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2007年10月16日 (火)

リンゴの木の下で

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:Harry H. Williams、作曲:Egbert van Alstyne
日本語詞:柏木みのる、唄:ディック・ミネ

リンゴの木の下で
明日(あした)また会いましょう
黄昏れ赤い夕日
西に沈む頃に
楽しくほほ寄せて
恋をささやきましょう
真っ赤に燃ゆる想い
リンゴの実のように

    (間奏)

楽しくほほ寄せて
恋をささやきましょう
真っ赤に燃ゆる想い
リンゴの実のように

In the Shade of the Old Apple Tree

In the shade of the old apple tree
Where the love in your eyes I could see
When the voice that I heard
Like the song of a bird
Seemed to whisper sweet music to me

I could hear the dull buzz of the bee
In the blossoms as you said to me
"With a heart that is true
I'll be waiting for you
In the shade of the old apple tree"

           (instrumental passage)

I could hear the dull buzz of the bee
In the blossoms as you said to me
"With a heart that is true
I'll be waiting for you
In the shade of the old apple tree"

《蛇足》 1905年にアメリカのH.ウィリアムズとE.アルスタインによって作られました。
 アルスタインは、自分が通っていた学校にあった古いリンゴの木から想を得て曲を書いたといわれます。

 この曲が作られたのは日本では日露戦争中でしたが、流行ったのは昭和10年代前半です。このころダンスが盛んになり、ダンスホールではジャズやタンゴ、ブルースなどの洋楽が盛んに演奏されました。
 昭和12年(1937)にディック・ミネの唄でレコードが発売されると、この曲はダンスホールの人気ナンバーの1つになりました。
 しかし、昭和15年
(1940)10月31日にダンスホールが閉鎖され、ジャズが「敵性音楽」として禁止されると、表立って歌われることはなくなりました。

 戦後、ディック・ミネ自身や、進駐軍のキャンプ回りをする歌手たちによって、再び歌われるようになりました。

 1939年公開の映画『オズの魔法使い』で、ドロシーがリンゴの実を摘もうする場面にこの曲が流れています。

(二木紘三)

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コメント

日本語の詩と英語の詩がずいぶん違う様に思えるのですが
詩人はこう訳す者なんですね。
林檎の木は大人でも頭が当たらない程背が高かったでしょうか。昔のことなので忘れました。

投稿: 海道 | 2008年12月10日 (水) 14時25分

この春から、昔(約50年前)とった杵柄であるウクレレを再開しました。
 商業主義優先の現代曲には波長の合うものが極めて少ないと感じますが、この曲をはじめとする戦前の曲には青春のロマンを感じます。 
 画面を見ながら声低く歌って、(現実にはなかった)理想の青年時代の心境に浸っています。

投稿: 藤井 宏政 | 2009年9月 9日 (水) 23時35分

63歳男性です。タイ国に住んでもう35年になります。
「リンゴの木の下で」を初めて聞いたのは、30年ほど前のタイ航空飛行機の機内音楽でした。ハスキーな女性歌手の歌でした。聞いたときにすぐに心に滲みて口ずさみ始めました。日本に帰宅後歌っていると、昭和一桁生まれの姉から、それは昔ディック峰の歌っていた古い歌だと教わりました。
今度は、「四股踏んじゃった」の映画DVDを見ていたら、エンディングで突如この歌がハスキーボイス女性歌手の声とともに聞こえてきました。
心に滲みる歌と思っていたのは私だけではなかったのです。今日、貴サイトにて、英語原曲であることを教わりました。日本語訳よりも一発で歌える優しい英語で、さすが原曲です。去年生まれた1歳の孫(男子)に歌い伝えていきます。

投稿: 木暮 悟 | 2011年1月 1日 (土) 00時02分

「リンゴの木の下で」もその原詩も、(恋が)有りそうで無さそうな果樹アップル。アメリカ栽培リンゴの元はメイフラワー号持ち込みのクラブアップル系。十分な木蔭が出来たのは古木ゆえだったのでしょうか。懐メロに相応しいような雰囲気。メロディーを覚えられず、ジャズと聞いてもピンとこず、お恥ずかしい。

テキサスにもあちこち独蘭地名があり、van Alstyne(その南に我が村名)もその一つと思われます。有名な作曲家がその村出身の家系に出た。彼による幾つかの歌がアメリカ熟年世代に愛され、21世紀になっても歌われているんですね。

リンゴ対露輸出ストップのあおりで、「リンゴ食べましょう」欧州キャンペーン(スーパーは半値)と共に、歌詞の素朴さに一寸驚きます。藤村なら、こんな正直に絶対になるまい。繰り返し聞いていると、なんとなく寝入りそうな気分…。かたわら、リンゴ、トマトにパプリカ…生鮮食糧すべての不足と値上がりに屈託ない善きロシア庶民は大変だろうなーとチラッと思いつつ。

投稿: minatoya | 2014年8月18日 (月) 08時34分

「上海バンスキング」で この曲を聞いてから 大好きになり、吉田日出子さんのCDを買って いつも車の中で聞いていました。その頃は 子供たちの色々な送り迎えの運転手の日々で 彼女たちも好き嫌いにかかわらず、これらの曲を聞かざるを得ない日々でした。私も カナダ在住37年が経ち、今は成人して今は英語づけの子供たちも 「りんごの木の下で」だけは しつかり日本語で歌えます。私には懐かしい曲となりました。

投稿: hana | 2017年7月14日 (金) 06時57分

 「リンゴの木の下で」といえば、長調で明るく、軽快なラブ・ソングで、様々なアーティストによるヴォーカルや演奏を聴くたびに、心うきうき、楽しくなります。
 さて、数年前になりますが、たまたま手にしたCDアルバム『おおたか静流ベスト・コレクション-花-』 のなかの「林檎の木の下で」に出合ったとき、大きく心に響きました。おおたか静流(しずる)さんの明るい、歯切れのよい歌声と、加藤みちあきさんの独創性溢れる編曲が相まって、このようなスタイルの「リンゴの木の下で」もいいなあ、面白いなあと、繰り返し聴いたものです。

投稿: yasushi | 2017年11月13日 (月) 14時05分

yasushiさま
おおかた静流さんは不思議で奔放な魅力のある方ですね。
10年ほど前 当県でのコンサートで吃驚しました。
小さい子が多数のコンサート会場「皆さん,壇上にあがってもそこに寝転がってもいいですよ~!!」と掛け声。
ステージの真ん前には茣蓙を敷いて 子ども達がどんな格好をして聞いてもよいという奇抜さ。とても感心したが
肝心の歌が聞き取りにくいほど子供たちが盛り上がってしまったのでした。音域の広い歌の上手い、衣装も眼鏡も奇抜な方でした。yasushi様のコメントで全く忘れていた事をひょいと思い出しました。これも二木サイトの醍醐味でもありますね。

投稿: りんご | 2017年11月13日 (月) 19時49分

りんご様から過分のお言葉を頂戴し、恐縮です。私の投稿が、りんご様の思い出を辿る一助のなったのであれば、嬉しいことです。
 私も歌の愛好家の端くれとして、数年前から、二木先生のこのブログを閲覧させて頂いており、各位から寄せられる歌についての思いや思い出を、共感したり、あるいは、新たな発見をしたりして、楽しんでおります。
 気象予報では北の国の雪の便りが届く昨今、ご自愛くださいますようお祈りしております。

投稿: yasushi | 2017年11月14日 (火) 10時17分

 「リンゴの木の下で」に触れると、いつも思い出すことがあります。それは今から50年近く前のことで、音楽好きな仲間と神保町で酒を飲み、場所を銀座の泰明小学校近くにあったドイツ風ビア・レストランに場所を移したのが夜10時を回った頃でした。
 レストラン内の真ん中にあった大きな丸テーブルで飲んでおりましたら、一人の客がドアを開けて入ってきて、私たちの正面に座りました。すぐに店のマネージャーらしい人が客に「もう終わったんですか?」と声を掛けました。
客はどこかで見た人だと思ったら、トランペッターの南里文雄さんで、日劇のジャズ・フェステバルが終わってから店に寄ったのでした。
 とっくにデキ上がっていた私たちは、伝説となった南里さんに「何か吹いて下さい、そうだ”リンゴの樹の下”をお願いします」と失礼にもリクエストしてしまったのです。ところが、南里さんはすぐにケースから楽器を取り出して
吹き始めたのです。狂喜乱舞した我々は「はい、次は”カプリ島”…」などと勝手三昧のあり様。でも、南里さんは嫌な顔を微塵もみせず、またしても吹いてくれたのです。
 いい人だったなあ… あの夜の南里さんと「リンゴ…」「カプリ島」は一生忘れられない思い出です。

投稿: ジーン | 2019年5月23日 (木) 21時14分

ジーンさん

素晴らしい思い出ですね。南里文雄さんもほんとに良い方ですね。みんなお酒を飲んでハイになっていたんでしょうけど、楽しそうな雰囲気が伝わって、自分も居たかったなあと思いました。

投稿: 吟二 | 2019年5月23日 (木) 21時49分

向田邦子さんの古いテレビドラマ(DVD)を見ていたら、この曲がいろんな所に出てきました。
戦前を舞台にしたドラマですが、この曲がみんなに愛され、よく歌われていたことを示すものと思われます。
私はジャズ・ファンではありませんが、この曲を聴いていると明るく軽やかな気分になれます。これからも聴いていきたいと思います。

投稿: 矢嶋武弘 | 2019年9月18日 (水) 16時28分


「シコ踏んじゃった」というコメディ映画(周防正行監督・脚本、本木雅弘、竹中直人・清水美沙ほか助演、1992年の日本の映画賞を総なめ)のフィナーレ曲として、何故か、この曲が流れており、ビックリしました。

映画の中では大学名として教立大学とか、応慶大学、衛防大学、本日医科大学、スオックフォード大学など、現存する大学のもじり名がつかわれています。どの大学かを推察するにも頭の体操になっていいかと思いますので、一度、お試し下さい。

映画の中では英国から留学生としてやってきた青年(日本の高いアパート代
が払えず、相撲部に入るという条件で、相撲部の部屋の2階を無料で間借り)が大活躍します。日本文化に深い関心と理解を示し、キリスト教系の大学(立教大学は聖公会=イギリス国教会)の相撲部に、神道の神棚があるのは、おかしいと指摘するなど、日本人として考えさせられる場面が多々現れます。実に面白いコメディー映画です。

その映画のエンディングに、この「リンゴの木の下に」が、どうして流れるのか、よくわかりませんが、深い意味はなく、ただ単に周防監督が好きな曲なのかもしれません。

投稿: 遊心 | 2021年1月24日 (日) 14時08分

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