「都へ行っちゃった」が、「都へ行ったんべな」とか「都へ行ったっぺな」とか「都へ行ったんでねーんけ?」となるのではないかと想像するのも一興です。

投稿: 焼酎百代 | 2015年4月20日 (月) 19時31分

 焼酎百代さまのコメント、なるほど、です。
出身地はどこか、そんな方言あるのかな、という疑問、私も、もってしまいます。(遊び感覚の疑問ですが・・)
 この歌に関連して、守屋浩の『僕は泣いちっち』を思い出します。あの中に「僕の恋人東京へいっちっち」という不思議な歌詞がある。それこそ、どこの田舎がそんな言いまわしをするのか?です。しかし、子ども(当時10歳)の頃、わけもわからず歌っていた。
 東京と地方が、一方通行の「憧憬」で結ばれていた、当時の空気がわかります。
 「いっちっち」だけでなく「涙がでっちっち」「汽笛がなっちっち」など、動詞の活用形がむちゃくちゃで、国語教育を破壊するような歌詞が出てきます。しかし、そういうナンセンスさが、子どもにはアピールしたように思います。
 また歌詞は「どうしてどうしてどうしてそんなに東京がいいんだろう」と批判しておきながら、「僕も行こうあの娘の住んでる東京へ」と結んでいます。節操のないヤツだなと思ったのは、もう少し大きくなってからの話です。

投稿: 越村 南 | 2015年4月21日 (火) 04時38分

越村南様のコメントに同感です。
本サイト掲載曲を“独断と偏見”で角度を変えて観察すると、いろいろ面白い側面・断面が見えてくるわけです。

投稿: 焼酎百代 | 2015年4月22日 (水) 16時06分

焼酎百年さま 越村 南さま
 お二人のやりとりに思わず吹き出してしまいました。確かに「涙がでっちっち」「汽笛がなっちっち」には参った参ったですね。作詞者に乾杯です。これを打ちながら、またも吹き出しています。お二人の「お笑い」に感謝、感謝です。

投稿: konoha | 2017年4月21日 (金) 18時28分

「お月さん今晩は」この歌は曲の出だしから郷愁を誘われる大好きなメロディで、私が幼い頃に住んでいたふるさとの山々や、麓に広がる田園風景を懐かしく想い出させてくれます!

このページにくると、2015年4月20日・21日に繰り広げられる、焼酎様と越村南様の、田舎なまりについてのうんちくが面白く、守屋浩の「僕は泣いちっち」での「でちっち」「なちっち」なるほど鋭い!と、壺にはまってしまいました。確かによく考えてみると守屋浩の「夜空の笛」に於いても、「チイタカタッタ、チイタカタッタ、笛の音が~」や「ヤイヤイヤイ、ヤイヤイヤイ、ヤイヤイヤイヤー」~とありますが、これも絶妙の表現ではないかと思ったりして、ある意味で作者である浜口庫之助の物凄さを感じます。

昭和流行歌本の中での野村耕三氏の解説では、流し時代を経てマーキュリーに入り、星幸夫というペンネームで何作か出したがヒットが出ず、作詞家松村又一に言われ、本名遠藤実で出した「お月さん今晩は」は、初めてのヒット曲になったそうです。
そしてこの曲はラジオから流れてくる田端義夫の「ふるさとの燈台」を聴き、触発された遠藤実がギターを弾きながら書き上げた曲で、またマーキュリー時代、別ペンネーム米田信一で、島倉千代子の「からたち日記」の大ヒットを出した後は、コロンビアに迎えられ、それ以来は本名の遠藤実を名乗ったそうです。

一昨年前この曲で、遠藤実大賞を取った愛知県出身の小学生歌手東亜樹ちゃんが歌う「お月さん今晩は」も、その歌唱力と幼いながらも、彼女から醸し出されるその歌心に強い魅力を感じていて、私はよく動画視聴をしています。

投稿: 芳勝 | 2018年6月30日 (土) 15時58分

芳勝さま
いつも読み応えのある素敵な心のこもったコメントを拝読いたしております。
長年ギターと共に人生を歩んでこられ、歌謡曲等に関する知識が豊富な方で感服するばかりで、流石だと頭が下がります。
この歌は、私が高校2年の時によくラジオなどで聴いておりました。
甘い独特の声量が持ち味で、聴く度に「月夜の世界」に舞い込んだような気分にさえなったことを懐かしく想い出しております。

早速、「東 亜樹ちゃん」の動画「お月さん今晩は」を聴きました。
スーパー小学生。現在4年生。
2歳の時から歌大好き少女で歌っていたそうです。
(「カラオケ喫茶ひろ」より)
初めて聴きました。小学4年生・・・すごいの一言ですね!
素敵な快適な情報ありがとうございました。

このところ、佐賀地方では、梅雨の真最中で・・・雨の中での「宅配」は、難儀も・・・いいところ・・・疲れます。
でも、安全運転で頑張ります!
夕食時での反省会では、「芋焼酎」で乾杯です。

投稿: 一章 | 2018年6月30日 (土) 17時18分

一章様

お便り嬉しく拝見しました。いつも優しいお言葉をかけて頂き有難うございます!
こちら東海地方では雨が降ったりすぐ止んだりと、ハッキリとしない蒸し暑い日が続いています。

先日の「東京大衆歌謡楽団」佐賀公演をご覧になられ、うた物語ファンから「お富さん」に寄せられた多くのご賛同コメントの数々を拝読する中で、一章様のお人柄とともに、感激されたそのご様子などが、こちらまで伝わってきました。
喜寿を過ぎて今もなお、貴重で大切な使命感をお持ちなり、早朝からお仕事をなさっておられる一章様の生き方は、心から素晴らしいと私は思っています。
私のふるさと佐賀県には、常にお心配りを持たれ、決して人への感謝を忘れないという、一章様のような方がお住まいになられておられることだけでも、私は嬉しく思っています。

東亜樹ちゃんが歌う「お月さん今晩は」をはじめ、「おやじの海」や「ソーラン渡り鳥」など、私は彼女の歌が好きでいつも動画視聴をしています。

これから益々暑さが厳しくなってまいりますので、お身体にはくれぐれもご自愛ください。

投稿: 芳勝 | 2018年6月30日 (土) 19時06分

連投失礼します。
芳勝様のコメントを読んで検索した結果、「お月さん今晩は」を熱唱する小学生の歌唱力にビックリしたしだいです。小学生に拍手喝采!
↓“本人”東亜樹さん提供「お月さん今晩は」
http://www.youtube.com/watch?v=7D5gJwqk048

投稿: 焼酎 | 2018年6月30日 (土) 20時26分

毎日新聞の2月4日付け夕刊「私の記念碑」は橋幸夫です。遠藤実の歌謡教室に通ったそうです。
芳勝さまによると遠藤実は星幸夫と名乗っていたとのこと。ひょっとすると…

投稿: hurry | 2020年2月 4日 (火) 20時14分

「お月さん今晩は」「リンゴ村から」同じ年代に聞いたこの故郷歌謡が私の頭の中ではコンガラカッテしまいます。
 遠藤実先生が終戦直後新潟市に住んでた頃新潟市の西南部?に赤塚という大根栽培が盛んな地域が有って大根畑の情景が先生の記憶に焼き付いてたんでしょうか?
「リンゴ畑のお月さん今晩は・・」の所を「大根畑のお月さん今晩は・・」では??悩んだ挙句「リンゴ畑」にした。と言う話を何かで聞いたことが有ります。
14~15歳だった頃が懐かしく思う出されます。  
                   ノルタル爺

投稿: 和泉郁夫 | 2022年3月14日 (月) 07時09分

『お月さん今晩は 』は懐かしい歌です。今でも、歌詞1番は、諳んじて歌えます。

この歌が世に出た頃、私は大学受験に失敗し、捲土重来を期して、浪人生活を送っていました。
この歌に照らして当時を振り返りますと、歌詞にありますように、 可愛いあの娘(こ)に見捨てられた訳でもなく( そもそも、可愛いあの娘などいませんでした)、近くにリンゴ畑があった訳でもありません。
ただ、その頃北陸の一寒村(十軒にも満たない)に住んでいましたので、♪こんな淋しい 田舎の村で 若い心を 燃やしてきたに…♪の部分が心に響いたのかも知れません。

藤島桓夫さんの『お月さん今晩は 』を聴くと、大学入学を目指してもがいていた当時が思い出されます。

投稿: yasushi | 2023年9月23日 (土) 17時07分

2年前、リンゴを求めて長野県 飯縄町「ふじりんご祭り」に行きました。我が家ではいつも朝食にりんごを頂くので翌年春ごろまでのりんごを購入します。あちらこちら観光を楽しみながらりんごを購入し最後は夕方遅く飯綱高原の販売所にたどり着きました。みんなは、りんごを求めてお店に行き私一人が車から出てあたりの風景を眺めていました。高原からは一面のりんご畑とりんご農家が拡がっています。空を見上げると大きな半月が暗い夜空に浮かび高原全体を照らしています。ふと、この歌が浮かんできました。歌詞の一つ一つが心に響き去りゆく秋の寂量感と懐かしさで一杯になったことを思い出します。

投稿: いえのマル | 2023年9月26日 (火) 14時07分

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